魔術学園に辿り着くと、そこには厳重に魔法結界が張られていた。
 おそらく学園長さんの魔法によるものだと思う。
 魔獣だけを阻む結界で、中に入ってみるとそこには王都の住人たちがいた。

「お母さん、まだお家に帰れないの?」

「もう大丈夫だってさ。怖い魔獣たちは、魔術師さんたちが倒してくれたから」

 大きな校庭に集められている住人たちは、それぞれ安堵したような表情をしている。
 どうやら政府側から魔獣侵攻が止まったことが伝えられたようで、みんな安心して学園から出ようとしていた。
 そこに、ヴェルジュさんが大声で呼びかける。

「少し待っていただいてもよろしいですか?」

「えっ、あれって……」

「術師序列一位のヴェルジュ・ギャランだ」

「もしかして、ヴェルジュ様が大災害を止めてくれたの……?」

 さすがは有名人のヴェルジュさん。
 たった一声で住人たちの視線を釘付けにして、彼らの足と声を一瞬で止めた。
 突如として校庭が静寂に包まれると、不意に聞き覚えのある声が脳内で響く。

『ヴェ、ヴェルジュ・ギャラン? なぜお主が学園におるんじゃ? 魔獣侵攻はもう止まったと……』

「アナナス学園長、少しこの場をお借りしてもよろしいでしょうか? 町の住人の方々に、お伝えしたいことがありまして」

 いきなり校庭に姿を現したヴェルジュさんに驚いて、学園長さんが交信してきたらしい。
 それに対してヴェルジュさんがお願いをすると、学園長さんはやや戸惑いながらも『構わんぞ』と了承してくれた。
 皆の視線がより一層集まる中、ヴェルジュさんが傍らにあった朝礼台にのぼって声を上げる。

「今回の災害の件で、住人の皆様にご報告したいことがございます」

 そう切り出したヴェルジュさんは、魔獣侵攻の計画阻止について明かし始めた。
 反魔術結社ミストラルが仕組んでいた計画のこと。
 それを防ぐために戦った国家魔術師たちのこと。
 つい先ほどその魔獣侵攻を食い止めて町を守ったこと。
 ここにいるアリメントがその元凶で、この通り確かに捕縛したことを。
 最後にヴェルジュさんは私の方に視線を振り、話す機会を与えてくれた。

「迫り来る魔獣を討ち倒し、町を守った最大の功労者は彼女です! どうか少し、彼女の話も聞いていただけないでしょうか!」

「……」

 その声を受けて、私もマルベリーさんを抱えながら朝礼台の上に立つ。
 途端、ピリピリと感じる多くの住人たちの視線。
 戦いとはまた違った緊張感が私の精神を刺激してくる。
 これだけ多くの見知らぬ人たちに注目されるのは、星華祭で活躍した時以来だろうか。
 でもそれはあくまで競技中の姿を見られたというだけで、視線を集めながら発言するのはこれが初めて。
 自ずと手が震えてくる。声が喉に引っかかる。
 それでも私は、懸命に声を張り上げる。
 これが、私が一番望んでいた状況じゃないか。

「皆さん初めまして、私の名前はサチと言います。突然のことで困惑している方も多いとは思うんですけど、どうか一つだけ聞いていただきたいことがあるんです」

『……』

 マルベリーさんは私の腕の中で、体を縮こまらせる。
 これからどのような反応をされるか不安に思っているのだろう。
 私も同じ気持ちだけど、当人のマルベリーさんはもっと大きな不安を抱えているはずだ。
 そして私はいよいよ、ずっとみんなに言いたかったことを、精一杯の声で伝えた。

「ヴェルジュさんからも話があった通り、魔獣侵攻はすべて、反魔術結社ミストラルの仕業です! 十二年前の大災害の時も同じようにして、ミストラルが魔獣侵攻を引き起こしました! それなのに今、大災害の原因だと疑われて、咎人の森という場所に幽閉されている魔導師がいます!」

 住人たちの方から息を呑む気配を感じる。
 大人たちだけではなく、幼い子供たちも魔導師を知っているのかそれらしい反応を示す。
 あまり好意的ではない様子を見るに、やはりみんなは魔導師に対して悪い印象を持っているようだ。
 だから私が、その認識を変える。

「その魔導師は、森に捨てられていた私を拾ってくれた。大切に育ててくれた。優しく魔法を教えてくれた。あの人と一緒にいて災いに巻き込まれたことなんて一度もない。魔導師が災害を引き寄せるなんていうのは、ただの思い込みなんです!」

 とは言うが、住人たちはいまだに疑心に思っているようで訝しい目をこちらに向けてくる。
 あくまで今のは私の主観の話だから。
 それにずっと前から抱いていた悪い印象を、いきなり変えろと言うのも無茶である。
 だからこそ私は、実績を示すために、胸に抱えていたマルベリーさんを掲げて続けた。

