「賽は投げられた……」

 サチが詠唱を始めた瞬間、プラムが視界から消えた。
 プラムは一瞬にしてサチの目前まで迫ると、詠唱途中の彼女に攻撃を仕掛ける。
 サチは慌てて飛び退いたことで不意の一撃を回避できたが、魔法詠唱を中断させられてしまった。

「降り積もる白雪……」

 続けてミルが詠唱を開始する。
 だが、またしてもプラムはその声に反応し、詠唱を中断するかのように高速で仕掛けて来た。

「うっ……!」

 プラムの神速の蹴りがミルの脇腹を的確に捉える。
 魔力値350からなる凄まじい身体強化魔法によって、ミルの肉体は限界を超越している。
 だがその魔法効果を持ってしても、プラムの破壊的な一撃を耐え切ることはできなかった。

「ミル!」

「だい、じょうぶです……!」

 なんとか立ち上がったミルを見ながら、プラムは嘲笑を浮かべる。

「さすがに硬いわね。靴の仕込み刃でも薄皮一枚切れないなんて。だったらこのままなぶり殺しにしてあげる」

 プラムはそう言って拳を握り込んで接近して来た。
 息つく暇もない猛攻に、サチとミルは苦しそうに顔をしかめる。
 詠唱の隙をまったく与えてもらえない。
 こちらに魔法を使わせないつもりのようだ。
 詠唱を始めようとした瞬間に、一瞬で距離を詰めて攻撃を浴びせてくる。
 どれだけ小さな声で唱えようとしても、人並み外れた聴覚で聞き取られて勘づかれてしまう。

 詠唱を中断させられるのは非常に厄介だ。
 魔術師の弱点の一つでもある。
 しかしこうして交互に詠唱を見せることで、プラムの攻撃の手も分散しているように見える。
 おかげで自分たちは決定的な一打をもらわずに済んでおり、図らずも拮抗した状態になっていた。
 どちらかの集中力が切れれば終わりを告げてしまうほど脆弱な拮抗。
 詠唱が遅れて味方の一人がやられるかもしれないサチとミル。
 対処が遅れてどちらかに魔法を撃たれるかもしれないプラム。

 その張り詰めた状況に終止符を打ったのは、サチだった。

「賽は投げられた……」

「馬鹿ね、何度やっても同じこ……!」

 詠唱が聞こえた瞬間、プラムがすかさずサチの方へ駆け出すが……
 サチもまた、同じタイミングでプラムの方に飛び出していた。

「――っ!?」

 サチの想定外の動きに反応が遅れて、プラムは腹部に強烈な体当たりを食らう。
 詠唱をすると見せかけた不意打ち。
 詠唱中の魔術師は完全無防備な状態。
 そのため一気に距離を詰めて叩くのが定石となっている。
 サチはその定石を逆手に取り、詠唱の一句目を聞かせてプラムの攻撃を誘ったのだ。

「チッ……!」

 サチに肩からぶつかられたプラムは、その衝撃で後方へと吹き飛んだ。
 これで距離が取れて、自由に詠唱することができる。
 当然それがわかっているサチは、すかさず詠唱を始めようとするが……

「なっ――!?」

 吹き飛ばされている途中のプラムが、信じられないことに空中で体勢を整えた。
 並外れた筋力と体幹による超人的な技。
 そのまま両足を地面に突き刺すように着地し、勢いを殺したのち地面を蹴飛ばす。
 結果、吹き飛ばされてからものの三秒ほどで、サチの目の前まで戻って来た。

「うぐっ……!」

 再びプラムに殴打されたサチは、詠唱を中断させられて後退する。
 その間にミルもプラムから距離を取って詠唱を始めようとしていたが、相手に睨まれたことで声を出すことができなかった。
 詠唱の一句目で、確実に距離を詰められてまた妨害される。

(……強い)

 この圧倒的な強さの正体はいったいなんなのか。
 あのサチと二人がかりでも無力化ができないほどの相手。
 それだけプラムが異質な存在ということ。
 サチは魔獣や魔術師に対しての戦闘なら“無敵”の強さを発揮する。
 魔獣を一撃で即死させられる確率魔法――【悪魔の知らせ(デス・ノーティス)】。
 害意ある魔法を無効化することができる確率魔法――【ひと時の平和(イージス・フリーデ)】。
 これらの力で魔獣や魔術師を一切寄せつけないのがサチの強さだが、非魔術師に対しては効果がない。

