アイデアさえあがらず、時間だけが過ぎていき、鐘の合図とともに皆解放されたかのように教室を飛び出していく。移動教室もあってか、室内はもぬけの殻となっていくのを見て、自分も同じように教科書を手にする。
 出し物が決まってないクラスはあるんだろうか。まだ二回目。でも、この前は割と出し物が決まってるクラスが多かったように思う。
 こんなとき、友達の一人や二人いれば、まだ情報が入っていたかもしれないが、生憎一人を貫いてきてしまったせいで何一つとして話題が入ってこない。
『好んで一人になるのと、仕方なく一人でいるのは意味が全然違うから』
 ズキっと走る痛み。抜けない棘は深く刺さったまま。
 私は好んで一人を選んだ。そうすれば傷付かなくて済むんだから。一人でいた方がずっといい。
誰の世界にも影響されず、ただ静かに過ごしていればいい。
 話し合いだっていっそうもう私たちで決めてしまった方がいいのかもしれない。あの状態が続くぐらいなら勝手に決めてしまった方が楽だ。無難に、皆が出来そうなものを選らんで、成長出来るかわかりませんがやってみます、なんて適当に理由をつけてしまえばそれでいいじゃないか。
 誰も真剣になってないのだから、真剣に取り組む必要なんてない。あんな息が詰まりそうな時間、過ごしたくない。

 とぼとぼと廊下を歩いていれば、壁に貼りだされている用紙に目がいく。
 定期的に貼られるそれは匿名の読書感想文。
図書室に届く感想文はいつだって二枚らしい。同じような時期に匿名で届き、せっかくだからと廊下に置いているらしい。この前図書室に行った時に、カウンターで話す委員二人の会話が耳に入ったのを、こっそりと聞いていた。
 どちらも対照的なもの。一枚は登場人物の悪口だけが書かれたものともう一枚は、登場人物の良い面だけが書かれたもの。世界観がどうとかも付け加えられているけれど、どちらも登場人物について重きを置いている。
 私はこの感想文を見るのが好きだった。匿名だが筆記は違う。要するに、二枚それぞれ書いている人間が違うのだから面白い。感想文の本は違えど、一方は悪く、もう一方は良く、書かれている感想文なんて滅多に見ない。
 特に登場人物の良いところだけが書かれた感想文は、字が綺麗で、綴られている言葉も綺麗だった。けれど一つ引っかかるのは、どこか悲観的に捉えられている場面があるということ。
 たとえハッピーエンドで終わる本だったとしても”先行きに望みはないだろうけど”と書かれていることも多い。まるで世の中に期待していないような書き方なのに、それでもどこか希望を見出そうとしている矛盾が印象的だった。