♢廃墟の二人 結と壮人
廃病院での壮人と結の会話。
「痛いっ――」
結がつまづき、足をひねった。優しく壮人が結に話しかけた。
「怖がりなのに、こんなところに来て大丈夫なの?」
「私、超怖がりなのに、なんでオカルト研究会なんてやってんだろう?」
苦笑いを浮かべる。
「ほら、足場悪いから手を出して」
壮人は手を引きリードする。凛としたまなざしはこの閉鎖された薄暗い空間でたった一人、頼れる存在だった。
先程のグループ決めの話を壮人がする。チョキかグーのどちらかを出すことで、グループを決めようと提案したのは壮人だ。
「いつも、結はチョキをだすよな」
「癖なのかも。なんとなく、ピースサインって平和の象徴っていうイメージがあって。チョキ出しちゃうんだよね」
廃病院に不似合いな屈託のない笑顔は結らしい。
「幼稚園の時からチョキだよな」
「壮人は何でもお見通しだね」
「まぁ、そのことを知っていたから、チョキグーでグループ決めをしたんだけどな」
さりげなくドキリとする台詞を囁く。
結は一瞬ドキリと台詞にときめく。もしかして――? そんなことないよね。結は自分に言い聞かせる。
その直後に結の体が硬直する。瞳を開いたまま結は声を出すだけだった。しかし、思いのほか声は大きくは出せなかった。
「キャー!!」
結が驚く。廃病院に捨てられていたなぜか血まみれにした髪の乱れた人形が落ちていた。体は引き裂かれ、無残にもはらわたが見える。人形なので、綿なのだが、人形の見開いた目が不気味だ。見開いた人形は、こちらを見ているようだ。目を逸らしてもずっと逃れられない視線を感じる。
まじまじと見つめ、冷静に分析する壮人。
怖がりの結は壮人に抱きついた。物理的距離が近づき、壮人は落ち着けと近くにあった古びた長椅子に座ろうとジェスチャーする。普通、こんな怖い場所を早く抜けて明るい外に行きたいと思う所だが、なぜか結は壮人の提案通りに動く。
人は怖いと頼れる人間の言うことを聞いてしまうという心理を利用したらいいと、ある人物が打ち合わせで壮人に囁いた。不気味な人形と長椅子の位置を用意し設定したのは全部その人だった。呪いの人形こそ見えやすい位置に置いたが、長椅子は目立たない場所に設置した。その人物は年下だったが、勉強以外でも気が利く人間だった。勉強しかできない壮人は彼の言うとおりにすると、結との二人きりの時間を壮人は確保できていた。壮人の彼への信頼は厚く堅いものとなっていた。
なんとか長椅子に座る。過呼吸気味で息が荒い結。
「あんなのただ、布でできた物体さ。昔から結は人形が苦手だな」
「人形って人の形をして目があるでしょ。目があるものは自分を見ていると思えるんだよね。怖いじゃない。ずっと見られていて、そのうち動いてこちらに飛んで来たらどうしようとか、想像ばかりが働いちゃう」
顔が急接近する。近い。でも、結の方には恐怖が勝っており、恋愛的なときめきがある様子はなかった。キスをしようとすればできる距離だ。壮人は唇を近づける。今なら、そっと口づけが可能だ。
できる――。千載一遇のチャンスだ。見開いた目をしている震える結の唇に壮人の唇を近づける。嫌がる様子もなく、結は微動だにしない。今、ここで結の青くなった唇にキスしてやろうか。そんなことを壮人は目論む。
しかし、壮人は直前で我慢をする。後々、面倒な関係になるよりいい友達でいることを選ぶ。それに、今、心が空っぽになっている結とキスをしても本当のキスじゃない。でも、ここぞとばかりに壮人はぎゅっと結の体を抱擁する。背中をさすり、大丈夫だと囁く。物理的に一番近い距離になる。
状況がロマンチックじゃないが、これが自分が望んでいた形だと壮人は実感する。目の前で抱きしめている女性はずっと愛している女性。彼女は世界で一番近い真崎壮人を頼ってくれている。それがとても嬉しかった。
