ミストラル制圧作戦が開始された。
討伐隊は無益の森に突入し、魔獣たちを討伐しながら順調に進んで行く。
森はかなり広大で、目的地の地下迷宮の入口までそれなりの時間を要するかと思われたが、国家魔術師たちの目覚ましい活躍によって早々に辿り着くことができた。
そして私たちは北部襲撃隊と南部襲撃隊に分かれて、二つの入口からそれぞれ迷宮内部へと侵攻して行く。
「国家魔術師の連中が攻めて来たぞ!」
「第三層へは進ませるな!」
私とミルが配属された北部襲撃隊は、現在第二層まで進んでいた。
岩肌に覆われた洞窟のような道を、壁に掛けられた魔道具の灯りを頼りに侵攻して行く。
第一層の魔獣層では魔獣を警備の代わりに放っていたが、魔獣討伐の専門家でもある国家魔術師たちの前では意味をなしていなかった。
むしろ厄介なのは、ミストラルの構成員の方。
基本的に無力化が大前提となっているため、大怪我をさせないようにこちらが気を遣う必要がある。
死に至らしめてしまう魔法は当然禁止。私も即死魔法ではなく拘束魔法と身体強化魔法だけで無力化を試みなければいけない。
そういう好き勝手に魔法を使えない状況で、対して向こうはこちらの知らない未知の魔道具を使って応戦してくるのだ。
ぶっちゃけやりづらい。
私も構成員たちと対峙して、“燃える長剣”やら“痺れる槍”を掻い潜りながらなんとか拘束を行っていた。
「これが魔道具の兵器……」
魔素の力を借りて発動する“魔法”とは性質が異なるため、私の【ひと時の平和】で無効化することができない。
事前に身体強化魔法の【火事場の馬鹿力】を使っているとはいえ、さすがにこれらの魔道具を生身で受けるのはかなり厳しいだろう。
相手が魔術師だったら、なんの苦労もしなかったんだけどなぁ。
それに加えて……
「魔素の調子とかどう? みんな心なしか辛そうな顔してるけど」
「体調的な違和感はないんですけど、やっぱりいつもより魔法の威力が弱まっているように感じます。特に第三層に近づくにつれて、さらに魔素が小さくなっている気がします」
ミルは自分の手元を見下ろしながら、困ったように眉を寄せていた。
これが魔素収縮具の効果。
目に見えない毒煙のせいで、魔術師たちの魔素を小さくされているのだ。
これが地下迷宮全体に広がっている限り、魔術師たちは本領を発揮することができない。
私の確率魔法は魔素の“大きさ”ではなく“輝き”が重要になるから、魔素収縮具の影響を受けないけど、他の魔術師たちからしたら煩わしいことこの上ないだろう。
やはりみんなどこか、本調子が出せないせいか度々毒吐く姿が見える。
と、ここまで様々な悩みの種を語ってはきたが、それでも北部襲撃隊は順調に第二層の中腹まで進むことができている。
その最もたる理由は……
「な、なんだよこいつ……!」
「なんでこいつだけ、詠唱無しで……!」
常に集団の最前線に立ち、部隊を牽引してくれる頼もしい人物がいるからだ。
北部襲撃隊の指揮官を務めている術師序列一位の国家魔術師――ヴェルジュ・ギャラン。
ヴェルジュさんは絶え間なく、火球の魔法や稲妻の魔法などを速射し続けて構成員たちに圧を掛けている。
魔素を収縮されて魔法の威力が低下している分、圧倒的な手数の多さでそれを補っているのだ。
「……すごい」
基本的に魔法は、体内にいる魔素に式句という形で命令を聞かせることで発動が可能になっている。
ゆえにこのように速射し続けるなんて芸当はできるはずもないのだが、彼にはそれができてしまう。
無詠唱魔法を使えるヴェルジュさんなら。
通常は口に出して唱える必要のある式句を、頭の中で唱えることで魔法を発動させる技法。
