緑髪の女生徒の後を追い、彼女の窮地を目の当たりにすることになった。
 思わず助けに入ってしまったけれど、もしかしたらこれは人情からの行動ではなく、ある人の真似がしてみたかっただけなのかもしれない。
 あの人ならこの状況で、まったく同じことをしているはずだから。
 助けられた緑髪の女生徒は、なんとも複雑そうな顔をしていたけれど、文句などを言うこともなく現状を受け入れていた。
 見る限り怪我もなさそうなので、さっさとこの場を立ち去ってしまいたい。
 そう思っていると、突如として周囲の氷像が音を立てて始動した。

「シャアァァァ!!!」

「「――っ!?」」

 張っていた氷が剥がされて、その破片が宙を舞う。
 それを背景に頭を振り回す大蛇たちは、明らかに怒りに狂っていた。
 魔法の手応えはあったはずなのに、完全に凍りつかせることはできていなかったみたいだ。
 十数匹の魔獣すべてが氷を剥がしてこちらを睨め付けてくるや、ミルは右手を構えて詠唱を始める。

「【冬季の来訪――透き通る氷柱――熱に浮かされた愚者を穿て】――【冷酷な氷槍(シャンデル・グラース)】!」

 次こそ大蛇たちを仕留めるべく、ミルは周囲に巨大な氷柱が生成させた。
 だが、その直後に異常に気が付く。
 魔法によって生成した氷柱が、いつもより“小さい”。
 おまけに数も少なく、見るからに氷の性質も悪いように感じた。
 案の定、放った氷柱はたった一匹の大蛇に、僅かな傷を付けるだけで砕けてしまった。

(魔法が上手く使えません……!)

 一つ前に使った【凍てつく大地(ニブル・ヘイム)】も、思えばいつものような威力は出ていなかった。
 通常であればこれくらいの魔獣たちなら、難なく一撃で倒せるはずなのに。
 魔素に何らかの異常が生じている、のだろうか。
 その原因はわからない。この森の特性や、大蛇の魔獣たちの能力だとは思えないけれど……
 瞬間、ミルはある一つの話を脳裏で思い出した。
 最近、魔術学園の生徒たちは、討伐依頼を完遂できずに失敗してしまうことが多いと聞く。
 その理由が、『魔法の調子が悪かった』や『魔法を発動できなかった』など言い訳に近いものが多かったらしいが、今この瞬間になって彼らの言葉が偽りではなかったと確信する。
 依頼に失敗してしまった生徒たちは、皆このように魔法を乱されてしまっていたのだ。
 おそらく体内の魔素に何らかの悪作用をもたらして、魔法の威力や効果が制限されているのだと思われる。
 これなら確かに、いつもの調子が出ずに依頼に失敗してしまうのも充分に理解できる。

(それでも、私なら……!)

 原因はわからない。
 魔素の調子を元に戻す方法も、現状では知りようがない。
 しかし自分の魔力値なら、たとえ制限されているとしても充分の魔法を放つことができる。
 魔術学園の歴代の生徒を合わせても、五本の指に入ると言われている自分の魔力値なら……

「【降り積もる白雪――純白の花壇――氷雪の底から咲き誇れ】――【氷華の薔薇(ローズド・ノエル)】!」

 ミルが地面に手をつくと、まるで電流が走るように、地面に氷の蔓が迸った。
 それは瞬く間に大蛇たちの体に巻きつくと、力強く締め上げて触れた箇所から凍りつかせていく。
 氷の茨は細かい針によって執拗に大蛇たちの体に纏わりつき、そこから奴らの生命力を少しずつ吸い上げていった。
 やがて再び氷像となった大蛇たちは、今度こそ凍りついて動かなくなった。

「すごい……」

 後方で緑髪の女生徒の声が聞こえてくる。
 魔素の調子が悪く、魔法の操作も覚束ないため彼女も巻き込んでしまうかと思ったが、幸いにもそうはならなかったみたいだ。
凍てつく大地(ニブル・ヘイム)】よりも範囲と氷結速度が落ちる変わりに、驚異的な氷結力を誇る【氷華の薔薇(ローズド・ノエル)】。
 この一撃で倒すことができて本当によかった。

(なんとか、なりましたね……)

 パリンッ!

 一息ついたのも束の間、傍らでそんな音が鳴り響いた。
 咄嗟にそちらを振り向くと、大蛇の一匹が体を動かして氷を剥がそうとしていた。
 またも完全に凍りつかせることができていなかったみたいだ。

「キシャァァァ!!!」

 同様に他の大蛇たちも体をうねらせて、強引に氷を引き剥がそうとしている。
 大蛇の氷像が次々と音を立てて氷を弾けさせる光景を前に、ミルは思わず違和感を覚えてしまった。

(この魔獣たち、どんどん強くなっている……?)

