学園長室からの帰り道。
三階の職員室の前でレザン先生と別れると、私たちはそこから教室までカバンを取りに行こうとした。
魔道具研究会に顔を出すか、学園依頼でも受けようか、ミルと相談しながら教室を目指していると……
「いい加減になさい、マロン」
「「……?」」
西棟の階段を降りて、一階のところに差し掛かった時、不意に知り合いの人物の名前が聞こえてきた。
私とミルは思わず顔を見合わせて立ち止まってしまう。
西棟の一階にはいくつかの研究室と、事務員さんが使用している事務室、それと『玄関口』がある。
この玄関口は昇降口とはまた違って、職員さんや事務員さんたちが通る場所で、来客もそこからやって来ることが多い。
だからたまに学園関係者の人が、玄関口から校舎に入って来るのを見かけることがある。
そして今の声は、明らかに玄関口の方から聞こえてきた。
「……」
僅かな好奇心に逆らえずに、私とミルはゆっくりと玄関口の方に近づいて行く。
するとそこには、耳にした通り、同じクラスのマロン・メランジェさんがいた。
「マロンさん……?」
玄関口でいったい何をしているのだろうか?
と思っていると、彼女の隣に同じ髪色をしている大人びた女性を発見した。
優しげな顔のマロンさんとは違って、鋭い目つきをしている茶髪美女。
年齢は見た感じ二十代後半かその辺りか。
スタイルはマロンさんに負けず劣らずで、大人しめなドレスエプロンからは今にも大きな乳房が零れ落ちそうになっている。
雰囲気も近しいことから、あれはマロンさんのお姉さんだろうか?
その女性と対峙しているマロンさんは、なぜかいつもの優しい笑顔をどこかに忘れて、表情を曇らせている。
やや不穏な雰囲気を感じ取って、思わず廊下の曲がり角に身を隠すと、茶髪の美女が強めの語気でマロンさんに言った。
「言ったはずですよ。入学後はすぐに一般クラスを離れるようにと。メランジェ家の令嬢たるもの、他の一般生徒に混じって勉学を進めては才能が枯れてしまいます。あなたは他の子たちよりも優れた素質を持っている魔術師なのですから」
「……」
マロンさんは暗い表情のまま美女の言葉を黙って聞いている。
会話の内容はいまいち理解できなかったけれど、マロンさんが珍しく気持ちを落ち込ませていることだけは見ていてわかった。
すると……
「マロン、あなたが優秀な才能を持っていることは、あなた自身だってもう自覚しているでしょう? その才能を生かすことができれば、メランジェ家をさらに大きくすることができるのよ。なぜ学園に入学させて、国家魔術師を目指すように教えたのか、まさか忘れたとは言わせませんからね」
続けられた美女の言葉に対して、マロンさんが驚きの返答をした。
「……は、はい。お母様」
「おかっ――!?」
私は思わず自分の口を手で塞ぐ。
まさかあの美女がマロンさんのお母さんだとは露ほども考えなかった。
恐ろしいほど若い。いや、実年齢と見た目が釣り合っていないのかも。
どうすればあのような若々しい肌を保つことができるのか、そちらの方に気を取られそうになるが、お母さんが続けて発した台詞に耳が寄った。
「よろしいですね。次の試験日までには……いいえ、星華祭という催しが終わるまでには、『特別体制学級』の移籍を済ませておいてくださいね」
マロンさんに強気な様子でそう告げると、お母さんは事務室に入校許可証らしきものを返して、玄関口から立ち去って行った。
母親が帰ってしまった後も、マロンさんはしばらくその場で立ち尽くす。
その姿を廊下の曲がり角から覗き見ていた私たちは、『聞いてはいけないことを聞いてしまった』と密かに悟った。
天啓に導かれて、すぐにその場を離れようとしたのが災いしたのか――あるいはこれが幸いだったのだろうか――床に置いてあったバケツに足を引っ掛けてしまった。
ガランッ!
「――っ!?」
その音に驚いたように、マロンさんはバッとこちらに視線をやる。
思わず目が合ってしまい、私は苦し紛れに苦笑を返した。
「ご、ごめんねマロンさん。盗み聞きするつもりはなかったんだけど」
「サ、サチ様……。それにミル様も……」
ミルはすかさず逃げるようにして、私の背中に隠れてしまうが、逃げたい気持ちは私も同じだった。
「じゃ、じゃあ私たちはもう行くね。ここでのことは聞かなかったことにするからさ」
きっとマロンさんにとっても都合の悪いことだろう。
だから聞かなかったことにして早々にその場を立ち去ろうとすると……
「ま、待ってくださいませ!」
「……?」
「サ、サチ様とミル様に、聞いていただきたいことがございます。少しだけお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「「……」」
聞いてもらいたいこととはなんだろうか?
