「ミル!」

 プラムを拘束した直後。
 第四層の貯水部屋に転移させられたはずのサチが、唐突に何もない空間から現れた。
 ミルは今まさにサチのことを助けに行こうとしていたため、彼女の登場に驚愕を示す。

「サ、サチさん!? 貯水部屋に閉じ込められたはずじゃ……」

「なんか水の中で暴れまくったら天井が崩れたんだ。それで息できるようになったから、無作為転移魔法で戻って来たの」

 よく見ると、サチは全身がびしょ濡れになっていた。
 銀髪や学生服から水が滴り、居住層に漂う冷気を浴びて『さぶっ!』と思わず呟いている。
 凍結させられているプラムも、サチの存命に驚いた表情で固まっており、それを横目にミルは安堵の息を吐き出した。

「たまたま天井が崩れるなんて、相変わらず“運がいい”ですね」

「でもかなり水飲んじゃったから、すぐに魔法詠唱できなかったんだよ。ミルが危ないから、早く戻りたいって思ったのに」

 そう言ったサチは、氷漬けにされているプラムを見て、同じく安堵の息を吐く。

「まあ、その心配はいらなかったみたいだね。ミル、一人で勝ったんだ」

「……はい」

 改めて成長した実感が湧いてきて、ミルは思わず綻ぶ。
 一方でサチは傷だらけになっているミルを見て、すかさず完全治癒魔法を使った。
 少し背の低い青髪に手を置いて、治癒効果によって傷を癒す。
 まるで、妹を褒める姉のように。
 そうしている最中、氷漬けにされているプラムが身をよじりながら拘束を解こうとしていた。

「クソッ……! クソッ……! こんなもので、私は……!」

「……」

 首から上だけしか動かせないプラムを見ながら、ミルは冷静な声を掛ける。

「プラムちゃん、大人しく投降してください」

「はっ?」

「今回の戦いは、私たちの勝ちです。他の兵士たちもすでに戦意を失っていて、組織としてのミストラルはもう瓦解しています」

 術師序列一位のヴェルジュ・ギャランによって、彼らの意思は変わった。
 最後の砦となっていた強敵プラムも、この通りミルの覚醒によって無力化されている。
 残すは倉庫となっている第四層の貯蔵層と魔道具研究をするための第五層の研究層だけ。
 魔術師たちを止める術はもう無くなってしまったのだ。

「勝手に決めつけてんじゃないわよ……! ミストラルはまだ負けてない。私だってまだ、あんたに負けたつもりは微塵もないわよ……!」

 プラムはそう言って、再び全身に渾身の力を込め始める。
 自分を縛りつける氷を破壊するべく、全力で手足を動かそうとしていた。
 しかし氷はビクともしない。
 魔力値350からなる魔法の氷壁は、魔力を帯びていることもあって驚異的な硬さになっていた。
 いくら肉体改造をして超人的となったプラムでも、膂力だけでこの氷を破ることはできない。

「はぁ……! はぁ……! はぁ……!」

 そこにサチが、さらにダメ押しの一手を送る。

「【賽は投げられた――神の導き――恨むなら己の天命を恨め】――【運命の悪戯(フォル・トゥーナ)】」

「うっ……!」

 確率で相手を行動不能にする拘束魔法――【運命の悪戯(フォル・トゥーナ)】。
 それによって今度こそ、プラムは完全に身動きが取れなくなった。
 不要になった氷をミルが解除して、力なく地面に倒れ込もうとするプラムを小さな体で支える。
 すでにサチの拘束魔法によって身動きが取れないはずなのに、それでもプラムからはいまだに抵抗の意思を感じた。

「もう、やめてください、プラムちゃん。それ以上やると……」

「やめられるわけないでしょ!」

 全身を強張らせながらも、プラムは喉の奥から声を絞り出す。

「目の前に、殺したいほど憎い相手がいて、やめられるわけがないじゃない……! 私がどれだけ、苦しい思いをしてきたか、なんにも知らないくせに……!」

「……」

 耳元でプラムの怒りの声を聞き、ミルは静かに唇を噛み締める。
 そして自分の過ちを受け入れるかのように、続くプラムの言葉に耳を傾けた。

「あんたの不幸に巻き込まれて、私はたくさんの苦しさを味わった……!」

「……ごめんなさい」

「周りに馬鹿にされて、夢も諦めるしかなくて、私は空っぽにされた……!」

「……ごめんなさい」

「それなのにあんたは楽しそうに魔術学園にも通って、“新しい友達”まで作ってる……!」

 体を動かせるはずもないのに、プラムはミルの肩を弱々しい力で握り、怒りをぶつけた。

「挙句にあんたは、私がなりたかったものにまでなろうとしてるのよ……! そんなの、許せるわけないでしょ」

「……ごめん、なさい」

 言われて、改めて感じさせられる。
 自分がプラムの夢を奪ってしまったのだと。
 辛い思いをさせてしまったのだと。
 それでいてプラムの目指していたものに、自分がなろうとしている。
 彼女の怒りも当然のものだ。

