♢ケース3 生命保険と二重の呪い

 生命保険の勧誘の仕事を始めた主婦の森園子(仮名)っていう女性の話をするよ。もちろん全て仮名だけど実話さ。

 仕事を始めた動機はよくあるパターンだ。大手会社の正社員という甘い誘惑に乗って、育児をしながら両立できるとママ友の斉藤に勧められたらしい。友人を社員として紹介すると友人には大きなメリットがあるということも知らずにね。世間知らずなんだよね。園子は友人と共に働くという安心感から専業主婦を脱することを決めたんだ。

 実際は友達はカモになることをのちに知る。セミナーやイベントに誘っただけで誘った人には報酬が入る。そんな園子にはたまらなく憎い相手がいた。一番身近であり、愛するのが一般的であるはずの夫の存在だった。彼女のように一番身近な存在に対して憎悪を浴びせるという行動はとても崇高で当たり前だと思うんだよ。私が森園子に協力したいと思った動機だったよ。

 園子は命保険会社に入社して保険について様々な知識を得た。勧誘すると、冷たく断られるのはしょっちゅうだ。人間不信になり、心が折れることも多々ある。友達もなくしてしまう。最近、話題になっている呪いのアプリと生命保険を組み合わせたら、どうなるのだろうと園子は思う。大金が入れば、こんな仕事をしなくてすむ。何よりモラハラ夫から解放されると園子の目つきが変化していた。そういう変貌は大好物だよ。

 結婚して、園子は非常に後悔していた。後悔先に立たずという言葉を噛み締める。園子はモラハラという言葉を知ったのは最近だった。知識が足りないと、人生選択で馬鹿を見ることは多いね。夫の女性を馬鹿にした言動と傍若無人な振る舞いは、園子の心に闇の灯を静かに灯していた。それは、少しずつ、まるで水道から水滴が落ちるかのように少しずつ心に闇が積もっていた。塵も積もれば山となるとはまさにこのことかもしれないね。

 あの人さえいなければ、自分は自由になれる。離婚は絶対にしないというモラハラ夫となんとか離れたい。でも、殺人をするには現実的にはリスクと精神的にも計画的なハードルが高い。そんな時、呪いのアプリを特集した記事を見かける。

「保険金をかけた人に呪いのアプリを入れたら、お金が入るってこと? あのアプリって死ぬと自然とアプリが消える。つまり証拠も消えるってことだよね」

 営業では一応先輩となるママ友である斉藤に何気なく言う。一応というのも、斉藤自体そんなに営業経験があるわけではなく、半年ほど先に入っただけのキャリアだった。しかし、しっかり者で、いつも親切丁寧な斉藤のことは信頼していた。
「一緒に仕事をしたいから、誘ったんだよ。友達だよね」といわれていた。友達という響きは園子にはとても心地のいいものだった。

 園子はあまり友達が多い方ではなく、斉藤のように気軽に何でも話してくれる友達は大人になってから初めてだった。友達という響きに多少喜びを感じていたことは否めない。

「呪いのアプリなんて、本当にあるわけないじゃない」
 斉藤は都市伝説のような話に興味を示さない。
 少し変なことを考えてしまった園子は後悔する。

 仕事で疲れて帰宅しても、育児に家事にとても忙しい。
 夫は当たり前のように妻が作った夕食を食べる。まるで、ロボットが勝手に作った夕食でも食べるかのように、当たり前に口に運ぶ。機械作業のようだ。

「大して収入もないくせに、一人前の顔をしやがって」という。
 夫は収入がいい。妻が頑張って働くことに賛成していなかった。
 女は黙って家事をやっておけというタイプだ。共働きだとしても絶対に家事をやらずに上から目線なのは変化がない。帰ると夫の面倒な愚痴を聞くことも、命令口調なのも全てが面倒になる。

「生命保険なんて俺は絶対に入らない。奴らはただ保険に入る人間を集めてくれるロボットがほしいだけだろ。身内を勧誘してノルマを達成できずに終了するのが関の山だ」

 薄々そういう仕事だということは気づいていた。人を使い捨ての駒にして、ごみのように捨てられるような気もしていた。でも、成功している人もいる。この仕事が悪いと決めつけるのは時期尚早だと園子は思う。

 手に職がない園子は、子どもがまだ小学校の低学年ということもあり、できる仕事が限られていた。子どもの行事、子どもの体調不調、子どもの学校関係で休まなければいけない。その点、保険の仕事は融通が利く。さらに、家族の協力はないのでまさにワンオペ育児という状態だった。

 普通の会社の正社員になるのは果てしなく難しかった。しかし、年中正社員を募集している保険の外交員は不景気のあおりを受けずに求人があった。事務職はなかなか空きがないし、若い人を取ることが多い。歳を重ねた子持ちよりは独身で子どもの都合で休まない吸収力のある人間を求める。販売職は土日勤務を求められる。子どもが休みの土日は避けたかった。夫はどうせなにもしない。園子は期待することを辞めた。

