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「ねえ唄、あんたさあ、学校なんて行ってないでちょっと手伝ってくんない?」

 なんの予兆も脈絡もなく、突然〝手伝い〟を命じられたのは小学校二年生の秋のこと。

 まるでお豆腐買ってきて、とでもいうような気軽さで頼まれたのは、近所へのお遣いではなく数日前に生まれた異父姉妹の妹の世話だ。

「え、でも」

「『え、でも』じゃねえよ。大切な母親を産後鬱にして殺す気? 勉強なんて家でだってできんでしょ」

「……」

 生まれたばかりの妹の音々(ねね)には、私と同じように父親がいない。私が小学校へ入学したばかりの頃には確かに『彼氏』と呼ばれる若い男の人の影があったはずなのだが、お腹が大きくなるにつれその存在は薄れていき、音々が誕生した頃には影も形もなくなっていた。

 そのせいか、産後であるこの頃の母の機嫌の悪さは、私が知る中でも上位に入るほどだった。

「返事は? 義務教育だから学校から追い出されることはないだろうし、ちょっと休んだくらいじゃ教師だって何も言わないから。飯食わせてやってんだからそれぐらいの親孝行しろよ」

 母の『ちょっと』は全然『ちょっと』じゃないことぐらいわかっていたし、学校に行けなくなるのはすごく嫌だったけれど、逆らうことは許されないからいうことをきくしかない。

「わかった……。でも、それなら置きっぱなしにしてる教科書とか取ってこないとだから、休むのは明日からでもいい?」

 怖かったけれど、極力母を怒らせないよう充分に注意して震える声でお伺いを立てる。

 おばあちゃんに買ってもらったお気に入りの文具セットが学校の机の中に置きっぱなしになっていたし、友達のミナミちゃんと明日のお昼休みに音楽室へ行く約束もしていたから休む旨を伝えたいし、いきなり休ませられるのは困るのだ。

 すると母は、一瞬、物凄く不機嫌そうな顔をしたけれど、私が前向きにだけでも家で勉強をする姿勢を見せたことが功を奏したようで、

「なんで学校に教科書置きっぱにしてんだよ……。まあいいや、じゃあ、寝不足でしんどいけど今日はなんとか頑張るから明日からね」

 舌打ち付きだけれど、なんとかお許しがもらえてホッとする。

「荷物、ちゃんと全部持って帰ってこいよ? あんたはお姉ちゃんなんだし、これからは学校よりも家で妹の面倒見るのが最優先になるんだから」

「……うん。わかった」

 好きでお姉ちゃんに生まれたわけじゃないのに。

 俯いたまま、声だけは素直な返事をして、音々の泣き声と母の気だるそうなため息を背に受けながら家を出る。

(……)

 目の前に伸びる細い通学路がいつもより狭く、閉ざされた道のように感じた。

 いつだってそう。私は母の機嫌を損ねないよう、母の都合のいいように生きていればそれでいい。

 狭い世界で生きる私には、これが精一杯の生きる術なのだ。

 まるで母と妹を見捨てる極悪人のような罪悪感を胸に抱きながら、私はその年最後の登校日となる学校へ足を向けた。