オーベルは、聞き間違いがなかったか確かめるように、辿々しい声で問いかけてくる。
「マロン様のために戦っている、とは……いったいどういうことですか?」
「ごめん、詳しいことは話せない。でも、本当に私も、マロンさんのためにこの星華祭で勝ち進んで行きたいって思ってるの」
マロンさんはこのままでは、お母さんの指示で特別体制学級に移籍させられてしまう。
その未来を変えるために、このクラスで星華祭の優勝を勝ち取らなければならないのだ。
志に多少の違いはあれど、私たちの目的はやはり同じ。
「だからお願い。そのために二人の力を貸して。私一人だけじゃ、とても逆転は難しそうだから」
「……っ!?」
最後に私は、深く頭を下げてまでお願いをする。
するとオーベルは、驚いたように息を呑んで足を引いた。
直後、躊躇うような気配が彼女から伝わってくる。
まさか私が頭まで下げるとは思わなかったのだろう。
傍らで妨害魔法を捌いているアスペルジュも、オーベルの逡巡に当てられたように、不安げに眉を寄せていた。
やがてオーベルは、意を決した顔でこちらを見据えてくる。
「…………何か、策があるのですか?」
「たった一つだけ、逆転できる方法がある。そのために二人には、光霊を追いかけるよりも、他のクラスの人たちの“足止め”をお願いしたいの」
「足止め……?」
なぜこの期に及んでただの足止め? という疑念が視線だけで伝わってくる。
精霊捕獲という競技は、光霊を捕まえなければ点数が増えない。
他のクラスの足止めに徹したところで、絶対に逆転はできないのだ。
それでも私は懇願する。
「全員を足止めしてほしいなんて言わない。厄介な三年生たちだけでも足止めしてくれたら、あとは私がなんとかするから」
「い、今さらそんなことして、いったい何の意味が……」
オーベルは戸惑うように視線を泳がせる。
しかし周囲で他の参加者たちが、次々と光霊を捕まえていく様を横目に見て、黒髪を掻きながらアスペルジュに言った。
「アスペルジュ! “あれ”をお願いします!」
「……っ!?」
続いて私の方を振り向いて、口早に聞いてくる。
「今のあなたには魔法が効かないのですよね!?」
「えっ? う、うん。有害的な魔法は全部無効化できる状態になってるけど……」
魔法無効化の効果を持つ【ひと時の平和】のことは、すでにカロートから聞いているようだ。
改めてそれを確認したオーベルは、アスペルジュに目配せをする。
するとアスペルジュは頷きを返して、オーベルに手を向けながら魔法の詠唱を始めた。
「【耳打つ悲鳴――盤面の救済者――希望の道を切り開け】――【平等な施し】」
瞬間、オーベルの体に緑色の光が迸る。
この魔法って確か……
『んんっ? 何やら一年生の一人が珍しい魔法を使ったようですね。あれは確か……『全体化魔法』でしょうか?』
付与魔法と治癒魔法の効果範囲を広げることができる『全体化魔法』――【平等な施し】。
通常、一人ずつしか掛けられない付与魔法や治癒魔法も、この魔法が付与された状態ならば、効果を周囲に散布することができるようになる。
今、【平等な施し】を掛けられたオーベルに、身体強化魔法や治癒魔法を施せば、その効果が周りの人間にも反映されるようになったということだ。
と聞けば、かなり使い勝手がよさそうな汎用的な魔法のように思えるが、【平等な施し】自体の魔素消費量がかなり激しいため、好んで使う人はほとんどいないらしい。
どころか、平均的な魔素数の人では、発動すらできない魔法と聞いたことがある。
それを平然と扱えるアスペルジュは、どうやら人よりもだいぶ魔素の数が多いみたいだ。
しかし、いったい全体化魔法を使って、何をしようというのだろうか……?
「【嘲笑う勝利者――呪縛の鎖――せめてあの者に一時の災厄を】――【成功者の躓き】!」
すると今度はオーベルが、信じがたいことに、弱体化魔法を“自身の体”に叩き込んだ。
刹那、オーベルの脚に半透明の鎖が巻きつく。
同時に鏡写しにするかのように、周りの生徒たちの脚にも鈍足の鎖が巻きつけられた。
「ぐっ! 脚が――!」
「ちくしょう! 俺もやられた!」
『なんと! 鈍足魔法を自らに付与して、その効果を全体化させてしまいました! 競技参加者の全員が弱体化の魔法に苦しめられる!』
本来は有益な効果を持つ魔法を全体化させるのに使うはずだが、オーベルはあろうことか鈍足魔法を全体化させることで周りの生徒たちを弱体化させてしまった。
そのために自らにも弱体化魔法を掛けなければならなかったため、オーベルも鈍足効果を受けて顔をしかめる。
しかし私だけは【ひと時の平和】の効果で、【成功者の躓き】を無効化した。
「……なるほどね」
私は遅れて理解に至る。
自らをも犠牲にした弱体化魔法の全体化。
でも私だけは無効化魔法を使っているため、その対象から外れることになる。
オーベルとアスペルジュのおかげで、たった今この場所は、私だけが自由に動くことができる…………約束された独壇場と化した。
「これでいいのでしょう!? サチ・マルムラード!」
「うん。あとは私に任せて……!」
頑なに協力することを拒んでいたオーベルとアスペルジュ。
でも、ようやく少しだけ心を許してくれて、私に手を貸してくれた。
このチャンス、絶対に逃すわけにはいかない!
