翌朝。
昨日、結局ミルは夕食にも顔を出さず、私が就寝した後に部屋に戻ってきたらしい。
というのを朝になって、私よりも先に起きていたミルから聞いた。
どうやら昨日は討伐依頼が長引いてしまったみたいで、深夜に帰ってくることになったのだとか。
寂しい思いさせやがって、と恨み言の一つでも掛けたいところではあったが、無難に「お疲れ様」と言っておいた。
ついでに、昨日マロンさんから聞いたことも話しておくことにした。
「わ、私のことが噂に……ですか?」
「うん、そう。自分たちが達成できなかった依頼を、ミルが代わりに消化してるのが許せないんだって。だからミルを貶めるために悪い噂を撒いてる奴らがいるんだってさ。ミルの耳に直接入る前に、一応伝えておこうと思って……」
自分の耳で直に聞くよりかは、私の方から伝えた方がショックは少なく済むだろう。
その甲斐あってかどうかはわからないが、ミルは落ち着いた様子でゆっくりと頷いた。
「他の方が失敗してしまった依頼を横取り……。まあ確かに、そう見えるかもしれませんね」
「でもミルは学園長さんからのお願いで依頼の消化を手伝ってるだけじゃん。失敗した依頼は基本的に再挑戦は認められないし、結局は他の誰かがやるしかなくなるんだよ」
と、悪い噂を流している本人たちに直接言えればいいのだが。
その噂の出所もまったくわからないため、対処の仕様がない。
噂自体を堰き止める、と一瞬考えもしたけど、そっちの方がもっと非現実的だ。
ミルは自嘲的な笑みを浮かべながら、落ち込んだような声を漏らした。
「もしこれが平民の私ではなく、他の貴族の優等生の方が依頼の消化を手伝っていたとしたら、そんな噂は流れていなかったんですかね」
「そ、そんなことは……!」
ない、とは言い切れなかった。
もし依頼の消化をしているのが他の生徒……例えばメランジェ家のご令嬢であるマロンさんがやっていたとしたら、たぶんこんな事態にはなっていなかったのではないだろうか。
平民のミルだから余計に妬みの攻撃を受けることになった、と言われると納得できてしまう。
「でも、依頼に失敗したのは自分たちの責任なんだし、それで肩代わりしてくれてるミルを恨むのは筋違いだよ。恨むなら未熟な自分を恨めばいいのに」
「……」
と正論を語っても、ミルの曇った表情はいまだに晴れない。
まあ、学内に自分の悪い噂が広められていると知って、平常でいられる方がおかしな話か。
途端、ミルに向けられている悪意が形となって襲いかかってきたかのように、私は知らず知らず身を震わせていた。
「……ねえ、やっぱり私も依頼手伝おっか?」
「えっ?」
「さすがに考えすぎだと思うけど、ミルのことをよく思ってない連中が、いつか直接手を出してくるかもしれないでしょ。それにそこまではしなくても、何か間接的に嫌がらせとかもされるかもしれないし……」
そして嫌がらせをされるとしたら、一人でいる時の依頼中の可能性が非常に高い。
いくらミルが優秀だからといって、魔獣討伐中にちょっかいを掛けられたら、何が起きてしまうかまったく予想がつかない。
最悪大怪我、どころではなく生死に関わってくるかも。
そうならないように私も一緒について行くと提案してみたのだけれど……
「でも、やっぱり私は、一人でこれをやり遂げてみたいんです。サチさんの手を借りてしまったら……」
やはり私に手伝われるのを嫌がっている様子を見せてくる。
できればミルの傍にいて、意地悪な連中からちょっかいを掛けられないように見張っておきたいんだけど。
瞬間、私の脳裏に雷のような刺激が走った。
「あっ、いいこと思いついた!」
「えっ?」
「ミルの望み通り、私は依頼を手伝わない。でもただの付き添いとして、一緒に依頼について行くっていうのはどうかな?」
その提案に、ミルは驚いたように目を丸くした。
どうやらミルは今回の依頼消化を一人で成し遂げたいという強い思いがあるらしい。
だから私に手伝われるのを嫌がっているみたいだけど、ただの付き添いとして依頼について行くならその思いの妨げにはならないのではないだろうか。
屁理屈にも聞こえる案ではあったが、ミルは僅かに逡巡したのちにゆっくりと頷き返してきた。
「そ、それでしたら、別に……」
「よし、じゃあ決まりね。さっそく明日から同行させてもらうから」
これでミルが危険な目に遭わないように見守ることができる。
ついでにミルがどんな風に討伐依頼をしているのか、その様子を見学することもできるようになった。