 頑丈さだけではない。力強さや牙から滲み出ている毒液まで強力になっているように見える。
 森の入口付近で戦った同種の魔獣は、もっと簡単に倒せた。
 魔素が本調子だったから、というのもあるのだろうが、もしその本調子だったとしても眼前の大蛇たちを一撃で倒し切れるとは思えない。
 戦いの中で次第に強くなっていく魔獣なのだろうか?
 しかし、今まで倒してきた同じ種族の魔獣は、そんな能力を持ってはいなかった。
 それに目の前で暴れ回っている大蛇たちは、溢れ出る力を抑え切れないとばかりに“苦しみもがいている”。
 この異様なる力は、大蛇に元々備わっている能力などではないのだろうか?

「【冬季の来訪――透き通る氷柱――熱に浮かされた愚者を穿て】――【冷酷な氷槍(シャンデル・グラース)】!」

 考えている暇はない。
 今はとにかくこの窮地を脱する。
 そう思って氷柱の魔法を放つけれど、それは固い鱗によって弾かれてしまった。
 先刻のような手応えはもはや感じられない。

(このままでは、道が開けません……!)

 どうにかして突破口を作らなければ。
 そんな焦燥の隙を突くように、大蛇の一匹が長い尾を振り回して来た。

「しまっ――!」

 反応が遅れたミルは、緑髪の女生徒と共に後方へと吹き飛ばされる。
 たったその一撃だけで、意識が吹き飛びそうになってしまい、歯を食いしばってなんとか耐えた。

「うっ……ぐっ……!」

 地面に転がされて泥まみれになりながらも、ミルは決死に立ち上がる。

(私の、憧れの人なら……!)

 ここで諦めることなんて、絶対にしない!
 たとえ魔素の調子が悪くて、魔法が上手く使えなくても。
 魔獣が強くなり、手も足も出なくなってしまっても。
 自分から負けを認めるような、弱い心の持ち主ではないから。
 ミルは諦めずに魔法を詠唱しようとした。
 だが……

「降り積もる白雪――純白の……」

 手に魔力が集まる感覚が、まるでなかった。
 もう、魔素の力が一切残されていなかった。
 行くところまで追い詰められたミルは、絶望感から言葉を失ってしまう。
 そんな彼女を食い千切るべく、大蛇の一匹が勢いよく飛びかかってきた。

「シャアァァァ!!!」

 ミルに抵抗する手立てはなく、彼女は迫り来る大蛇の大口を呆然と見据えていた。



「【悪魔の知らせ(デス・ノーティス)】!」



 刹那、大蛇の動きが止まった。

「えっ……」

 目の前まで迫った魔獣は、まるで時間が止まってしまったかのようにピタリと静止する。
 直後、力なく地面に倒れて、その後まったく動かなくなってしまった。
 息もしておらず、完全に絶命しているのだとわかる。
 この独特な死に様には、強い見覚えがある。
 驚異的な魔力値、ではなく幸運値から放たれる、あの圧倒的な即死魔法の特徴と同じ……

「よく頑張ったね、ミル」

 後ろから聞き慣れた声が聞こえて、咄嗟に振り返る。
 そこに、見慣れた銀髪の少女が立っていて、ミルは思わず瞳の奥を熱くさせた。
 絶望感が見せている幻覚じゃない。確かに彼女はそこにいる。

「サチ……さん……!」

「もう大丈夫だよ、ミル。あとは私に任せておいて」

 なんでこの場所にいるのか。
 どうしてこのタイミングで助けに来ることができたのか。
 それらの理由はすべて、サチ・マルムラードだからという説明で片がついてしまう。
 ゆえにミルは何も尋ねずに、サチにこの場を任せることにした。

「シャアァァァ!!!」

 同胞がやられて怒りを覚えたのか、大蛇たちが盛大に鳴き声を上げる。
 対してサチも、珍しく怒ったように眉を吊り上げて、大蛇たちを睨みつけていた。

「私の友達を怖がらせたこと、後悔させてやるわよ!」

 刹那、サチはミルと緑髪の女生徒を抱えて、思い切り地面を蹴飛ばした。
 凄まじい勢いで大蛇たちの間を駆け抜けて、気が付けば連中の群れから抜け出している。
 サチはすでに、あの幸運値に依存して成否が決まる身体強化魔法を使っているみたいだ。
 彼女のおかげで取り囲まれていた状況から脱するが、すぐに大蛇たちがバネのように弾んでこちらに飛びかかってくる。

「【我こそは審判者――裁きの鉄槌――大罪人に正しき懲罰を】」

 口早に詠唱を終えたサチは、右手をサッと前方にかざして唱えた。

「【地獄への大扉(ヘルズ・ゲート)】」

 暗い森の中でもしっかりと見える、漆黒の魔法陣が大蛇たちの真下に出現する。
 それは黒い輝きを放つと、大蛇たちに呪いのような不気味なオーラを纏わせた。
 瞬間、巨大魔獣たちが苦しみもがきながら地面に倒れていく。
 その光景はまさに、圧巻の一言に尽きる。
 自分があれだけ苦戦していた魔獣の大群が、一瞬にしてすべて地面に伏して、息を途切れさせていた。