巡回も三日目。
沢山のお店が並ぶ賑やかな通りが、本日の巡回スポットだ。
見回りの手伝い期間は今週の平日のみだ。犯罪を惹起したいわけではないが、そろそろ成果がほしいところだ。
「え? でも、今回の目的は、犯罪を起こさないようにすることなんでしょ?」
亜樹先輩は、昨日のやりとりにわだかまりは持っていないようだった。私も普段通りの態度で先輩の正論を無視し、ベンチに座って繁華街を見渡す。
本日も平和な夕方の光景がそこかしこで展開されていた。
今日一日の義務を果たし、家路につくまでの短い時間。目にとまる人々の表情が緩んでいるのと対照的に、クレープ屋を見つめる先輩の顔は憂いに満ちている。
「先輩。そんなに食べたければとめませんのでご自由にどうぞ」
「いや、だから、俺だけじゃなくて君も……。これは、一城の指示でもあるんだよ?」
亜樹先輩はケータイを見ながら困ったように言った。私はそれを意に介することなく鼻を鳴らした。
「だからこそです。会長の意味不明な指示には従えません。どうしてもというなら、理由を合理的に説明して下さい」
「文化祭で生徒会がクレープ屋をやるかもしれないから、その視察のためだと」
「却下です」
その後も先輩は、パイナップルの生ジュースはどうか、向こうにはパイナップル激盛りのパンケーキの店があるよと勧めてくる。
なぜ私がパイナップルに目がないことを知っているのか。しかも、土地勘がないと言っていた割にはやけに詳しい。先輩がずっとケータイを見ていることから、それらも全て、会長の指図によるものだと推測される。
奴め、この状況を面白がり始めたに違いない。しかし、なぜ私のパイナップル好きを知っている。
「うわ、三澄さん! 向こうのワッフル、パイナップルクリームとレモン風味のカスタードクリームを重ねた上に、パイナップルのシロップ漬けを挟んだ超・ふわふわワッフルだって!」
うるさい、黙れ。
「先輩。すみませんが、よろしければ三秒程そちらをお貸し下さい」
一言断り、亜樹先輩のケータイを借りる。素早く文章を送信し、彼に返した。
「えっと……、『ねこみみ』とは?」
私が打ち込んだのはたった四文字。空いた時間を利用してなんとか手に入れた情報だ。その不可解な文字列を、先輩は呆気にとられたように見つめている。
「生徒会に代々伝わる隠語です。重要事項なので、会長も、こちらに構っている余裕はなくなるでしょう」
予告通り、会長からの返信はぴたりと止まった。
わざわざ先輩のケータイを拝借したかいがあった。私の本気度は十分伝わったようである。が、こんなに効果てきめんなのなら、もっと重要な事に使えば良かったと内心で悔やむ。
先輩は不可解な単語とおざなりな私の嘘に挟まれてだいぶ困惑していたが、しばらくしてぽつりとつぶやいた。
「君は……、一城と仲がいいんだね」
何を言い出すかと思えば。
その目と耳は節穴か。なぜこの人はこうも神経を逆なですることを言うのだろうか。
反射的ににらみつけそうになって自制する。
「なぜそんな風に思われるのか、理解に苦しみます。私はあの人を失脚させるために署名を集めていると、申し上げたはずですが」
「それは、そうだけど……。でも、信頼されてるっていうか。一城は、君をわざわざ副会長に任命したんだよね?」
「そうですね。大変迷惑なことに」
断ろうとしたのに、まんまと挑発に乗って言質を取られてしまったのだ。今でも思い出す度に頭が痛くなる。
声を荒げないようにするため、強く息を吐いた。
「逆におたずねしますが、先輩なら、どう思われますか。あんなふうに何でもできる人が身近にいて。……例えば、葉琉先輩とか」
「――っ」
亜樹先輩が息を呑んで私を見つめた。けれど、傷ついたような表情をしたのは一瞬で、すぐに何でもなさそうな表情を上書きする。やはり、慣れているのだろう。
だが、言いすぎた。むやみに傷つけるつもりはなかったのに。
嬉しそうにクレープを買っていく女子達の顔を、オレンジ色の光が照らす。今日も何事もなく三十分が終わる。
一日を罪悪感でしめたくなくて、私は口を開いた。
「……話を戻しましょう。文化祭の件でしたね。確かに、生徒会で何か出し物をやろうという話はでています。けれど、私は反対なんです」
