突然の相棒の消失。
 その事実にミルは戸惑いを隠せない。
 激しい喪失感と不安で狼狽える中、プラムが目の前で呟いた。

「できればあいつも自分の手で殺りたかったけど、もう時間は掛けていられないものね」

「サ、サチさんをどこにやったんですか!?」

 懐から取り出した妙な札。
 それを貼り付けられたことで、サチは姿を消してしまった。
 あれはおそらく何らかの魔道具で、対象者を強制的に転移させる効果があったのだろう。
 魔法を無効化できるサチでも、魔道具の効果までは無効化することができないから。
 そこまでのミルの予想は正しく、彼女に過剰な絶望感を与えるために、プラムはあえて明かした。

「あんたの大切なお友達だったら、じきに溺れ死ぬんじゃないかしら?」

「溺れ、死ぬ……?」

「第四層の貯蔵層、その一角にある貯水部屋に直接転移させたのよ」

 貯水部屋。
 それはまずいとミルは背筋を凍えさせる。
 最も有名だと言える、魔術師の最大の弱点。
 それが“水中”。

 魔術師の基礎を支えているのは、言わずもがな魔法だ。
 そしてその魔法の発動には式句の“詠唱”が必須になる。
 体内に宿っている魔素に、詠唱という形で命令を聞かせることで超常的な現象を引き起こさせる技法――それこそが魔法。
 そのため魔術師にとって詠唱は生命線のようなものであり、先ほどからプラムはその詠唱を阻止するようにこちらに攻撃を仕掛けて来ていた。
 それほどまでに重要な詠唱を、水中では絶対に行うことができない。

(このままでは、サチさんが……!)

 水の牢獄に囚われたまま、プラムの言う通り溺死することになってしまう。

「一度しか使えない手をあいつにくれてやるのは癪だったけど、これでじっくりあんたをなぶり殺せる。私の恨みの丈がどれだけのものか、その身にわからせてやるわ……!」

 拳を握り込んだプラムが、いまだに狼狽えているミルに迫る。
 すかさずミルは飛び退るが、プラムはすぐに反応してミルとの距離を詰めた。

「うっ……!」

 ミルの頬に、プラムの容赦ない一撃が浴びせられる。
 衝撃で吹き飛んだミルは、痛みで苦しみながらもすぐに詠唱を始めようとした。
 だが、プラムがそれを許すはずもなく、執拗に肉薄して拳を食らわせて来る。

(詠唱する暇も、距離を取る余裕も、ありません……!)

 先ほどまでサチと二人で応対していて、プラムの注意が上手く分散していた。
 しかし今はたった一人でプラムと対峙しているため、攻撃はすべてこちらに向けられている。
 詠唱どころか、息吐く間もなかった。

(こんなの、どうやって勝てば……)

 プラムに転がされ続けて、ミルはボロボロの姿になっていた。
 体を支える両足も震えていて、まともに立つこともままならなくなっている。

「はぁ……はぁ……!」

「……無様ね。自分がどれだけの罪を犯したのか、今一度理解できたでしょう?」

 ミルは体の痛みで涙を滲ませながら、静かに唇を噛み締める。

(プラムちゃんに、勝てるわけありません……)

 改めてそう感じてしまう。
 たった今、目の前に立っている人は、かつて自分が憧れていた高嶺の人物だ。
 昔から何をやっても、自分よりすごい人だった。
 いつも姉のように、自分のことを引っ張ってくれた。
 泣いている自分を慰めてくれて、落ち込んでいる時に励ましてくれて、自分の支えとなっていた偉大な存在。

(そんな人に、勝てるわけありません。私はいつまで経っても、誰かの後ろで怯えているだけの、弱虫ミルなんですから……)

 結局一人では何もできない無力感。
 姉のような存在のプラムに圧倒されたことで、ミルは改めて出来損ないの妹なのだと痛感させられた。
 涙を滲ませていた瞳から、一粒の雫が静かに落ちる。

『うーん……ま、何とかなるでしょ。たぶん』

 その時……
 脳裏に、相棒の笑顔が浮かんできた。

『絶対にあいつに頭を下げさせる。ミルの悔しい気持ちを、私が代わりにぶつけてくるからさ、だから安心してここで見ててよ』

 魔術学園の入学当初、同学年の貴族の令息と一悶着があった。
 ミルが大切にしていたペンダントを壊されて、それに怒ったサチが代わりに令息と模擬戦をすることになったのだ。
 相手は魔術師の名家の生まれ。勝てる見込みはほとんどない。
 誰もがそう思っていたが、それでもサチは友達であるミルのために戦うことを選択した。
 結果、圧倒的なまでの実力差を示して、サチが勝利を掴み取った。
 あの時初めて、ミルはサチに対して強い憧れを抱いた。

(サチさんだったら、こんなところで諦めたりしません……!)

