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 私と相馬の小競り合いは、それから約一年半にわたって続いた。

 小競り合い――といっても、相馬が直接私に手を下すようなことといえば、お気に入りの自由帳の表紙絵のウサギに鼻毛を描いてきたりとか、面倒な係や当番決めになると必ず両手をあげて名指しで推薦されたりとか、あるいは掲示板に貼られた集合写真の私の鼻の穴に画鋲を刺したりとかそういったくだらない悪戯がほとんどで、アイツは毎回、自らが犯人であることを示唆した上で犯行に及ぶ。私を屈服させたい一心なのだろうけれど、大したダメージではないことが大半だったので、おおよそは返り討ちにしてやった。

 ただ一方で、度々実害のある悪質な嫌がらせも身の回りに起きていた。

 例えば、扉の上に黒板消しを挟んで人を粉だらけにさせたり、上履きに生卵を仕掛けて靴下をぐしゃぐしゃにさせたり、ロッカーに置いてあった体操服を水浸しさせたりとか。そういった、他人を貶めて嘲るようなタチの悪い嫌がらせは、彼の取り巻きによる悪ふざけであることが主だった。

 これは一年半かけてわかったことだけれど、相馬蓮王は性格悪いし態度も悪いが、人に直接的なダメージや危害を与えたりすることはまずない。なぜならば、彼は自分が恵まれた人間である事をよくわかっていたから、他人を落としてまで自己を保つ必要がないし、他人で憂さを晴らすほど落ちぶれてもいないように見受けられたからだ。

 従って、そういった悪質な嫌がらせが起きる時は、大抵が相馬を盾にして自分が強くなったと勘違いしている取り巻きの人間の仕業であることが明白だった。

 彼らは虎ならぬ『相馬蓮王』の威を借る狐のようなもので、自分を強く見せるためだけに『相馬』に寄り添い、問題を起こしては相馬の友達であることを笠に着てことなきを得る。私たちが住む田舎の街では『相馬』というブランド名の効力が絶大だから、時には教師でさえ無力にさせ、それがまだ幼い彼らを余計に調子付かせた。

 次第にあらゆる面倒ごとは相馬の仕業だと一括りにされるようになり、また、相馬本人も何も言わないものだから、結果的に『相馬蓮王=問題児』というレッテルが出来上がっていったように思う。

 傍目にそれを眺めていた私は、特に同情するでもなく、幼稚な嫌がらせは悉く遇らって過ごした。

 そもそも私は、昔から母親に強烈な毒を吐かれたり、無視なんかは日常茶飯事で、意地悪をされたり、追い詰めるようなことを平気で言われたり、口答えなんかをした暁には平気で殴られたり蹴られたりしていたので、同級生の嫌がらせなんて取るに足らない面倒ごとぐらいにしか思っていなかったし、二年の秋頃になると家庭環境にとある変化が生じ始めていたため、それどころではなくなったというか……。

 決定的な変化が訪れたのは小学校二年生の十月――。

 私に、それはそれは小さな妹ができたのだ。