「相馬!」
「……っ」
驚いたようにこちらを振り返る相馬。
息を切らしながらも彼に歩み寄ると、相馬は逡巡したのち、バスの運転手さんに「少しだけ待ってください」と言って、私がいる方に向き直った。
「お前、何して……」
「私ね、さっき、思い出したの」
「え……」
「お母さんのことも、相馬のことも、全部……」
「……」
私にとってそれが良いことなのか悪いことなのか、探るようにこちらを注意深く見つめる相馬。
私は全てを受け止めた上で、相馬の心意気を汲むようにその先を続ける。
「相馬が留学することになったのって……私のせいだよね?」
「……」
「自分の夢を諦める代わりに、私が高校進学できるよう、お父さんに頼んでくれたんだよね?」
私の問いかけに、無言で唇を噛み締める相馬。
「ずるいよ。何も言わずに行こうとするなんて。本当はサッカーとか、習い事とか……やりたいことがたくさんあったくせに」
だめだなあ、私。
相馬の顔を見ているとなぜか無性に泣きたくなってくる。
でも、なんとか歯を食いしばって彼の返事を待っていると、
「勘違いすんな。俺は俺の意志で留学を決めた。やりたいことだって、諦めたつもりは毛頭ねえ」
彼から返ってきた言葉は、想像以上に漢気に溢れたものだった。
「相馬……」
「サッカーも、スポーツの勉強も、やってみたかった習い事も。別にそれは国内だろうが国外だろうが、俺のやる気次第でなんだってできる。でも……お前はそうじゃないだろ」
「……」
「一人で抱え込んでねえで、こんな時ぐらい、素直に他人に甘えとけよ」
そう言って、彼は泣きそうになっている私のおでこを指でピンと弾いた。
痛みよりも先に、相馬の優しさで胸がギュッと締め付けられ、鼻の奥がツーンとする。
「な、によ……」
今にも溢れそうになる涙。でも、泣いてる場合じゃない。このままじゃ彼が北高に通うためにしてきた努力を全て水の泡にしてしまうわけで、滲む涙を片手でゴシゴシ拭い、なんとか声を捻り出す。
「なに、よ……カッコつけて……。アンタを犠牲にしてまで高校に行けるわけが……」
「……」
「行けるわけが……」
ぽろり、こぼれ落ちる涙。
「行けるわけが……なんだよ?」
「……」
「高校、行きたくねえのかよ?」
「………………行きたい」
――でも。今の私に、『行けるわけないじゃない』だなんて、言えるはずもなかった。
「ごめんむりやっぱり行きたい」
正直にそうこぼすと、相馬はぷっと吹き出して笑ったようだった。
「わたし、高校、行きたい」
笑われようが、カッコ悪かろうが、もう構わない。
見栄とか強がりとか意地とか気遣いとか遠慮とか……もう、そういったものは全部捨て去って。
彼の前でだけはただの十五歳の少女として、自分の素顔をさらけ出す。
「わたし、自分の夢、諦めたくない!」
「おー」
「アンタのこと、犠牲にしてごめん……ほんとごめん。でも……」
「……」
「本当はめちゃくちゃ嬉しい」
「……ん」
「アンタがくれた未来……絶対無駄にしないっっ。今までできなかった分、精一杯青春してやるからっ。だから……!」
ボロボロとこぼれ落ちる涙をそのままに、生まれて初めて、心の底から出たわたしの言葉。
すると相馬は憎たらしげな顔で口角をつりあげて、まるで〝もうそれでいいよ〟と、そっと背中を押してくれるように。
「言えんじゃん、ちゃんと。その言葉が聞けりゃあ充分だから、『だから』も『クソ』もねえよ」
「……っ」
「俺は俺で、なにがなんでも自分の夢を叶える。だから遠慮なんてしなくていい。これで……〝あの時〟の借りはチャラだからな」
彼ははじめて、屈託のない笑顔をふっと浮かべてみせた。
〝あの時〟――給食費が紛失した時のことだろう。
そんなの、もう忘れていたぐらいなのに。
「相馬……」
「んじゃ、いくわ」
私の涙を指でそっと拭い去ってから、ふいっと背を向ける相馬。
少し気恥ずかしそうに頭をガシガシかきながら、スタスタとバスに乗り込んでいく。
平日の昼だからか乗客はほとんどいなかったものの、運転手さんがしっかりとこちらを見ている。
それでも……構わなかった。
私は、相馬の背中に向かって声を張り上げる。
「ありがとう、相馬」
「おー。どっちが先に夢叶えるか勝負な」
「……」
「ま、もう二度と会えねーかもだけど」
「……負けないし」
「こっちの台詞だバーカ」
「私……頑張る」
「おう」
「私……頑張るから」
もう迷わない。
これからは私も、彼のように自分の足でしっかり前を向いて歩いていこう。
「相馬も勉強がんばって。相馬ならきっと、いいお医者さんになれるよ!」
私の声に、相馬は振り返りもせず、片手をひらひらと振る。
彼の言葉の通り、もう二度と私たちは会えないかもしれないけれど、でも。
真っ白な未来が開けたことになにも悲観することはなく、私たちは前を向いて。
やがて相馬を乗せたバスは発車し、私はいつまでも彼の乗ったバスを見送った。
「……ありがとう、相馬」
中学三年の春、互いの未来に向かって歩き出した私たち――。
時に迷ったり、立ち止まったりすることもあるけれど、その度に背中を押してくれた人たちの顔を一つ一つ丁寧に思い出して、歯を食いしばって、前を向いて。
そうして私たちは、互いの夢と青春を追いかけ続けたのだ。