ソファーのある場所は死角となっており、後から来た二人には見えない位置になっていた。結は自分を失い、壮人は結と少しでも一緒にいたいと思う。カルトたちよりも先に出発したにもかかわらず、なぜか出てくるのが遅くなった理由だった。本当はカルトという彼氏がそばにいるにもかかわらず、彼女と接触してみたいという危険と隣り合わせのスリルを感じていた壮人の気持ちがあったのは事実だ。彼氏という男が近くにはいるが、暗闇ゆえ誰にも見えない。禁断である意識が壮人のアドレナリンを刺激した。閉鎖的な場所でしか接触できないのも奥手で気の弱い壮人の弱みであった。
実際、その時の結の焦点は合っておらず、若干過呼吸気味だったので、落ち着くべきだと判断したのもあった。そんな怖がりな彼女を言いなりにできる唯一の時間を壮人は人生最良の時間だと実感する。彼女を支配した特別な空間と時間は後味のいい、まるで読後感が爽快な物語を読んだ後のようだった。
手を握り合い、震える結の体をさする。これは事前に想定していた通りのシチュエーションだ。それは、優しさを示すチャンスであり、恋人のように触れ合える時間だった。廃病院めぐりを提案したのは壮人だった。彼はこのチャンスを得たかった。高校3年の夏のひととき。受験期ではあるが、気晴らしにいってみようと提案した。もちろん二人きりというわけにはいかず、オカルト研究会という名目で二人きりになろうと提案した。
これを提案したのは、当時知り合ったばかりの秋沢葉次だった。彼は、中学生で高校受験を考えているので、学校の様子を教えてほしいと訪ねてきた。会話の中で、彼は心を引き出すのが巧みだった。同級生ではないが、心に秘めた思いを話した。すると、心理学的な知見と彼女の性格を考慮してひと夏の想い出を作ればいいと提案してくれた。
彼女が苦手なものは把握していた。特に人形が苦手だということを知っていたので、ヨージがあらかじめ痛めつけた無残な姿の人形を絶妙な位置に置いたのだった。そして、古い長椅子を死角になる場所に事前に設置をしたのもヨージの提案だった。4人で来る前に、事前にヨージと壮人はこの病院を下見していた。ヨージが作ったという人形はのちに呪いのアプリの象徴キャラクターとして有名となった呪いの子どもだった。中学生の秋沢葉次の中で、既に呪いの子どものイメージができていたのだろう。アプリについて葉次と壮人は少しばかり共有している情報もあった。既に特別な関係が築かれていた。
ひと夏の青春の想い出を作ればいいと、献身的にヨージは色々と準備してくれた。なぜ、こんなに親切なのだろうかと思ったが、恋愛下手で奥手な壮人には大変ありがたいことだった。
「この長椅子に座ったら、怖がる彼女の手を握って、背中をさすって安心させてね。人間は、恐怖の中安心するのが撫でられることなんだよ。猫とか犬も同じだけどさ。所詮人間も同じ動物だからね。こういう時に頼もしい異性がいると吊り橋の原理で好きになっちゃうらしいよ」
ヨージは本気で人を愛したことがなさそうな様子だったが、女性心理を捉えるのが巧妙だった。
「彼女は絶対俺なんか好きにならないよ」
自信なさげに本音を言う。本音を言えるのはヨージだけだった。
「人間の感情に絶対は存在しないから、大丈夫だよ。ソート兄さん」
勉強しかできない不器用な壮人に色々なアドバイスをしてくれるヨージは頼れる存在だった。唯一恋愛の秘密を共有しているだけでも壮人にとってヨージは貴重な存在となる。同級生の友達とは違う距離感を持つことができる人間は秋沢葉次だけだった。
中学生なのに、大人のように情報や知識を恋愛に駆使するヨージはどこか客観的で大人びた子どもだった。彼は人を安心させるなにかを持っていた。
まろやかで柔和な性格と明るく相手を尊重し、かつ的確に動いてくれるヨージは唯一の相談相手となっていた。それは、ヨージが人の懐に入り込むのが上手だったからかもしれない。
