いつか、でよかった。
いつかチャンスが巡ってきた時に、あの特待生の邪魔ができればそれでいいと思っていた。
しかしまさかこんなにも早く、特待生を陥れることができる機会が訪れるなんて、考えてもみなかった。
魔術学園の期末試験は、毎回違った内容のものになっている。
ゆえに試験中に他生徒の妨害ができるかどうかは、すべて試験内容によって左右されることになるのだ。
だからミュスカは、直近の一学期期末試験ではなく、いつか都合のいい試験が行われた時に、特待生の邪魔をしようと企んでいた。
それがどんな天啓か、今回の試験で簡単にも特待生を退学に追い込むことができてしまった。
こんなにも他人を蹴落とすのに便利な試験は他にないだろう。
教員側も生徒同士で蹴落とし合うことは想定していなかったらしく、監視の目もほとんど配られていない。
万が一あの場面を目撃されていたとしても、手を滑らせて落としてしまったことにすれば問題はない。
「あいつが悪いのよ。平民の分際で調子に乗るから……」
魔術師の世界において、平民は最底辺の存在である。
それなのにも関わらず、魔術学園という同じ舞台に立ち、あまつさえ貴族の子息令嬢を押し退けて特待生の称号を持って行った。
こんなにも腹立たしい存在は他にいない。
自分の上に何者かが立っているということは最低でも容認できるけれど、その人物が平民であるということはさすがに我慢がならない。
まあ、もう二度とあいつの顔を見ることはなくなるのだ。
ミュスカは人知れず微笑み、歓喜に背中を押されるように足を早めた。
「シャアァァァ!!!」
しかし突如として、前方の茂みから大蛇が飛び出してくる。
感知魔法を使っていたため、余裕を持ってその姿を捉えると、ミュスカは目覚ましい反応速度で大蛇の突進を躱した。
同時に光明魔法で光源を生成し、襲いかかって来た魔獣を改めて視認する。
漆黒の鱗を持つ大型の蛇魔獣。
あの特待生が倒していた魔獣と同種のものだと思われる。
戦闘を陰で見ていた限り、自分でも問題なく倒すことができる魔獣だが、足を止められるのは得策ではない。
(こいつも無視ね)
ここに来るまでに同じように魔獣に襲われて来たけれど、ミュスカはすべて戦闘を避けてきた。
あの特待生をぎりぎりの瞬間で絶望に落とすために、あえてあの場所で時間経過を待っていたため、試験の残り時間に余裕がないのだ。
試験内容はあくまで森を踏破することなので、戦闘はなるべく控えて行きたい。
そう思って大蛇の間合いから離れようとすると、突然後方で何かが動いた。
「――っ!?」
感知魔法に引っかかりを感じて振り向くと、そこには前方に佇む魔獣と同じ、漆黒の大蛇がいた。
だけでなく、右や左からも同じ気配を感じて、ミュスカは周囲を見回す。
気が付けば彼女は、十数匹の大蛇の魔獣に取り囲まれていた。
(な、なんでこんなに魔獣が……!? それにどうして感知魔法で気付けなかったのよ……!?)
ミュスカの魔力値は『190』と、平均的に見れば高い数値を誇っている。
そのため感知魔法の範囲もそれなりに広く、確実に魔獣に取り囲まれる前にすべての魔獣に気が付けるはずなのだ。
しかし今回は反応が遅れた。
常に感知魔法を張っているはずなのに、大蛇たちの存在には気が付けなかったのだ。
(そういう能力を持っているのね……!)
感知魔法の原理としては、魔素を活性化させて感覚を鋭敏にすることで、魔獣の魔素を感知できるようになるというもの。
そのため魔素をある程度操作できたり、魔素の力を自在に抑えることができる魔獣なら、感知魔法を突破することができるはず。
おそらくこの大蛇たちはそういう特殊な能力を持った種族なのだろう。
と、短く推察を終えたミュスカは、腰の裏から緑色の小杖を抜き、それを構えて大蛇を睨め付けた。
「面倒だけど相手してやるわよ!」
この数の魔獣の囲いを、無傷で掻い潜るのはほぼ不可能。
数匹だけでも倒して突破口を開かなければ、道はない。
「【気鬱なる砂塵――谷底からの烈風――空漠なる景色を晴らし切れ】」
魔法詠唱を終えたミュスカは、小杖の先端を大蛇たちに向けた。
「【一陣の刃風】!」
刹那、杖の先に施された鉱石が、詠唱に反応したように光りを放った。
直後、魔法が発動して、ミュスカの周りから突風が吹き荒れる。
鋭い刃のように尖った風は、前方にいる三匹の大蛇に音を立てて襲いかかった。
鋭利な風で相手を攻撃する風魔法。
加えて杖の触媒を使ったことで魔法の威力を上昇させている。
杖の先にあしらわれているような宝石の類は、魔素を興奮させて性質を向上させる効果がある。
一説によると魔素は光物を好んでいて、見ると気持ちを向上させるらしい。
それによって一時的に魔素の大きさも膨れ上がり、魔力値が上昇する。
ゆえに魔術師は戦闘において、宝石が装飾された杖を使い、魔法を強化しているのだ。
ミュスカも例に漏れず触媒を介して魔法を使い、威力を上昇させて大蛇にぶつけた。
だが……
「えっ……?」
目の前にそびえる大蛇たちには、傷一つ付いていなかった。
いや、それどころの話ではない。
通常であれば、大木すらズタズタに刻んで倒すことができるはずの風魔法。
だというのに、ミュスカが繰り出した魔法の風は、茂みの葉を僅かに千切ることくらいしかできていなかった。
(何よ今の風。どうしてこんなに魔法の威力が弱まってるの……?)
