模擬戦は、校舎から少し離れたところにある訓練場で執り行うこととなった。
基本的に学園内であれば、校舎以外だったらどこで模擬戦をやってもいいという。
多くの学生は訓練場を戦いの場に選ぶようなので、それに倣えで私もそこを指定した。
幸いにもこの日、早朝から訓練場を使っている人はいなかったので、すんなりと使用申請が通った。
「模擬戦には本学園の教員の同行が必須なので注意してください」
生徒会に使用申請をしに行った時、親切にもそう教えてもらった。
なので、たまたま廊下を通り掛かったレザン先生を捕まえて、模擬戦の同行をお願いした。
それはなんとか了承してもらえたんだけれど……
「朝っぱらから依頼受付所が騒がしいと思ったら、まさか君の仕業だったとはな。それに入学して間もないというのにいきなり模擬戦か」
「いやぁ、正確に言うと私じゃないんですけどねぇ」
レザン先生に呆れられてしまった。
私のせいじゃないんだけどなぁ。
でもまあ、私のためにミルが頑張ってくれて、そこに助太刀したのだから私のせいでもあるのかな。
とにかくまあ、これで模擬戦の準備は完了である。
模擬戦には色々と細かなルールがあるみたいだけど、とりあえず過度な攻撃は絶対に禁止らしい。
相手を死に至らしめる魔法はもちろん、修復不可能な障害を与える行為も禁止である。
過剰に痛めつけるのは言うまでもなく、治癒魔法で即時修復が可能な範囲で戦うようにと念を押された。
他にも事前の魔法使用は禁止とか、直接攻撃はありだけどこれも修復可能な範囲で行うというルールがある。
そして最終的に一方が敗北を認めるか、審判が続行不可能と判断した場合に勝敗が決するという。
という説明をレザン先生から聞き終えたところで、戦いの場所となる訓練場に辿り着いた。
おそらくすでに相手は訓練場の中で待っているはず。
それに一時間目の授業まで時間もあまりないので、さっさと終わらせるに越したことはないだろう。
早いところ行こう、と思って足を早めると、後ろにいるミルが入口のところで立ち止まった。
「どうしたのミル? 早く行こうよ」
「……」
あの騒動の後から、ずっと黙り込んで後ろをついて来ていたミル。
ペンダントを壊された時は涙で顔を濡らしていたけれど、今はなんだか浮かない顔をしている。
ミルが何も言わずに佇んでいると、その空気を読んでかレザン先生がこう言った。
「それじゃあ私は先に行って、審判席についているよ。相手はあのカイエン・シフォナード君なんだろう。是非頑張ってくれ」
先生は先に訓練場へと入っていく。
すると先生がいて話しづらかったのだろうか、二人だけになったことでようやくミルが口を開いてくれた。
「……どうして、あんなことしちゃったんですか」
「あんなこと?」
「あの赤髪の生徒さんを叩いたことです」
なんとも今さらながらのことを問いかけられてしまう。
どうしてって言われても、一言であらわすのは難しいな。
とりあえず私は、それらしい理由も思い浮かばなかったので、テキトーな答えを返しておいた。
「しょうがないじゃん。体が勝手に動いちゃったんだからさ」
「動いちゃったって、なんでよりにもよって頬っぺたを叩くなんて発想になるんですか。それに模擬戦まで仕掛けてしまって……」
ミルはまた俯いて黙り込んでしまう。
責められているのは私の方なのに、なぜかミルは申し訳なさそうな顔をしていた。
たぶん、自分のせいで私のことを巻き込んでしまったことを悔やんでいるのだろう。
実際は私の方から首を突っ込んだので、ミルが悪く思う必要は微塵もない。
だから私はミルの顔を晴らしてあげるために、ちょっとからかい気味に言った。
「叩いちゃったものはもうしょうがないじゃん。それよりも、ずっと私に冷たくしてたのに、今はたくさんお喋りしてくれるんだね。もしかして自分のキャラ忘れちゃったんじゃない?」
「そ、それには色々と理由が……!」
ニヤニヤしながら問いかけると、ミルは赤らめた顔を上げてくれた。
少しは気が紛れただろうか。
別に私はミルに頼まれてあの赤髪馬鹿を引っ叩いたわけじゃないんだから、ミルが罪悪感を覚える必要はない。
「とにかくさ、これは私が売った喧嘩なんだから、ミルがそんな顔することないよ。私がただあいつにムカついて突っ掛かっていったってだけだし」
重ねて励まそうとしたのだが、なぜかミルは再び顔を暗くしてしまった。
「でも、本当にあの人と戦うんですか?」
「えっ?」
「この模擬戦、サチさんが得意としている即死魔法は使えません。それに相手はシフォナード家のご子息だと聞きました。魔獣討伐はもちろん、魔術師を相手にする術も心得ていると思います」
武闘派の魔術師一家なのだから、同じ魔術師を相手にする訓練も怠っていないだろう。
国家魔術師の務めの一つに、罪を犯した魔術師を取り締まるというものがある。
