「……フフッ」
王都ブロッサム、北東地区にある廃教会の鐘塔。
使われなくなったその鐘塔は、あまり注目されてはいないが、王都内で三番目に高い建造物になっている。
そのため屋根からは王都のみならず、町の周辺までばっちりと見渡すことができた。
そこに佇む影が一つ。
「なんだか申し訳ないですね。これほどの絶景を独り占めしてしまうなんて」
反魔術結社ミストラルの頭領、アリメント・アリュメット。
彼女は内通者として魔術学園に送り込んだヒィンベーレを使い、この場所に転移地点を設置していた。
そして隠れ家の地下迷宮からこの場所に転移し、今は迫り来る魔獣の群れを眺めてほくそ笑んでいる。
怒れる魔獣たちの呻き。心地いい人々の悲鳴。それらを掻き消すように響く戦いの轟音。
甘美なその音色に耳を打たれながら、特等席でこの景色を独り占めするなどなんたる贅沢か。
着実に魔術国家の中心となる王都が崩壊に近づいているのがわかる。
それが自分の手で行われているのだという歓喜が湧いてくる。
「もう少しです、もう少しでこの魔法世界を……」
心の底から憎い魔法世界を、終わらせることができる。
そのためにアリメントは、同じ志を持つ者たちを集め、まだ小さかったミストラルという組織をここまで発展させてきたのだ。
アリメント・アリュメットの過去を知る者は、組織の中に誰一人いない。
彼女は元々、捨てられた子供だった。
生家は片田舎に領地を持つ、名もほとんど知られていない貧しい貴族の家。
不幸なことに長らく子宝にも恵まれず、そのような家にアリメントは誕生した。
彼女は魔術国家の貴族の子女らしく、高い魔力値を保有していた。
そのため家の者たちからは多大なる期待を寄せられて、没落の瀬戸際に立たされている家を救い出してくれる救世主として扱われるようになった。
しかしアリメントは、生まれながらにして“魔素不全障害”の持ち主だった。
正式な病名は『先天性魔素不全障害』。
原因不明の症状で、生まれつき体内の魔素が機能していない状態を指す。
魔素そのものは宿っているが、まるで深い眠りについているかのように魔素が反応を示さないのだ。
式句を詠唱したとしても、声がまったく届かずに魔法が発動しない。
過去に五人といない、世にも珍しい病の持ち主。
アリメントは魔法世界の住人でありながら、魔法がまったく使えない隔絶された存在だった。
アリメントが式句の詠唱ができる三歳になった時、家の者たちは初めて彼女の障害について知った。
せっかく生まれた子供が、高い魔力値を保有しているのにもかかわらず、魔法を使えない。
その事実に、家の者たちは絶望し、総出になって治療方法を探した。
しかしいくら手を尽くしても治療の術は見つからず、やがて十歳になったアリメントは両親から怒りをぶつけられた。
『ここまで手を尽くしてやったのに魔法の一つも使えんのか!』
『もううちでは面倒を見切れないわ』
元より病弱で病気に罹りがちだったアリメント。
ただでさえ貧しい家を圧迫する存在だった彼女は、両親の怒りを買ってしまったことでついに家を追い出された。
魔獣が蔓延る森の奥に捨てられ、存在そのものを揉み消されてしまう。
自分の価値の無さに幼いながらも気が付いていたアリメントは、残酷なその運命を受け入れて死を待つことにした。
そこに、一人の人物が手を差し伸べた。
『あらあら、そこで何をしているのですか?』
人里離れた森に住む淑女、ヴィアンド・アリュメット。
彼女は森で魔道具を自作して、町まで売りに行く魔道具職人だった。
たまたまヴィアンドの工房の近くに捨てられたアリメントは、彼女に見つけてもらったことで保護されることになる。
さらには事情を知って、しばらく滞在することまで許してくれた。
アリメントにとってこの出会いが、その後の人生を大きく変えるものになる。
ヴィアンドは誠実で優しい女性だった。
包容力と母性に溢れた人物で、アリメントの境遇に深く同情もしてくれた。
そんなヴィアンドに、アリメントはすぐに懐いた。
ふわふわとした喋り方と、上品な言葉遣いにも憧れて、すぐに真似をし始めるようになった。
ヴィアンドと過ごす日々が、息苦しかったあの家での出来事を少しずつ忘れさせてくれた。
そしてアリメントはヴィアンドの工房で、初めて魔道具に触れることになった。
魔法が使えない自分でも、まるで魔術師のように不思議な奇跡を起こすことができる道具。