私は、言い間違いがないように、丁寧に唇を動かして詠唱を始めた。
「【忌まわしき曇天――天空の支配者――不機嫌な空を捻じ曲げろ】」
そして、訓練場の天井に向けて、高々と右手を掲げる。
これが、唯一私たちに残された、逆転の一手となる魔法……
「【身勝手な空模様】!」
刹那、私を中心にして、青白い光の波がパッと周囲に広がった。
聞いたこともない魔法を見たからか、オーベルはやや怯えるようにして身を縮こまらせる。
何が起きるかわからない状況で、彼女は固唾を吞んで私のことを見守っていた。
だが……
「…………えっ?」
その後、五秒ほど待ったが、私の周りでは特に何も起きることはなかった。
シンとした静寂のみが、私とオーベルの間に流れる。
「なっ……? えっ……? な、何も、起きていないではないですか……!」
オーベルは戸惑ったように冷や汗を滲ませる。
直後、顔を青ざめさせながら、慌てて私に詰め寄って来ようとした。
「ま、まさかあなた、確率魔法を失敗して――!?」
その時――
「お、おい!」
「光霊たちの様子がおかしいぞ!」
周りの参加者たちが異変に気が付く。
遅れてオーベルもそのことに気が付いて、ハッと息を呑みながら周囲を見渡した。
会場内に漂っている光霊たちが、見るからに調子が悪そうに頼りなくふらついていた。
得意の特殊能力も上手く使えなくなっており、ついには地面に下りて眠ってしまう光霊も出始める。
いったい何が起きているのかと、会場のほとんどの人間が怪訝な顔をしていると、その疑問に答えるようにして一つの放送が流れた。
『く、訓練場にお集まりの皆様! 突然ではございますがご連絡があります! 驚くべきことに、場外では現在……』
魔法によって拡声された放送が、訓練場に響き渡った。
『雪が、降ってまいりました!!!』
「「「はぁ!?」」」
全員の驚きの声が、ぴたりと重なって訓練場を震わせる。
観客たちはすぐさま、二階部分にある窓に駆け寄って、外の状況を自分の目で確かめていた。
「ほ、本当だ! 本当に雪が降ってるぞ!」
「グラウンドの方も大騒ぎになってんじゃねえか!」
そんな喧騒を耳にして、私は密かに頬を緩める。
これが私の使った魔法、【身勝手な空模様】の真の効果だ。
十万回に一回くらいの確率で、無作為に天気を入れ替えることができる魔法――【身勝手な空模様】。
成功するか失敗するかも運次第。
そしてどんな天気に変わるかも運次第の、これまた使い道の無さそうな確率魔法。
でも、幸運値999の私が使えば……
都合の良いように天気を変えることができる…………『天候支配魔法』に化けるのだ。
「雪……? そうか、それで光霊たちの様子が……」
どうやらオーベルも私の狙いに気が付いたらしい。
光霊は光の塊に近い存在とは言ったが、魔獣の一種であることに変わりはない。
そして光霊の魔獣特性の一つに、“天候によって調子が変わる”というものがある。
晴れなら快調、曇りなら普通、雨なら不調といった具合に、その日の天気によってころころと体調が入れ替わるのだ。
そして一番苦手としている天気が……“雪”。
苦手な雪の天候に変わったことで、場内の光霊たちは激しく弱り始めたのだ。
実体を持たない光霊には、弱体化の魔法などは一切効かない。
しかしこれなら黒色の光霊も、不調の影響で透明化の能力が使えなくなり、私でも捕らえることができるようになる。
「光霊たちが弱ってる! 捕まえるチャンスだぞ!」
「けど脚が重くて動けねえよ!」
光霊を弱らせる手段を、私は隠し持っていた。
でもこの方法だと、他のクラスの生徒たちにも点数を取られてしまう危険がある。
だから厄介な三年生たちだけでも、オーベルとアスペルジュに足止めしてほしかったのだ。
にしてもまさか、私だけが自由に動ける独壇場を作っちゃうとは思わなかったけど。
「そんじゃまあ、いただきますか」
私は地面を蹴飛ばして一陣の風と化す。
弱体化している参加者たちの間を縫うように駆け抜けていき、弱々しく漂う光霊たちに次々と触れていった。
十、十五、二十、二十五、三十……
私の手に触れた光霊たちが、走った軌跡を残すようにして光の粒と化していく。
『かか、快進撃です! ただ一人、弱体化の魔法から運良く逃れていた一年生が、雪で弱った光霊たちを次々と独占していきます!』
これまで散々、三年生たちに乱獲されてしまった分、そのお返しと言わんばかりに私は大量の光霊を独り占めさせてもらう。
誰も、私を邪魔できる者はいなかった。
「く……そっ……!」