あと、暇な時間はなくなりそうです。
王都ブロッサムの西側に広がっている草原。
そこの南西部に、水泡花という水色の花がたくさん咲いている場所がある。
花の先からは時折、人の頭ほどの大きさの“泡”が、ぽよんっと発生していて、しばらく割れることなく宙に漂っている。
その特異な景色から、通常の草原と違ってこの箇所だけ『水泡草原』という名前が付けられている。
私とミルは討伐依頼のために、その水泡草原へとやってきた。
話に聞いた通りそこには、幾百もの半透明な泡がぷかぷかと浮かんでいて、可愛らしい景色が広がっていた。
すると一つの泡がふわふわと目の前にやってきたので、指先で軽く触れてみる。
瞬間、パチンッと心地よい音と共に中から薄い煙が出てきて、爽やかな香りが鼻腔をくすぐってきた。
「おぉ、いい匂いするね! 一本摘んで部屋に飾ったら、部屋の中がずっといい匂いになるんじゃないかな?」
「泡の中には小さな爆発を起こすものも稀にあるそうなので、部屋に飾るのは危険だと思います。あと、無闇に触らない方がいいかと」
「……そ、それ、ここに来る前に教えてもらいたかったなぁ」
背筋をぞっと凍えさせながら、ふわふわと浮いている泡から身を遠ざける。
でもこれ、さすがに数が多すぎるから、全部避けるのは難しいんじゃないかな。
触れた泡が爆発しないように祈る他ない。
「で、今回の依頼はここで何するの?」
「ここを縄張りにしている吸精霊という魔獣の討伐です。最近数が多くなってきて、凶暴性が増してきているとのことで討伐依頼が出されたそうですよ」
姿は小さな人型で、背中に妖精のような羽根を生やしている。
水泡花の香りに誘われた人たちに飛びついてきて、精力を吸い上げてくる。
という説明をミルから受けて、私は一層周囲への警戒心を高めた。
「水泡草原に咲いている水泡花は、香水や消臭剤の原料にもなっていて、調香師さんがよく花を摘みに来るそうです。凶暴な吸精霊が大量にいると花の採取もままならないとのことで、早急に対応してほしいとのことでした」
「で、うちの生徒はその討伐依頼を失敗しちゃったと……」
その話をしたタイミングで、水泡の陰から、手の平サイズの羽付き小人が現れた。
一匹だけではなく十数匹。
赤や青や緑といった色彩豊かな髪と瞳を輝かせて、歪んだような不気味な笑みを頬にたたえている。
触れただけで人から精力を吸い上げることができる能力を持っているそうなので、近寄らせずに倒すのが無難とのことだ。
「それじゃあ私は後ろの方で見てるから、気を付けてねミル」
「は、はい」
私に見られているという状況に緊張しているのか、ミルは顔を強張らせていた。
しかし意を決したように表情を引き締めて、吸精霊たちの前に立つ。
「そ、それでは行きます!」
気合は充分と言ったところだ。
私がついて行くことにあまり乗り気ではなかったみたいだけど、何やら今は張り切っている様子。
張り切りすぎて空回らないといいけど、とりあえずミルのお手並み拝見である。
彼女は吸精霊たちが飛びかかってくる景色を前に、右手を構えた。
「冬季の来訪――透き通る氷柱――熱に浮かされた……」
滑らかな魔法詠唱。
式句に間違いもなく完璧な高速詠唱である。
だが、詠唱を終える寸前、ふよふよと漂ってきた“水泡”がミルの肩に触れて、先刻の通りそれが弾けた。
瞬間、それは爽やかな煙ではなく、僅かな爆風と爆音を起こしてミルを襲った。
「わわっ!」
爆風に押されたミルは、詠唱の途中で止められて僅かに体が突き飛ばされる。
爆発の威力そのものはほとんどないみたいだが、爆風と音はそれなりにあるようだ。
草原に尻餅をついたミルは、すぐさま立ち上がって再び唇を走らせた。
「と、冬季の来訪――透き通る……」
だがまたも、背後からふよふよと泡が漂ってくる。
それはミルの背中に触れた瞬間、バンッと激しく弾けて、彼女の華奢な体をまたも吹き飛ばした。
そして飛んで行った先にまた水泡が浮かんでおり、それに触れた途端バンッと同じ音が鳴り響く。
バンッバンッバンッ……
気が付けばミルは、爆発する泡にあちこち吹き飛ばされていた。
「なな、なんで私の周りだけー!」
「……何してんのあの子」
もう魔獣討伐どころではなくなっていた。
吸精霊たちも戸惑った様子で爆弾泡に弄ばれているミルを傍観している。
それにしても、なんであの子の周りにだけ爆発する泡があんなに多いんだろう?