ヴィアンドの作る魔道具に、深く魅了された。
魔法に憧れ、自分も魔法世界の住人になりたいと思っていたアリメントにとって、彼女の魔道具は希望の光そのものだった。
『ヴィアンドさん、わたくしにも魔道具の作り方を教えてください』
そうしてアリメントは、ヴィアンドから魔道具の作り方を教わることになった。
素材の取り方から製作過程の一つ一つまで。
懇切丁寧に魔道具の作り方を教えてもらったアリメントは、見る間に魔道具製作の腕を上達させた。
とにかく夢中だった。
魔道具作りが楽しくて仕方がなかった。
ヴィアンドにもっと褒めてもらいたくて、アリメントは休みなく知識と経験を蓄えていった。
それから五年が経ち、十五歳になったアリメントに転機が訪れた。
恩人のヴィアンドが、病気によって倒れた。
元よりヴィアンドは、アリメントと同じく病弱でよく病気をしていた。
アリメントはヴィアンドとの生活で次第に体が丈夫になったけれど、ヴィアンドはアリメント以上の病弱さだった。
そして町の治療院で診てもらった結果、ヴィアンドの先は長くないとされた。
『気にしないでください。いつかはこうなると思っていましたので』
ヴィアンドはまるで焦る様子はなく、自分の運命を素直に受け入れていた。
アリメントについても、魔道具製作の基礎を叩き込んだので、自分がいなくなった後でも充分に生活ができるだろうと。
しかしアリメントはその事実を直視することができなかった。
ヴィアンドと離れ離れになりたくない。
まだこの森の家で、二人で一緒に暮らしていたい。
やがてそれができないことを悟ったアリメントは……
『それならばせめて、ヴィアンドさんの夢を代わりにわたくしが叶えてみせます』
ヴィアンドは昔、アリメントに一つの夢を語ったことがある。
“魔術師が戦わなくてもいい世界を作りたい”、と。
今の国家はあまりにも魔術師に依存しすぎている。
魔獣討伐のみならず戦争でも魔術師が兵器として使われるようになっている。
年間、数え切れない魔術師たちが争いの犠牲になり、ヴィアンドも魔術師だった両親や知人を戦争にて亡くしている。
だから、魔術師が傷付かなくてもいい世界を作りたいと、ヴィアンドは壮大な夢を抱いていた。
『そういった魔道具を開発すれば、魔術師が戦わなくてもいい世界を作れるのですよね』
魔術師が兵器として使われているなら、それを魔道具で代用できるようにすればいい。
例えば非魔術師でも魔獣を討伐できるようになる特殊な武器とか。
例えば自動で魔獣を討伐してくれる完全自律型の魔道具とか。
そういったものを作れば、魔術師だけが戦う必要がなくなり、彼らに頼りすぎている現状を正すことができる。
他国ではすでに魔道具兵器の試作品の導入によって、魔術師の被害が軽減されているという報告もある。
一方で魔道具兵器の導入による治安の悪化が危険視されて、本格的な導入は見送りにされたそうだ。
であれば、より安全性に優れた魔道具兵器さえ開発できれば、魔術国家でも魔道具兵器の導入を検討してくれるかもしれない。
『アリメントちゃんに夢を背負わせてしまうのは、大変心苦しいですが、最後に一緒に何か作れたら、とてもいいですね』
その日から、アリメントとヴィアンドの最後の共同製作が始まった。
魔術師が戦わなくてもいい世界を実現するための夢の道具の。
とにかくがむしゃらに色々なことを試した。
安全機能の充実。
安全性と実用性を兼ね備えた仕様の見直し。
万民に受け入れてもらいやすいデザインの考案まで。
おそらく一番突かれるだろう、魔道具兵器を持った一般市民の暴動の危険性について。
こちらも人体の魔素と魔獣の魔素を見分けて、安全装置が自動で働くようにすることで対策を行った。
人が人に対して兵器を向けても問題がないように設計し、その他にも突かそうな問題に対して徹底的に対策した。
恩人のヴィアンドが、病気によって命を落とした後も、アリメントは意思を受け継いで魔道具製作を続けた。
やがてついに、アリメントはヴィアンドの夢だった魔道具を完成させた。
『行って参ります、ヴィアンドさん』
いよいよその魔道具兵器を、正式な場で発表する時となった。
すんなり受け入れてもらえるとは思っていなかった。
過去にも似たような発表を行い、導入を見送られたという実例がある。
国家魔術師たちが魔道具兵器を毛嫌いしていることは、すでに重々承知しているから。
