思わず自分の耳を疑った。
私が実家から追い出される原因を作った兄が、あろうことかその家に戻って来いと言ってきたのだ。
その理由を、マイスは真剣な声音で話し始める。
「にわかには信じられないが、貴様が家を追われた直後から不自然に不幸が続出した。貴様の幸運値が異様に高いことからも、深い関係性があると私は睨んでいる」
周りの先生たちは会話の内容を理解できていないようで、困惑したように顔を見合わせている。
そんな中で私は、握りしめた拳にさらに力を入れながら、黙ってマイスの声を聞き続けていた。
「貴様が戻って来れば、グラシエール家の問題はすべて解決するのだ。一度は父に追放された身だが、そこは私が説得を試みる。貴様も侯爵家の地位に戻ることができて互いに利があるだろう。だからサチ、グラシエール家に戻って来い」
「……」
マイスの見えざる手が、こちらの手を取るように差し伸べられた気がする。
確かに私が実家に戻れば、グラシエール家を取り巻く不幸は改善される可能性が高い。
けれど……
あまりにも身勝手なその勧誘に、私は思わず口汚い言葉をこぼしてしまった。
「ふざ、けんな……!」
握りしめていた拳を振り上げそうになりながら、私は怒りのままに口を動かす。
「あの家に戻って来いですって……? 寝言は寝てからいいなさいよ。魔力値がなかっただけで面汚し扱いされて、屋敷の隅の小さな部屋でボロ布みたいな服着せられて、まともな食事一つ取らせてもらえなかったあの家に、今さら戻るわけがないでしょ」
そもそも、誰のせいで追い出されたと思っているのか。
そのことを今一度問い質してやりたいと思っていると、あろうことかマイスは驚いたように目を見開いていた。
「こ、侯爵家の地位が惜しくはないのか……! 貴族に返り咲く機会など、この先二度とないかもしれないのだぞ……!」
「お生憎様、私は地位なんかに微塵も興味はないのよ。そんなもの無くたって今は楽しくやってるし、私には大切な家族だってもういるんだから」
脳裏に優しい笑顔のマルベリーさんと、温かな森の家の景色が滲んでくる。
私にはもう、他に大切な家族がいる。
帰るべき家がある。
地位なんか無くたって、優しい家族と友達がいるのだから、今さらそんなもの欲しくもなんとも思わない。
「貴様、グラシエール家に育てられた恩も忘れたのか……!」
「育てられたって、あの育て方に恩を感じろって方が無理があるでしょ。兄妹で明らかな待遇の違いもあって、私はおもちゃの一つも与えてもらえなかった。ねえ、硬くて冷たい床の上で、灯り一つない暗闇の中で寝る感覚が、優遇されてたあんたにわかる?」
十年前の幼子時代の辛かった記憶が、ふつふつと脳内に蘇ってくる。
魔力値が低いからという、それだけの理由で、明らかな冷遇を受けていた時代。
優遇されている兄の姿を、遠巻きから羨ましげに見ていることしかできなかった。
果てには壺を割ったという濡れ衣を着せられただけで実家を追放される始末。
育てられた恩を感じろ? バカも休み休み言え。
「恩知らずの愚妹がァ……! グラシエール家に戻ることを許してやっているというのに……」
「グラシエール家がどうなろうと、私の知ったことじゃないのよ。そもそも私はもうサチ・マルムラードだし、関係ない家のことなんか全然興味ない。だから……」
私は改めて、蔑むような目つきでマイスを睨みつけた。
「滅びるっていうんだったら、勝手に滅びてなさいよ、バーカ」
「……」
冷え切った目でマイスを見ると、奴は呆然とした様子で固まった。
どうやら本気で私を連れ戻せると思っていたらしい。
しかし生憎、こっちから願い下げである。
今一度そのことをわからせてやった後に、私は遅まきながら話を変える。
「ていうかそれ以前に、あんたはやるべきことがあるでしょ」
「や、やるべきこと……?」
「謝りなさいよ。星華祭を台無しにしたこと、私の友達を傷付けたこと、十年前に私に罪を擦りつけたこと、全部先に謝りなさい。普通、話はそれからのはずでしょ」
色々と順序が狂っているのだ。
こいつはまだ何一つ反省を見せていない。
私に罪を擦りつけたことはもういいとしても、星華祭で起こした事件についてはまず先に謝罪するべきだ。