「とても、許されることではないと、思っています。私のこの罪は、どれだけ償っても、償い切れるものではありませんから」

 プラムの怒りを真正面から受け止めて、ミルは罪悪感を滲ませる。
 自分がこの先、どんなことをしようとも、きっとプラムに許してもらうことはできない。
 あれだけ仲の良かった幼馴染と、かつてのような関係に戻ることはできなくなってしまった。
 自分がそれを望んでも、叶えられないというのはもう承知している。
 だからミルは……

「それでもせめて、自分の不幸に巻き込んでしまった人たちは、自分自身の手で絶対に助けたいんです。許してもらうためではなく、誰かに縋ることしかできなかった自分への、戒めとして……」

 ミルが国家魔術師を目指している理由は、母親の治療費を稼ぐためと、プラムのため。
 魔法が使えない体になってしまったプラムを治す方法を探すために、国家魔術師を志しているのだ。
 プラムには今さら綺麗事を言うなと拒絶されてしまったけれど、それでもミルの意思は変わらない。
 どれだけの怒りをぶつけられても、散々罵られたとしても、ミルはプラムのために魔術師の道を歩き続ける。
 ミルはプラムの背中に腕を回して、ぎゅっと控えめに抱き寄せた。

「ずっと、私のお姉ちゃんでいてくれて、ありがとうございました。プラムちゃんの魔素を治す方法は、必ず私が見つけ出してみせますから。それまでどうか、静かに待っていてください」

「……」

 それからプラムは、何も喋らなくなった。
 ミルが地面に横たわらせた後も、一切目を合わせようとせず、ただ静かに唇を噛み締め続けている。
 ミルもそんな彼女に対して、それ以上何も言うことはなかった。
 その時……

「二人とも無事か!?」

 第三層の居住層の出入り口から、国家魔術師たちが戻って来た。
 北部襲撃隊にいた数名の魔術師たちは、サチとミルの元まで駆け寄って来るや、横たわるプラムを見て目を剥く。

「ま、まさか、君たち二人だけでこの少女を……!?」

「あぁ、私はほとんど何もしてなくて、全部ミルが……」

「いえ、私一人だけでしたら、きっと上手く行っていなかったと思います」

 そんな謙遜し合っている二人を、呆然と見つめながら魔術師たちは続ける。

「お、驚いたな。てっきりまだ戦っている最中かと……」

「とにかく本当によくやってくれた。というより、本当にすまなかった」

「学生の君たち二人に危険な役目を任せてしまって」

「いえ、それは全然いいんですけど……」

 サチとミルは、数名の魔術師の他に誰もいないことに気が付いて首を傾げた。
 他の人たちはどうしたのだろうという疑問に、魔術師たちが答える。

「他の連中なら、全員無事に隠れ家を抜け出したよ」

「ミストラルの兵士たちも外で待機していた魔術師たちに任せて、連行の準備を進めている」

「それで魔素に余裕のある俺たちだけで、また第三層まで戻って来たってわけだ。遅れてすまなかったな」

「い、いえ、こっちも大した怪我はなかったので……」

 結果として今回の戦いで、今のところ死傷者は出ていない状況だ。
 一部、重傷を負った者たちはいるけれど、命に別条はない。
 改めてそれがわかって、魔術師たちは安堵の息を吐き、顔を見合わせて頷き合った。

「これであとは最下層の研究層に行き、魔獣侵攻具の完成を食い止めればいいだけだ」

「少しばかり人数は心許ないが、さっそく全員で向かうとしよう」

 その意見に、サチとミルも頷いて同意を示す。
 ミストラルの兵士たちだけでなく、最大の難関となったプラムもこうして無力化できた。
 残すは今回の襲撃作戦の最大の目的である、魔獣侵攻具の完成の阻止。
 事前情報からも、この先に障害となるものはもう他になく、第五層の研究層へ行き研究を止めればこちらの勝ちだ。
 いよいよ襲撃作戦の成功が目前に見えてきて、国家魔術師たちは揃って笑みを浮かべた。

 その時――

「その必要はありませんよぉ」

 不意に、第四層の貯蔵層に続く階段から、女性の声が聞こえて来た。
 釣られて皆がそちらに視線を移すと、コツコツとヒールを鳴らしながら、階段から上ってくる人影が一つ。
 灰色の長髪に、感情を感じさせない灰色の虚な目。
 血の気の薄い青白い肌と、白を基調とした大きなドレス。
 まるで幽霊のような見た目をしている、不気味な雰囲気を醸し出すその女性は……

 皆から疑問の視線を向けられる中、唐突に衝撃的な事実を打ち明けた。

「魔獣侵攻は、すでに開始されましたので」