放課後。
討伐依頼を受けて王都を飛び出した私たちは……
今、草原を駆け抜けていた。
「あはは! 遅いよミル! 急がないと夜になっちゃうよー!」
「さすがに早すぎますよー!」
身体強化魔法で敏捷力を底上げして、私たちは超人的な速さで風と一体化している。
だが、必死に駆けるミルとは違って、私はジョギングをするような軽さで彼女の前を走っていた。
どうやら私の……というか確率魔法の【火事場の馬鹿力】は、ミルの言っていた通り通常の身体強化魔法よりも遥かに強い効力があるらしい。
あの魔力値の高いミルが身体強化魔法を使っても、私にはまったく追いつけずにいた。
何だったらスキップをしながらでもミルを置いていくことだってできてしまう。
元々の身体能力も関係しているのだろうが、私とミルではそこまで差はないはず。
つまり今、こうして草原での競争に差が開いているのは、一重に魔法の効力に差があるからだろう。
確率魔法すげぇ。
私は僅かに速度を落としてミルの隣まで行くと、並走しながら問いかけた。
「何だったら私がミルのことおんぶしてってあげよっか? ほらほら、お姉ちゃんの背中にお乗りなさい」
「それは恥ずかしいので絶対に嫌ですー!」
ミルはおんぶされまいという気持ちに後押しされるように、全速力で私の元から逃げていった。
待て待てー!
ミルと追いかけっこをしているうちに、いつの間にか私たちは煙岩山に辿り着いていた。
「いえーい! 私の勝ち! ミルはもうちょっと運動した方がいいかもね」
「……そういう問題では……ないと思うんですけど」
膝に手を突いて激しく息を切らしているミル。
対して私はまったく疲れを感じておらず、ぴょんぴょん飛び跳ねながら勝利の余韻に浸っていた。
「ミルは体も細いし、もっと食べた方が体力とかも付くんじゃないかな。おっぱいも大きくなるだろうし」
「それはもう諦めているのでいいですよ!」
ミルは疲れ切っているはずなのに、怒りを爆発させたように声を張り上げた。
元気そうでよかった。
触れてはいけないことに触れてしまったみたいだけれど、それだけ体力が有り余っているなら問題なさそうだ。
ともあれ、王都を出てからおよそ三十分。
身体強化魔法による高速移動はやはり目覚ましく、通常では考えられないほどの時間で煙岩山に来ることができた。
今後はこの移動方法が主流になるのだろうが、正直多用はしたくない。
魔素の数だって多いわけじゃないし、魔法を使える回数は決まっているからね。
討伐依頼を始める前に魔素切れになるのは避けたい展開だ。
まあ今回は身体強化魔法を一回使っただけで目的地に辿り着くことができたので、魔素も充分に残されている。
「さっ、早いところ依頼片付けちゃおっか。確か『小鴉』の討伐だっけ? どこら辺にいるんだろう?」
「私もその魔獣についてはあまり詳しく知らないので、実際に目で見て探すしかないかと……」
だよねぇ。
と思いながら周囲を見渡してみるけれど、それらしい動物の影は見当たらない。
ていうか辺り一面、白い煙でもくもくしているんだよね。
煙岩山はその名の通り、煙をもくもくと噴射する岩山だから。
すぐ隣にいるミルの顔も若干朧気だ。
こんな中でどうやって小さい鳥を見つけ出せばいいのだろう?
