「うわっ、何これ……」
ドームの形をした訓練場の中に入ると、二階と三階にあたる観客席のところに、なぜかたくさんの人たちがいた。
全員魔術学園の生徒のようで、私が今いる中央の会場を興味ありげに見つめている。
どうしてこんなに人が集まっているのだろう?
という疑問を抱いていると、審判席の前を通り掛かった時にレザン先生が教えてくれた。
「私も最初は驚いたが、模擬戦を行うのがカイエン・シフォナード君ともなれば当然だと言える。今年の新入生の中でも飛び抜けた才覚の持ち主で、実力を窺っておこうという生徒は多いだろうからな」
にゃるほどねぇ。
確かに観客席の方を見ると、青い差し色の制服を来た生徒が多いように思う。
同じ一年生として、トップクラスの実力を持つカイエンを一目見ておこうという考えなのだろう。
となるとこの集団の視線はすべて、私の前に立つ赤髪の男子生徒に集まっているってわけか。
逆に私はまったく注目されていない。いや、逆に注目を浴びていると言ってもいいかな。
ただの平民が、魔術師の名家の子息を相手に模擬戦をするなんて、どれだけ無謀な奴なのかと。
ただでさえ平民ってこの学園じゃ珍しいからね。
「よう、随分と遅かったじゃねえか。怖気付いて逃げ出したのかと思ってたぜ」
「冗談でしょ。あんたのどこに怖気付く要素があるっていうのよ」
余裕の笑みを浮かべるカイエンに、私は嘲笑気味にそう返す。
視線をぶつけ合って見えない火花を弾けさせていると、審判席のレザン先生が凛とした声を張り上げた。
「それではこれより模擬戦を開始する! ルールは二人ともすでに承知しているな」
私とカイエンは沈黙という形で頷きを返す。
そして奴は腰に下げていた杖を抜き、その先端をこちらに向けるように構えた。
私は何も持っていないため、特に構えをとることもなく佇む。
一時の静寂が訓練場を支配する。
たくさんの生徒たちがいるはずの観客席も静まり返り、周囲が緊張感で満たされた。
その短い間に、私は考える。
ミルが言っていた通り、この模擬戦では得意の即死魔法は使えない。
魔力値も1なので通常の魔法が使えないどころか、魔法に対する防御力も皆無と言っていいだろう。
対して相手は魔術師と戦う術を心得た、対人戦の達人だ。
一見、まるで勝ち目はないように見えるけれど、即死魔法以外にも私が使える魔法は少なからずある。
それも、こと魔術師との戦いにおいて、絶大な効果を発揮してくれる魔法が。
そして、レザン先生が、お互いに準備ができたと見た瞬間――
「それでは……始めっ!」
力強い声で開始の合図をした。
私はすかさず右手を開き、それを自分にかざして唱える。
「【平和の訪れ――天上の守護神――無力な民を守りたまえ】」
最初の一手を打ったのは私だった。
「【ひと時の平和】」
一瞬だけ、私の体が銀色の光に包まれる。
だが、たったそれだけで終わってしまったので、正面でそれを見ていたカイエンが訝しげに眉を寄せた。
「おいおい、どこの田舎の魔法だよそれは。しかも何も起きてねえじゃねえか。それとも今のは平民式の懺悔か何かか?」
という彼の台詞に、観客席の生徒たちがくすりと笑う。
周りの反応を見ると、どうやらこの魔法を知っている生徒は一人もいないようだ。
まあ、無理もない。
これも一般的に普及している魔法とは違って、幸運値によって効果が変動する確率魔法だから。
普通の魔術師が使っただけじゃ何の意味もない魔法だし、魔術学園でもきっと習わないだろう。
所詮、その程度の無価値な魔法。
しかし、幸運値999の私が使えば、その価値観はまるっきりひっくり返る。
だからカイエンは、何がなんでも、私が詠唱を始めた時点で止めに来なければならなかったのだ。
だって、これで……
私の勝ちが、ほとんど確定してしまったのだから。
「基礎的な魔法すら知らねえ平民に、俺が特別に教えてやるよ。これが本当の魔法だ」
勝気な笑みを浮かべたカイエンは、右手で持った杖をこちらに向けて唱えた。
「【時季の巡り――赤熱の花弁――風に乗って舞い散れ】――【火葬の灰吹雪】」
瞬間、奴の周囲に真っ赤な花びらが何十枚も生成される。
それらを風に乗せて飛ばしてきて、一瞬にして私の視界が花びらによって覆い尽くされた。
真っ赤な花弁。パチパチと爆ぜるように細かな火花を散らしている。
何か仕掛けがある、と思った次の瞬間、目の前に落ちた一枚の花びらが、強烈な閃光と爆風を放ちながら弾けた。
それに誘爆するかのように、他の花弁も次々と炸裂し、絶え間ない閃光と爆風が襲い掛かってくる。
なかなかの威力の火系統魔法だ。
奴の魔力値が高いのもあるのだろうが、おそらく魔素の色が赤色で火系統の魔法を得意としているのではないだろうが。
そして奴が持っているあの杖。先端に赤色の宝石が付いている。
魔素は宝石があしらわれた杖や装飾品を好み、魔法の触媒として使うと威力が僅かに上がるようになっている。
一説によると、魔素は宝石を見ると少し興奮して、魔法の威力を上げてくれるのだとか。高価だから私は持っていないけど。
それもあってか、カイエンの放った“爆ぜる花弁”はかなりの威力の魔法に変貌していた。
けどまあ……
「はっ……? 無傷だと?」