試しに私も近くの泡に触れてみるけれど、いくらつついても爽やかな煙しか出てこない。
そりゃそうだよね。だって爆発する泡は“稀”にしか出ないって言ってたもんね。
もしかしたらこれは、ミルの不幸度が成せる芸当なのかもしれない。
不幸体質のせいで彼女の周りに爆発する泡だけが寄ってきているのだとしたら、なんだかとても納得できてしまう。
ミルは張り切っていた手前、満足に魔獣討伐ができずに頬を赤く染めている。
その隙を見逃すまいと、吸精霊たちが改めて怯んでいるミルに飛びかかっていった。
思わず私は手を出してしまいそうになるが、ミルはなんとか右手を構えて詠唱を始める。
「【冬季の来訪――透き通る氷柱――熱に浮かされた愚者を穿て】――【冷酷な氷槍】!」
刹那、彼女の周りに大きな氷柱が複数発生し、その切っ先が吸精霊たちの方に向けられた。
直後、飛びかかってきた吸精霊たちを迎撃するように、氷柱が高速で放たれる。
鋭い氷の槍で身を貫かれた妖精たちは、その一撃だけで絶命し、まるで空気に解けるように消滅していった。
後に残されたのは、奴らの背に生えていたと思しき、光り輝く一枚の羽だけだった。
「……さすが、魔力値350」
吸精霊は見る限り、かなり素早くて的が小さい相手だ。
倒すのは並の術師でも容易ではない。
けれどミルは類稀な魔法の才能を生かして、一撃でほとんどの吸精霊を狩ってみせた。
氷魔法の破壊力、速度、精度、どれをとっても他の魔術師では真似できない芸当である。
加えて、ある一つの事実に気が付き、私は思わず声を唸らせた。
放った氷柱は役目を終えて地面に突き刺さっていたが、美しく咲いている水泡花たちには傷一つ付いていなかった。
「やっぱ、ミルはすごいね」
「えっ?」
「改めて特待生に選ばれるのも当然だなって思ったよ。生徒の中にはよく思ってない人たちも大勢いるけど、この学年で一番なのはやっぱミルだよ」
「……」
素直に褒め称えると、ミルはなんだか複雑そうな顔をして俯いてしまった。
やがて彼女は自身の制服についた汚れを払いつつ、自嘲的な笑みを浮かべる。
「まだまだ、全然ダメですよ。サチさんみたいにかっこよくできていませんし、いつも何かしらのトラブルが起きてしまって……」
「それはもう、幸運値が0なんだから仕方がないんじゃないかな。それに結局はちゃんと依頼も達成してるし、気にすることもないと思うけど……」
どうやらミルは今回の成果にあまり満足していない様子だ。
もっと鮮やかな魔獣討伐を志しているらしい。
地面にあちこち転がされたり、泥に塗れながら戦うのではなく、あくまでスマートに仕事をこなすのを目標にしているみたいだ。
まあ、高い理想を持つのはいいことだけど、とりあえずは無事に終われたことを喜んでもいいと思うけどね。
何はともあれ吸精霊を目標数倒すことができたので、討伐証明となる羽を回収して帰ることにした。
羽を集め終わった直後、私はふと思い出したように首を傾げる。
「そういえば、前にこの依頼を受けてた人たちは、なんで吸精霊を倒せなかったんだろう? ミルみたいに爆発する泡にあちこち転がされちゃったのかな?」
「じ、自分で言うのもなんですけど、そんなことになるのは絶対に私だけだと思いますよ。ていうか恥ずかしいこと思い出させないでください!」
まあ、そうだよね。
さすがにあんなことになるのは世界中探してもミルくらいしかいないと思う。
ならなんで吸精霊討伐を達成することができなかったのだろう?
厄介な魔獣だとは思うけど、依頼を受けたのは世界最高峰の魔術師養成機関の魔術学園の生徒だというのに。
「えっと確か、依頼に失敗してしまった生徒さんたちは、詠唱をしても魔法が起動しなかったとか、いつもより破壊力が出ないとか、そういう理由で吸精霊討伐ができなかったと聞いています」
「なんか、前に聞いた話と似てるね。何か関係あるのかな?」
「さ、さあ……?」
私たちが前に受けた岩傀儡討伐でも、前担当生徒たちは調子が悪かったという理由で依頼を失敗している。
下手な言い訳と捉えてしまえばそれまでだけど、果たして他の生徒たちまでそんなわかりやすい言い訳を口にするだろうか。
「ミルはおかしなところとか何もない?」
「爆発する泡を奇跡的に連続で引き続ける不幸を除けば、特に何も……。魔法も普通に使えましたし、威力も別に変わってはなかったですね」
「だよね。私も見てる限りはおかしいところとかなかったし」
ま、失敗した生徒たちが、本当にたまたま調子を崩していたという可能性もあるからね。
変にこれ以上考えても仕方ないか。
と、考えるのが面倒くさくなった私は、目の前にやってきた泡をツンッとつついて、爽やかな香りに包まれながら水泡草原を後にした。