「お前は、いつも通りでいろよ。無理に変えようとしないでもいい」
「もし最愛の人が出来た時には、俺らが精一杯その門出を祝ってやるよ」

 当時、私は恋愛をするという意識が消極的だった。女性が苦手というわけではなかったのだが、つまりは、遅れて気付かされたのだが私はひどく奥手な男だった。

 ――だから、声をかけられた時、私は人違いではと困惑した。

 その日、私は遅い昼食をとって大学へ戻る途中だった。突然、身綺麗な日傘を差した女性に呼び止められたのだ。

「あの、すみません」

 それは、雲の多い肌寒い日の午後だったと記憶している。日傘の下から覗いたのは、真っ直ぐ射抜くような、大きな黒真珠の瞳だった。

 さらりと背中からこぼれる艶やかな黒髪。伸びた細い肢体から覗く肌は、目に眩しいほど滑らかだった。首の下にある鎖骨には、思わず視線をそらしてしまうほどの色気を覚える女性がいた。

 まるで精霊か女神の化身のようだった。思わず目をそらすと、彼女の、ふっくらとした桃色の唇が、もう一度私に向かって「あなたよ」と言ってきた。

 人違いではなかったのだと自覚した私は、彼女へと目を戻した。

 黒髪黒目の、とても美しい若い女性だった。私は、自分が男として魅力がない事は知っていたから、男としての期待心など全く思いつきもしなかった。

「あの、僕に何か……?」

 恐々とそう切り出したところで、ふと、噂の女子大生の事を思い出した。

 私は、神秘的な印象すら覚えるこの美しい女性を、てっきり社会人だと思っていた。しかし、日傘を差しているという特徴を聞いていたから、まさかと思って確認した。

「えっと、君は大学生ですか?」

 思わず敬語になってしまった。するとその女性は「ええ、そうよ」と、強い意思を宿した瞳でまっすぐ肯定してきた。