「あっ、試験の時にミルが使ってた索敵魔法は?」
「一応、煙岩山に立ち入る前から使ってはいるんですけど、これといって魔獣の気配はしません。索敵魔法の範囲外にいるのか、小鴉の特性などで感知できないようになっているのか……」
なるほど。
索敵魔法は魔素を感知して人や魔獣の居場所を特定する魔法だ。
もしかしたら小鴉は、感知できないほど魔素が小さいのかもしれない。
もしくは魔素の力を操作することに長けていて、魔術師などから身を隠すために魔素を一時的に封じる隠密能力があるのかも。
魔力値の高いミルの索敵魔法で感知できないとなると、おそらく後者の可能性が高い。
となるとここを通る人たちが、軒並み小鴉の盗難被害に遭っているというのも納得できる。
索敵魔法に引っ掛からずに、白煙と岩陰に身を隠しながら高速で迫って来る鳥なんて、常人では到底反応できないからね。
「うーん、困ったねぇ……」
「ですね……」
二人して腕を組んで『うーん』と唸っていると、私ははたと今さらながら思い出した。
「そういえばここを通る人たちが、その小鴉って魔獣に荷物を盗まれちゃってるんだよね? それなら食料とかの入った荷物を餌にして、小鴉を誘き出すことってできないかな?」
「誘き出しですか?」
私たちも通行人のフリをすれば、荷物を狙って小鴉たちが襲ってくるんじゃないだろうか。
と、かなり古典的とも思える提案をしてしまったが、ミルは呆れる様子もなく頷いてくれた。
「結構いい案かもですね。荷物を見せびらかせながら煙岩山を歩いていたら、もしかしたら姿を現してくれるかもしれません。何かいい食料とか持っていますか?」
「じゃじゃーん! なんとここにバッグいっぱいの山盛りお菓子が!」
「なんで持って来てるんですか……」
ミルは呆れ半分驚き半分の表情を浮かべる。
対して私は“てへへ”と少し照れながら答えた。
「お山の上で食べようと思って……」
「遠足じゃないんですから」
ていうか恥ずかしがるところですか、と今度こそミルに呆れられてしまった。
いやぁ、授業中にお腹が鳴ったら困るから、学園に行く時はバッグの中にお菓子を詰めることにしたんだよね。
食いしん坊だと思われたくなくて、ずっと隠していたんだけど。
それがまさかこのような形で役に立つとは思わなかった。
というわけで私が持参して来たお菓子のバッグを掲げながら、煙岩山の上の方を目指して歩き始めた。
一時間くらい歩き続けただろうか。
私たちは煙岩山の中腹辺りまでやってきた。
「見て見て! この辺はあんまりもくもくしてないから、ここからでも王都が見えるよ! 上から見るとあんな風になってるんだね」
煙岩山から出ている白煙は、場所によって濃度が異なっている。
ほとんど何も見えなくなるくらいの濃霧に包まれている場所もあれば、このように景色を楽しめるくらい薄い箇所もある。
「あそこの湖も綺麗だし、草原も一望できるなんて最高の眺めじゃん! お菓子も美味しいし、頑張って山登りした甲斐があったよ」
「……あの、趣旨変わってませんか?」
棒状のお菓子をポリポリと齧りながら振り返ると、そこにはジト目をしながら佇む青ずきんちゃんがいた。
「あれ、遠足しに来たんじゃなかったっけ?」
「小鴉の討伐をしに来たんですよ……」
あぁ、そうだったそうだった。
あまりにもいい景色だったから、つい本来の目的を忘れちゃったよ。
薄暗い森でずっと暮らしていたせいか、開放感のある景色を前にして気分が昂ってしまった。
「あぁもう、お菓子もそんなに食べちゃってますし、小鴉を誘き出すための食料が無くなっちゃったじゃないですか」
ミルが頬を膨らませているのを見た私は、反省しながらそういえばと思い出す。
「それにしても、ここに来るまでに結構歩いたのに、小鴉には一度も襲われなかったね」
「そうですね。これ見よがしに手荷物を持っていることも主張していたんですけど」
金目のものは何一つ入っていないけど、山賊じゃあるまいし魔獣がそんな判断をするとは思えない。
むしろお菓子などの食料が入っているので、どちらかと言えば狙われやすいと思うんだけどなぁ。
「お菓子嫌いなのかな?」
「魔獣が好き嫌いするとは考えられないですね。そもそも魔獣が主に食べているのは人間ですから、私たちが歩いているだけでも誘き出しにはなっていたかと……」
そうなんだよねぇ。
魔獣は人間を食らうことで、その人間が持っていた魔素を取り込むことができる。
それによって体内の魔素を成長させることができて、より強い魔獣へと進化を遂げていくのだ。
つまりはお菓子だけではなく私たちもれっきとした餌。
なんだけど、まるで食いついて来なかったな。あんまり美味しそうじゃないのかな私たち。
「向こうも警戒しているのかもしれませんね。本能的に私たちのことを危険だと思って近づいて来ないとか」
「だとしたら魔力値が高いミルに怯えて、みんな出て来られないってことか。ミルがみんなを怖がらせてるってことだね」
「人を怪物みたいに言わないでください!」
でも、魔獣は魔素を嗅ぎ取る力を持っているらしいから、この説はあながち間違いじゃなくない?
