二日目の競技が終わり、生徒たちは各々自由な時間を過ごしていた。
三日目に向けてクラスで打ち合わせをする者たち、早々と学生寮の自室に戻って休養を取る者たち、こんな時でも研究会や委員会での活動に注力する者たち。
そんな中でマイス・グラシエールは、教室で軽い打ち合わせを終えて、学生寮の自室へと向かっていた。
内心の焦りは表すかのように、足早に通りを進んでいる。
(くそっ……! くそっ……!)
二日目終了の時点で、二年C組の総合競技点は二十一クラス中三位となっていた。
二位は三年D組。生徒会長クロスグリを筆頭に優秀な生徒たちが集まっているクラスだ。
こことは大して点数差がないので、逆転は容易だと思われる。
しかし一位の一年A組とは、絶望的なまでの大差が生まれていた。
(このままでは……!)
たとえ三日目の競技ですべて上位を取っても、優勝に届くかどうかはわからない。
それこそ自分たちが一位を独占して、逆に一年A組が大きく失速しなければ、追い抜くことはできないだろう。
会場もすでに一年A組に……特にマロン・メランジェに大きく注目している。
今から衆人の目をこちらに惹きつけるのは、かなり難しい状況になってしまった。
(私はこの星華祭で、どうしても名を揚げなければならないのだ!)
マイスの脳裏に、頭を抱えた父の姿が思い浮かぶ。
突然の領地内の不作。
多発する魔獣被害。
さらには自然災害による追い討ち。
それらの“不運”が重なった結果、現在グラシエール家は多額の借金を背負っている状態である。
このまま経営不振が続けば、侯爵家の地位の返上もやむなく、“没落”という言葉が必然的に脳裏をよぎる。
それが原因で父も体調を崩して、今ではマイスだけがグラシエール家の頼みの綱となっていた。
(私が没落するなど、絶対にあってはならない! グラシエール家は、必ず私が立て直す!)
そのためには星華祭の優勝、及びマイス・グラシエールの名前を世に知らしめる必要がある。
この星華祭で魔術師業界に名を馳せることができれば、軍事的に重要な職務を与えられて、戦功を挙げる機会に恵まれる。
そして見事成果を得ることができれば、王から恩賞を受けることができるのだ。
国家魔術師の研究費など目ではないほどの恩賞を。
それができればグラシエール家を再び立て直すことも難しくはない。
だというのに、よもやたかが一年生にその計画を邪魔されるとは思ってもみなかった。
それだけではなく、ある一つの“懸念”がマイスの頭の片隅に漂っていた。
(それにしても、あれは本当に……“サチ”なのか?)
一年A組、サチ・マルムラード。
時間に余裕ができたため、訓練場で行われていた精霊捕獲を少しだけ見学しに行った。
その際にサチという名前の生徒が周りを圧倒する活躍を見せて、会場を絶句させていた。
一年生の中に、平民生まれの者が混じっていて、名家の息子を相手に模擬戦で圧勝したという話は学園広報部の生徒からすでに聞いている。
その平民の名前がサチということで、同名の別人だろうと最初は聞き流したのだが……
(…………似ている、と思う)
十年前に実家を追放されたサチが、今も生きているとしたら、あのような姿になっているのではないだろうか。
と、思わされるくらい、似ている容姿をしていた。
長らく会っておらず、奴が家を追放されたのも幼い頃だったので、正直記憶は曖昧だ。
それでもその生徒の顔を見た瞬間、頭に何かしらの引っ掛かりを覚えた。
おそらくあれは、本物のサチだ。
(どうして奴がここにいる……? 魔術学園に入学できるはずがない)
もしあれがサチ・グラシエールだとしたら、この学園にいるのは明らかにおかしい。
おまけに精霊捕獲でのあの活躍。
魔力値1の落ちこぼれとは到底思えない力を宿していた。
後天的に魔素の性質が変わることはないと言われているため、サチの魔力値に変動はないと思われる。
それでもこうして学園の生徒として活躍しているということは、何かしら別の力を手に入れることができたのだろうか?