廃病院での壮人と結の会話。
「痛いっ――」
結がつまづき、足をひねった。優しく壮人が結に話しかけた。
「怖がりなのに、こんなところに来て大丈夫なの?」
「私、超怖がりなのに、なんでオカルト研究会なんてやってんだろう?」
苦笑いを浮かべる。
「ほら、足場悪いから手を出して」
壮人は手を引きリードする。凛としたまなざしはこの閉鎖された薄暗い空間でたった一人、頼れる存在だった。
先程のグループ決めの話を壮人がする。チョキかグーのどちらかを出すことで、グループを決めようと提案したのは壮人だ。
「いつも、結はチョキをだすよな」
「癖なのかも。なんとなく、ピースサインって平和の象徴っていうイメージがあって。チョキ出しちゃうんだよね」
廃病院に不似合いな屈託のない笑顔は結らしい。
「幼稚園の時からチョキだよな」
「壮人は何でもお見通しだね」
「まぁ、そのことを知っていたから、チョキグーでグループ決めをしたんだけどな」
さりげなくドキリとする台詞を囁く。
結は一瞬ドキリと台詞にときめく。もしかして――? そんなことないよね。結は自分に言い聞かせる。
その直後に結の体が硬直する。瞳を開いたまま結は声を出すだけだった。しかし、思いのほか声は大きくは出せなかった。
「キャー!!」
結が驚く。廃病院に捨てられていたなぜか血まみれにした髪の乱れた人形が落ちていた。体は引き裂かれ、無残にもはらわたが見える。人形なので、綿なのだが、人形の見開いた目が不気味だ。見開いた人形は、こちらを見ているようだ。目を逸らしてもずっと逃れられない視線を感じる。
まじまじと見つめ、冷静に分析する壮人。
怖がりの結は壮人に抱きついた。物理的距離が近づき、壮人は落ち着けと近くにあった古びた長椅子に座ろうとジェスチャーする。普通、こんな怖い場所を早く抜けて明るい外に行きたいと思う所だが、なぜか結は壮人の提案通りに動く。
人は怖いと頼れる人間の言うことを聞いてしまうという心理を利用したらいいと、ある人物が打ち合わせで壮人に囁いた。不気味な人形と長椅子の位置を用意し設定したのは全部その人だった。呪いの人形こそ見えやすい位置に置いたが、長椅子は目立たない場所に設置した。その人物は年下だったが、勉強以外でも気が利く人間だった。勉強しかできない壮人は彼の言うとおりにすると、結との二人きりの時間を壮人は確保できていた。壮人の彼への信頼は厚く堅いものとなっていた。
なんとか長椅子に座る。過呼吸気味で息が荒い結。
「あんなのただ、布でできた物体さ。昔から結は人形が苦手だな」
「人形って人の形をして目があるでしょ。目があるものは自分を見ていると思えるんだよね。怖いじゃない。ずっと見られていて、そのうち動いてこちらに飛んで来たらどうしようとか、想像ばかりが働いちゃう」
顔が急接近する。近い。でも、結の方には恐怖が勝っており、恋愛的なときめきがある様子はなかった。キスをしようとすればできる距離だ。壮人は唇を近づける。今なら、そっと口づけが可能だ。
できる――。千載一遇のチャンスだ。見開いた目をしている震える結の唇に壮人の唇を近づける。嫌がる様子もなく、結は微動だにしない。今、ここで結の青くなった唇にキスしてやろうか。そんなことを壮人は目論む。
しかし、壮人は直前で我慢をする。後々、面倒な関係になるよりいい友達でいることを選ぶ。それに、今、心が空っぽになっている結とキスをしても本当のキスじゃない。でも、ここぞとばかりに壮人はぎゅっと結の体を抱擁する。背中をさすり、大丈夫だと囁く。物理的に一番近い距離になる。
状況がロマンチックじゃないが、これが自分が望んでいた形だと壮人は実感する。目の前で抱きしめている女性はずっと愛している女性。彼女は世界で一番近い真崎壮人を頼ってくれている。それがとても嬉しかった。
