幸運値999の私、【即死魔法】が絶対に成功するので世界最強です

 
 さてさて花型の魔獣はどこにいるのかな?
 と思いながら怪花の森を歩くこと三十分ほど。
 以外に魔獣を見つけるのに難儀している。
 森を散歩するのは得意だと思っていたんだけどなぁ。
 やっぱり咎人の森で修行していた時みたいにはいかないらしい。
 だから開き直って、そこら中に咲いている色とりどりの花を鑑賞しながら歩いていると……

「うぇーん! どこに行っちゃったんですかー!?」

「んっ?」

 どこからか人の声が聞こえてきた。
 あどけなさの残る少女の泣き声。
 なんだか穏やかならない声だと思い、私はとりあえず様子だけを見に行ってみる。
 大木の裏から声のした方を窺ってみると、僅かに開けた場所に泣きじゃくる女の子が座り込んでいるのが見えた。
 真っ青なフード付きケープを羽織っている、小柄な水色髪の少女。
 つい『青ずきんちゃん』と呼びたくなってしまう見た目をしている。
 少し痩せ気味で、血の気もやや薄いので、あまり裕福な暮らしができているとは言えなさそう。
 ていうか筆記試験の会場で見た覚えがあるから、たぶん魔術学園の入学志望の子だよね?
 こんなところで何をやっているんだろう?
 何やら近くの茂みに頭を突っ込んで、『ありませんありません!』と泣き喚いているので、たぶん探し物でもしているのかな?
 気に掛ける義理はなかったものの、森の中で泣いて困っている少女がいるという光景は、個人的に看過できなかった。
 なんか、昔の自分を見ているみたいだから。

「あ、あのぉ、もしもし?」

「ひゃ、ひゃい!」

 後ろから声を掛けると、青ずきんちゃんはビクッと肩を大きく揺らして驚いた。
 涙でびしょ濡れになった顔をこちらに向けて、警戒するように身を引いている。
 私はなるべく、神経質になっているだろう彼女を刺激しないように、ある程度の距離を取りながら尋ねた。

「お、驚かしてごめんね。森を歩いてたらあなたの声が聞こえたから、何かあったのかなって思ってさ……」

「う、うぅ……」

 少女は変わらず涙を流しながら困り顔をしている。
 なんだか幼児を相手にしているみたいだ。そんな機会今までなかったけど。
 まだ少し警戒されてしまっているみたいなので、私は慎重に言葉を選んで続けた。

「魔術学園の入試を受けてる受験者の子だよね。私も同じ受験者なんだ。こんなところで何かあったの?」

「あの、えっと、その……」

 青ずきんちゃんは怯えた様子をしながらも、ようやく口を開いてくれた。

「ア、死花(アイビィ)の胚珠を、失くしてしまって」

「胚珠? それって試験官さんに持って帰って来いって言われた?」

「は、はい。腰のポーチに入れて、持っていたんですけど……」

 そのタイミングで少女はぐすっと鼻を啜る。
 そこまで聞いた私は、『もう胚珠を手に入れたんだ』と内心で驚いた。
 まだ実技試験が始まってからそんなに時間が経っていないのに。
 そう感心すると同時に、『はぁなるほど』とある程度の事情も察した。
 大方、森を歩いている間に、死花(アイビィ)の胚珠を入れたそのポーチを落としてしまったのだろう。
 と、思っていたら……

「木の根に躓いて転んだ拍子に、腰のポーチが外れて飛んでしまって、木の上の引っ掛かってしまったんです。それを取ろうと思ったら、今度は大きめの鳥がポーチを持って行ってしまって、それを追い掛けていたらまた木の根に躓いて転んで見失ってしまいました」

「そんなことある?」

 私の予想を遥かに上回ってきやがった。
 運が悪かったなんて話ではない。
 もはや神様に見放されていると言っても過言ではないくらいだ。
 確かによく見たら、少女の脚はひどく汚れていて、右膝を盛大に擦り剥いていた。
 腰に付けていたポーチが弾け飛んだくらいなので、随分と派手に転んでしまったらしい。
 そしてポーチが木の上に引っ掛かって、鳥に持って行かれて、また躓いて転んで見失ってしまったと。
 せっかく早めに死花(アイビィ)の胚珠を手に入れたっていうのに、そんな台本のような不運に見舞われて失くしてしまうなんて。
 何だろうこの子。よくよく見ると不吉なオーラが漂っている気がする。