星華祭の話題に戻ったことで、先生たちも再び前のめりになって耳を傾けてくる。
しかしマイスは、微かな笑みを滲ませて私を嘲笑った。
「謝れだと……? 何を言い出すかと思えば、幼稚な頭は今でも育っていないようだな」
「……どういう意味よ?」
「幼稚な貴様に教えてやる。目的のためならば手段を選ばないのが大人というものだ。私に謝罪をさせたければ無理矢理にでもその言葉を吐かせることだな」
ここまで追い込まれた状況で、よくそんな台詞が出てくるものだと逆に感心する。
そもそも無理矢理に謝罪をさせたところで、それには何の意味もありはしない。
「そして私は貴様とは違う。目的のためならば手段を問わない。必ずや貴様をグラシエール家に連れ戻してみせる」
いまだにその意思は固いようで、奴は金色の瞳をぎらぎらと燃え上がらせていた。
私が早々に考えを改めることは決してないというのに。
しかしすぐに、奴の言った言葉の意味を理解することになる。
「なに、難しいことではない。どうやら貴様は大層、“友達”とやらが大切なようだからな」
「はっ……?」
「その友達とやらにちょっかいを掛ければ、貴様も少しは従順になるのではないか?」
直後、マイスの狂ったような笑い声が屋内に響き渡る。
自白魔法を掛けられているせいで、思っていることが次々と口をついて出てしまっているのだろう。
マイスの悪意が湧き水のようにして溢れて止まらなかった。
私を実家に連れ戻すためだけに、そこまで考えるなんて……
気が付けば、自然と体が動いて、拘束椅子に座らされているマイスの襟に掴みかかっていた。
「これ以上、私の友達に手ぇ出したら、今度こそ本気であんたを……!」
怒りが溢れ出しそうになる中、後ろから学園長さんが声を掛けてくれる。
「案ずるなサチ・マルムラード。その者にこれ以上好きな真似はさせん。というか、それも無理になるじゃろう」
「えっ?」
マイスの襟から手を放して、後方を振り返ると、学園長さんは他の教師たちと頷きを交わしながら改まって言った。
「マイス・グラシエールよ。お主の処分についてじゃが、たった今取り決めさせてもらった」
「処分、だと……?」
「自白の内容から、生徒を傷付けたのは故意であると判断された。同時に危険性を承知しながらミストラルの企てに手を貸し、暴走事件を引き起こしたことも咎められるべき罪となる」
学園長さんは改まった様子で姿勢を正して、響くような声でマイスに告げた。
「二年C組マイス・グラシエール。この者は此度の星華祭において、反魔術結社ミストラルと共謀し、暴走事件を引き起こした。同時に故意的に同学園の生徒に重傷を負わせた。よって懲戒処分の対象となり、学園長アナナス・クロスタータの名の下に“退学処分”を言い渡す。即刻、この学園から出て行くがいい」
「た、退学、だと……!」
マイスの金の瞳が限界まで見開かれる。
よもや退学処分を受けるとは思わなかったのだろう。
しかし状況を省みてみれば当然のことだ。
「同時に国家魔術師連合に身柄を拘束されることになる。罪状は言わずもがなじゃな。一連の事件の聴取や服用した薬の成分調査など綿密に行われるため、数年かそこらで解放されるとは思わぬことじゃな」
「……」
マイスの顔が見る間に青ざめていくのがわかる。
直後、奴は激怒をあらわにするようにして、額に青筋を立てた。
「この、私が……! グラシエール侯爵家の跡取りであるこのマイス・グラシエールが……! ふざけるなよこの無能どもガァ!」
拘束椅子に捕縛された手足をバタつかせて暴れ出しそうになる。
それを察した私は、すぐさま右手を構えて魔法を発動させた。
「【賽は投げられた――神の導き――恨むなら己の天命を恨め】――【運命の悪戯】!」
黄色い光がマイスの額に当たり、痺れたように全身が硬直する。
それでも怒りの表情をそのままに、マイスはこちらを睨み続けていて、そんな兄に対して私は……
これまでの怒りをすべて乗せたような言葉を、冷え切った目と共に送ったのだった。
「さようなら、マイスお兄ちゃん」
「……っ!」
あの時と、逆転した配役。
今度は兄のマイス・グラシエールが、居場所を追い出される番になったのだった。
追放される側の気持ち、少しはわかったんじゃないかな。