 即死魔法で殺してしまうわけにもいかず、魔法に頼ることなく積極的に近接戦闘も仕掛けて来る。
 加えてプラムの場合は【火事場の馬鹿力(グラン・ディール)】による身体強化も通用せず、向こうは魔術師の弱点を的確に突くように常に動き回っている。
 ずっと息苦しさを覚えさせられるほど洗練された立ち回りをしていた。
 まるで魔術師を殺すためだけに培われたような技術の数々。

「どうして、ですか……」

 自ずとミルの口から疑問が溢れ出してくる。
 これほどまでに技術を研ぎ澄ませるなんて、並の熱量では決してできない。
 だというのにここまで魔術師を殺す技を体得しているのは、それだけ魔術師に対して大きな憎しみを抱えているということ。
 反魔術結社ミストラルにその身を置いていることからも、彼女が抱えている恨みは尋常ではないとわかった。

「どうして、そんな風に……」

 だからこそ知らず知らずのうちに疑問が溢れてしまったが、それを聞いたプラムは呆れるように肩をすくめた。

「あんた、本気で言ってるつもり?」

「えっ……?」

「私がこんな風になった理由なんか、わかり切ってることじゃない」

 プラムの額に青筋が走ると、強烈な怒号が居住層に響き渡った。

「他の誰でもないあんたのせいよ! あんたのせいで私はこんな風になったんじゃない!」

「……」

 ミルは驚いたように目を見開く。
 そんな彼女に、プラムは抱えていた怒りをぶつけるかのように続けた。

「忘れたとは言わせないわよ。私はあんたの不幸に巻き込まれて魔法を使えない体にされた。国家魔術師になるっていう夢も奪われて、周りからも馬鹿にされるようになった」

 幼い頃、森で一緒に遊んでいる時に、不運にも魔獣に襲われた。
 その魔獣の毒液には魔素を麻痺させる効力があり、それを大量に受けたプラムは魔法が使えない状態に陥ってしまった。
 領主の一人娘として生まれた彼女には、貴族の血筋らしく魔法の才があり、将来は国家魔術師になると語っていた。
 魔法が使えなくなってしまったプラムは、国家魔術師になるという夢を諦めざるを得なかった。
 恨まれていても不思議はないと、ミルは改めて思う。
 加えてもう一つの弊害が、プラムの心をさらに歪ませていた。

「魔法が使えなくなった私に興味を示す奴なんていなかったわ。社交会でも魔法が使えないことをからかわれたり、親しくしてた連中からは虐げられるようになった。家族だって私に何も期待しなくなって、心の底から魔力至上主義のこの世の中を呪ったわ」

 十歳前後の少女が歪んだ精神を抱いてしまうには、充分すぎる理由だった。

「だから私は、アリメント様に誘われてミストラルに入った。それから魔術師を根絶やしにすることだけを考えて、奴らを殺すための体技を貪り尽くすように体得していった。果てには魔道具で体の改造までして……全部全部、あんたと一緒にいたのが原因なのよ!」

 それこそがプラムの強さの秘密。
 魔術師に対する底知れない恨みが原動力となり、彼女をここまで強くさせてしまったのだ。
 それを引き起こしてしまった起源が自分にあるとわかって、ミルは罪悪感を滲ませる。
 その時……

「ミルは何も悪くないよ」

「……サチ、さん?」

 隣で話を聞いていた相棒が、慰めの言葉をかけてくれた。

「何よあんた? ていうか今さらだけど誰よ?」

「私は同じ魔術学園に通ってるクラスメイトで、ミルの“相棒”だよ」

「……魔術学園?」

 プラムがさらに鋭くミルを睨みつけて、怒りが増したのが伝わってくる。

「そういえばあんた魔術学園にも入学したみたいね。国家魔術師になるっていう私の夢を奪っておいて、自分は何食わぬ顔で魔術学園でお勉強中なんていい御身分じゃない。私への嫌がらせのつもり?」