最後に、三年生の一人が手を伸ばした先に、弱った黒光霊がいて、それを横から『パンッ!』と掻っ攫って競技は終了となった。
『精霊捕獲、終了ーーー!!! なんと一年A組が大逆転勝利を収めました! 空までも彼女たちに味方をするという、まさに偶然によって生まれた奇跡的な大勝利です!』
終了の合図と同時に、参加者たちの弱体化が解けて、各々が力なく地面に手をついた。
ようやく自由に動けるようになったというのに、彼ら彼女らは突然の逆転劇に動揺して固まっている。
観客たちも何が起きたのか理解が追いついておらず、歓声と拍手がまばらに起こるだけだった。
放送係の人の言葉から察するに、どうやら突然の雪は異常気象としか思われていないみたいだ。
誰も、私の魔法だと気が付いていない。
「……ど、どうして俺たち、負けたんだ?」
「つーか、あんなタイミングよく雪とか降ってくるか?」
「そもそも、なんであの銀髪だけ動けてたんだよ?」
ま、勝てたからなんでもいっか。
他のクラスの参加者たちが悔しそうにする中、オーベルとアスペルジュがこちらにやって来る。
そして何やら驚いた様子で声を掛けてきた。
「そ、外で降ってる雪……。もしかしてあなたが……?」
「そっ、わたしわたし。確率魔法でちょろっとね」
「……」
パクパクと口を開閉させて戸惑っている。
まあ、天気を操る魔法なんて聞いたこともないだろうからね。
「か、確率魔法というのは、そんなこともできてしまうのですね」
「でもまあこれも、成功確率が十万回に一回とかだから、他の人が使っても何も起こらない魔法だけどね」
“あはは”と苦笑を浮かべながら説明をする。
どうやらオーベルは確率魔法に対して、あまり良い印象を持ってはいないようなので、どう思われるか不安になってしまった。
けれど特に言及されることはなく、彼女はなんだかしおらしくこぼす。
「……まさか、あなたに助けられるとは思わなかったです。感謝します」
「い、いいよ別に。私だって勝ちたくてやったわけだし。それに二人の協力がなかったら勝ててなかったと思うから、こちらこそありがとうだよ」
まさか感謝を示されるとは思っていなかったので、私は思わず面食らってしまった。
少しは、私の力を認めてもらえたということだろうか?
するとオーベルは、今回の競技の成果に納得がいっていないのか、顔を曇らせたまま続ける。
「……私は、まだまだ未熟者なのだと、今回のことで痛感しました。マロン様と対等な立場になるのは、随分と先の話になりそうです。あの方と対等に話すためには、これからより精進しなければ」
「……」
悔しげに唇を噛み締めるオーベルを見て、私はずっと思っていたことを告げた。
「あ、あのさ、普通に話しかけたらいいんじゃない?」
「えっ……」
「別にマロンさんと話すために、マロンさんと同じくらい優秀な人になる必要はないんじゃないかな? マロンさんは相手を値踏みして態度を変えるような人でもないし、同じクラスメイトってだけで私とも対等に話してくれてるし……」
「……」
目から鱗が落ちたように、オーベルは口も開けて呆然とする。
マロンさんに普通に話しかけるという発想自体がなかったみたいだ。
「確かにマロンさんはすごく優秀な人だから、対等な関係になれるか怖がっちゃうのはわかるよ。でもそれ以上にとっても優しい人だからさ、きっとすぐに対等な関係に…………友達になれると思うよ」
「とも、だちに……」
「だからさ、試しに普通に話しかけてみたらどうかな?」
改めてそう提案すると、オーベルは驚いたように呆けてしまった。
そんな彼女の裾を、アスペルジュがちょいちょいと引っ張る。
彼女は私の提案に賛成してくれたようで、オーベルに対してこくこくと頷いていた。
やがてオーベルは、ハッとしたように我に返って、不意にそっぽを向いてしまった。
「わ、わかったようなことを言わないでください。自分だけがマロン様の理解者だとでも言いたいのですか」
「そ、そんなこと言うつもりはなかったんだけど……」
「…………ただまあ、あなたの提案、参考程度にはさせてもらいます」
……とまあ、そんなこんなはあったものの、私たちは精霊捕獲で一位を獲得して、多くの競技点を稼ぐことができたのだった。
そしてその後、再び私は【身勝手な空模様】を使って天候を快晴に戻す。
天気がころころと変わって、学園はやや混乱する事態に陥ってしまったが、競技は滞りなく進行してなんとか二日目が終了した。
その時点で一年A組は、なんとなんと……二十一クラス中の首位に立っていた。