授業が終わり、改めてマロンさんに討伐依頼に誘ってもらえたけれど、私はそれを断って学生寮に帰ることにした。
 というのも、ミルが先に寮に帰ってしまったからである。
 今日も一緒に学園依頼を受けようと思っていたんだけど、ちょっとした言い争いをしてからミルが口を聞いてくれないのだ。
 怒っている、というか拗ねているって感じで。
 たぶんミルは、わざと私と険悪になろうとしているのだ。
 ミルと険悪になれば、私は心置きなくマロンさんたちと仲良くできる。
 なーんて考えているのだろうけど、そんな見え見えの手に引っ掛かる私ではない。
 というわけで今日のところは何の依頼も受けずに、私は学生寮まで戻ってきた。
 部屋に行くと、当然ミルはそこにいて、すごく意外そうな顔で私のことを見てきた。

「どうしたのミル? そんなお間抜け面して。私が私の部屋に帰ってくるのがそんなに不思議だったの?」

「……」

 ニヤッとこれ見よがしに頬を緩めてみせると、ミルはかあっと顔を真っ赤にした。
 そしてぷいっと顔を背けてしまう。
 これは本格的に怒らせてしまったみたいだ。
 ちょっとからかい過ぎたかな。
 だってからかい甲斐があるんだもん。

「もしかして自分が先に帰れば、私が妥協してマロンさんと一緒に学園依頼を受けに行くんじゃないかって考えてたの? 何度でも言うけど、私はミルを放って他の人と一緒になることはないよ」

「……」

 依然としてミルは顔を背けたまま黙っている。
 チラリと覗く頬もいまだに真っ赤に染まっていて、憤りを感じているのだとわかった。
 そんなに私の行動が気に食わないのかな?
 まあ確かに非合理的なことをしてしまっているとは思っている。
 この学園で生き残ることを考えるなら、絶対にマロンさんの誘いを受けるべきだっただろうし。
 でも私はミルも一緒じゃなきゃ嫌なのだ。
 という気持ちをぶつけるように、私は後ろから不意打ち気味にミルの華奢な体に抱きついた。

「もう観念して機嫌直してよミルー。二人で一緒に解決策考えよー」

「……嫌です。サチさんなんてもう知りません」

 ここまでしてもまだそっぽを向き続けている。
 やっぱりこれはあれだな。
 わざと私に冷たい態度を取って、仲違いしようとしているのだろう。
 それで私だけマロンさんたちと仲良くさせようと企んでいるのだ。
 甘いなぁミルちゃんは。その程度のことでこの私と絶交できると思ったら大間違いだぞ。

「そんな態度とる子には、こうだ!」

「や、やめてくださいやめてください! フードを取らないでください! フードの中に小物を入れないでください!」

 結局その日は、それから一度も口を聞いてくれなかった。



 翌朝。
 ミルとまったく話すことのなかった夜が明けて、目を覚ましてみると……

「……ミルがいない」

 隣のベッドで眠っているはずのミルが、どこにもいなかった。
 時計を確認してみると、まだいつもの登校時間の二時間前だった。
 こんな朝早くからどこに行ったのだろう?
 今日は特に早朝から出掛けなきゃいけない用事はなかったはず。
 もしかして、まだ機嫌直ってないのかな?
 もう私の顔を見るのも嫌になって、早朝から学園に向かったのかもしれない。
 それかもしくは、登校時間をズラして極力私といる時間を少なくして、関係にヒビを入れようとしているのかも。

「……こうなったら、とことんまで追い回してみようかな」

 そう簡単に私と仲違いできると思ったら大間違いだぞって教えてやるために。
 というわけで私も朝早くから登校の準備をして、いつもより二時間も早く学園に向かうことにした。
 そして登校しながらふと考える。
 確かにミルの言い分もわからないではない。
 彼女は特殊な不幸体質を持っていて、周りの人たちをそれに巻き込んでしまう危険がある。
 私の場合は幸運値が999あるから大丈夫だけど、他のクラスメイトたちはそうも行かない。
 どうやら過去に不幸にしてしまった友達がいるみたいだし、誰とも仲良くしたくないっていう気持ちも頷ける。
 でもそれで自らの学園生活を終わらせてしまうのはあまりにももったいないのではないだろうか。
 平民の私たちだけじゃ、どう足掻いても目標の成績まで到達することは不可能に近いんだから。

