『またドジ踏んだのねあんた。相変わらずしょうがない子ね、ミルは』
ミルの脳裏に幼い日の記憶が蘇る。
故郷のオリヴィエの村で、同い年の少女と過ごしていた時の記憶。
気弱な自分とは違って気が強く活発で、いつも姉のように自分の手を引いてくれた。
自分の不幸に巻き込んでしまって以来、仲違いしてしまったけれど、今でも彼女のことは大切な幼馴染だと思っている。
その少女の名前は、プラム・キュイール。
(嘘ならいいと思った。自分の勘違いだったらいいと……)
魔術学園の内通者ヒィンベーレから得た情報で、ミストラルの構成員の素性はすでに明らかにされている。
ミルはその中に見知った名前を見つけて、それが本当なのかどうか確かめるために今回の作戦に参加した。
サチに対して、『ミストラルに少し“用”がある』と言ったのはそれが理由である。
同名の別人であることを願ってここまでやって来たが……
ミルのその願いはたった今、儚く散ることになった。
『あんたなんかと一緒にいなきゃよかった! もう二度と私の前に現れるんじゃないわよこの疫病神!』
間違いない。自分の視線の先に立っている赤髪の少女は、幼馴染のプラムだ。
彼女は自分の知らないところで、いつの間にかミストラルの一員になっていたらしい。
ヴェルジュを容赦なく吹き飛ばしたところを見せられて、いよいよそれが確信へと変わった。
数多くの疑問符が、自然と脳内を埋め尽くす。
「どうして私がここにいるのか不思議に思ってるみたいだけど、それはあんたが一番よくわかってるでしょ、ミル」
「えっ……?」
「まあいいわ、とりあえずあんたは後回し。それよりもまずは……」
その時、傍らに立っていた国家魔術師たちが、唐突に飛び出した。
「よくもヴェルジュ様を!」
「即刻そいつを捕らえろ!」
崇拝しているヴェルジュが倒されたことで、多くの術師たちが激昂していた。
身体強化魔法による俊足で、元凶であるプラムの元へ駆けて行く。
だが……
「――っ!?」
瞬き一つの間に、プラムが皆の視界から消え去った。
直後、飛び出して行った一人の国家魔術師が、強烈な衝撃を浴びて後方へと吹き飛ぶ。
釣られてそちらに視線をやっている間に、また一人の国家魔術師が吹き飛んで、立て続けに仲間たちがやられていった。
やがて飛び出した十数名の魔術師たちが意識を奪われると、それを成した少女が音も無く元の場所へと戻って来る。
(……速い。それも規格外に)
身体強化魔法を使った国家魔術師を、軽く凌駕するほどの素早さ。
加えて魔法によって頑強になっているはずの彼らを、一撃で無力化してしまうほどの膂力。
国家魔術師たちが先の戦いで消耗していたからと言って、もはやそれが関係ないほど圧倒されていた。
「そんなボロボロの体で私に勝てると思ったの? どこまでも愚かな連中ね」
脅威的な強さを目の当たりにさせられて、国家魔術師たちの間に絶望感が迸る。
下手に動けば今のように瞬く間に倒されてしまうと思い、皆はその場で立ち止まることしかできなかった。
ヴェルジュ・ギャランが万全の状態でこの場にいれば、と思わずにはいられない。
「ヴェルジュ・ギャラン。さすがに真っ向から勝負するのは厄介な相手だったから、兄との歪な関係を利用させてもらったわよ。おかげで派閥の連中も消耗させることができたし、本当に正解だったわね」
そんなプラムの呟きに、北部襲撃隊の魔術師たちがハッと息を呑む。
「まさか、我々に南部襲撃隊をけしかけたのは……」
「すべて、貴様の仕業だったのか……!」
「この状況でそれ以外に何が考えられるのよ? あいつらの異常な様子、あんたらも見たでしょ」
プラムは肩をすくめながら嘲笑を浮かべる。
「第一王子のシャン・ギャランが、術師序列のせいで王座が危ぶまれてるのは知ってたから、魔素増幅薬を無理矢理に飲ませて暴走を引き起こしたのよ。そしたら予想通り、目の敵にしてる第二王子派の連中に襲いかかって行って傑作だったわ」
「……っ!」
その事実を受けて国家魔術師たちは怒りを抱く。
やはりあの異常な様子は、魔素増幅薬による暴走状態だったのだ。
しかもそれをけしかけたのは、目の前にいるプラム。
南部襲撃隊の魔術師たちに無理矢理に薬を服用させて、強引に暴走を引き起こした。
