「ミル、周りに被害が出ないように氷の壁を作って!」
「りょ、了解です!」
犯人を挟んで向こう側にいるミルに、声を張って指示を送る。
ミルは頷くや、再び【凍てつく大地】を使って大通りの真ん中に氷の結界を張った。
中には私とミル、そして男の三人だけ。
あのレベルの火炎魔法を使えるなら、すぐに破られちゃうだろうけど、被害を少しでも抑えられるならそれでいい。
何より、奴の注意をこちらに向けることができた。
「オレは、弱くナイ……。出来損ないの、失敗作じゃ、ないんダ……!」
相変わらずブツブツと何かを言っている男は、私に目を留めて炎の剣を振り上げる。
それを見た私は、すぐに自分に右手をかざして唱えた。
「【平和の訪れ――天上の守護神――無力な民を守りたまえ】――【ひと時の平和】」
瞬間、私の体に銀色の光が灯る。
発動から三十分の間、十万回に一回くらいの確率で魔法による攻撃を無効化してくれる防護魔法――【ひと時の平和】。
対魔術師において最強と言っても過言ではない魔法だ。
これを掛けておけば……
「う、があああァァァ!!!」
男は耳障りな叫び声を上げながら、炎の剣で斬りかかって来た。
対して私は何もせずに静かに立ち続ける。
刹那、私の体に叩きつけられた火炎の長剣が、鎮火するように男の手元から“消えた”。
「――っ!?」
男は理性を失ったような振る舞いをしていたが、さすがにその事象には驚きを覚えたらしい。
男は私を警戒するようにすぐに飛び退った。
先刻使った【ひと時の平和】の効果で、上手く炎魔法を無効化できたみたいだ。
炎の剣による熱と衝撃も完璧に無効化して、完全に消し去ることができた。
余裕の笑みを浮かべていると、男はすぐに次の行動に移る。
「【躊躇うな――灼熱の流星――骨の髄まで焼き尽くせ】――【小さな太陽】!」
右手を構えて、そこから巨大な火球を撃ち出してきた。
これもかなりの高威力。
しかし……
「無駄だよ」
私も右手を構えて火球を受け止めると、手の平に触れた瞬間に魔法が消失した。
私が使った防御魔法――【ひと時の平和】で無効化できない攻撃魔法は、おそらく存在しない。
普通の人が使えば十万回に一回しか無効化してくれないので、なんとも心許ない魔法ではあるが、幸運値999の私が使えば確実に魔法を無効化できる。
私は魔法に対して、絶対的な防御力を手に入れたということだ。
となると、相手が取れる手段は……
「【平穏に飽きた凡人――超越した肉体――限界の先に手を伸ばせ】――【超人的な体験】!」
身体強化魔法による近接戦闘のみ。
すぐさまその判断をした男は、自らに身体強化魔法を掛けて肉薄して来た。
冷静な判断ができる状態とは思えないが、奴は最適解とも言える行動を取ってくる。
「サ、サチさん!」
さすがにこの展開にはミルも動揺したようで、こちらに加勢するように小杖を構えた。
しかし私は『大丈夫』と伝えるようにかぶりを振る。
奴が接近してくることまで、すべて計算のうちだから。
確実に、的確に、トドメの一撃を叩き込むための布石。
「【賽は投げられた――神の導き――恨むなら己の天命を恨め】」
飛びかかって来た男を迎撃するように、私は右手の人差し指を向けて唱えた。
「【運命の悪戯】!」
瞬間、黄色い光が私の指先から放たれる。
それは正確に男の肉体に直撃して、奴を地面に這いつくばらせた。
「あ、が……アァ……!」
男は身動きが取れずに地面で呻く。
一万回に一回くらいの確率で、対象者の身動きを封じることができる拘束魔法――【運命の悪戯】。
いくら魔力値が高くても、私の魔法は確率によってすべてが決まるので防御の手段は存在しない。
言い換えればこれは、防御不能の完全拘束魔法だ。
この男も例に漏れず、私の拘束魔法によって行動不能に陥った。
「サチさん、怪我はありませんか……?」
「うん、へーき。ミルは……?」
「私も大丈夫です」
駆け寄って来たミルと短く言葉を交わしながら、足元の男を見て眉を寄せる。
男は地面に倒れながら唸り声を漏らしていて、ミルは不安げに尋ねてきた。
「い、今にでも、また襲いかかって来そうなんですけど……。どれくらい拘束していられるんですか?」
「うーん、かなり強めに念じて魔法を発動したから、三十分くらいは身動きが取れないんじゃないかな。その辺の時間調整はまだ上手くできないんだよねぇ」
特に人間相手に使う機会はほとんどないから、正直時間の感覚も曖昧だ。
もしかしたら三十分どころか一時間このままの状態かもしれない。
ともあれ、無事に暴走する男を止めることができてよかった。
「にしても、この人いったいどうしたんだろうね? 明らかに正常な状態じゃないっぽいけど……」
「それに、かなり高水準の魔法ばかり使っていましたよね。著名な国家魔術師さんとかなんでしょうか?」
「そんな凄腕の魔術師さんが、なんで町中で大暴れしてるんだか……」
何か嫌なことでもあったのだろうか?