「……だから一緒に考えようって言ったのに」

 そうぼやきながら歩いていると、私は早くも学園の校舎に辿り着いていた。
 そしてまず先にミルを探すことにする。
 と言っても、すでに行き先の目星は付いている。
 ミルがこんなにも朝早くに学園に来たのは、おそらく学園依頼を受けるためだ。
 朝でも依頼受付所は開いている。
 ただ依頼の数は極端に少なく、ほとんどが午後にやって来る生徒に紹介されるので、朝から受付所を訪れる人はまあいない。
 しかしたまに“掘り出し物”みたいな依頼が出ていると聞いたことがあるので、もしかしたらミルはそれを狙って早起きをしたのではないだろうか。
 他の生徒がいない早朝に、運良くその掘り出し依頼があれば、私たちのような平民でも紹介してもらえるチャンスはある。
 まあすべては受付さんの匙加減によるけど、放課後の激戦時間帯に訪れるよりは現実的な方法だ。
 ミルがこのまま誰の手も借りずに学園で生き残ることを考えているなら、真っ先にこの方法に辿り着いても不思議ではない。
 ちなみにこれは私も考えていた。
 というわけでミルの姿を探して、私も依頼受付所に向かうことにした。
 すると、思わぬ光景が私の視界に飛び込んできた。

「ありゃ? なんでこんなに人がいるの?」

 朝から受付所を訪れる人はいない。
 と聞いたはずなんだけど、なぜか受付所にはすでに数人の生徒たちが集まっていた。
 それになんだか少し騒がしい。
 何かあったのだろうかと思って様子を見に行くと、そこには……

「いいからその依頼を寄越せよクズ平民」

「……?」

 ミルがいた。
 そして彼女の目の前には、赤髪のツンツン頭の男子生徒が、険しい顔をして立っていた。
 華奢なミルとは正反対に長身で、加えて鋭いツリ目がイカつさに拍車を掛けている。
 どうやら二人が言い争い(見たところ一方的にミルが言われている)をしているみたいで、そこに野次馬が群がっているようだ。
 ミルはたくさんの人たちからの視線も集めてしまったため、すごく怯えたように身を縮こまらせている。
 なんでこんな状況になったの? と首を傾げていると、同じ疑問を抱いた生徒たちが隣で話を始めた。

「なんだなんだ? 朝っぱらから喧嘩か?」

「なんかあの女の子が、受付さんから紹介してもらった依頼を受諾しようとしたら、後ろに並んでたあの男子が突っかかってったらしいぞ」

「えっ、それだけの理由で?」

 私も同じことを思った。
 確かにそれだけの理由で絡まれるのは明らかにおかしい。
 と思っていると、別の理由があることを男子生徒が教えてくれた。

「結構いい条件の依頼だったって話だぞ。しかも今朝紹介してもらえる依頼が、それ一つだけだったらしい」

「あっ、そゆこと」

 私も密かに納得する。
 つまり朝一番に並んでいたミルが、たった一つだけの依頼を勝ち取り、それを後ろで見ていた男子生徒が『ちょっと待てよ』と止めに入ったということだ。
 朝はどうやら受付窓口が一つしか開かないみたいだし、依頼を紹介してもらえるかは完全に早い者勝ちらしい。
 それなら言い掛かりを付けられるのはおかしくない? 誰よりも早起きしたミルが偉いってだけの話じゃん。

「ていうかあいつ、C組のカイエンじゃないか?」

「カイエンって、あのシフォナード家のカイエンか?」

「……シフォナード家」

 浅学な私でもその名家には聞き覚えがあった。
 代々、凄腕の魔術師を多く輩出して、国家に貢献してきた名家中の名家。
 特に頻繁に戦争が行われていた時代に豪腕を振るい、数々の戦果を挙げたらしい。
 というのもシフォナード家では幼い頃から魔法の英才教育を行い、五歳の時点で実際の魔獣討伐に同行させるという。
 そして六歳でもう独り立ちをさせて、小学部の学校の入学費を自分で稼がせるという話だ。
 本来であれば国家資格がないと討伐依頼を受けることができないのだが、シフォナード家の特権で子供の内から依頼を受けることができるらしい。
 一言で言うなれば武闘派の魔術師一家ということである。
 私の生まれ元であるグラシエール家と並べて語られることの多かった名家だけど、力関係で言えば圧倒的にシフォナード家の方が上だ。
 昔からその関係は変わらないらしく、グラシエール家がその後を追い掛ける形となっていたのでよく話を聞いていた。
 そして今年の新入生の中に、そのシフォナード家の秀才がいると風の噂で耳にした。
 あの赤髪の奴がそうなのか。