口に出すより断然早く魔素に命令を聞かせることができるため、通常以上の速度で魔法の連発が可能になっているのだ。
魔術学園の在校生――三年特待生のクロスグリ先輩が無詠唱魔法の使い手だけど、実際にこれを間近で見るのは初めてである。
そして術師序列一位――現代最強の魔術師として名高いヴェルジュさんの凄さは、これだけではない。
「投降するなら手荒な真似はしないんだけど、仕方ないな」
真に驚愕すべきは、その無詠唱魔法を応用した独自の“魔法技術”。
無詠唱魔法による圧力をかけても、いまだに好戦的な態度を見せる連中に、いよいよヴェルジュさんは本気を出した。
「【轟く雷鳴――曇天からの稲妻――地上の悪鬼を滅却せよ】――【約束された雷光】」
刹那、足元から小さな水の波が発生し、同時に迷宮の天井からバチバチと雷が落ちて来た。
その二つが交じり合ったことで“帯電する波”へと変貌し、ミストラルの構成員たちの足元を呑み込んでいく。
「ぐ、ああああぁぁぁ!!!」
波を伝って電撃を浴びた連中は、糸の切れた人形のように力なく地面に倒れた。
本来であれば直撃させるのが難しい落雷魔法を、水属性の小波魔法に乗せることで敵を殲滅する。
魔法と魔法を掛け合わせて、まったく新しい魔法へと昇華させる芸当。
これが現在、術師序列一位のヴェルジュ・ギャランのみが習得していると言われている唯一無二の技法――
多重詠唱。
噂によると、詠唱魔法と無詠唱魔法を同時に発動させることで、魔法の融合が可能になっているとか。
その組み合わせはまさに無数にあり、ヴェルジュさんは独自の強力な魔法を千種以上も生み出しているらしい。
魔力値が低いと言われているヴェルジュさんも、多重詠唱によって強力な魔法を発動することが可能になっているため、現在の地位に昇り詰めることができたのだとか。
紛れもない奇才である。
同時に、現在の魔力至上主義の魔術国家を否定するような存在でもある。
第二層中腹にいた構成員たちが一瞬にして無力化されて、改めて術師序列一位の凄さを痛感していると、その視線に気が付いたヴェルジュさんが私に声を掛けて来た。
「多重詠唱を見るのは初めてかい?」
「は、はい……。あんなに魔法が強力になるんですね」
「うん。だからなるべくは対人戦闘で使いたくはなかったんだけど、連中もかなりしぶといし、今は魔素も収縮されているから多少は威力も弱まるからね」
そっか、魔素収縮具の影響を受けてこれなんだよね。
本来の魔素の大きさで多重詠唱を使ったらどうなるんだろう?
対人戦闘で使うことを躊躇っている様子から、相当な威力になるんだと思うけど。
「今のところは俺以外にできる魔術師がいないみたいだから、珍しく思うのも当然だと思う。けど最近は才能のある若い子たちが多いから、きっとすぐに俺よりもすごい魔術師が生まれると思うよ」
ヴェルジュさんはそう謙遜しているけれど、世に魔法という存在が知れ渡ってからすでに何百年と経過している。
だというのに多重詠唱を使える人間は、これまでにヴェルジュさん一人だけしか記録されていない。
だからそう簡単に同じ逸材が生まれるとはとても思えない。
そんな会話をしていると、不意に後ろから別の人物が声を挟んで来た。
「どうやって多重詠唱をやっているんですか? コツとかあれば教えてほしいんですけど」
「コツ?」
真剣な様子でヴェルジュさんに尋ねたのはミルだった。
術師序列一位の人に質問するなんて、ミルとは思えない度胸である。
それほどまでに向上心が強く、魔術師として成長したいと思っているということだろう。
人見知りゆえに、やっぱりまだ手とか震わせちゃってはいるけどね。