既出の情報によれば、服用者は感情に左右されて暴走を加速させるとのことらしく、マロンを襲ったマイス・グラシエールも、彼女の存在を邪魔だと思っていてそれが暴走の火種になった。
第一王子派が第二王子派を過剰に敵視していることを、プラムに上手く利用されて同士討ちを強制させられたらしい。
「ふ、ふざけたことを……!」
不本意な争いを強いられたことで、皆は憤りを見せている。
シャン派の魔術師たちと対立していたのは事実だが、第三者によって争いを引き起こされたというのは許されないこと。
そのため先刻の魔術師たちと同様に、怒りに任せて攻撃してしまいそうになっていたが、プラムに一瞥されて身を強張らせた。
ここから動くことができない。どこから攻めればいいかわからない。
無闇に手を出したら、その瞬間に首を落とされてもおかしくない状況だ。
(プラムちゃんのあの強さは、いったい……)
プラムは貴族の血筋で、将来は国家魔術師になるという夢を持っていた。
幼い頃から魔法についての勉学も行なっていたが、ミルが引き寄せてしまった魔獣の毒液を浴びて魔素不全に陥った。
魔素が麻痺して正常な働きをせず、魔法が使えない身になったはずだが、彼女は国家魔術師を圧倒するほどの身体能力を見せている。
あれだけの動きを実現するには、身体強化魔法を施す以外に方法はないはず。
しかし魔法を使えないプラムがどうやって……? まさか素の身体能力であれほどの力を……?
「くだらないお喋りはもういいわ。ほらあんたたち、さっさとその術師序列一位を殺しなさい」
「……」
ヴェルジュさんの近くに立っているミストラルの兵士たちに、プラムは指示を送る。
それを受けた彼らは、戸惑ったように顔を見合わせた。
直後、こちらも驚きの返答が飛び出してくる。
「で、できない」
「はっ?」
「この人を殺すことはできない」
「……いったいどういうつもりかしら?」
プラムとミストラルの間に、強い緊張感が走る。
「この人は、魔力値のない人間にも価値があると言ってくれた。それにこの人たちは、こんな俺たちを庇いながら戦ってくれたんだ……!」
「魔術師は憎いし、魔術国家は嫌いだ。でも、この人たちに刃を向けることはもうできない」
思わぬ改心に、プラムのみならず国家魔術師たちも言葉を失う。
先ほどまでの戦いは、無駄じゃなかったのだ。
ヴェルジュがかけた言葉は、ちゃんと彼らの心に届いていたのだ。
今の国家は偏った考えを持っている。しかしそれを否定する魔術師たちも大勢いる。
そしてヴェルジュ・ギャランという存在が、今の魔術国家を変えてくれると信じてくれたのだ。
「ヴェルジュ・ギャランが王になれば、今の間違った価値観を正してくれる……!」
「俺たちが戦う必要はもう無くなったんだ! ヴェルジュ・ギャランが俺たちの前で、王を目指すと宣言してくれたから……」
――刹那。
ドゴッ!
ミストラルの兵士の一人に、拳大の岩が投げつけられた。
それは額に直撃し、鈍い音を響かせながら空中で砕け散る。
「あっ……があっ……!」
「寝ぼけてるみたいだから、ちょうどいい目覚ましになったでしょう?」
プラムはいつの間にか拾い上げていた岩を投げつけたようで、兵士は額から血を滲ませていた。
それに憤りを覚えて兵士たちはプラムを睨みつけるが、それ以上に鋭い眼光を返される。
「魔術師連中の言うことに耳を傾けてんじゃないわよ。この世界はアリメント様の言うことがすべて。魔法に縋って生きる魔術師は一匹残らず根絶やしにするのよ」
プラムはさらに目を細めると、眼光と共に殺気を放った。
「ミストラルの意思を忘れたとは言わせないわよ。それとも忘れてるようなら、思い出すまで殴り続けた方がいいかしら?」
脅迫とも取れるそんな言葉を聞き、兵士たちはぐっと息を詰まらせる。
彼らもプラムの実力を重々承知しているようで、強く言い返せない立場のようだ。
ミストラル内に明確な階級などはないと聞いているが、この様子を見るにプラムが事実上の戦力トップということらしい。
それでも、ミストラルの兵士たちは……
希望の光であるヴェルジュ・ギャランを庇うように、プラムの前に立ち塞がった。