魔法が世に普及したことで、それを犯罪に用いる魔術師も現れてしまって、町の治安を維持するためにも国家魔術師がそいつらを捕まえて回っているのだ。
シフォナード家はその方面でもかなり活躍していると聞く。
となればあの赤髪も、魔術師を相手にすることを得意としているに違いない。
「そんな人と戦えば、さすがのサチさんでもきっとただでは済みません。戦闘の経験値があまりにも違いますから」
「うーん……ま、何とかなるでしょ。たぶん」
「た、たぶんって、そんな曖昧な理由で……」
「『魔術師同士の戦いに絶対はない』って、私の師匠は言ってたよ。だからたぶん大丈夫だよ」
「で、でも、あまりにも相手が悪すぎますよ。やっぱり今回の模擬戦は、お願いして取り止めてもらいましょう。そうしないと、サチさんがひどい目に……」
なんかミルがうだうだ言い始めてしまった。
確かに今回の模擬戦には多少の不安はある。
負けた方は勝った方の言うことをなんでも聞かなきゃいけないからね。
でもそれは、この勝負から逃げる理由にはならない。
たとえ不安があったとしても、この勝負からは絶対に逃げちゃダメなんだよ。
ミルは本当に何もわかってないんだな。
だから私は、ため息混じりに呟いた。
「あぁもう、うるさいなぁ」
「えっ……」
「なんで私があいつに喧嘩を売ったのか、ミルは全然わかってないんだね?」
「な、なんでって、それは……」
途端にもじもじと居心地悪そうにするミルに、私はからかい気味に追い討ちを掛けていく。
「そんなのもわかんないんじゃ、もうミルとお喋りするのやめちゃおうかなぁ。私に散々冷たい態度もとってたし。私たちって本当は何にもわかり合えてなかったんだね」
「えっ、いや、わかっていないというか、その……」
わざと突き放すようなことを言うと、ミルは慌てた様子で両手を忙しく動かした。
そして顔を真っ赤にしながら、慣れない言葉を口にするように辿々しく言う。
「と、友達だから、ですか……?」
「うん、そうだよ。友達が目の前で泣かされて、その子が大切にしてる物まで壊されたら、誰だって腹が立つんだよ。それなのにミルはやめた方がいいとか、ひどい目に遭うとか言うし、私のこの気持ちはどうなるのさ」
ようやく聞きたい言葉を言わせることができた。
私があの赤髪に喧嘩を売ったのは、友達のミルが泣かされたからに決まっている。
そして私の怒りは頂点に達したのだ。その気持ちを発散させる機会くらいはもらってもいいだろう。
改めてそのことを伝えると、ミルは再び申し訳なさそうにしゅんとしてしまった。
「私のために怒ってくれたのだとしたら、なおさらサチさんには戦ってほしくありません。私なんかのためにサチさんが傷付く必要はどこにもないんですから」
またなんか面倒そうなことを言い始めてしまった。
ミルの罪悪感もわからないではないけど、今回の喧嘩は完全に私の意思で始めたことなんだから、そんな顔することないのに。
「これはミルのためでもあって、私のためでもあるんだから、ミルがこれ以上悪く思う必要はないんだよ。……ていうかさ、さっきから聞いてれば、ミルは私が負けることしか考えてないんだね。友達のことがまったく信じられないんだ。あーあ、私たちの友情ってその程度のものだったんだね」
「ち、違いますよ! サチさんのことを信じていないわけじゃなくて、それよりも心配していると言いますか……」
心配している。
その言葉を聞き逃さなかった。
「そう、ミルが私のことを心配してくれるのと同じように、私もミルのことを気に掛けてるんだよ。あいつにペンダントを壊されて、本当は悔しくて堪らなかったんじゃないの?」
「それは、確かにそうですけど……」
「でもミルは優しいから、あいつに仕返ししようとかまったく考えないよね。だから他にあいつに謝らせる人がいなきゃいけないと思って、私はあの時手を出したんだよ」
ミルは気弱で臆病だ。
でもそれ以上に優しい女の子だから、たとえ自分がひどい目に遭わされても仕返しをしようとは思わないだろう。
だから他にあの赤髪を罰する人間が必要だった。そして私がそれを引き受けただけの話である。
そろそろ時間も無くなってきたので、私は最後にミルの小さな頭に手を置いて宣言した。
「絶対にあいつに頭を下げさせる。ミルの悔しい気持ちを、私が代わりにぶつけてくるからさ、だから安心してここで見ててよ」
「……サチさん」
私は改めて訓練場の方を向き、カイエンが待つ戦場に歩いていく。
その間、ミルがずっと心配そうな目でこちらを見ているのを背中で感じた。
そんな彼女を安心させるために、私は今一度振り返って言う。
「それに……」
「……?」
「あいつが教わってきたのは“普通の魔術師”を倒すための方法でしょ。私、“普通の魔術師”じゃないからさ」
「……それ、自分で言っちゃうんですか」
なんとも久しぶりに見た気がする。
ミルがくすっと小さな笑い声を漏らして、静かに微笑んでくれた。