「え……、どうして?」
「去年の文化祭を覚えていらっしゃいますか? 去年まで生徒会は、実行委員と協力して、当日の見回りを担当していました。完全に裏方です」
「……うん」
「生徒の自主性を重んじる校風というのは、生徒会活動が活発なことと同じではありません。私が思う生徒会は、様々な行事を主導したり、何にでも口を出すようなものではなく、あくまで縁の下の力持ちのような……。生徒会は目立つべきではないと考えているのです」
今回の予算会議に関してもそうだ。全ては会長の提案から始まった。
――愛好会を含め、全ての部へ配布する部費の下限を、大幅に引き上げる。
どんな弱小部であろうと、まともに活動をするには一定の金額が必要だというのがその理由。
学校で部費として確保できる財源は毎年ほぼ同じである。相対的に、今まで高額な予算を得ていた部が減額されることになる。そういった不利益を被る部を説得するために、私達生徒会役員が走り回ることになったわけだ。
「会長の意見も納得できるところはあります。けれど、生徒会がそこまで強い権限を持つことには反対です。部費の配分に不満があるとすれば、それは各部の部長から発議するべきでしょう。会長は何でもできるから、全部自分でやってしまうのかもしれませんが、それでは周りが会長へ依存するだけです」
一方、私の場合は萎縮してしまう。依存するか萎縮するか。二者択一を暗に要求する彼のような存在は、私は目障りでしかない。
だから、会長とは相容れない関係だと伝えたつもりだったのだが、先輩の反応は違った。
ゆっくり瞬きをした後、感心したような溜息をついた。
「そうなんだ……。三澄さんは、やっぱり、すごいね」
「――は?」
「一城と対等に渡り合ってるからさ。俺の場合、引け目とか感じちゃって、張り合おうなんて考えたこともなかった。だから、すごいなって思って」
「同じですよ。すごいことなんてありません。やりたいことをやっているだけです」
「……うん。そう、なんだろうね」
奥歯に物が挟まったような言い方が、なんだか癪に障る。
似ているかと思ったが、違ったのかもしれない。似ていないから、イライラするのだ。
(私は利用できるものは利用するし、きれいごとばかり言って何もしないこの人とは違う。この人は、諦めているだけだ。それに傷つかないための言い訳をしているだけ)
引け目を感じないなんて、そんなわけがない。会長の側にいて、能力の差を見せつけられるたびに、嫉妬心が渦巻いて息苦しくなる。
けれど、私は知っている。そこで止まってしまったら、この先何もできなくなる。自己嫌悪の沼に足を取られて、一歩も進めなくなってしまうのだ。
そんなの、自分の人生なのに、ばかばかしいではないか。
「先輩は、どうなんですか? 自分よりもっとうまくできる人がいたら、自分は何もしないんですか?」
だから、無理にでも足を進める。転がり落ちながらでも走り続けるしかない。
「……ええと……、俺は……」
亜樹先輩は悄然とした面持ちで口をつぐんでしまった。またもや言い過ぎたことに気づく。
生徒会長の職以外のことで、何を熱くなっているのだろう。いつもの私らしくなく激情に駆られてしまった。
「失礼しました。先輩に対して不躾でした。……もう、時間が過ぎてしまいましたね。帰りましょう」
「あ……、うん」
歩き出すと、ためらいがちに後ろを付いてくる。そして、おそるおそるという風に口を開いた。
「そういえば……。明日はこれ、休みなんだね」
ああ、そうだった。連日、亜樹先輩と顔を合わせづらくなる対応をしてしまっているので、正直助かる。
「明日は、部活動の予算会議があるんです。生徒会役員は全員出席なので、こちらはお休みさせていただきます」
もちろん、生徒会のヘルプである亜樹先輩も休みだ。それは教師陣も了解済みだと聞いている。
私は、夕陽の沈んだ方角をなにげなく眺めた。
とうとう予算会議が明日に迫る。会長の提案は多数決で可決されるだろう。そうなると当然、不満に思う部活が出てくるはずだ。私はそれを待って行動を開始する。
余計なことに気を取られている場合ではない。明日、会長の解職請求に手が届くかもしれないのだから。
