「ヒィンベーレ先生!」

「んっ?」

 一年C組担当教員、ヒィンベーレ・セジール。
 彼は、多くの生徒から厚い信頼を得ている。
 魔術学園の教師は堅苦しい性格の者が多く、生徒と必要以上に距離を詰める者は少ない。
 しかしヒィンベーレは、そんな中で珍しく生徒と親しい距離感を作り、教師陣の中では異彩を放っている。
 困っている生徒には、学年クラス問わず積極的に声を掛け、学業以外の悩み事の相談も快く引き受けたりしている。
 その結果、男子生徒たちからは大いに慕われて、女子生徒の中には恋心を抱く者も。
 そんな絵に描いたようなイケメン熱血教師は、今日も今日とて学園の女子生徒に声を掛けられていた。

「ヒィンベーレ先生! この後ウチらの部屋で星華祭のプチ打ち上げするんだけど、ヒィンベーレ先生も来てよ!」

「中止になっちゃって残念会、みたいな感じだけどさ! 女の子結構呼んでるよー!」

「あのな、冗談はそのくらいにしておけよ。女子寮に男性教員が立ち入ったなんて知られたら、大目玉どころじゃないんだぞ」

 ヒィンベーレは赤茶色の短髪を掻きながら、呆れ笑いを端麗な顔に浮かべる。
 するとヒィンベーレに反応を返してもらった女子生徒たちは、声を揃えてキャッキャと嬉しそうにはしゃいでいた。
 ヒィンベーレにとっては見慣れた景色である。

「何より俺はまだ星華祭の後始末が残っているんだ。ただでさえ一大事があった後なんだ、打ち上げに参加している暇もない。君たちもこれ以上、変な事件に巻き込まれないように、早く寮に戻るんだぞ」

「「はーい!」」

 打ち上げの開催自体には難色を示さず、最低限の注意だけをして寮に帰らせた。
 他の教師が聞いていれば即座に反対されるだろうことも、寛容に見過ごしてくれる先生。
 生徒にとってこれほど“いい先生”も他にはいない。
 これが多くの生徒たちから慕われている一番の理由だった。
 それからヒィンベーレは、星華祭の競技で使用した道具を仕舞いに校舎裏の倉庫に向かった。
 扉を開けて中に入ると、ちょうどそのタイミングで後ろから声を掛けられる。

「あ、あの、ヒィンベーレ先生」

「んっ?」

 振り返ると、そこには見知った人物が立っていた。
 背丈が低く、小動物のようにつぶらな瞳をしている、黒髪ショートボブの大人しめな印象の女子生徒。
 先刻のヤンチャな女子生徒たちとは対照的な子である。
 一年C組所属の生徒、スリーズ・バルデ。
 ヒィンベーレの担当しているクラスの生徒である。

「スリーズ君か。君も早く寮に戻った方がいい。星華祭であのような事件があったばかりなんだからな。もう友達も帰ってしまったということなら、俺が寮の前まで送って……」

「ヒィンベーレ先生、あのお話、覚えてくださっていますか?」

「……」

 唐突に話を変えられて、ヒィンベーレは戸惑ったように眉を寄せる。
 あの話。それが何を指しているのか、言われずともすぐにわかってしまう。
 ヒィンベーレは星華祭の一週間前に、一年C組スリーズ・バルデから“告白”を受けているのだ。
 その時は、星華祭の準備が忙しいから話を聞いている時間がないと、遠回しに断りを入れた。
 それに対してスリーズは、星華祭の後に改めて話をさせてほしいとヒィンベーレに頼んでいた。
 なるべくその話を避けるために、スリーズとは若干の距離を開けていたが、どうやらその時が来てしまったらしい。

「星華祭が終わった後なら、私の話聞いてくれるって。私、本当に、ヒィンベーレ先生のことを……」

「……俺と君は教師と生徒だ。その垣根がある以上、恋仲にはなれないよ」

「――っ!」

 改めてきちんと断りの言葉を伝える。
 伝える方も伝えられる方も苦しくなるとわかっている以上、この話はなるべく避けたいと思っていた。
 しかしスリーズの想いが本物で、真剣な交際を望んでいるとわかった今、だからこそちゃんと断ろうとヒィンベーレは踏ん切りをつける。

「教師として信頼してくれていることは素直に嬉しい。だから俺は教師として、最後まで生徒であるスリーズ君の成長を学園で見届けたいと思っているんだ」

「……」

 スリーズは涙を滲ませて、すすり泣く声をこぼし始める。
 ここは校舎裏の倉庫内なので、他には誰もいない。
 泣いても誰にも見られることがないため、スリーズの瞳からは遠慮なく大粒の涙がこぼれていた。
 その涙を止めるために、ヒィンベーレは再び口を開く。

「……それと、これも一応伝えておく」

「えっ……?」

「何もスリーズ君が、女性として魅力がないと言っているわけではないよ。君の優しさや魅力は、担当教員として何度も目にしてきている。同学年の生徒として学園に通っていたら、不覚にも目で追っていたかもしれない」

「……」

 発言に最大限に気を付けた、精一杯の慰めの言葉。
 それはスリーズの心に届いたようで、彼女は気が付けば涙を止めていた。
 ヒィンベーレは罪悪感が滲んだ顔で、続けて気遣う素振りを見せる。

「今は教師と生徒という立場上、恋仲になることは難しい。だから、君が学園を卒業した後で、それでもまだ俺への気持ちが無くなっていなかったとしたら、また想いを告げに来てはくれないかな。その時は改めて、真剣に考えさせてもらう」