「入学試験の成績もトップクラスで、魔力値はたぶん全学年を含めても五本の指に入るらしいぜ」

「なんでそんな天才が同じ学年にいるんだよ……」

 話を聞く限り、やっぱりあの赤髪は相当な実力者のようだ。
 で、ミルはそんな天才君に目を付けられてしまったと。
 相変わらず運がないなあの子。

「いい加減にしろよクズ平民が。その依頼を寄越せって言ってんのがわかんねえのか」

 シフォナード家のカイエンに詰め寄られたミルは、怯えた様子で全身を震わせていた。
 だがそれでも、胸に抱えている依頼書を放そうとはせず、むしろ大切そうに抱き寄せている。
 ミルはどうしてもあの依頼を譲るつもりはないみたいだ。
 頑張って声を絞り出して、カイエンを追い払おうとしている。

「さ、先に並んでいたのは……私の方で……」

「なんだよ! 何言ってんのか全然聞こえねえよ!」

「っ!」

 あまりにもか細い声だったため、カイエンはさらに憤ったように声を荒らげた。
 先ほどから様子を見ているけれど、随分と短気な性格のようだ。
 これ以上刺激するのは良くないと思う。
 と思ったので、そろそろ助太刀するかと足を踏み出そうとした、その時……

「こ、これは、友達と受ける予定の……とても大切な依頼で……」

「……」

 ミルが精一杯に吐き出した台詞に、私は思わず目頭を熱くしてしまった。
 友達と受ける予定の、大切な依頼。
 私がミルのことを気に掛けているのと同じで、ミルも私のことばっか考えてんじゃん。
 無理して私に冷たい態度をとっていたくせに、裏では密かに頑張っちゃってさ。
 たぶん申し訳なく思っていたんだろうな。
 私に気を遣わせてしまったこと。そのせいで私がマロンさんと仲良くできなかったことを。
 だからせめて依頼の確保だけはしようと思って、早朝の受付所を訪ねたのではないだろうか。
 後でちゃんとお礼を言っておこう、と密かに心に誓っていると、カイエンがミルの反抗に対して青筋を立てた。

「平民のくせに、シフォナード家の長男であるこの俺から依頼を奪おうってのか? そもそも平民のてめえなんかが討伐依頼を達成できるわけねえだろうが」

 勝手にそう決めつけられてしまう。
 それが納得できなかったのか、ミルにしては珍しく反対の声を上げようとした。

「そ、そんなの、やってみなくちゃ……」

「やってからじゃ遅いっつってんだよ! 討伐依頼に失敗は許されねえんだ! だったら確実に依頼を達成できる俺に渡せってさっきから言ってんだよ!」

 度重なる怒声を浴びたせいだろうか、ミルは完全に怖気付いてしまう。
 自信を失くしたように深く俯いてしまい、最後には口も閉ざしてだんまりしてしまった。
 その情けない姿が、さらに癪に障ったのだろうか……
 カイエンが怒りの声を張り上げた。

「この学園は完全実力主義の世界なんだよ! 弱い魔術師は強い魔術師の言うことに従うのがルールだ! だからさっさと諦めろよクズ平民が!」

「あっ!」

 ついにカイエンは、ミルが大切そうに抱えている依頼書を、右手を閃かせて強引に奪い取ってしまった。
 おまけにその拍子にミルの華奢な体が突き飛ばされて、小さな悲鳴を上げて床に倒れてしまう。
 すると、その衝撃のせいだろうか、ミルの首元から何かが飛び出した。
 カイエンの目の前に落ちたそれは、突き飛ばされた衝撃でチェーンが外れたらしい、ミルのお父さんの形見のペンダントだった。
 カイエンは足元に転がってきたそれを見て、嘲笑するように鼻を鳴らす。

