***
相馬が向かった先は、公園から徒歩三分もしない場所にある彼の自宅だった。
一軒家、というよりは豪邸という言葉がふさわしい。
テレビでしか見たことないような防犯カメラ付きの門に、テラスとプール付きの庭、屋内には長い廊下とたくさんの部屋があって、リビングには暖炉と吹き抜けになっている螺旋階段のようなものまであった。
私が通されたのは二階の一室で、おそらく相馬の部屋。彼はすぐに律を連れてどこかへ行ってしまったんだけれど、待たされている間、耳をすませても何も聞こえてこなかった。これだけ大きな家で部屋もたくさんあるのに生活感がまるでなく、ひっそり静まり返っている。
やがて相馬は単身戻ってきて、勉強机の椅子にどっかり腰をかけた。
「座れよ」
「え、でも、律は……」
「近くの部屋で家政婦の仁田に見てもらってる。チビっこいのがいたらゆっくり会話もできねーだろ。仁田は保育士の資格持ってるから、お前より遥かにガキの扱いプロってるし安心していい」
「そうなんだ……」
相馬はそう言ったっきり口を噤み、引き出しから漫画を取り出して読み始めた。
「……」
あんなことがあった後だというのに、どうやら相馬は何も聞かないつもりらしい。
二人の間に広がった沈黙は、妙に居心地が悪かった。
(き、気まずい……)
小学校の時はクラスが同じで、席も近いことが多かったので、顔を合わせば四六時中罵り合っていた。
でも今は、同じ中学に通えどクラスは違うし、部活も委員会も違う。顔を合わせる機会はほとんどと言っていいほどなかった。
互いに離れていた時間が長すぎて、今や思春期盛りである相馬を相手に何を話せばいいのかよくわからなかった。
「あのさ」
「……あ?」
「えっと」
「あんだよ」
「家の人は……?」
だから、素直に〝思いとどまらせてくれてありがとう〟なんて言えるはずもなくて。
まずはこのシンとした空気をなんとかしようと思って雑談を口にすると、相馬は読んでいた漫画からちらりと視線を上げ、鬱陶しそうな顔をしながらもきちんと答えてくれた。
「お袋は俺が小四の時、病気で死んでる」
「えっ」
そんなのは初耳だ。まあ、まともに学校に通えていなかったから知らなくて当然なんだけども。
驚く私に構わず、相馬はこともなげにその先を続ける。
「親父は忙しいから一ヶ月に二、三回、家に帰ってくれば良いほう。多分、今月も月末まで忙しいっつってたから家には帰ってこねえと思うし、女やガキの一匹二匹連れ込んだところで人に説教できるほど節操がある男じゃねえから、別に気を遣う必要もない」
実の父親に対してすごい物言いだ。
と、言いたくなるのを我慢して……。
「そう……なんだ。お母さん、死んじゃってたなんて知らなかったよ。ちなみにあんたのお父さんって、私のお父さんってことだよね? さっき私を助けてくれたのは、私があんたの腹違いの妹で、犯罪者にでもなったら困るから?」
なんでこんな質問をしようと思ったのか、自分でもよくわからない。
ただ、沈黙が気まずすぎて、何か喋っていようと焦った結果、そんなどうでもいい質問が飛び出してしまったのだ。
「……」
小学校の時の経験から、あっさり『そうだけど』とでも言って認めるのかと思ったけれど、彼から返ってきたのは微妙な沈黙だった。
怪訝に思って首を傾げると、
「そうじゃない」
「え、違うの?」
「そもそもお前、妹じゃねえし」
「……へ?」
「お前は確かに親父と愛人の子だけど。俺とは血が繋がってねえ」
「え? え?? え??? ち、ちょっと待って。どういう……こと?」
相馬の言っている意味がわからず、眉間に皺を寄せて首を捻る。
すると彼は、無愛想にそっぽを向きながらも、私にもわかるよう詳しく説明してくれた。
「うちの両親は親同士が決めた政略結婚みたいなもんで、相性が良くなかったのか、なかなか子どもに恵まれなかったんだとさ」
「う、うん……?」
「そもそも俺のお袋は親父に惚れてたけど、親父には他に好きな女がいて、不倫してた。それが当時クラブでピアノの弾き語り奏者をやってたお前の母親」
「……なっ」
「親父に愛人がいることを知ったお袋は激怒して、あろうことか親父の姉婿と当てつけのような不貞を働いた。その結果――そいつ……姉婿の『相馬翔平』との間にできた子どもが、俺」
その名前を聞いて、目を見開く。
――相馬翔平。
それはまぎれもなく、私の主治医だった先生だ。
つまり……。
「つまり、お前の父親はそうま総合病院の院長・相馬星一だけど、俺の本当の父親は脳外科任されてる姉婿の相馬翔平で、それぞれ愛人の子と本妻の子だから母親も違う。俺らの血のつながりはゼロってわけ」