私にはまったく効かないんだよね。
爆風が晴れた中、無傷どころか制服すら汚れていない私を見て、カイエンは怪訝そうに顔をしかめた。
観客席の生徒たちもざわついている。
今の一手で確実に勝負が決したと思っていたのだろう。
でも残念、あいつの魔法は私の制服に塵一つ付けることはできないんだよ。
「チッ、少し手加減しすぎたか。平民の魔力値はよくわかんねえから、魔衣の強度も曖昧で気ぃ遣うんだよな」
なんとも言い訳がましい台詞である。
カイエンは辟易したようにため息を吐くと、赤い前髪を掻き上げて笑った。
「じゃあこっからは、少し強めに行くぜ」
再び杖の先端をこちらに向けて、別の詠唱を始める。
「【敵はすぐそこにいる――紅蓮の猛火――一球となりて魔を撃ち抜け】」
これは聞き慣れた魔法の詠唱文だ。
初歩的な攻撃魔法の一つで、使用者の魔力値が破壊力に顕著にあらわれるようになっている。
そしてこれも火系統の魔法なので、赤魔素持ちのカイエンが得意としているはず。
「【燃える球体】!」
奴が構えた杖の先端から、人の上背と同じほどの火球が放たれた。
見ただけでわかる。魔力値と色の適合によってかなりの破壊力になっている。
観客席の生徒たちも、カイエンの【燃える球体】を見て感嘆の声を漏らしていた。
けど、そんな強力な魔法も……
「はい、無駄です」
私の体に触れる直前に、不可視の壁によって阻まれた。
「な、なにっ!?」
またも私の制服には、塵一つ付くことがなかった。
そこでようやく、カイエンが不審な事態を怪しがって、私に鋭い視線をくれた。
「てめえ、いったい何をしやがった……」
「さあ、何でしょうかねぇ。少しは自分で考えなさいよ」
わざわざ親切に教えてやる義務はない。
小馬鹿にするように薄ら笑みを浮かべて返すと、カイエンは不機嫌そうに顔をしかめた。
その怒りを魔法に乗せるように、荒々しく同じ詠唱をして杖の先端を向けてくる。
「【燃える球体】!」
再び巨大な火球が撃ち出される。
だが、その火球も私の体に届くことはなく、寸前で不思議な力によって掻き消されてしまった。
まるで、見えない壁によって阻まれてしまったかのように。
「ど、どうなってやがる……」
カイエンは驚愕のあまりか、声を枯らしてそう呟く。
そして観客席の生徒たちはもちろん、審判席にいるレザン先生も驚いた様子で固まっていた。
まあ、こんなマイナーな魔法を知っている人なんているわけないし、みんなびっくりするのは当然だよね。
このままあいつが無駄なことをやり続ける姿を、笑いながら眺めているのも一興かと思ったけど、一時間目の授業まで猶予もないのでそろそろケリをつけることにする。
「これ以上やっても時間の無駄……って言ってもあんたは聞かないだろうし、仕方ないから教えてあげる」
「あっ?」
「私が最初に使ったのは『防護魔法』。それもただの防護魔法じゃなくて、魔法による攻撃を“完全に無効化する”って魔法なの」
できるだけわかりやすく、簡潔に説明をする。
だが、何も知らない人たちにとっては言葉足らずだったようで、全員がぽかんと呆けた顔をしていた。
カイエンも同様に怪訝そうに眉を寄せている。
「魔法を完全に無効化するだと? そんな魔法聞いたことねえ。テキトーなホラ吹いてんじゃねえぞ」
「嘘じゃないわよ。事実、あんたの魔法は全部私には効いてないでしょ。それが何よりの証拠よ」
「ならどうしてそんな魔法がどこにも伝わってねえんだよ! 魔法を無効化する魔法なんざ誰もが使ってなきゃおかしいだろうが!」
「誰も使うわけないでしょ。だってこれ、十万回に一回くらいしか成功しないんだもん」
「……はっ?」
場が、唐突に静まり返った。
とても大勢の学生たちが集まっている訓練場とは思えない。
誰もが自らの耳を疑うように、言葉を失って固まっている。
その静寂を破ったのは私だった。
「発動から三十分の間、十万回に一回くらいの確率で魔法による攻撃を無効化してくれる魔法――【ひと時の平和】。だから普通の魔術師がこれを使ったところで何も起きないし、そんな無価値な魔法なんて誰も使うはずがないじゃない」
「じゃ、じゃあ、なんでてめえは……?」
まったく魔法が効かないんだと、カイエンの顔に書いてあった。
十万回に一回しか成功しないのなら、なぜ先ほどからすべての魔法が無効化されるのか、理解ができていない様子。
その言葉を待っていたと言わんばかりに、私は少し鼻を高くして答えた。
「幸運値999の私なら、百発百中で魔法を防ぐことができるのよ。これでわかった?」
「幸運値、999……?」
魔術師にとってはまるで意味のない存在――幸運値。
その認識は世界共通のものであり、ことこの魔術学園においては常識と言っても差し支えない。
幸運値なんて何の役にも立たないものだと。実家で冷遇されていたのもそれが理由だった。
でも幸運値は、こんなにも大いなる可能性を秘めた、魔術師にとって重要な才能だ。
この場にいる全員が、幸運値の有用性を改めてその目で見て、激しく動揺していた。
「あんたの魔法はもう私には効かない。潔く降参するなら、このまま何もしないで終わりにしてあげるけど」
「――っ!」
諭すようにそう言うと、カイエンは額に青筋を立てて声を荒らげた。