タタタッと、王都の通りを小さな黄色い人影が横切る。
 ポワール・ミュールは胸のざわつきに従って、短い歩幅で懸命に正門を目指していた。
 反対の学園側に走って行く住民たちとすれ違いながら、悲鳴交じりの喧騒に耳を打たれる。
 それを掻き消すようにして、遠くからは魔獣のものと思われる呻き声も聞こえてきていた。
 住民たちの焦燥感をますます加速させていく。

 対して、ポワールを悩ませていた胸のざわつきは、保健室にいた時よりもだいぶ薄れていた。
 まるでこの行いが正しいと肯定してくるかのように。
 それに後押しされるように速度を上げて走っていると、やがて目的地の正門が見えてきた。

「うわぁ……」

 ポワールは思わず顔をしかめる。
 すでに正門の前には多くの魔獣の姿が見えた。
 小型で危険性もあまり高くない種族だが、かなりの数がこの場所に集まっている。
 それらを国家魔術師と思われる者たちが魔法によって迎撃していて、正門前はすっかり戦場と化していた。

「もっと正門側に人回せねえのかよ!」

「無理だ! 裏の南門の方にもすげえ数が集まってる!」

「東門と西門にいた魔術師たちも戦闘を始めて手が離せねえらしい!」

 どうやら正門である北門だけでなく、王都の周辺で戦いが始まっているようだ。
 国家魔術師たちの人員も数が足りていないようで、小型の魔獣たちだとしても捌き切れていなかった。
 加えて遠方からは、まだ続々と魔獣の大群が迫って来ている。
 しかも今集まっている小型のものたちと比べて、かなり体が大きい厄介な種族の魔獣たちが。

「グオオォォォォォ!!!」

 ぎらりと光る鱗に、巨体を浮かせる巨大な翼。
 鋭い爪と牙を持ち、恐ろしい口の端からは火炎の息吹が轟々と漏れ出ている。
 魔獣の中でも特に凶暴性と危険性が高い種族……

「……巨竜種」

 最強の種族と言う者も多い、巨竜種の魔獣が翼をはためかせながら迫って来ていた。

「お、おい! やべえ奴らが来てるぞ!」

「襲撃隊の魔術師たちにはまだ連絡が取れないのか!?」

 当然そんな魔獣の姿を見た魔術師たちは、さらに焦った様子を見せる。
 ただでさえ今、小型の魔獣の大群に押されて苦しい状況だというのに……
 その上、さらに厄介な巨竜種までやって来たら確実に戦線が崩壊してしまう。
 あの巨竜種を撃ち落とせるほどの術師はこの集団の中にはいないようなので、このままでは王都まで侵攻されて町は無惨にも破壊されてしまうだろう。
 そう、十二年前に王都で起きた『大災害』のように。

「そんなこと、絶対にさせない」

 ポワールは友人たちとの大切な居場所を守るべく、正門を潜って戦線へと飛び出した。

「君、いったい何をやっているんだ!? 一般住民は早く魔術学園に……」

 ポワールの姿を見た魔術師は、その幼い容姿から一般住民だと勘違いする。
 そして魔術学園に避難するように促そうとしてくるが……

 ポワールは後ろに下がることなく、戦線の中心で詠唱を始めた。

「【震える咎人――天空に佇む雷神――どこにも逃げ場など存在しない】」

 胸のざわつきが消えていく。
 代わりに体の内側に熱い力がみなぎってくる。
 今は他の誰にも、負ける気がしなかった。

(マロンの眠りは、誰にも邪魔させない……!)

 友の元に迫る魔の手が、眠り姫の怒りを呼び覚ます。



「【神々の怒槌(ミョル・ニール)】」



 刹那、王都に迫っていた巨竜たちに、青白い稲妻が落ちた。
 巨大な竜の体を悠々と飲み込むほどの、巨大な柱にも見える白い雷。
 凄まじい閃光と轟音が一瞬にして辺りに四散し、魔術師たちは思わず顔を覆う。
 やがて目を開けると、視界のその先で巨竜たちが撃ち落とされていた。

「な、なんだ、今の魔法は……?」

「あの子が、やったのか……?」

 国家魔術師たちの驚愕の視線が、ナイトキャップを被った小さな少女の元に集まる。
 術師を中心とした効果範囲内にいる標的を撃つ落雷魔法――【神々の怒槌(ミョル・ニール)】。
 その効果範囲と魔法の威力は魔力値によって変動する。
 通常であれば少し離れた相手に微力の雷を一本落とすくらいしかできない魔法なのだが……

 今のポワールが使えば、彼方に見える巨竜を一撃で撃ち落とすこともできる、破壊的な雷魔法に化けてしまう。

 その訳は、彼女の特殊な魔素が関係している。
 彼女の魔素の色は“黄色”で、雷系統の魔法を得意としているのも理由の一つではある。
 しかし本来、魔力値255の彼女が【神々の怒槌(ミョル・ニール)】を使ったとしても、ここまでの破壊力は生まれない。
 ではなぜ、彼方にいる巨竜たちが地面に落とされているのか。

(今はなんだか、あんまり眠くない)

 答えは単純。
 今のポワールの魔力値は、“255”などではなく、驚異の“380”まで上昇しているからだ。
 実にあのミルをも凌ぐ、常識はずれの莫大な魔力値。
 普通、魔力値は生まれながらに決まっているもので、変動することはあり得ないとされている。
 しかしポワールの場合は“体質”が要因となって、魔力値が変わるようになっている。