「コツかぁ。そう言われると難しいんだけど、そもそも多重詠唱は無詠唱魔法を応用しているっていうのは知っているかな?」
「は、はい」
「体内の魔素に詠唱という形で命令を聞かせて魔法を発動させる“詠唱魔法”。心の中で魔素に語りかけることで魔法を発動させる“無詠唱魔法”。この“実際の声”と“心の声”の二つを、同時に魔素に聞かせることで、魔法の複合を可能にしているんだ」
ここまでは知っていたかな? と首を傾げるヴェルジュさんに、ミルはこくこくと頷き返す。
私も貴重な機会だからと、続くヴェルジュさんの声に耳を傾けた。
「魔素は“実際の声”と“心の声”を聞き分けているらしいから、口と心で二つの式句を詠唱した場合、魔素は二重に魔法を発動させてくれるんだ。でも、それぞれ正確に詠唱ができなきゃ魔法の複合は成功しない。だからコツらしいコツと言うか、効果的な練習方法なんだけど……」
ヴェルジュさんは言葉を選ぶように考え込んでから、私とミルに練習の仕方を教えてくれた。
「『頭の中で歌を歌いながら、別の歌を口ずさむ』、っていう練習をしてごらん」
「あ、頭と口で、別々の歌を……?」
「頭の中では“誕生日の歌”を流して、口では“国歌”を歌う。これ、意外とできる人いないみたいなんだよね」
確かに頭と口で別々の詠唱をするわけだから、歌を別々に歌う感覚と似ているのか。
でも、試しに少しやってみたけど、まるで成功する気がしなかった。
頭で誕生日の歌を流しているのに、口では国家を口ずさむなんてとんでもなく難しい。
必ずどちらかが疎かになったり歌詞が詰まったりする。
これを魔法式句に変えて正確に詠唱することができたら、ヴェルジュさんみたいに多重詠唱が使えるようになるのか。
そもそも無詠唱魔法一つを成功させるだけでも一苦労なので、これは一朝一夕でできる技ではない。
完全に努力のたまもの。
毎日魔法の訓練をして真剣に魔素と向き合うことで、詠唱魔法と無詠唱魔法の同時発動という神業を会得したんだ。
他の魔術師たちより魔力値で劣っている分、技術を極限まで磨き上げることで序列一位に昇り詰めた努力の天才。
現代最強の魔術師は伊達じゃないってことだね。
「どう、参考になったかな?」
「は、はい。教えていただいてありがとうございます」
私としては参考になるどころか心を挫かれてしまったけれど、ミルはそんな様子もなくお礼を言っていた。
それから頑張って多重詠唱の練習をしている。
そもそも無詠唱魔法から習得しなければいけないわけだから、道のりは遠そうだけど。
でも、ミルも努力家さんだから、もしかしたらいつか本当に成功させるかもね。
「まあ、もし君が多重詠唱を習得しても、無闇に人に向けて使わないようにね。多重詠唱は純粋な足し算じゃなくて掛け算に近いものらしいから、魔法の組み合わせによっては本来の魔力値の三倍や四倍の数値を検出することもある。だから扱いには充分に気を付けて」
そんな忠告までしてくれたヴェルジュさんは、他の国家魔術師たちが構成員を拘束し終えたのを見て、再び部隊を前進させてくれた。
「よし、それじゃあこのまま第三層を目指して進んで行こう。そこで魔素収縮具を破壊することができたら、こちらが圧倒的に優勢になる。みんな、もう一踏ん張りだ」
その鼓舞に背中を押されるように、北部襲撃隊は疲れを振り払って奥地へ進んで行く。
それから第二層ではミストラルの構成員が立ちはだかって来ることはなく、私たちは問題なく第三層へ下りることができた。
まさかこのまま何事もなく魔素収縮具を破壊できるのか、と淡い期待を抱いてしまったけれど……
「ま、そんな上手くはいかないよねぇ」
第三層では、第二層の倍以上の構成員たちが、完璧な武装をして待ち構えていた。