「【清らかな夜の空――瞬く星々――私の明日を照らし出せ】」
右手の自分の体にかざして唱える。
「【星の巡り合わせ】」
瞬間、私の体に黄金色の光が宿って、それはすぐに収まった。
十万回に一回の確率で、魔素消費をゼロにして魔法を発動することができるようになる確率魔法――【星の巡り合わせ】。
幸運値は格段に高い私だけど、魔素の量は他の人と大した差はない。
私も魔素切れになる心配があるため、念を入れてこの魔法を使っておくことにした。
下手をしたら長期戦が予想されるかもしれないから。
「マロン……邪魔、者……! サチも、コロス……!」
その間にマイスは頭を抱えながら体を揺らして、直後に両手を構えて叫び声を上げる。
「ウ……ガアアアァァァァァ!!!」
マイスの両手から多種多様な魔法の数々が放たれた。
巨大な火球、強烈な雷撃、鋭利な突風、多量の水流、爆弾の岩石……
そのすべてが私の元に降り注ぎ、グラウンド全体に激しい衝撃が広げる。
辺りから悲鳴や戸惑いの喧騒が聞こえる中、土煙の中心で私はため息を吐いた。
「……無駄だよ」
どんな魔法も、私には一切通用しない。
どれだけ魔法を連発したところで、私には傷一つ付けることはできないんだから。
それでもマイスは狂ったように魔法を乱発してくる。
そのすべてを立ち尽くしたまま無効化している私は、少しの疑念を抱いて密かに眉を寄せた。
先ほどから数多くの魔法を放って来ているが、そのすべてが規格外に“強力”なものになっている。
それこそ学園一と言われているミルの魔力値を、遥かに凌駕するほど凄まじい威力だ。
確か他の暴走者たちも、測定した魔力値以上の力を発揮していたと学園長さんが言っていた。
魔素が極限まで膨張していて、その影響で実力以上の魔法が使えていると。
それらの特徴は他の暴走者たちとも一致するので、マイスも暴走者のうちの一人と断定してよさそうだ。
「……」
そこに疑念はなかったが、別の点について私は違和感を覚えた。
マイスは先ほどから、一切“詠唱”をしていない。
魔素に詠唱という形で命令を聞かせなければ、人は魔法を使うことはできないはず。
それなのに先ほどから詠唱している素振りはなく、魔素に命令を聞かせずに魔法を連発している。
「無詠唱魔法……?」
現状、生徒会長のクロスグリさんだけが自在に扱えるとされる高等技術――『無詠唱魔法』。
詠唱式句を口に出すのではなく心の中で唱えることで、魔素に命令を聞かせて魔法を発動する技法。
それならば口を動かすよりも早く、あらゆる魔法を高速で連発することだって可能……
いや、違う。
よくよく見ると、兄のマイスの体からは様々な魔法が垂れ流されていた。
火炎魔法、雷撃魔法、疾風魔法……
さらには、現状ではまったく役に立たない、“照明魔法”や“治癒魔法”も漏れるように発動している。
あれはどう見ても意図して発動しているものではない。
無詠唱魔法というよりも、魔素が宿主の意思を無視して、無作為に魔法を乱発しているような様子だった。
いわばこれは、魔素の暴走?
「ガ……アアアァァァ!!!」
マイスは落ち着く様子もなく、絶えず体から色々な魔法を解き放っていた。
魔素が身勝手に暴走をしているのなら、意図していない魔法が垂れ流しになっているのも説明がつく。
暴走者たちの魔素は原因不明の現象で極限まで膨張しているということなので、その影響とも考えられる。
ともあれどのような魔法を使ってくるかはまるで予想できないので、最大限注意をして取り押さえた方がよさそうだ。
私は【ひと時の平和】の効果が持続していることを確かめると、マイスに向かって走り出す。
そして以前に暴走者を止めた時と同じ手を使うために、詠唱を始めた。
「【賽は投げられた――神の導き――恨むなら己の天命を恨め】」
身体強化魔法の【火事場の馬鹿力】によって底上げされた脚力で、一気に間合いを詰める。
当然奴も魔法で迎撃してこようとするけれど、【ひと時の平和】の効果ですべて無効化。
一直線に兄のマイスに接近するや、私は懐に潜り込む。
確実に魔法を当てるために、奴の腹部に右手を伸ばし、触れた瞬間に魔法を発動させた。
「【運命の悪戯】!」
バチッ! と黄色い光が右手で弾けて、流れるようにマイスの全身に行き渡った。
直後、マイスは力なく地面に倒れる。
低確率で相手を拘束することができる魔法――【運命の悪戯】。
成功確率が著しく低い代わりに、成功すれば魔力値の差に関係なく相手を完全拘束することができる。
無事にその魔法が成功したようで、前と同じように暴走者を止めることができた。
と、思いきや――
「ガ……アアアァァァァァ!!!」
「――っ!?」
拘束したはずのマイスの体から、いまだに様々な魔法が漏れ出ていた。
火柱が立ったり、烈風が吹き荒れたり、地面を伝って電気が流れたり……
マイスの体内に宿されている魔素は、暴走を止めずに魔法を乱発させている。
「本人の動きを止めたのに、どうして魔法が……!?」
「どうすれば暴走を抑えられるんだ……!」
氷の障壁の向こうで、先生や魔術師たちが戸惑った様子を見せる。
宿主の意思を無視して膨張と暴走を繰り返している魔素。