「ち、違います! 私はそんなつもりは……!」

 そこにサチが、庇うような言葉を挟む。

「ミルは病気のお母さんのために国家魔術師を目指してるんだよ。誰かの嫌がらせなんてする子じゃない」

「……あんたに聞いてるわけじゃないんだけど」

「それに、前にミルが教えてくれた。魔術学園に入学した理由が、もう一つあるって」

「はっ?」

 不機嫌そうに顔をしかめるプラムに、サチはミルから聞いたことを話す。

「昔、不幸に巻き込んじゃった幼馴染を助けたくて、その子の治療方法を探すために国家魔術師になりたいんだって。それって、あなたのことでしょ」

「……」

 プラムは驚愕の表情をあらわにする。
 次いでおもむろにミルの方に視線をやると、ミルは弱々しい声音で明かした。

「国家魔術師になれば、莫大な研究費の他に設備や情報などが提供されます。それによって様々な研究が自由にできるようになるので、その中でプラムちゃんの魔素を治す方法を見つけられたらいいと思って……」

「……今さら綺麗事言ってんじゃないわよ。それであんたのことを許すとでも思った?」

「許してもらいたくて、治療方法を探しているわけではありません。私はただ、不幸に巻き込んでしまった償いだけは、するべきだと思って……」

 プラムが驚いたように固まっているのも当然である。
 ミルは自分のことなんかとっくに忘れていると思っていたから。
 絶縁した幼馴染のことなんか気に掛けておらず、今は呑気に学園生活を謳歌していると。

「……信じられるわけないでしょ、そんなこと。そもそも国家魔術師の研究程度で、これの治療方法なんか見つかるわけがないじゃない。実際あんたたちは“魔素収縮具”に対して何もできてなかったんだから」

「魔素、収縮具……?」

 なぜ今ここで魔素収縮具の話が出たのか、ミルは疑問に思った。

「魔素収縮具はあの時の魔獣の毒液を元に開発されたのよ」

「えっ……?」

「その対処ができてなかったことが、国家魔術師の研究が無意味っていう証拠に他ならないじゃない。私のこの体を治す方法なんてあるわけないのよ!」

 魔素の異常を治すことができる医療は、現在存在しない。
 また治癒魔法も効果がないことが判明している。
 あのサチの完全治癒魔法でさえ、魔素に起こった異常を治すことはできなかったのだから。
 期末試験の際、ミルは魔素収縮具の影響を受けた状態で、サチに完全治癒魔法を掛けてもらった。
 その時は体の怪我は治ったけれど、魔素に発生した異常までは治らなかった。
 それほどまでに体内に宿っている魔素に、人が干渉する術はないということ。

「だから私は、魔法にばかり縋る魔術国家そのものを滅ぼす。アリメント様と共に憎い魔術師たちに報復を与えて、自分の存在価値を証明する!」

 プラムの固い決意が揺らぐことはなかった。
 それがわかり、ミルは改めて強い気持ちを抱く。
 ここで今、プラムを止めなければ、きっと彼女はこれから先大勢の魔術師を殺してしまう。
 自分の中ではいまだに大切な幼馴染で、敬愛する姉のような存在のプラムに、そんなことをさせるわけにはいかない。

(ここで絶対に、プラムちゃんを食い止めてみせます……!)

 その気持ちを拒絶するかのように、プラムが再び動き出した。

「――っ!」

 瞬く間の接近に、サチとミルは驚いて身を強張らせる。
 決して油断していたわけではない。
 むしろ常にプラムの一挙手一投足を警戒していた。
 だがそれ以上にプラムの所作に無駄がなく、初動を感知することができなかった。
 プラムの怒りが、先刻の会話によって膨張したせいか、手刀の矛先がミルの喉元に迫る。

「ミル!」

 そこにサチが間一髪で動き出し、ミルとプラムの間に咄嗟に割り込んだ。
 反応が遅れたため、かなり不恰好な体勢でミルを庇うことになる。
 その隙を、プラムは見逃さない。

「フフッ」

 一瞬、頬に不気味な笑みを滲ませるプラム。
 彼女は懐から、一枚の“札”を取り出した。
 その札を、隙を見せているサチの胸元に強く押し当てる。

「――っ!?」

 刹那……
 ミルの目の前に立っていたサチが、唐突に姿を消した(・・・・・)

「サチ、さん……?」

 代わりに目の前には、一層不敵に微笑むプラムの姿が……

「これでもう、邪魔者はいなくなったわ」