――なんと。
そういうことだったのかと妙に腑に落ちる。
「まあ、その辺複雑だからな。表向きには伏せられてるし、俺の仮初の父親である相馬星一は、俺が他人の子だと知った上で、あえて『自分の子』だと認知してる。世間体もあるだろうし、病院の後継も必要だし、第一に俺のお袋に頭が上がらないのもあったみたいだから。お袋の意向で、黙認したまま俺を息子として育ててきたっていうか……」
他人事のように自分のことを話す相馬は、どこか儚げな表情で遠くを見つめている。
衝撃でもの言えず戸惑いながら聞いていると、彼はトドメをさすように、さらなる言葉を続けた。
「だからさ……お前の家がどういう事情でさっきみたいなことになってたかはしんねーけど、本来なら、お前が俺の席に座って病院の後継になるはずだったんだよ」
「……」
「それなのに、俺はその席を奪って、今日まで何不自由なく暮らしてきた」
まるで何かの罪を犯した罪人が懺悔でもするように、そんなことを言う相馬。
その話が本当なら、相馬は何も悪くないのに。
相馬本人だって、思春期なのにそんな話を受け止めさせられてそれなりに傷ついただろうのに。
私を思いやってくれているのか、彼は淡々とその先を続ける。
「だから……そういう後ろめたさがあったから、さっきのあれは余計に無視できなかったっつーか……いや、下手すりゃ俺がその立場になってたかもしんねえと思って、ついでしゃばっちまったっていうか……」
しかし、やはり途中で気恥ずかしくなってきたのか、「まあ、そんな感じ」と強引に取りまとめて、彼はそっぽを向いてしまった。
相馬って、小学校時代からあまり自分のことを他人には語らない人間だったので、そんな本音をこぼしてくるだなんてと、なんだか新鮮だった。
「そっか……」
意外なところで自分や相馬の出自を知り、複雑な心境を抱く私。
壊れかけのピアノの存在や、タブレット端末に保存されていた動画の存在からなんとなくは気づいていたが、やはり私の母はピアノ奏者だったらしい。
相馬の父親に捨てられ、自棄になってかつての職を投げ出し、酒と男に溺れて、それで今の姿になり変わっていたのかと、妙に納得する自分がいた。
相馬が向かった先は、公園から徒歩三分もしない場所にある彼の自宅だった。
一軒家、というよりは豪邸という言葉がふさわしい。
テレビでしか見たことないような防犯カメラ付きの門に、テラスとプール付きの庭、屋内には長い廊下とたくさんの部屋があって、リビングには暖炉と吹き抜けになっている螺旋階段のようなものまであった。
私が通されたのは二階の一室で、おそらく相馬の部屋。彼はすぐに律を連れてどこかへ行ってしまったんだけれど、待たされている間、耳をすませても何も聞こえてこなかった。これだけ大きな家で部屋もたくさんあるのに生活感がまるでなく、ひっそり静まり返っている。
やがて相馬は単身戻ってきて、勉強机の椅子にどっかり腰をかけた。
「座れよ」
「え、でも、律は……」
「近くの部屋で家政婦の仁田に見てもらってる。チビっこいのがいたらゆっくり会話もできねーだろ。仁田は保育士の資格持ってるから、お前より遥かにガキの扱いプロってるし安心していい」
「そうなんだ……」
相馬はそう言ったっきり口を噤み、引き出しから漫画を取り出して読み始めた。
「……」
あんなことがあった後だというのに、どうやら相馬は何も聞かないつもりらしい。
二人の間に広がった沈黙は、妙に居心地が悪かった。
(き、気まずい……)
小学校の時はクラスが同じで、席も近いことが多かったので、顔を合わせば四六時中罵り合っていた。
でも今は、同じ中学に通えどクラスは違うし、部活も委員会も違う。顔を合わせる機会はほとんどと言っていいほどなかった。
互いに離れていた時間が長すぎて、今や思春期盛りである相馬を相手に何を話せばいいのかよくわからなかった。
「あのさ」
「……あ?」
「えっと」
「あんだよ」
「家の人は……?」
だから、素直に〝思いとどまらせてくれてありがとう〟なんて言えるはずもなくて。
まずはこのシンとした空気をなんとかしようと思って雑談を口にすると、相馬は読んでいた漫画からちらりと視線を上げ、鬱陶しそうな顔をしながらもきちんと答えてくれた。
「お袋は俺が小四の時、病気で死んでる」
「えっ」
そんなのは初耳だ。まあ、まともに学校に通えていなかったから知らなくて当然なんだけども。
驚く私に構わず、相馬はこともなげにその先を続ける。