沢山のお店が並ぶ賑やかな通りが、本日の巡回スポットだ。
見回りの手伝い期間は今週の平日のみだ。犯罪を惹起したいわけではないが、そろそろ成果がほしいところだ。
「え? でも、今回の目的は、犯罪を起こさないようにすることなんでしょ?」
亜樹先輩は、昨日のやりとりにわだかまりは持っていないようだった。私も普段通りの態度で先輩の正論を無視し、ベンチに座って繁華街を見渡す。
本日も平和な夕方の光景がそこかしこで展開されていた。
今日一日の義務を果たし、家路につくまでの短い時間。目にとまる人々の表情が緩んでいるのと対照的に、クレープ屋を見つめる先輩の顔は憂いに満ちている。
「先輩。そんなに食べたければとめませんのでご自由にどうぞ」
「いや、だから、俺だけじゃなくて君も……。これは、一城の指示でもあるんだよ?」
亜樹先輩はケータイを見ながら困ったように言った。私はそれを意に介することなく鼻を鳴らした。
「だからこそです。会長の意味不明な指示には従えません。どうしてもというなら、理由を合理的に説明して下さい」
「文化祭で生徒会がクレープ屋をやるかもしれないから、その視察のためだと」
「却下です」
その後も先輩は、パイナップルの生ジュースはどうか、向こうにはパイナップル激盛りのパンケーキの店があるよと勧めてくる。
なぜ私がパイナップルに目がないことを知っているのか。しかも、土地勘がないと言っていた割にはやけに詳しい。先輩がずっとケータイを見ていることから、それらも全て、会長の指図によるものだと推測される。
奴め、この状況を面白がり始めたに違いない。しかし、なぜ私のパイナップル好きを知っている。
「うわ、三澄さん! 向こうのワッフル、パイナップルクリームとレモン風味のカスタードクリームを重ねた上に、パイナップルのシロップ漬けを挟んだ超・ふわふわワッフルだって!」
うるさい、黙れ。
「先輩。すみませんが、よろしければ三秒程そちらをお貸し下さい」
一言断り、亜樹先輩のケータイを借りる。素早く文章を送信し、彼に返した。
「えっと……、『ねこみみ』とは?」
私が打ち込んだのはたった四文字。空いた時間を利用してなんとか手に入れた情報だ。その不可解な文字列を、先輩は呆気にとられたように見つめている。
「生徒会に代々伝わる隠語です。重要事項なので、会長も、こちらに構っている余裕はなくなるでしょう」
予告通り、会長からの返信はぴたりと止まった。
わざわざ先輩のケータイを拝借したかいがあった。私の本気度は十分伝わったようである。が、こんなに効果てきめんなのなら、もっと重要な事に使えば良かったと内心で悔やむ。
先輩は不可解な単語とおざなりな私の嘘に挟まれてだいぶ困惑していたが、しばらくしてぽつりとつぶやいた。
「君は……、一城と仲がいいんだね」
何を言い出すかと思えば。
その目と耳は節穴か。なぜこの人はこうも神経を逆なですることを言うのだろうか。
反射的ににらみつけそうになって自制する。
「なぜそんな風に思われるのか、理解に苦しみます。私はあの人を失脚させるために署名を集めていると、申し上げたはずですが」
「それは、そうだけど……。でも、信頼されてるっていうか。一城は、君をわざわざ副会長に任命したんだよね?」
「そうですね。大変迷惑なことに」
断ろうとしたのに、まんまと挑発に乗って言質を取られてしまったのだ。今でも思い出す度に頭が痛くなる。
声を荒げないようにするため、強く息を吐いた。
「逆におたずねしますが、先輩なら、どう思われますか。あんなふうに何でもできる人が身近にいて。……例えば、葉琉先輩とか」
「――っ」
亜樹先輩が息を呑んで私を見つめた。けれど、傷ついたような表情をしたのは一瞬で、すぐに何でもなさそうな表情を上書きする。やはり、慣れているのだろう。
だが、言いすぎた。むやみに傷つけるつもりはなかったのに。
嬉しそうにクレープを買っていく女子達の顔を、オレンジ色の光が照らす。今日も何事もなく三十分が終わる。
一日を罪悪感でしめたくなくて、私は口を開いた。
「……話を戻しましょう。文化祭の件でしたね。確かに、生徒会で何か出し物をやろうという話はでています。けれど、私は反対なんです」