「……そう、それがあんたたちの答えってわけね」
まるで想定していなかった反乱が起こり、プラムの額に青筋が走る。
瞬間、彼女の全身から凄まじい殺気が迸り、寒気にも似た緊張感がこの場を満たした。
「なら、全員ここで死になさい……!」
その声と共に、プラムが一歩を踏み出しかけた、その時――
「【運命の悪戯】!」
「――っ!?」
いつの間にか詠唱を終えていたサチが、唐突にプラムに迫って行った。
確実に魔法を当てるために、プラムの方へと接近し、光る右手を限界まで伸ばす。
プラムが動き出すより早く、拘束魔法をかけるつもり、だったようだが……
プラムの超人的な反応が、僅かにサチの動きを上回った。
サチの右手から放たれた光球は、紙一重でプラムに回避される。
それによってプラムの頬に笑みが滲みかけるが、サチはそれだけで止まらない。
走り出した勢いのままに、プラムに蹴りを繰り出した。
続け様に放たれた二撃目が、今度こそ確実にプラムを捉える。
「ぐっ……!」
サチの神速の蹴りが、プラムを彼方まで吹き飛ばす。
それによって生まれた一瞬の隙に、サチが声を張り上げた。
「全員上層に逃げて!」
「……サチさん」
「私が食い止めてる間に早く!」
サチのその判断は正しいと言える。
現状、プラムに勝てる手段はおそらくない。
唯一その可能性を持っていたのがサチくらいだったが、先刻の不意打ちを回避された時点で希望は潰えた。
あのサチですら捉え切ることができない強敵。
加えて国家魔術師たちも激しく消耗している。
ここにいれば全員が殺されることになり、こちらには逃亡という選択肢しか残されていなかった。
その足止めをサチが務めるのも最適解だと言えるだろう。
彼女は他の魔術師たちと違って、確率魔法の【星の巡り合わせ】で魔素消費をせずに魔法を使える。
そのため襲撃隊の中で最も魔素の余力が残されており、【ひと時の平和】の効果もあって無傷で済んでいる。
彼女以外、プラムを食い止められる人物はここにいなかった。
サチもそれを理解して、自ら足止めを買って出たということである。
「――っ!」
国家魔術師たちは一瞬だけ唇を噛んだが、すぐに後ろを振り返って出口を目指し始めた。
ここはサチに任せるしかないと判断したのだろう。
ヴェルジュと同様、傷付いて倒れている仲間たちも大勢いて、このまま戦闘に入れば確実に巻き込んでしまう。
複数の犠牲者を出さないためにも、国家魔術師たちは倒れている仲間たちを背負って後方へと駆け出した。
同じくプラムに排除宣告をされたミストラルの兵士たちも、慌てて国家魔術師たちの後に続く。
「そう簡単に逃げられると思って……!」
逃亡を図る標的たちを追いかけようとしたプラムだが、その前にサチが立ち塞がる。
邪魔だと言わんばかりに拳を振るったプラムだが、サチはプラムのその一撃を片手で防いだ。
確率魔法の【火事場の馬鹿力】によって底上げされた身体能力が目覚ましい。
しかしプラムの力も凄まじく、何より戦闘技術の面で大きな差があるため、サチは次第に近接格闘で押され始めてしまった。
確率魔法を発動させようにも、プラムが執拗に詰めてくるためその隙を与えてもらえない。
魔術師の潰し方を、完璧に心得ている者の動き方。
(それでしたら……!)
ミルは横を走り抜けて行く魔術師たちとすれ違いながら、サチとプラムを目指して駆け出した。
「【降り積もる白雪――純白の花壇――氷雪の底から咲き誇れ】――【氷華の薔薇】!」
ミルがかざした小杖の先に、水色の魔法陣が展開される。
そこから蛇のように氷の蔓が伸びて、サチの脇を通り抜けながらプラムに襲いかかった。
ミルの接近に気が付いていたプラムは、すかさず後退して危なげなく躱す。
一方でサチはミルが来たことに驚いたのか、意外そうな顔でこちらを振り向いた。
「ミル!? ミルも早くここから――!」
「私にはまだ、やるべきことがあります……!」
皆と一緒にここから逃げて、一度体制を立て直すのが先決だとは思った。
けれど彼女を前にして、黙って立ち去ることなんかできない。
大切な幼馴染を前にして……
「いい度胸じゃない。あんたは最後に回したかったけど、そんなに死にたいなら今ここで楽にしてやるわ」
哀しき戦いが始まる。