「むしろ町やみんなを守るために一緒に戦ってくれました。彼女は今、このフクロウの体に入っていて、魔法が使えない体でも必死に手を貸してくれました。この人がいなかったら魔獣侵攻を止めることはできていなかったんです」

 住人たちは戸惑ったようにざわつく。
 突然そんなことを言われて、すぐに飲み込める人はまずいない。
 それを見かねて、ヴェルジュさんが口添えしてくれた。

「この子の言うことはすべて事実だ。魔導師マルベリーの魂は今、このフクロウの中にある。そして彼女は窮地に立たされていた防衛隊を救い、町を守ってくれたんだ」

 次いで他の国家魔術師たちも、傍らで口々にマルベリーさんの活躍を伝えてくれる。
 魔法が使えない中でも、その知識を使って防衛隊をサポートしてくれたことを。
 見たことない魔法の数々で魔獣侵攻を食い止めてくれたことを。
 それがひとしきり済むと、校庭が何度目かの静寂に包まれる。
 これでも足りないかと思った私は、最後に頭を下げて住人のみんなにお願いをした。

「お願いします。マルベリーさんのことを、どうか受け入れてあげてください。彼女がみんなのために戦ったことを、認めてあげてください……」

 ……伝えられることは、もうすべて伝えた。
 あとはみんなが信じてくれるかどうかだけである。
 正直まだ、アリメントから確かな自白も取れていないし、急ぎすぎてしまった感はある。
 でも、今ここが町の人たちの意識を変えるのに一番の時と場所だと思ったんだ。
 魔導師は悪という風潮を、一気に覆すことができる最大の好機。
 静けさに覆われた空間で、私はただ祈りながら頭を下げ続ける。
 瞬間――

 校庭に、揺れんばかりの拍手が湧き上がった。

「……」

 顔を上げて辺りを窺うと、町の人たちはこちらに向けて拍手を送ってきている。
 より厳密に言えば、私が抱えているフクロウのマルベリーさんに向けて。
 これは……

『信じて、もらえたんでしょうか……?』

「た、たぶん……」

 その問いかけに頷きを返すかのように、さらに拍手の勢いが増す。
 加えて口々に、マルベリーさんに対してお礼の声が投げかけられた。

「町を守ってくれてありがとう!」

「魔獣侵攻を止めるなんて本当にすごいわ!」

 マルベリーさんは呆然とした様子で辺りを見渡している。
 魔導師に対して悪い印象を抱いている人は、もうまったく見受けられない。
 ……成功した。
 私と国家魔術師の人たちの説得により、町の人たちの意識を変えることができたんだ。
 おそらくその一番の要因となったのは、術師序列一位のヴェルジュさんがいてくれたからだろう。
 この王都で最も人望が厚いと言っても過言ではないこの人に、口添えをしてもらったから信じてもらえたんだ。
 これでもう、大丈夫だ。

 それがわかって緊張の糸が切れたのか、一気に疲れが押し寄せて来る。
 思わずそのまま朝礼台の上で倒れ込んでしまいそうになるが、なんとか気力を振り絞って堪えた。
 その後、町の人たちにお礼の言葉を返した後、その場をヴェルジュさんに任せる。
 そして私はマルベリーさんを連れて台上から下りると、なけなしの体力で校庭の端にあったベンチに座り込んだ。
 ほとんど倒れ込むような形になり、そこでいよいよ私の体力が尽きてしまう。
 指先一つを動かすのもままならず、私はマルベリーさんを抱えたまま意識を手放した。



 それから、どれくらいの時間が経っただろうか。
 自分としてはあまり時間が経っていない感覚。
 それこそ目を閉じて十秒後に目を開けたような感じだ。
 でも、私の目の前に広がったのは……

「う、うぅん……」

 直前まで見ていたはずの校庭の景色ではない。
 真っ白な天井と室内の空気が、私のことを出迎えた。
 ここはいったいどこだろう?
 なんだか微かに見覚えがある気がする。
 でも具体的にどこか思い出せないし、何より意識がまだぼんやりとしている。
 そもそもベンチに座っていたはずが、今はベッドに寝かされていた。
 いったいここがどこなのか確かめるために、鉛のように重たく感じる体を起こそうとした瞬間――

「部屋の片付けもしませんし、脱いだ服は放りっぱなしで、本当にいつも困っちゃうんですよ」

『ふふっ、学生寮でもそんな感じなんですか』

「……んっ?」

 何やら楽しげに会話する声が聞こえてきた。
 どちらも耳に馴染みのある声。
 それを確かめるために体を起こすと、私が寝ているベッドの近くには……

「あっ、サチさん!」

『よかった。体調は大丈夫そうですか?』

「ミルと、マルベリーさん……?」

 青色の髪の少女とフクロウがいた。