そのため宿主本人の動きを止めたところで、体内の魔素は暴走をやめないようだった。
マイスの体から放たれた魔法は周囲に衝撃を与えて、ミルが作った氷の障壁にもヒビを入れ始めている。
このままでは辺り一面に漏れ出た魔法が広がって、負傷する人が出てしまうかもしれない。
一刻も早くこの状況をどうにかしないと。
「サ、チ……! 邪魔を、するナッ……!!!」
拘束魔法で体を縛られたマイスが、地面で悶えながらこちらを睨みつけてくる。
その視線に呼応するようにして魔法が飛来してくるが、私はそのすべてを無効化した。
「星華祭は、この私ガ……優勝をすル……! その、ために……マロンを、排除しなけれバ、ならないのダッ……!」
まだ僅かに残った自我から、マイスの本音がこぼれ出てくる。
それを耳にした私は、魔法が降り注ぐ中で強く奥歯を噛み締めた。
どうして兄のマイスがこのように暴走者の一人になってしまったのかはわからない。
もしかしたら重大な事件に巻き込まれた被害者側なんじゃないかと、密かに考えていた。
でも、ここまではっきりと口に出されたら、やはり認めざるを得ない。
この男は、自分の目的のために、“故意的”にマロンさんを傷付けたのだ。
その感情が精神暴走の影響で膨張して、実行に移してしまったのだろう。
「邪魔を、するなラ……! 貴様も、コロスッ!」
「……」
絶大な悪意と敵意を向けられる中、私は静かに憤りを募らせて拳を握りしめた。
実家から追い出される原因を作った男。
我が身可愛さに私に罪を着せて、自分だけ罰から逃れた狡猾な兄。
その時からも薄々わかってはいたが、やはりマイス・グラシエールはどこまでも自分勝手で性根の腐っている男なんだ。
「……誰の友達に手を出したか、その体にわからせてあげるよ」
私はゆっくりと、倒れているマイスに近づいていく。
降り注ぐ魔法を無効化しながら、マイスの目前まで迫ると、再び彼の体に触れて詠唱を始めた。
「【虚ろな昼下がり――雲間から覗く陽光――わらべを微睡みに誘え】」
マイスの暴走を止める方法がわからず、皆が頭を抱えている現状。
しかし、私には……
たった一つだけ、この男を静める手札があった。
「【憩いの子守唄】」
詠唱後、私の右手に青白い光が迸る。
それは瞬く間にマイスの全身に流れて、体を仄かに光らせた。
直後――
マイスの体から漏れ出ていた魔法が、前触れもなく、雨が上がるようにしてピタリと止んだ。
「ま、魔法が…………?」
「止まった、のか……?」
マイスの全身から溢れていた魔法が、突如として止まったことで、衆人たちは唖然とする。
グラウンド競技場が一瞬の静寂に包まれる中、ミルの張った氷の障壁がゆっくりと崩れていった。
やがて先生たちが恐る恐るといった様子でこちらに近づいて来て、倒れているマイスを注視しながら、驚いた様子で尋ねてくる。
「き、君、これはいったい、どうやって……?」
「なぜ、この生徒の魔法が、急に止まったんだ……?」
やはり先生たちの中にも、今の魔法を知っている人はいないみたいだった。
相変わらずの確率魔法の知名度に呆れながら、私は手短に説明する。
「この人の魔素を“眠らせて”、魔法を使えなくしたんですよ」
「ま、魔素を眠らせた?」
「対象者の魔素を眠らせて、魔法を使えなくさせる魔法があるんです。魔素が暴走してる感じがしたので、それを使って無力化を試みました」
「……」
魔素を眠らせた。
という言葉に理解が追いついていない様子。
それも当然で、そんなことができる魔法は他に存在しないから。
対象者の魔素を眠らせることで、魔法を使えなくする魔法――【憩いの子守唄】。
これも確率魔法の一種であり、成功確率が十万回に一回とかなり低いものになっている。
まあ、幸運値999の私が使ったら、相手の魔素を確実に眠らせることができる完全無力化魔法になるけど。
いつもは対人戦闘の場合、拘束魔法の【運命の悪戯】で決着させることが多いけれど、今回は状況が少し違ったのでこちらの魔法を使わせてもらった。
なぜいつも【運命の悪戯】を使っているのかというと……
「この魔法は力の加減が難しくて、私もまだ上手く扱えないんです。もしかしたら彼の魔素は、一ヶ月や二ヶ月、それこそ一年以上も眠り続けてしまうかもしれません」
「そ、それまで彼は、ずっと“魔法が使えない”ということか?」
「はい」
今までの対人戦闘で使わなかった第一の理由が、加減が上手くできないから。
魔素を眠らせる時間を決められないせいで、下手をしたら何ヶ月も“魔法を使えない体”にしてしまうかもしれないのだ。
この魔法を試す時、マルベリーさんの魔素を眠らせちゃって、一ヶ月くらい魔法が使えない体にしちゃったのは今でもよく覚えている。
「サ、チ……! 私に、何をしタッ……!」
「……」
地面で悶えているマイスを冷ややかな目で見下ろしながら、私は膝を折って顔を近づける。
そしてマイスの耳元に顔を寄せながら、ぼそりと無情な言葉を囁いた。
「これで少しは、私の苦しみもわかるんじゃないの…………マイスお兄ちゃん」
ろくに魔法が使えない無能と評されて、苦しみを味わった私は、同じ苦痛を与えるように兄を無力化したのだった。