「おーい! マイスくーん!」
「……?」
一人、学園の外にある学生寮までの道を歩いていると、不意に後ろから女性の声が聞こえてきた。
振り返るとそれは、よくこちらに取材を頼んでくる学園広報部の女子生徒だった。
「追いついてよかったー! 私に調べ物頼んでおいて、忘れて帰っちゃうなんてマイス君らしくないね」
「……そういえばそうだったな」
本日の競技が終わって、クラス内での打ち合わせをする前に、彼女から声を掛けられていた。
その時に取材を頼まれたので、それを受ける代わりにこちらからも調べ物をお願いしていたのだった。
その内容は主に、今まさに考えていたサチ・マルムラードのことである。
「調べてきたよ、一年A組のサチって人のこと。この学園には珍しい平民の出生で、入学早々にシフォナード家の子息と模擬戦を……って、それは知ってるんだったよね」
「あぁ」
「他の情報としては、サチ・マルムラードは魔力値が1だけど、不思議な魔法を使って試験や模擬戦を戦い抜いて来たんだって。でね、少し調べてみたら、彼女が使ってる魔法はかなり昔に見つかった『確率魔法』っていうものらしいの」
確率魔法……?
聞き覚えのない魔法に、マイスは眉を寄せる。
「ま、簡単に言うと、成功するかどうかは運次第の魔法ってこと。それも超低確率で役に立たない魔法なんだって。だからまったく名前が知られていないんだけど、彼女はそれを使って星華祭でもかなりの得点を稼いでる。どうして運次第の魔法を使いこなせているのかはわからないけどね」
「……」
成功するかどうかは運次第の魔法。
そんなものはやはり聞いたことがない。
ただ、それを使いこなせている理由については、少しだけ思い当たる節がある。
(幸運値……)
サチの体内に宿された魔素は、かなり小さいものになっていて、魔力値1の判定を受けた。
しかし魔素の輝きについては規格外のものになっていて、数値にすると限界値の“999”だと聞いたことがある。
もしその“幸運値999”と、誰も知らないような埃被りの“確率魔法”を掛け合わせたとしたら、それなりに実用的な魔法になるのではないだろうか?
仮にそうだとしたら、学園の入学試験や模擬戦を乗り切れたとしても不思議ではない。
「まあ、とりあえずはこんな感じかな。もっと時間があれば色々と調べられると思うけど、まだ続けてみようか……?」
「いや、いい。もう充分だ」
その後、広報部の女子生徒は、まだ取材したい人物がいるということで足早に学園の方に走り去っていた。
引き続きサチの調査を任せていたら、おそらく詳しい出生や個人的な情報の諸々を知ることもできただろう。
それで実の妹かどうかも確かめられたに違いない。
しかし正直、サチが本当の妹かどうかはどうでもいい話だ。
今はただ、星華祭の脅威になるかどうかだけを知れれば充分なのである。
訓練場の方の競技で、かなりの得点を稼いだと聞いていたので、念のために調べ物を頼んでみたが……
(やはり警戒すべきはマロン・メランジェか)
結局、代表者のマロンが一番の障壁になっていると思われる。
サチの力も厄介なものだと思うが、マロンの安定感に比べたら運頼みの魔法は信頼に欠けるだろう。
そこまで危惧する必要もない。
所詮は幸運値だけが異常に高い、魔術師として落第を言い渡された落ちこぼれなのだから。
(幸運値、か……)
ふと、マイスの頭の中に一つの予感がよぎる。
思えばグラシエール家の経営不振は、ちょうど十年前から始まったことだ。
より具体的に言うならば、サチを屋敷から追い出した後のこと。
それからなぜか災害が頻発するようになって、グラシエール家は著しい衰退を辿ることになった。
規格外の幸運値。追放後の不幸の続出。グラシエール家の失墜。
まさか……
(……いや、考えすぎか)
マイスは頭を振って余計な思考を取り払う。
とにかく今考えるべきなのは、三日目にいかにして一年A組を蹴落とすかだ。
一日目や二日目と同じように、真っ向から挑んでもおそらく勝ち目はない。
マロン・メランジェをどうにかしない限り、一年A組から首位を奪うことは絶対に不可能だ。
(どうすればいい……どうすればマロンを無力化できる……)
そんなことを考えていると、いつの間にか学生寮に辿り着いていた。
とりあえずは体を休めて冷静になるべく、自室に向かうことにする。
すると……
「んっ……?」
部屋の扉の取っ手に、見覚えのない手提げ袋が掛けられているのを見つけた。
同室のクラスメイトのものかと考えるが、その者は明日に向けて競技練習をしており、まだ帰って来ていない。
そのため聞くこともできないので、とりあえず中身だけでも確認してみることにした。
「これは……」
中に入っていたのは、何かしらの液体が入った小瓶と、一通の手紙。
差出人は不明だが、この手提げ袋はマイス・グラシエールに向けたものだという旨が表に書いてあった。
そのためマイスは一瞬戸惑うが、やがて訝しみながら手紙を開いて中身を確かめてみる。
するとそこには……
「……」
悪魔の囁きが綴られていた。