 たとえどんなに劣勢でも、あの人は諦めることはしなかった。
 常に笑顔でこちらにも元気を振り撒いてくれた。
 戦い続けることの大切さを教えてくれた。
 あの人のように強くなりたい。
 これまで何度も何度もそう思った。
 だから、ここで諦めるわけにはいかない。

(私の“今の憧れ”は、あの人なんです!)

 かつての憧れに囚われるのは、もうやめる。
 自分は出来損ないの妹なんかじゃない。
 王立ハーベスト魔術学園、一学年特待生の……“魔術師ミル”だ。

 ミルは瞳に闘志の炎を蘇らせて、小杖(ワンド)を構えた。

「喧騒で満ちている……!」

「だから――!」

 詠唱を始めた瞬間、またしてもプラムが高速で接近して来た。
 鋭い蹴りが飛んで来て、ミルは腹部を殴打されて吹き飛んでしまう。

「詠唱する隙は与えないって、さっきから言ってるでしょ」

「うっ……くっ……!」

 それでも、ミルは立ち上がり、唇を走らせる。

「喧騒で、満ちている……!」

「だから無駄って言ってるでしょ!」

 プラムも当然、好き勝手に詠唱させるはずもなく、常に距離を詰めて攻撃を仕掛けて来た。
 殴られ、蹴られ、転ばされても、それでもミルは立ち上がり続ける。

(諦めては、いけません……! 考えることを、やめてはいけません……!)

 プラムに勝つための方法が、必ずどこかに存在しているはず。
 これまで学んできたこと、培ってきたこと、見てきたこと、その中に答えがあるはずだ。
 ミルは思考を巡らせる。
 プラムが超人的な速度で詰めて来て、詠唱をする暇がない。
 向こうは完全に魔術師の潰し方を心得ている。
 それなら……

『あいつが教わってきたのは“普通の魔術師”を倒すための方法でしょ。私、“普通の魔術師”じゃないからさ』

 自分も、普通の魔術師から脱却すればいい。
 憧れのあの人が、規格外の魔術師であるのと同じように。
 新しい強さへ、限界のその先へ、この手を伸ばせ……!

「どれだけ足掻いたところで、あんたじゃ私に勝てないのよ! いい加減死になさいミル!」

 ミルが力尽きる寸前だとわかり、プラムが全力の拳を振りかぶった。
 最後の一撃を前に、ミルはボロボロの姿で杖を構える。

(ちゃんと、見てました) 

 諦めない気持ちが、杖の先に光を灯す。



「【凍てつく大地(ニブル・ヘイム)】!」



「――っ!?」

 杖の先に水色の魔法陣が展開されて、激しい冷気が迸った。
 それは這うように地面を凍りつかせる。
 瞬くような速度で広がった冷気は、あのプラムにさえ反応の余地を与えることをしなかった。

「くっ――!」

 眼前まで接近していたプラムは、予想外の反撃によって足元を凍結させられる。
 氷はそのまま駆け上るように全身を伝い、一瞬にして首から下を分厚い氷で覆ってしまった。
 プラムは手も足も動かせない。

「な、なんであんた、“詠唱無し”で……!? ま、まさか……!」

 プラムの目が大きく見開かれる。
 口による詠唱をせず、ミルは高速で魔法を放ってきた。
 その人智を超越した技法を、プラムは知っている。

「やってみるものですね…………無詠唱魔法(・・・・・)

 プラムが距離を詰めて来て、魔法詠唱を妨害して来る。
 それならば単純な話、その詠唱を介さず魔法を放ってしまえばいいのだ。
 詠唱式句を口ではなく、脳内から直接魔素に伝えて魔法を発動する。
 そうすることで通常とは比べ物にならない速度で魔法を放つことができる技。
 それこそが、『無詠唱魔法』。

 星華祭の時、三学年特待生のクロスグリ・トラヴァイエが使っているのを見た。
 討伐作戦の間、術師序列一位のヴェルジュ・ギャランが使っているのも見た。
 見て、学んだことを、ミルは土壇場のこの状況で完璧に模倣してみせたのだ。
 魔力値350の超威力の氷結魔法を、詠唱無しの超速度で放つ存在。
 この瞬間、ミルもまた、紛うことなき規格外の魔術師へと昇華した。

「私の勝ちです、プラムちゃん」

「……」

 臆病で、泣き虫で、誰かの背中に隠れるだけだった少女は……かつての憧れを超えていく。