 彼女の魔素は、常に“眠り”についている。
 サチが扱う魔法【憩いの子守唄(ウルーズ・シエスタ)】を受けた状態のように。
 ただ、完全に眠っているわけではなく、“半睡状態”と言って意識が半分ないような状態だ。
 詠唱自体は聞き届けてくれるが、最大の力までは発揮してくれない不安定な状態。
 そのため式句を詠唱したとしても、本領を発揮できずに中途半端な魔法になってしまう。
 その結果が、測定魔力値255。
 つまりポワールは、特定の条件下でのみ魔力値380という本領を発揮できる紛れもない逸材……

「【震える咎人――天空に佇む雷神――どこにも逃げ場など存在しない】」

 幸運値999によって確率魔法を確実に成功させる、型破りなサチ。
 無詠唱魔法によって高威力の魔法を高頻度で放てる、安定感に優れたミル。
 複数の魔法を巧みに使い分ける器用さを持った、戦略性に長けたマロン。
 彼女たちに劣る部分は多々あるけれど、瞬間的な爆発力だけを見るならば……

 彼女もまた、規格外の魔術師の一人。

「【神々の怒槌(ミョル・ニール)】」

 再びポワールが落雷魔法を発動させると、遠方に見えていた巨大魔獣たちに雷が落ちた。
 激しい音と光が瞬くように連続し、直後に巨大魔獣が地面に落ちた衝撃が足元に伝ってくる。
 驚異的なまでの効果範囲と一撃の威力。

「な、何者なんだ、あの子……」

「とにかく今のうちだ! あの子が巨大魔獣をせき止めてる間に周りの小型を片付けるぞ!」

 ポワールの登場によって絶望的な空気が一変し、魔術師たちは威勢を取り戻す。
 巨大魔獣の他に、小型の魔獣も目に見える範囲でせき止めているため、彼らは見違えるほど動きやすくなっていた。
 ポワール自身の体調もすこぶる良好である。
 彼女の魔素は現在、半睡状態から覚醒状態に移行したため、胸のざわつきもすっかり消えている。
 半睡状態の魔素は周囲の状況から影響を受けやすくなっており、それが宿主に違和感を覚えさせることがあるのだ。

『なんかね、この辺がざわざわするの』

 それこそがポワールが感じていた胸のざわつきの正体である。
 周囲から影響を受けて半睡状態の魔素が徐々に目覚めていき、胸のざわつきを覚えさせる。
 マイスの魔素が暴走したことによって、ポワールの魔素が過敏に反応してしまったざわつき。
 魔獣侵攻による周囲の人間や動物たちのどよめきで、覚醒状態に近づいたざわつき。
 それが図らずも予知的な能力として機能していた、ということである。

(頭も、すっきりしてる。みんなの声も、よく聞こえる)

 また、ポワールは体質的に、“自身の体調”が“魔素の状態”に影響されやすくなっている。
 彼女が常に眠そうにしているのもそれが理由で、現在は魔素が覚醒状態のため眠気も払われている。
 自分でも今までになく調子がいいことに驚きながら、ポワールは雷の柱を遠方の魔獣たちに落としていった。

「グガアアァァァ!!!」

「……」

 ただ、彼女は知識が乏しいため、同じ魔法を単調に繰り返すことしかできない。
 どの魔獣にどの魔法が有効か、その判断が苦手で倒し切れない魔獣が少なからずいた。
 加えて記憶力にも多少の難があり、覚えている詠唱式句の数もかなり少ない。
 ゆえに得意な雷系統の魔法が効かない魔獣が現れたことで、ポワールは額に冷や汗を滲ませた。

「どう、しよう……」

 他の魔術師たちは周囲の小型だけで手一杯。
 自分もそちらに加わって小型を手早く片付けても、大型の魔獣を代わりに任せられるような術師も他にいない。
 それに巨竜種の魔獣だけでなく、地面を潜って接近して来る魔獣や、透明化して背後を取りに来る魔獣も現れ始めて、圧倒的に劣勢に立たされていた。
 今、どの魔獣から対処すべきで、どんな魔法を使うのが最適か。
 この複雑な戦況を掌握できるほどの裁量を、ポワールは持ち合わせていなかった。

 その時……

『あのぉ、そこのナイトキャップのあなた……?』

「……?」

 不意にどこからか声をかけられる。
 なんだか頭の中に直接話しかけられたかのような感覚。
 周りを見てもナイトキャップを被ったまま戦っているのは自分だけなので、間違いなくこちらに向けられた声だ。
 ポワールは辺りを見渡して声の主を探すが、それらしい人物は見つからない。
 声の感じからして、少し歳上くらいのお姉さんだと思うが……

『あ、あの、ここですここ! あなたの真上です』

「ま、うえ……?」

 そう言われて顔を上げたポワールは、視界に映ったものを見て寝ぼけ眼を見開く。
 声の主は、確かに自分の真上にいた。
 だがそれは、想像していたようなお姉さんではなく、そもそも人ですらない……

 バサバサと翼をはためかせて舞う、一羽の“フクロウ”だった。

『もしよろしければ、お名前を聞いてもいいですか?』

「……」

 フクロウに話しかけられるという、後にも先にも経験しないだろう状況に、ポワールはぽかんと小さな口を開けた。