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 一通り施設内の説明を聞き、各所に挨拶を交わして夕食を取り終えた私は、早々に入浴を済ませて自室へ引き上げる。

 この時間はまだ同世代の子たちが談話室で賑やかにお喋りをする時間のようだけれど、その輪には加わらず足早に部屋に引き上げたのには理由がある。

 きららちゃんに一緒にプリンを食べないかと誘われたからだ。

「……それでさあ、もうほんと毎日のように酒飲んで暴れるわ家の中のもの破壊するわで大変だったんだよねー。もし次にどこかでばったり出会うようなことがあったら、絶対二発……いや最低でも確実に一発はぶん殴ってやるって決めてるんだー。まぁ、もう二度と会うことはないと思うんだけどさー」

 とっておきの隠しプリンを贅沢に三つ開け、そのうちのごまプリンと牛乳プリンをぺろりと平らげながら弾丸トークを繰り広げるきららちゃん。

「そっかあ、そんな大変なことがあったんだね……」

 私に差し出されたのはおしゃれなパッケージのいちごプリンだ。

 これは彼女が日々のおやつをこつこつストックしたものの一部のようで、そんな大切なコレクションをいただいていいものか迷ったけれど、彼女曰く『歓迎会』のつもりらしいので、ありがたく食べることにする。

 まろやかで滑らかで濃厚で顔がとろけそうになるが、話の内容は思っていた以上にどす黒いため、表情筋を引き締めて思ったことを口にする。

「でも本当に、無事に保護されてよかったよ」

「でっしょー? 私まじやっばーって感じ。あの時、隣の家の人が気づいてくれなかったら絶対やばかったもん。今こうして呑気にプリン食べていられるのもそのおばちゃんのおかげかなー」

 彼女のやっばーはあまりやばそうに聞こえないのだけれど、この話に限っては確かにやばそうだった。

 ――と言うのも、詮索はしないと断言しておきながら自分のことについては自ら人に話したがるタイプのようで、彼女はここへきた経緯を昨日見たドラマを語るような口ぶりで事細かに語り聞かせてくれた。

 その話によるときららちゃんの家庭は母子家庭で、恋愛脳で奔放な母親に昔から度々ネグレクトを受けていたという。当初はその都度児童相談所の介入でことなきを得ていたようなのだが、小学校高学年の頃に母親が連れてきた『新しい彼氏』がひどい暴力男だったため、約二年間も彼女はその男の暴力行為に苦しめられてきたそうだ。

 結果、約一年ほど前に入院に至るほどの重傷を負い、病院からの通報をきっかけに保護につながって今の施設へ入所、学校も別の学区からこちらの学校へ転校してきたという。

「私もさー、ここにきたばっかりの時は誰も信じられなくてめっちゃ引きこもってたんだけど、小宮さんが『鍋食べるわよ鍋! 自分で取りに来ないと白菜ばっかり食べさせるからね! 言っとくけど明日も明後日も鍋だから!』とかって脅すから慌てて外出ちゃったんだよね。私、白菜嫌いだからさ……」

「ぷっ。なにそれ、小宮さんらしい……」

「でしょ?? でもそれをきっかけにあれよあれよと心掴まれちゃって。お陰で今みたいに前向きになれたっていうか。普通は辛い思い出とか話したくない人が多いと思うんだけど、私は逆なんだよね。悪い夢見た後って黙っているより喋った方がスッキリするっていうか。あれと同じで喋ることで発散したら物凄く気持ちが軽くなってさあ。……だから唄ちゃんも、何か思い出して、もし愚痴りたくなるようなことがあったら遠慮なく私とか小宮さんに話してね! きっとすっきりするからさ!」

 人懐っこい笑顔でそう勇気づけてくれるきららちゃんに、じんわりと心が絆される。

 彼女だって大変な思いをしたというのに、悲観的にならず私の心配までしてくれるなんて、本当に良いルームメイトに恵まれたものだ。

「うん、そうだね。本当にありがとう。きららちゃんの愚痴も聞くからいつでも話してね」

「あはは、ありがとー! あ、でもさ、実は私、今週いっぱいでここを退所する予定なんだよね」

「えっ?? そうなの??」

 予想だにしていなかった言葉に目を丸くする。

 きららちゃんはにっこりと笑って、丁寧に教えてくれた。

「うん! 今日施設長室行ってその話してたんだけど、私のママさ、私が一時保護されてからずっと、『反省してるから娘を返してほしい』って児相に掛け合ってくれてたみたいなんだよね。それで、夜の仕事やめて昼のパートに切り替えたり、例の暴力男と縁を切ったり、私のためにこの一年間で色々環境の改善もしてくれてたみたいで、最近やっと許可が降りて、それで晴れてママのところへ戻れることになったの」

「そうなんだ……! それはおめでとう、って言っていいのかな?」

「うん、もちろん! だって、私、ママのこと別に嫌いじゃないし、こうなったのは全部あの暴力男のせいだからさ、アイツさえいなければうまくやっていけると思うんだよね。ママ、『これからは何事も全て綺羅良を最優先にする』って児相と約束もしてくれたみたいだし」

 幸せそうに微笑むきららちゃんを見て、ああ、彼女はきっとお母さんのことが大好きでずっと恋しかったんだろうなってそんな空気がヒシヒシと伝わってきた。

 せっかく素敵なルームメイトに巡り会えたと思ったのに残念だなあと思う気持ちもあるけれど、それでも、それを上回るぐらいこんなにいい子が報われて本当によかったなあと思えたし、素直に羨ましくも思えた。

「帰れる場所があるって幸せなことだよね。私も、自分のことちゃんと思い出してきちんと家族の元へ戻れる日が来るといいな」

「あ、ごめん。なんか浮かれて余計なこと言っちゃったかな、私」

「ううん! 全然そんなことないから気にしないで。もちろん、きららちゃんがいなくなっちゃうのは寂しいけど、でも、いい意味でのお別れなんだったら自分のことのように嬉しいし」

「まじかー。なんかそんなこと言われたら泣きそうになっちゃうじゃんー。ってか、うちらまだ出会ったばっかなのに、心通わせ度やばくない??」

「あはは。だって、きららちゃん話し上手なんだもん」

「そうかなあ? いやでも唄ちゃんも聞き上手だと思うよ?? って、あ、そうか、記憶がないから聞き役に回るしかなかったのか……うう、ごめん。私、全然気にせずベラベラ喋っちゃった……」

 しょげたように言うきららちゃんにゆるゆると首を振る。

「全然平気だよ。同世代の子とお喋りできるだけでも楽しいし」

 これは心からの本音だ。自分のことがなにもわからないって常に恐怖や不安がつきまとっているような状態に近いが、こうして時を忘れるぐらい夢中になって会話ができるのって、それだけでも救われる感じがする。

「そっかあ。ならよかったけど……」

 そんな私の素直な気持ちが伝わったのか、きららちゃんはほっとしたように呟いてから、ふと尋ねてきた。