瞬間、ミュスカはハッとなって気が付く。
“あの時”と同じだ。
討伐依頼に赴いた際、戦闘中に前触れもなく魔法の威力がガタ落ちして、魔獣を倒し切れなかった時と。
そのせいで自分は討伐依頼を完遂することができずに、代わりに特待生に達成してもらうことになったのだ。
事態の異常に気が付いたミュスカは、同時に一つの可能性に思い当たる。
(もしかして、魔素が小さくなってる……?)
端的に言うなら、魔力値が減少しているのではないだろうか。
思えば風魔法だけではなく、それ以前に使っていた感知魔法の調子もどこかおかしかった。
大蛇たちに感知魔法を掻い潜る能力が宿されているのかと思ったけれど、実際はこちらの感知魔法が正常に機能しておらず、奴らの接近に気が付くことができなかったのではないか。
それならすべての説明がついてしまう。
どうして魔素が小さくなってしまっているのか、その理由はやはりわからないけれど……
ミュスカは、改めて自分が立たされた現状を見て、背筋を凍えさせた。
(どう……すれば……)
魔力値を制限された中で、十数匹の大蛇の魔獣に囲まれた状況。
どう足掻いたってここから逃げ出せる想像ができなかった。
四方八方から大蛇の声と臭いが届き、思わず全身が震え上がる。
(たす……けて……!)
奴らが毒の牙を光らせながら、一斉に飛びかかってくる光景を……
「誰か助けてっ――!」
ミュスカは、泣きながら見つめることしかできなかった。
「【凍てつく大地】!」
刹那、周囲が冷気で満たされた。
「えっ……」
見ると、ミュスカに飛びかかろうとしていた大蛇たちは、そのままの体勢で凍りついていた。
地面から伝う氷に体を縛りつけられて、完全に動けなくなっている。
大蛇の氷像と冷気に周りを囲まれたミュスカは、白い息を吐きながら暗闇の向こうに一筋の光を見つける。
そこから出てきたのは、長い青髪を揺らす華奢な女生徒――ミルティーユ・グラッセだった。
「ど、どうしてあんたが、ここに……」
この特待生は、自分がついさっき蹴落としたはず。
支給された方位磁針を壊し、試験続行を困難にさせたはずなのに、どうしてすでにここまで来ているのだろうか。
ミルを置き去りにした後、ミュスカは真っ直ぐに到着地点に向かって走り続けた。
それでもう追いついて来ていることに疑問を禁じ得ない。
なんて思っていると、大蛇の氷像を横切って来たミルが、簡単な種明かしをした。
「あなたの後を追っていたからです」
「はっ?」
「目標地点の場所がわからなくても、そこに向かうあなたの後を追えば、私も目標地点には辿り着けると思ったので」
それは言われずともわかる、当然の理屈である。
しかしミュスカもそんなことは承知していて、だから後をつけられないように暗闇を利用して目標地点を目指していたのだ。
それなのにどうしてこの特待生は、この場所までついて来られたのだろうか。
念のために自分は身体強化魔法まで使って足を早めて、極力魔獣との戦闘も避けてここまで来たのに。
そこまで考えた直後、ミュスカはハッとなって気が付く。
「感知……魔法……」
「さすがに森全体は無理ですけど、森の半分ほどでしたら私の魔力値で充分覆えるので」
自らの魔素を活性化させて感覚を研ぎ澄ませることができる感知魔法。
周囲の魔獣の魔素を感じ取ることができるようになり、魔力値に応じてその範囲は広くなっていく。
通常の魔術師が使えば、おおよそ半径百メートルほどまで範囲を拡大できるのに対し、規格外の魔力値を持っているミルティーユならばさらに広い範囲を覆うことが可能。
しかも熟練の魔術師ならば感知魔法の範囲を自在に操ることもできるので、おそらくミルティーユは森の入口側に背を向けて、正面に感知範囲を集中させて広げたのだ。
それならば森の半分近くを覆うこともできるかもしれない。
そして感知魔法で気取った魔獣の動きを見て、こちらの後を追いかけてきたのだ。
そこまでは、ミュスカも理解はできた。
しかし彼女には、どうしてもわからないことが一つだけあった。
「なんで、私を助けたのよ……」
気に食わないという理由だけで、学園中に悪い噂を流した。
最後には退学に追い込むために、試験の妨害だってしたのだ。
自分のことなんて憎たらしくて仕方がないはず。
このまま見捨ててしまってもよかったはずなのに。
それなのに……
「なんで、私を……」
理解ができずに苦しんでいると、ミルティーユは幼なげな童顔の上に、冷気を払うような温かな笑みを浮かべた。
「私の憧れの人なら、きっと同じことをしているはずだからです」
「……」
ミルティーユは真っ直ぐな視線を送ってきたが、瞳の奥ではまるで違う人物を見つめているような気がした。