でもさっき助けたお姉さんは、この人が突然暴れ始めたって言ってたし、きっかけはまったくわからないな。
するとそのタイミングで、氷の壁の向こうから喧騒が聞こえ始めてきた。
ミルがそれを聞いて魔法を解除すると、周りに衛兵らしき人たちを見つける。
彼らは氷の壁が消滅するや、すぐにこちらに駆け寄って来て、現場を見渡しながら問いかけて来た。
「商業区で暴走中の男がいると聞いたのだが……」
「あっ、それたぶんこの人です」
「ま、まさか、君たち二人だけで捕らえたというのか?」
私はミルと顔を見合わせてから、こくりと衛兵さんに頷きを返す。
衛兵さんたちはそれを受けて、驚いたように目を丸くした。
直後、すぐにこちらに頭を下げてくる。
「ありがとう、感謝する」
「その制服からすると、魔術学園の生徒だな。一般市民を巻き込まずに事を収めてくれて、本当に助かった」
「い、いえいえ……」
直球な称賛を送ってもらい、私は思わず照れ笑いを浮かべる。
人知れず嬉しい気持ちを噛み締めていると、衛兵さんの一人が倒れている男を確認して、不意に呟いた。
「……噂に聞く症状と同じだな」
「……?」
なんのことだろうと思っていると、その疑念を感じ取ったように衛兵さんたちが説明してくれる。
「近頃、付近の町や村でも同様の被害が出ていると聞いているんだ」
「魔術師が理性を失ったように暴走を起こして、突発的に破壊行為をしていると」
「……ぶ、物騒な話ですね」
突然、町の中で魔術師が暴走。
しかも理性を失ったようにって、今回の事件と完全に一致してるじゃん。
いったいどういうことなんだろう? ただの偶然、にしてはさすがに無理があるよね?
「この王都ブロッサムは魔術国家オルチャードの中心と言っても過言ではないからな、有している魔術師の数も世界最大と言われている」
「当然今回の事件を警戒はしていたんだが、何せ本当に前触れもないことで、原因もまったくわからないからな」
「だから“たまたま”君たちが近くにいてくれて本当によかったよ。後で学園に君たち宛の感謝状を送らせてもらう」
衛兵さんたちにはものすごく感謝をされて、私とミルは一緒に『いえいえ』と返すことしかできなかった。
その後、軽く事件の聴取を受けて、始末は衛兵さんたちに任せて私たちはその場を離れることにする。
来た時とは打って変わって、すっかりがらんとした通りを歩きながら、私たちは何気なく言葉を交わした。
「魔術師暴走の事件だって。なんか危なっかしい話だったね」
「そうですね。今回はたまたま運良く何事もなく収めることができましたけど、下手をしていたら死傷者だって出かねない状況でしたから」
たまたま、ね。
果たして今回の事件は、私の幸運値が作用して招かれたことなのか、はたまたミルの不幸体質が災いして引き起こしてしまったことなのか。
その辺りは知りようもないけれど、とにかく何事もなく終わって何よりだったと思う。
「でも、なんで魔術師たちは町中で暴れ出したりしてるんだろうね? あの人も普通の状態じゃなかったっぽいし」
「精神的に異常をきたしている感じはしましたね。それが何か暴走の原因に繋がったりしているんでしょうか?」
二人して首を傾げて、むむむと唸り声を漏らしてしまう。
しかしすぐに思考を停止させて、私は調子外れに明るい声を出した。
「ま、私たちが考えても仕方ないし、買い物の続きでもしようよ。結局まだお目当ての競技用の靴も買えてないし、甘いものも食べられてないし。この辺りのお店は事件のせいでまだ混乱してるみたいだけど、少し離れたお店なら普通にやってると思うから」
「そう、ですね……。気分転換に甘いものでも食べに行きましょうか」
私とミルは事件の苦い後味を、甘いもので綺麗さっぱり流すことにしたのだった。