「……っ」
驚いたようにこちらを振り返る相馬。
息を切らしながらも彼に歩み寄ると、相馬は逡巡したのち、バスの運転手さんに「少しだけ待ってください」と言って、私がいる方に向き直った。
「お前、何して……」
「私ね、さっき、思い出したの」
「え……」
「お母さんのことも、相馬のことも、全部……」
「……」
私にとってそれが良いことなのか悪いことなのか、探るようにこちらを注意深く見つめる相馬。
私は全てを受け止めた上で、相馬の心意気を汲むようにその先を続ける。
「相馬が留学することになったのって……私のせいだよね?」
「……」
「自分の夢を諦める代わりに、私が高校進学できるよう、お父さんに頼んでくれたんだよね?」
私の問いかけに、無言で唇を噛み締める相馬。
「ずるいよ。何も言わずに行こうとするなんて。本当はサッカーとか、習い事とか……やりたいことがたくさんあったくせに」
だめだなあ、私。
相馬の顔を見ているとなぜか無性に泣きたくなってくる。
でも、なんとか歯を食いしばって彼の返事を待っていると、
「勘違いすんな。俺は俺の意志で留学を決めた。やりたいことだって、諦めたつもりは毛頭ねえ」
彼から返ってきた言葉は、想像以上に漢気に溢れたものだった。
「相馬……」
「サッカーも、スポーツの勉強も、やってみたかった習い事も。別にそれは国内だろうが国外だろうが、俺のやる気次第でなんだってできる。でも……お前はそうじゃないだろ」
「……」
「一人で抱え込んでねえで、こんな時ぐらい、素直に他人に甘えとけよ」
そう言って、彼は泣きそうになっている私のおでこを指でピンと弾いた。
痛みよりも先に、相馬の優しさで胸がギュッと締め付けられ、鼻の奥がツーンとする。
「な、によ……」
今にも溢れそうになる涙。でも、泣いてる場合じゃない。このままじゃ彼が北高に通うためにしてきた努力を全て水の泡にしてしまうわけで、滲む涙を片手でゴシゴシ拭い、なんとか声を捻り出す。
「なに、よ……カッコつけて……。アンタを犠牲にしてまで高校に行けるわけが……」
「……」
「行けるわけが……」
ぽろり、こぼれ落ちる涙。
「行けるわけが……なんだよ?」
「……」
「高校、行きたくねえのかよ?」
「………………行きたい」
――でも。今の私に、『行けるわけないじゃない』だなんて、言えるはずもなかった。
「ごめんむりやっぱり行きたい」
正直にそうこぼすと、相馬はぷっと吹き出して笑ったようだった。
「わたし、高校、行きたい」
笑われようが、カッコ悪かろうが、もう構わない。
見栄とか強がりとか意地とか気遣いとか遠慮とか……もう、そういったものは全部捨て去って。
彼の前でだけはただの十五歳の少女として、自分の素顔をさらけ出す。
「わたし、自分の夢、諦めたくない!」
「おー」
「アンタのこと、犠牲にしてごめん……ほんとごめん。でも……」
「……」
「本当はめちゃくちゃ嬉しい」
「……ん」
「アンタがくれた未来……絶対無駄にしないっっ。今までできなかった分、精一杯青春してやるからっ。だから……!」
ボロボロとこぼれ落ちる涙をそのままに、生まれて初めて、心の底から出たわたしの言葉。
すると相馬は憎たらしげな顔で口角をつりあげて、まるで〝もうそれでいいよ〟と、そっと背中を押してくれるように。
「言えんじゃん、ちゃんと。その言葉が聞けりゃあ充分だから、『だから』も『クソ』もねえよ」
「……っ」
「俺は俺で、なにがなんでも自分の夢を叶える。だから遠慮なんてしなくていい。これで……〝あの時〟の借りはチャラだからな」
彼ははじめて、屈託のない笑顔をふっと浮かべてみせた。
〝あの時〟――給食費が紛失した時のことだろう。
そんなの、もう忘れていたぐらいなのに。
「相馬……」
「んじゃ、いくわ」
私の涙を指でそっと拭い去ってから、ふいっと背を向ける相馬。
少し気恥ずかしそうに頭をガシガシかきながら、スタスタとバスに乗り込んでいく。
平日の昼だからか乗客はほとんどいなかったものの、運転手さんがしっかりとこちらを見ている。
それでも……構わなかった。
私は、相馬の背中に向かって声を張り上げる。
「ありがとう、相馬」
「おー。どっちが先に夢叶えるか勝負な」
「……」
「ま、もう二度と会えねーかもだけど」
「……負けないし」
「こっちの台詞だバーカ」
「私……頑張る」
「おう」
「私……頑張るから」
もう迷わない。
これからは私も、彼のように自分の足でしっかり前を向いて歩いていこう。
「相馬も勉強がんばって。相馬ならきっと、いいお医者さんになれるよ!」
私の声に、相馬は振り返りもせず、片手をひらひらと振る。
彼の言葉の通り、もう二度と私たちは会えないかもしれないけれど、でも。
真っ白な未来が開けたことになにも悲観することはなく、私たちは前を向いて。
やがて相馬を乗せたバスは発車し、私はいつまでも彼の乗ったバスを見送った。
「……ありがとう、相馬」
中学三年の春、互いの未来に向かって歩き出した私たち――。
時に迷ったり、立ち止まったりすることもあるけれど、その度に背中を押してくれた人たちの顔を一つ一つ丁寧に思い出して、歯を食いしばって、前を向いて。
そうして私たちは、互いの夢と青春を追いかけ続けたのだ。