 卒業まであと二年と少し。
 それまでたった一人の教師を好きで居続けられる女子生徒はなかなかいない。
 大抵は同じ学園に通っている、気の合う生徒に恋心が傾いたりするものだ。
 しかし他の生徒にも目が映らず、卒業しても気持ちがそのままだったとしたら、ヒィンベーレは改めて真剣に交際を考えると言った。
 その意図が伝わったようで、スリーズはまったくの脈なしではないとわかり深く微笑む。

「はい、お願いいたします!」

 笑顔を取り戻したスリーズは、教室で待っているという友人と寮に戻ると言って、その場を立ち去って行った。
 その後、ヒィンベーレは改めて倉庫内での作業を始める。
 上手く女子生徒を傷付けずに話を済ませる、完璧なる教師の鏡。
 僅かなる劣情も抱かず、真面目に仕事と生徒の両方と向き合う、理想の先生を体現したような人物だった。
 そんなヒィンベーレは、一人になった倉庫で、不意に顔を俯ける。

「クッ、ハハッ……クハハッ……」

 不意に、口の端から、不気味な笑い声をこぼす。
 瞬間、ヒィンベーレは突如として顔を歪ませて……
 スリーズの立ち去って行った方に、蔑むような目を向けた。



「バーカ、誰がお前みたいな(アマ)と付き合うかよ」



 心の底からの嫌悪感が、声となって倉庫内に響き渡った。
 ヒィンベーレは全身に走る悪寒を取り払うように、身震いをして舌打ちを漏らす。

(国家魔術師の卵なんざこっちから願い下げだ。わざわざ倉庫まで追いかけて来やがって気持ちわりぃな)

 先刻の優しくて親しみやすい教師の姿は見る影もない。
 そこには、国家魔術師を嫌悪し、同時に学園の生徒も毛嫌いする憎しみの塊が立っていた。
 ヒィンベーレは先ほどの告白を思い出し、不快そうに顔をしかめる。

(まあ、この学園で怪しまれずに過ごそうとするなら、ああいうのは避けられねえ障害だな。そこは割り切るしかねえ)

 自分に言い聞かせるように心中でそうこぼし、人知れず小さく頷く。

(逆に言えば、これは生徒たちからも多大な信頼を得られてる証拠でもある。この調子で行けば、誰にも勘づかれずに“魔術学園を内部から切り崩す”のも難しくはねえ)

 自らが思い描いていた通り、善良な教師として学園に溶け込むことができている。
 不自然さの欠片もない、完璧な魔術学園の教師の一人。
 その実態は、まったく別の組織の人間だった。

(たった一人でそれを成し遂げたとなりゃ、“ミストラル内”での俺の地位も格段に跳ね上がる。そして俺が手ずから魔術国家を終わらせることだってできるに違いねえ……!)

 一年C組担当教員、ヒィンベーレ・セジール。
 それと同時に彼は、反魔術結社ミストラルの諜報員でもあった。
 魔術学園を内部から崩すために送られた人材で、これまでもあらゆる手を使って学園にちょっかいをかけてきた。
 入学試験では魔獣を異常成長させて、期末試験では魔素の働きを阻害する特殊な道具を使い、星華祭では魔素を暴走させる薬を一人の男子生徒に渡した。
 他にも過去、同じような悪事を陰ながら行ってきた内通者である。
 国家魔術師に多大な恨みを抱えている彼は、長年この魔術学園に潜伏して魔術国家転覆のために死力を尽くしてきた。
 いい先生を演じていたのも、怪しまれずに学園内に居座り続けるためである。
 そんなことを知る由もない生徒たちは、ヒィンベーレを善良な先生だと疑いすらもせず、すべて彼の思惑通りになっていた。

(呑気にくだらねえ友達ごっこや恋愛ごっこにうつつを抜かしてろ。お前らの楽しい学園生活も、爽やかな青春も、一瞬にして地獄に変えてやるからよォ!)

 近々始まるだろう魔術国家とミストラルの抗争に乗じて、今度こそ完全に魔術学園を崩壊させる。
 それで魔術の時代は終わりを告げ、世界を牛耳ったミストラルで、ヒィンベーレは上の地位に昇り詰めるつもりでいた。
 それが実現した時のことを思い、ヒィンベーレは内心で盛大な高笑いを響かせたのだった。
 ――刹那。



「【運命の悪戯(フォル・トゥーナ)】」



 バチッ! と背中に電流のような感触が迸る。
 その直後、全身が強烈な痺れに襲われて、ヒィンベーレは声を上げることもできずに倒れた。
 倉庫内の冷たい床の感触を味わいながら、ヒィンベーレは激しく困惑する。

(な、何が、起き……!?)

 その時……
 倉庫の出入り口の方に、誰かが立っているのが見えた。
 懸命に目を動かしてそちらに視線を向けると、その人物が学園の生徒であることがわかる。
 スカートタイプの制服で、青い差し色からして一学年の女子生徒。
 その少女はヒィンベーレの目の前で身を屈めると、銀色の髪を耳に掛けながら、勝気な笑みをその童顔にたたえた。

「少し、一緒に来てもらいますね、ヒィンベーレ先生。いや…………内通者さん」

「……」

 この長年、疑いの欠片すら抱かれなかったヒィンベーレが……
 あまりにも突然に、その正体を看破されて拘束されてしまった。

(な、なんで……なんでわかったんだッ!?)