「え……、どうして?」
「去年の文化祭を覚えていらっしゃいますか? 去年まで生徒会は、実行委員と協力して、当日の見回りを担当していました。完全に裏方です」
「……うん」
「生徒の自主性を重んじる校風というのは、生徒会活動が活発なことと同じではありません。私が思う生徒会は、様々な行事を主導したり、何にでも口を出すようなものではなく、あくまで縁の下の力持ちのような……。生徒会は目立つべきではないと考えているのです」
今回の予算会議に関してもそうだ。全ては会長の提案から始まった。
――愛好会を含め、全ての部へ配布する部費の下限を、大幅に引き上げる。
どんな弱小部であろうと、まともに活動をするには一定の金額が必要だというのがその理由。
学校で部費として確保できる財源は毎年ほぼ同じである。相対的に、今まで高額な予算を得ていた部が減額されることになる。そういった不利益を被る部を説得するために、私達生徒会役員が走り回ることになったわけだ。
「会長の意見も納得できるところはあります。けれど、生徒会がそこまで強い権限を持つことには反対です。部費の配分に不満があるとすれば、それは各部の部長から発議するべきでしょう。会長は何でもできるから、全部自分でやってしまうのかもしれませんが、それでは周りが会長へ依存するだけです」
一方、私の場合は萎縮してしまう。依存するか萎縮するか。二者択一を暗に要求する彼のような存在は、私は目障りでしかない。
だから、会長とは相容れない関係だと伝えたつもりだったのだが、先輩の反応は違った。
ゆっくり瞬きをした後、感心したような溜息をついた。
「そうなんだ……。三澄さんは、やっぱり、すごいね」
「――は?」
「一城と対等に渡り合ってるからさ。俺の場合、引け目とか感じちゃって、張り合おうなんて考えたこともなかった。だから、すごいなって思って」
「同じですよ。すごいことなんてありません。やりたいことをやっているだけです」
「……うん。そう、なんだろうね」
奥歯に物が挟まったような言い方が、なんだか癪に障る。
似ているかと思ったが、違ったのかもしれない。似ていないから、イライラするのだ。
(私は利用できるものは利用するし、きれいごとばかり言って何もしないこの人とは違う。この人は、諦めているだけだ。それに傷つかないための言い訳をしているだけ)
引け目を感じないなんて、そんなわけがない。会長の側にいて、能力の差を見せつけられるたびに、嫉妬心が渦巻いて息苦しくなる。
けれど、私は知っている。そこで止まってしまったら、この先何もできなくなる。自己嫌悪の沼に足を取られて、一歩も進めなくなってしまうのだ。
そんなの、自分の人生なのに、ばかばかしいではないか。
「先輩は、どうなんですか? 自分よりもっとうまくできる人がいたら、自分は何もしないんですか?」
だから、無理にでも足を進める。転がり落ちながらでも走り続けるしかない。
「……ええと……、俺は……」
亜樹先輩は悄然とした面持ちで口をつぐんでしまった。またもや言い過ぎたことに気づく。
生徒会長の職以外のことで、何を熱くなっているのだろう。いつもの私らしくなく激情に駆られてしまった。
「失礼しました。先輩に対して不躾でした。……もう、時間が過ぎてしまいましたね。帰りましょう」
「あ……、うん」
歩き出すと、ためらいがちに後ろを付いてくる。そして、おそるおそるという風に口を開いた。
「そういえば……。明日はこれ、休みなんだね」
ああ、そうだった。連日、亜樹先輩と顔を合わせづらくなる対応をしてしまっているので、正直助かる。
「明日は、部活動の予算会議があるんです。生徒会役員は全員出席なので、こちらはお休みさせていただきます」
もちろん、生徒会のヘルプである亜樹先輩も休みだ。それは教師陣も了解済みだと聞いている。
私は、夕陽の沈んだ方角をなにげなく眺めた。
とうとう予算会議が明日に迫る。会長の提案は多数決で可決されるだろう。そうなると当然、不満に思う部活が出てくるはずだ。私はそれを待って行動を開始する。
余計なことに気を取られている場合ではない。明日、会長の解職請求に手が届くかもしれないのだから。