 子供と仕事にだけ向き合おう。

 最初だけはみんな優しかったけれど、契約が取れなくなってくると当たりが強くなるのが目に見えてわかる。

 パソコンを開くと呪いのアプリの特集が目に付く。呪いのアプリと検索してみる。
 夫は妻が勤める会社の生命保険に入ってくれない。でも、独身時代に入っていた生命保険があった。受取人は妻になっている。

 幻人に連絡をするとアプリを譲ってくれるらしい。
 その書き込みがとても気になった。
 仕事は全くうまくいかない。元々引っ込み思案でしゃべりが下手な園子は会社に居づらくなっていった。このままこの仕事をつづける自信はない。

 意を決して送ってくれたメッセージはじんわり響いたよ。

『幻人さんへ。
ネットではじめてあなたのことを知りました。呪いのアプリを譲ってください。呪い殺してしまえば、全てハッピーエンドになれると思えるのです』

 突然の胸を打つメッセージに驚いたよ。まぁ、こんなことはしょっちゅうだけれど、彼女からは真剣な気配を感じたんだ。初対面の相手に呪い殺してしまえば全てハッピーエンドになれるなんて普通送る? 結構クレイジーなタイプだなって強烈なインパクトを与えたのは確かだったよ。

『あなたのハッピーエンドはどういった結末ですか?』
 私はそう返信してみる。

『ただ子供と幸せに暮らしたい』

 実にシンプルだと思ったよ。

『呪いたい人の名前と連絡先を教えて。相手にはあなたの連絡先は入っている?』
『入っています。私の夫です』

 その後、夫の本名と連絡先を教えてきた。
 相当行き詰っていたみたいだから、少しばかりメッセージでなぜここにたどり着いたのか経緯を聞いたよ。
 夫を殺して保険金をもらい、今の仕事を辞めたい。生命保険の外交員は思った以上に辛い。自分には向いていない。そんな内容を素直に書いてきた。モラハラ夫の愚痴もあったね。誰かに聞いてほしいみたいだね。それが殺人仲介人だとしても存在しない人間だとしても、そんなことは関係ないみたいだったよ。

『もう一人、呪いのアプリを入れたい人間がいます』

 同時に二人申し込みたい人は珍しいから、ますます耳を傾けたくなったよ。

『生命保険の外交員に誘ってきた斉藤ゆきえに呪いのアプリをどうか入れてください。彼女がママ友に話していることを聞いたのです。森さんは暗いし外交員に向いてないけれど、ノルマのために誘ったら、すんなり入ってくれたのよ。でも、向いてないと思うの。早く辞めた方がいいと思うのよって。森園子を見てるとイラつく。死ねばいいのにって言ってました』

 よくある女同士のトラブルってやつだと思ったけれど、面白そうな案件だから、斉藤という女性にアプリをインストールしてみたんだ。同時にアプリをインストールはできるんだ。呪い主のリスクは高くなるけれどね。二重に入れることができることは案外知られていない。リスクを高めてまで呪いたい相手がそんなにたくさんいる人は割と少ない。

 もっと言えば、創造主としては二人以上に入れることもできるけれど、今まで無作為に入れたいという人はあまりいない事実。そういう人は、無作為に誰でもよかったという殺人事件を起こしたりするからね。アプリに頼る必要がないんだと思うよ。

 森園子はどうなったと思う? 彼女はすぐに死んだよ。1日くらいであっという間にね。誰が当てたかというと、二人ともすぐに正解しちゃったんだ。

 元々二人とも呪いのアプリに興味を持つように、わざと森園子に仕組んだんだよ。

どうしてかというと――園子の夫とママ友の斉藤ゆきえは不倫関係にあってね。邪魔な園子に死んでほしかったんだよ。だから、あえて呪いのアプリについて園子興味を持つように、呪いのアプリを特集した雑誌を見えるところに置いたのは斉藤。パソコンの画面に幻人のことを紹介しているページが見えるように仕組んだんだのは夫だ。

 斉藤とモラハラ夫の二人は今でもきっとラブラブだと思うよ。もう、邪魔者はいなくなったのだから。でも、モラハラって死んでも治らないっていうよね。馬鹿は死んでも治らないっていうのと同じで、誰かを馬鹿にしないと生きていけない人間もいるんだ。きっと、斉藤からそのうち呪いのアプリの依頼が来るんじゃないかと確信しているんだけどね。

 それと、すっかり本人は忘れていたのだけれど、森園子は結婚した頃に生命保険に入っていたんだ。もちろん受取人は夫だった。つまり、夫はお金も女も手に入れてハッピーエンドだったということだよ。

 因果応報という言葉はあるけれど、これは、宛てにならないと思う。アプリ経由で色々な人の人生を見て来たけれど、悪人が不幸になる理由はない。善人が幸福になる理由もない。

 因果応報という言葉は、善人が自分が損をするはずがないと思い込みたいという思想から生まれた言葉のような気がするな。少なくとも、その言葉を使っている人は、悪人や罪人は不幸になるべきだという倫理観で使っているとしか思えないんだよね。