「次にブラック珈琲を頼まれる機会がありましたら、ぜひ利用されてください。声をかけて頂けたら、すぐにお持ちしますから」

 そう言って、やや崩れた営業スマイルを浮かべる。まだ完全には大人になりきれていない少女が、弱った表情に無理やり浮かべた笑顔のようにも見えた。

 また来るつもりはなかった。もう目的は達成した。言葉を交わす予定もなかったのに、余計に通っていたからこうして接客されてしまっている。

 この場合、社交辞令として、どう言えばいいのか分からない。ヨリは返答に困った。結局は「そうだな」とだけ曖昧に答えて、とうとう口をつぐんでしまった。

 彼女が一つ申し訳なさそうに微笑んで、それから来店した新規の若い女性二人組の方へと向かっていった。客も増え始めていたので、彼はそこから逃れるように会計を済ませて店を出た。

             ※※※

 外に出てみると、雨はまだ降り続けていた。

 頭上は暗い雨空が広がっている。傘の外側を、相変わらず激しい雨が叩いてきて、歩道の信号が青に変わる際に発生する聞き慣れた機会音も、傘の内側に届きにくい。

 ヨリは、目的地も定まらないまま歩いた。茉莉の弟についても顔を見てみようと考えていたのだが、彼が頻繁に訪れているらしい店を探してみる気分でもなかった。

 茉莉の弟は二十二歳。姉とは違って大学へは行かず、高校を卒業後、二十歳で就職している。彼も同じく実家を出ており、この都内で一人暮らしをしているのだとか。

 ヨリは都会育ちではあったが、元々中小企業の就職を考えていた。熱意も情熱も持ち合わせていない自分が、まさか一つ目の面接先の会社で採用が決まるとは思ってもいなかった。