しかしそれでも、今の魔術師に頼り切った現状を見直してくれるきっかけくらいにはなってくれたらいいと、彼女はそう思っていた。
それがヴィアンドの夢である、魔術師が戦わなくてもいい世界――彼らだけが傷付く必要がない世界の実現に繋がるはずだと信じているから。
そしてアリメントは、亡き恩人ヴィアンドとの努力の結晶を、国家魔術師たちの前で発表した。
『くだらんガラクタなど不要だ』
『…………はっ?』
アリメントとヴィアンドが共同製作した魔道具は、当時の国家魔術師たちに一蹴された。
魔道具など所詮、日常生活を少し潤すための生活器具に過ぎないと。
道具は人間ほど確実ではない。
安全装置が働かずに人が人を傷付ける可能性もある。
改造して悪用する者も現れるかもしれない。
言い出したらキリがないことを一方的に捲し立ててきて、試運転すらさせてもらえず、アリメントは追い払われてしまった。
また日を改めて提案を持ちかけても、取り付く島もなく門前払いされてしまう。
その度に変わる言い分。曖昧な不安要素と問題点の羅列。
この時、アリメントは悟った。
ようは奴らは、自分たちの“優位性”が脅かされることを恐れているだけなのだ。
魔術師に頼り切った現状、それは言い換えれば魔術師が国を牛耳っていることに他ならない。
この国では魔術師こそが至高の存在。
奴らは非魔術師を守ることで優位性を獲得し、優越感に浸っているだけに過ぎないのだ。
だからヴィアンドの魔道具と夢を否定した。
魔道具兵器によって力を付けた非魔術師と、対等に並ばれることを嫌がって。
『魔法至上主義に取り憑かれた、愚か者たちではないですか……』
なぜヴィアンドは、このような連中を守りたいと思ったのだろうか。
こんな自分勝手な奴ら、いくら傷付いたところで自業自得ではないか。
この一件を機に、アリメントは焦がれていた魔法世界を壊したいと思うようになった。
ヴィアンドの夢を否定した連中が憎い。
奴らが支配している魔術国家が憎い。
何より、余命僅かのヴィアンドが命を吹き込むように作った魔道具を、嘲笑一つで一蹴されたことが……アリメントはどうしても許せなかった。
王都の崩壊を目前に、アリメントは歓喜を隠し切れない。
「くだらないガラクタに苦しめられる気分はどうですか?」
魔術師たちが、一方的に否定した魔道具によって苦しめられている光景。
アリメントにとってこれほど愉快なものは他になかった。
自分が始動した魔道具によって、魔獣の大群が町に押し寄せて来ている。
これほどの芸当が魔術師程度の力に果たしてできるだろうか。
やはり魔道具こそが世界を支える柱になる存在。
愚かな魔術師どもに牛耳らせておくわけにはいかない。
「んっ?」
その時、アリメントの視界に北側正門での戦いが映った。
そこでは他の場所と比べて魔術師が優勢らしく、魔獣たちが軒並み倒されている。
目を凝らして様子を窺うと、一人の魔術師が集団を先導するように健闘していた。
「情報にはなかったはずですが……」
黄色いナイトキャップを被った金髪の少女。
頭には謎のフクロウを乗せている。
魔術学園の制服を着ていることから学園の生徒だとわかる。
先ほど強烈な雷の柱で巨竜種を撃破されたのも驚いたが、それも彼女の仕業のようだ。
学園の目ぼしい生徒たちの情報も、内通者の手によってこちらには渡ってきている。
しかしあのような実力者がいることは報告されていない。
(確か青の差し色は、一年生でしたか。だとすれば情報が抜けていたとしても無理はありませんね)
まだ入学から僅かの一年生は、二、三年生と比べて判断材料が少ない。
よほど目立った生徒でなければ、情報が抜けてしまうのは致し方のないことだ。
見ると、彼女は転移魔法によって他の門前の戦いにも参入し、魔獣の侵攻を食い止めていた。
あの少女の魔素が無限に持つわけではないだろうが、この間に襲撃隊の国家魔術師たちが何人か戻って来てもおかしくない。
それだけでこの規模の侵攻を完全に止められるとも思えないが、被害は確実に抑えられて期待外れの結果に終わってしまうだろう。
それは納得ができない。
魔術師たちには存分に苦しんでもらって、自分たちの愚かさを痛感してもらう必要がある。
「では、ここで最後のダメ押しと参りましょうか」
アリメントは懐から、不気味な煙が入った瓶を取り出し、不敵な笑みと共にその蓋を取り外した。