「親父は忙しいから一ヶ月に二、三回、家に帰ってくれば良いほう。多分、今月も月末まで忙しいっつってたから家には帰ってこねえと思うし、女やガキの一匹二匹連れ込んだところで人に説教できるほど節操がある男じゃねえから、別に気を遣う必要もない」
実の父親に対してすごい物言いだ。
と、言いたくなるのを我慢して……。
「そう……なんだ。お母さん、死んじゃってたなんて知らなかったよ。ちなみにあんたのお父さんって、私のお父さんってことだよね? さっき私を助けてくれたのは、私があんたの腹違いの妹で、犯罪者にでもなったら困るから?」
なんでこんな質問をしようと思ったのか、自分でもよくわからない。
ただ、沈黙が気まずすぎて、何か喋っていようと焦った結果、そんなどうでもいい質問が飛び出してしまったのだ。
「……」
小学校の時の経験から、あっさり『そうだけど』とでも言って認めるのかと思ったけれど、彼から返ってきたのは微妙な沈黙だった。
怪訝に思って首を傾げると、
「そうじゃない」
「え、違うの?」
「そもそもお前、妹じゃねえし」
「……へ?」
「お前は確かに親父と愛人の子だけど。俺とは血が繋がってねえ」
「え? え?? え??? ち、ちょっと待って。どういう……こと?」
相馬の言っている意味がわからず、眉間に皺を寄せて首を捻る。
すると彼は、無愛想にそっぽを向きながらも、私にもわかるよう詳しく説明してくれた。
「うちの両親は親同士が決めた政略結婚みたいなもんで、相性が良くなかったのか、なかなか子どもに恵まれなかったんだとさ」
「う、うん……?」
「そもそも俺のお袋は親父に惚れてたけど、親父には他に好きな女がいて、不倫してた。それが当時クラブでピアノの弾き語り奏者をやってたお前の母親」
「……なっ」
「親父に愛人がいることを知ったお袋は激怒して、あろうことか親父の姉婿と当てつけのような不貞を働いた。その結果――そいつ……姉婿の『相馬翔平』との間にできた子どもが、俺」
その名前を聞いて、目を見開く。
――相馬翔平。
それはまぎれもなく、私の主治医だった先生だ。
つまり……。
「つまり、お前の父親はそうま総合病院の院長・相馬星一だけど、俺の本当の父親は脳外科任されてる姉婿の相馬翔平で、それぞれ愛人の子と本妻の子だから母親も違う。俺らの血のつながりはゼロってわけ」
――なんと。
そういうことだったのかと妙に腑に落ちる。
「まあ、その辺複雑だからな。表向きには伏せられてるし、俺の仮初の父親である相馬星一は、俺が他人の子だと知った上で、あえて『自分の子』だと認知してる。世間体もあるだろうし、病院の後継も必要だし、第一に俺のお袋に頭が上がらないのもあったみたいだから。お袋の意向で、黙認したまま俺を息子として育ててきたっていうか……」
他人事のように自分のことを話す相馬は、どこか儚げな表情で遠くを見つめている。
衝撃でもの言えず戸惑いながら聞いていると、彼はトドメをさすように、さらなる言葉を続けた。
「だからさ……お前の家がどういう事情でさっきみたいなことになってたかはしんねーけど、本来なら、お前が俺の席に座って病院の後継になるはずだったんだよ」
「……」
「それなのに、俺はその席を奪って、今日まで何不自由なく暮らしてきた」
まるで何かの罪を犯した罪人が懺悔でもするように、そんなことを言う相馬。
その話が本当なら、相馬は何も悪くないのに。
相馬本人だって、思春期なのにそんな話を受け止めさせられてそれなりに傷ついただろうのに。
私を思いやってくれているのか、彼は淡々とその先を続ける。
「だから……そういう後ろめたさがあったから、さっきのあれは余計に無視できなかったっつーか……いや、下手すりゃ俺がその立場になってたかもしんねえと思って、ついでしゃばっちまったっていうか……」
しかし、やはり途中で気恥ずかしくなってきたのか、「まあ、そんな感じ」と強引に取りまとめて、彼はそっぽを向いてしまった。
相馬って、小学校時代からあまり自分のことを他人には語らない人間だったので、そんな本音をこぼしてくるだなんてと、なんだか新鮮だった。
「そっか……」
意外なところで自分や相馬の出自を知り、複雑な心境を抱く私。
壊れかけのピアノの存在や、タブレット端末に保存されていた動画の存在からなんとなくは気づいていたが、やはり私の母はピアノ奏者だったらしい。
相馬の父親に捨てられ、自棄になってかつての職を投げ出し、酒と男に溺れて、それで今の姿になり変わっていたのかと、妙に納得する自分がいた。