ミルが怪物級の魔力値を持っているのも事実なので、それを怖がって身を潜めているのかも。
「それかもしかしたら、ミルの幸運値が0だから小鴉が見つからないとか?」
「ですから人のせいみたいに言わないでくだ…………それは否定できませんね」
弱いところを突いてしまったらしく、ミルは明らかにしょんぼりと肩を落とした。
これまた意地悪しすぎただろうか。
「まあ冗談はこれくらいにしておいて。たぶん、前に同じ制服を来た生徒に痛い目に遭わされて、私たちのことを警戒してるんじゃないのかな」
「あぁ、その可能性は充分にありますね。『小鴉の討伐依頼』はこれが初出ではないでしょうし、前にも学園の生徒が討伐依頼でここに来たのかもしれません」
となるといよいよ手詰まりである。
向こうが警戒して出て来てくれないのなら、私たちだけでは討伐が不可能ということになるから。
「結局、実際に通行人が来るのを大人しく待った方がいいってことですかね。襲われているところを助ける形で、小鴉を討伐するのが現実的かと……」
「かもねぇ。ていうかそれしか方法は……」
ミルの提案に賛同しようとした私は、ふと足元に手頃な石が転がっているのを見つけた。
私は何となしにそれを拾い上げて、『あっ』とあることを思いつく。
「どうしたんですかサチさん? その石が気になるんですか?」
「いや、ちょっと試してみたいことがあるんだけど……」
言うや否や、私は拾った石を右手で握り、ぐっと大きく振りかぶった。
そして……
「ていやっ!」
「えっ……」
白煙が広がっている山道の奥に、ぽーんとそれを放り投げたのだった。
石は僅かに漂っている白煙の中に消えて、行方がわからなくなってしまう。
ミルはぽかんと口を開けながら、心底驚いた様子で目を丸くしていた。
「な、何してるんですか?」
「いやぁ、私の幸運値があれば、もしかしたらテキトーに投げた石が小鴉の群れの真ん中とかに偶然落ちて、それで居場所を特定できるんじゃないかなって……」
「いや、それはさすがに……」
無理なのでは?
とミルは言いかけたのだろうが、それよりも先に私が投げた石が地面に落ちる音が聞こえて来た。
すると、どうだろう……
白煙の向こうで、バサバサッと鳥たちが飛び立つ影が見えた。
「「えっ!?」」
これには思わず自分でも驚いてしまう。
飛び立った鳥たちはインクを塗りたくったように真っ黒で、頭部には特徴的な角が生えている。
間違いなく討伐対象の小鴉たちだ。
半分以上は冗談のつもりで言ったんだけど、まさか本当に投げた石が小鴉の群れに直撃するなんて。
「幸運値すげぇ……」
「これ本当に幸運値のおかげなんですか!? ていうか石を投げられて怒ったのか、すごい勢いでこっちに飛んで来てませんか!?」
本当だ。
角を生やした小さな黒鳥たちが、白煙の向こうから正確にこちらを狙って飛翔してくる。
キィキィと耳障りな鳴き声を響かせながら、鋭い眼光でこちらを睨みつけていた。
すっごく怒っている。不要な怒りを買ってしまったらしい。
でも、目的の魔獣を見つけることができたので、とりあえずはまあ……
「……よし」
「よくないですよ! めちゃくちゃ怒ってるじゃないですか! 早く構えてくださいサチさん!」
ミルが声を荒らげて叱ってきた。
出来心だったんですごめんなさい。