と、私とミルは顔を見合わせて疑問に思ったが、形として盗み聞いてしまった手前、断ることもできなかった。
話は学生寮ですることになった。
どうやら先ほど私たちが盗み聞いてしまった内容について、マロンさんは少しだけ相談したいらしい。
他の人に聞かれてしまうのは躊躇われるようで、学生寮のマロンさんの部屋で話をしようと提案された。
特に断る理由もなかったので、ミルと一緒に了承すると、図らずも私たちは三人で下校をすることになった。
「今日はポワールさんと一緒じゃないんだね?」
下校中、ふと気になったことをマロンさんに尋ねてみる。
マロンさんとポワールさんはいつも二人で帰っていると聞いた覚えがあるので、彼女がいないことを不思議に思った。
「放課後にお母様と話をする予定があったので、ポワールさんのことは先に寮に送っておきました。どれだけ長引いてしまうかもわかりませんでしたし」
「はぁ、にゃるほどねぇ」
そのことがわかると同時に、改めてマロンさんの口から『お母様』という単語を耳にする。
やはりあの人はマロンさんのお母さんで間違いないらしい。
「お母さん、厳しそうな人だったね」
「そ、そうですね。厳格で曲がったことが嫌いな性格ですから」
「マロンさんって成績優秀で品行方正だから、学園内でもまったく怒られてるとこ見たことなくて…………だからあんな風に言われてるの初めて見たよ」
「お、お見苦しいところを見せてしまって申し訳ございません」
いやいやそんなことは、という話をしていると、気が付けば私たちは学生寮に着いていた。
そして話していた通りマロンさんの部屋まで案内をしてもらう。
他の生徒の部屋にお邪魔するのは初めてなので、なんか少しだけ緊張するなぁ。
ミルも同じく不安げな様子を滲ませていると、やがてマロンさんの部屋に辿り着いた。
「サチ様、ミル様、どうぞお入りください」
促されるままに中に入ると、驚きの景色が目に飛び込んできた。
片方はマロンさんのものだろうか、すごく高級そうな装飾のベッドが視界に映る。
一方でもう片方のベッドは、なんだかすごく女の子らしいというか、もふもふぽわぽわしていた。
真っ黄色のふかふかベッドに、羊を模したぬいぐるみが大量に置かれている。
その一つを抱き枕がわりにしながら、ナイトキャップまでしっかりと被って、放課後の早いこの時間にすでに眠っている女生徒が一人いた。
ポワール・ミュールさんである。
「あっ、そっか。ポワールさんと同じ部屋って言ってたっけ?」
「はい。ポワールさん、もう寝ているみたいですけど」
いくらなんでも就寝時間が早すぎる気がする。
さすがは、いつも授業中に居眠りをしているポワールさんだ。
起きている時間の方が短いと思えるくらいなのに、まだ眠り足りないと言うのか。
「うるさくしちゃっても大丈夫なの?」
「はい。ポワールさんはご自分のベッドで眠り始めたら、絶対に翌朝まで目を覚ましませんから。ここでお話ししても問題はありませんよ」
「そ、そう……」
そういえば授業中もまったく起きる気配がないもんね。
試しに眠っているポワールさんの幼なげな頬っぺたをツンツンしてみるけれど、確かに目を覚ます様子は一切ない。
羊のぬいぐるみをぎゅっと胸に寄せながら、心地よさそうな寝息を立てている。
「なんか、赤ちゃんみたいだね」
「サ、サチさん、ポワールさんで遊んでいる場合じゃないですよ」
おっと、そういえばそっか。
ポワールさんのムチムチプニプニの頬に夢中になりすぎた。
気を取り直してマロンさんの方を振り返る。
「それで、相談したいことって何?」
「さ、先ほど聞いたお話に、関係することと言っていましたけど……?」
私とミルはマロンさんに促されるまま、彼女のベッドに腰掛けて問いかける。
対してマロンさんは、ポワールさんが眠っているベッドに腰を預けて、改まって話を始めてくれた。
「先ほどのお話なんですけれど、どこから聞いておりましたか?」
「さっきの? って言うとお母さんと話してた時のことだよね? えっと……」
必死に思い返そうとして頭を捻っていると、それを見かねたミルが代わりに答えてくれた。
「い、『一般クラスを離れるように』、という部分から聞いていました。会話の内容は、さほど理解できなかったんですけど……」
あぁ、そうそうそれだ。
私も会話の内容はいまいち理解できなかったので、ずっと気になっていた。
「まさにそのことで、サチ様とミル様にご相談したいことがございます。私は現在、お母様から『一般クラスを離れるように』と言われているのです」
「“一般クラス”って言うと、私たちが今所属してる“一年A組”のこと……だよね?」
マロンさんは頷きを返してくれる。
ということは、それを言葉のままに受け取るとなると……
「一年A組を離れる? って、ことだよね? そんなことできるの? ていうかそれに何の意味が……」
今のクラスを離れてどんな利点があるのだろうか。
そもそも離れることなんてできるのかな? もし離れることができたとして、その後は他のクラスに移るってこと?
色々とわからないことがあって首を傾げていると、マロンさんは悲しげに瞼を伏せて答えてくれた。
「お母様は、学友との触れ合いや足並みを揃えての授業は、すべて無意味だと思っているのです」
「えっ……」
「ですから、より勉学に集中させるために、私のことを一般クラスから『特別体制学級』に移籍させようと考えているのです」