「はっ、平民のくせして一丁前にめかし込みやがって、全然似合ってねえんだよ!」

 瞬間、信じられないことに――



 カイエンが、ペンダントを踏み潰した。



「――っ!」

 ぐりぐりと執拗に足を動かして、大切なペンダントを擦り潰していく。
 やがてそれを終えて、カイエンが足を退けると……
 その下には、粉々になったペンダントの残骸だけが、無惨にも残されていた。

「あ……あぁ……!」

 ミルは座り込んだまま、大切なペンダントの残骸に手を伸ばす。
 しかしいくら触ったところで、ペンダントは元に戻ることはなく、やがて宿していた青い光も息絶えるように消えてしまった。
 ミルのつぶらな瞳から、静かに涙が伝ってくる。
 やがて彼女は嗚咽を漏らして、壊れたペンダントの前でうずくまってしまった。
 そんな光景を、少し離れたところで見ていた私は、心の中に“何か”が生まれるのを感じる。
 そして気が付けば、野次馬たちを押し退けて、前に進んでいた。

「てめえみてえなポンコツはこの学園にはいらねえんだよ。とっとと荷物まとめて田舎に帰んな」

 カイエンはうずくまるミルにそう言って、奪い取った依頼書を片手に立ち去ろうとする。
 私はそんな彼を、寸前のところで呼び止めて、心の中の何かを爆発させた。

「あぁ、ちょっとそこのお兄さんよろしいかな?」

「あっ? 誰だよてめ……」



 パンッ!



 たった一つ、その音だけが、早朝の校舎に響き渡った。

「…………はっ?」

 カイエンは、しばらく何をされたのか、まったく理解ができていなかった。
 ただ頬を赤く腫らしながら呆然と突っ立っている。
 同様に周りの生徒たちも、自らの目を疑っているかのように固まっていた。
 ていうか、うずくまっていたミルまで呆けた顔を上げているではないか。
 でも私は、別に難しいことをしたわけではない。
 ただ、この馬鹿を引っ叩いただけだ。
 やがて自分が頬を叩かれたのだと理解したカイエンが、目の前の私に鋭い視線をぶつけてきた。

「な、何しやがんだてめえ!」

 それはこっちの台詞だと私は思った。
 自分が何をしたのかわかっていないなら、直接言って教えてやる。

「謝りなさいよ」

「はっ?」

「この子から依頼書を奪ったこと、それと大切なペンダントを壊したこと、全部謝りなさい」

 こいつは何気なく、平民が気取って付けていたただのペンダントを、威嚇目的で壊したつもりでいるのだろうが。
 あれはミルの大切な物なのだ。
 今はもういない魔道具製作家のお父さんが、最後に作り上げた作品。
 魔術学園に入学する前、お母さんからお守り代わりに渡してもらったという、掛け替えのない品だったのだ。
 それをこいつは……

「何が謝れだクズ平民が! そっちこそ地面に頭を擦って謝罪しやがれ! この俺を誰だと思ってやがる!」

「知らないわよ。誰なのよあんた」

「最底辺の平民が会話することすら許されないシフォナード家の人間だぞ。それが家章も持たねえクズ平民が調子に乗りやがって、さっさと謝らねえと力尽くで言うこと聞かせるぞ!」

 力尽くで、か。
 私は一ついいことを思いついた。

「あぁ、それいいじゃない。それじゃあどっちが謝るかは模擬戦で決めない?」

「あっ?」

「弱い方が強い方の言うことに従うのが、この学園のルールなんでしょ? それなら模擬戦をして、勝った方が負けた方になんでも言うことを聞かせられるってのはどう?」

 この学園は完全実力主義の世界、弱い魔術師は強い魔術師の言うことに従うのがルール。
 それはこいつが自ら口にした台詞だ。
 そしてこの魔術学園では生徒同士の模擬戦が伝統的に許可されている。
 それならその伝統を活用しない手はない。
 模擬戦をして、弱者と強者をはっきりと分けて、魔術師として己の言い分を通すんだ。
 そう提案すると、カイエンはこちらを嘲笑うように鼻を鳴らした。

「はっ、いい度胸してんじゃねえかクズ平民が! 女として生まれたことを後悔するぐらい痛めつけて、学園を追い出してやるよ」

「そっちこそ、尻尾巻いて逃げんじゃないわよ」

 こうして私は、シフォナード家のカイエンと模擬戦をすることになった。
 私の友達を泣かせたこと、必ず後悔させてやる。