ソファーのある場所は死角となっており、後から来た二人には見えない位置になっていた。結は自分を失い、壮人は結と少しでも一緒にいたいと思う。カルトたちよりも先に出発したにもかかわらず、なぜか出てくるのが遅くなった理由だった。本当はカルトという彼氏がそばにいるにもかかわらず、彼女と接触してみたいという危険と隣り合わせのスリルを感じていた壮人の気持ちがあったのは事実だ。彼氏という男が近くにはいるが、暗闇ゆえ誰にも見えない。禁断である意識が壮人のアドレナリンを刺激した。閉鎖的な場所でしか接触できないのも奥手で気の弱い壮人の弱みであった。
実際、その時の結の焦点は合っておらず、若干過呼吸気味だったので、落ち着くべきだと判断したのもあった。そんな怖がりな彼女を言いなりにできる唯一の時間を壮人は人生最良の時間だと実感する。彼女を支配した特別な空間と時間は後味のいい、まるで読後感が爽快な物語を読んだ後のようだった。
手を握り合い、震える結の体をさする。これは事前に想定していた通りのシチュエーションだ。それは、優しさを示すチャンスであり、恋人のように触れ合える時間だった。廃病院めぐりを提案したのは壮人だった。彼はこのチャンスを得たかった。高校3年の夏のひととき。受験期ではあるが、気晴らしにいってみようと提案した。もちろん二人きりというわけにはいかず、オカルト研究会という名目で二人きりになろうと提案した。
これを提案したのは、当時知り合ったばかりの秋沢葉次だった。彼は、中学生で高校受験を考えているので、学校の様子を教えてほしいと訪ねてきた。会話の中で、彼は心を引き出すのが巧みだった。同級生ではないが、心に秘めた思いを話した。すると、心理学的な知見と彼女の性格を考慮してひと夏の想い出を作ればいいと提案してくれた。
彼女が苦手なものは把握していた。特に人形が苦手だということを知っていたので、ヨージがあらかじめ痛めつけた無残な姿の人形を絶妙な位置に置いたのだった。そして、古い長椅子を死角になる場所に事前に設置をしたのもヨージの提案だった。4人で来る前に、事前にヨージと壮人はこの病院を下見していた。ヨージが作ったという人形はのちに呪いのアプリの象徴キャラクターとして有名となった呪いの子どもだった。中学生の秋沢葉次の中で、既に呪いの子どものイメージができていたのだろう。アプリについて葉次と壮人は少しばかり共有している情報もあった。既に特別な関係が築かれていた。
ひと夏の青春の想い出を作ればいいと、献身的にヨージは色々と準備してくれた。なぜ、こんなに親切なのだろうかと思ったが、恋愛下手で奥手な壮人には大変ありがたいことだった。
「この長椅子に座ったら、怖がる彼女の手を握って、背中をさすって安心させてね。人間は、恐怖の中安心するのが撫でられることなんだよ。猫とか犬も同じだけどさ。所詮人間も同じ動物だからね。こういう時に頼もしい異性がいると吊り橋の原理で好きになっちゃうらしいよ」
ヨージは本気で人を愛したことがなさそうな様子だったが、女性心理を捉えるのが巧妙だった。
「彼女は絶対俺なんか好きにならないよ」
自信なさげに本音を言う。本音を言えるのはヨージだけだった。
「人間の感情に絶対は存在しないから、大丈夫だよ。ソート兄さん」
勉強しかできない不器用な壮人に色々なアドバイスをしてくれるヨージは頼れる存在だった。唯一恋愛の秘密を共有しているだけでも壮人にとってヨージは貴重な存在となる。同級生の友達とは違う距離感を持つことができる人間は秋沢葉次だけだった。
中学生なのに、大人のように情報や知識を恋愛に駆使するヨージはどこか客観的で大人びた子どもだった。彼は人を安心させるなにかを持っていた。
まろやかで柔和な性格と明るく相手を尊重し、かつ的確に動いてくれるヨージは唯一の相談相手となっていた。それは、ヨージが人の懐に入り込むのが上手だったからかもしれない。