「私、昔からすごく運が悪くて、悪いことが起きなかった日がないんです。怪我や病気なんて日常茶飯事ですし、今まで転ばなかった日の方が圧倒的に少ないですし、パンを落としたらジャムを塗った面が必ず下になる、どころか一緒にお皿も落として粉々に割れちゃいますし」

「入学試験より先にお祓いとか行った方がいいんじゃないの?」

 たぶんこの子あれだ。
 絵に描いたような“不幸少女”だ。
 幸運値999の幸運娘の私と違って、この子の場合はおそらく……

「お祓いはもちろん試してみました。でも教会を訪ねてみたら、『それは単純に幸運値0のせいだ』って言われちゃいました」

「0の人なんていたんだ……」

 幸運値0の超絶不幸娘。
 幸運値は平均的に50くらいの人たちが多いと聞く。
 低い人でもさすがに30はあって、それ以下の数値の人間はほとんどいないのだとか。
 それがまさかの幸運値0。
 幸運値は魔素の輝きによって数値を算出しているのだけど、この子の魔素はいったいどれだけ真っ暗なんだろうか。

「正確には0ではなく、さらにその下の“マイナスいくつ”だって鑑定師さんは言っていました。今までに見たことがなくて正確な数値が出せないから、とりあえず『“幸運値0”にしとこ』って」

「マイナスって……」

 それはもはや幸運値ではなく『不運値』とでも呼んだ方がいいだろう。
 これだけ不幸の連続に見舞われているのなら、きっとこの子の不運値はとんでもない数値のはずだ。
 ていうか一緒にいるだけでもちょっと怖いんだけど。
 私まで何か悪いことに巻き込まれそうでそわそわする。
 だから気の毒だとは思いながらも、私はさっさとこの場を立ち去ろうとした。
 けど……

「うぅ、せっかく死花(アイビィ)を倒して、胚珠を手に入れられたのに……」

「……」

 青ずきんちゃんは再び目元に大粒の涙を滲ませて、ぐすぐすと泣きじゃくり始めてしまった。
 その姿を前にして、私は動かそうとしていた足をピタリと止めてしまう。
 ……はぁ、仕方ない。

「ちょっとの間だったら一緒に探してあげるよ」

「えっ?」

「私、失くし物を探すのは得意だからさ」

 言うや否や、私は近くの茂みに頭を突っ込んだ。
 そしてポーチらしきものが落ちていないことを確認し、すぐに次の茂みに移る。
 そんな風に私がポーチを探している姿を見て、青ずきんちゃんは呆気に取られたような声をこぼした。

「い、いいんですか? ご自分の試験もあるのに……」

「だからちょっとの間だけだよ。長引くと思ったらすぐにやめるから。ほらっ、早いとこ見つけちゃお」

「は、はい……ありがとう、ございます」

 青ずきんちゃんは意外そうな顔をしながら、ぎこちない会釈を返してきた。
 まあ、少しの間だけなら別に問題はない。
 失くし物を探すのは本当に得意だし。
 それにもしこの状況を冷たく見捨ててしまったら、心の中のマルベリーさんにひどく叱られちゃいそうだしね。
 それから私と青ずきんちゃんは、二人してポーチ探しを始めたのだった。
 そして早くも十分くらいが経っただろうか。
 この辺りの茂みや木の上を程々に探し終えて、私は“ふぅ”と一息吐く。
 なんかこの辺りにはない気がするなぁ。

「もう少し先に進んでみよっか。あっちの方とか」

「えっ、どうしてですか?」

「なんかそっちの方にある気がするから」

「えっ? そ、そんな曖昧な理由で……?」

 私の根拠のない自信を見て、青ずきんちゃんはひどく困惑していた。
 それでもしっかりと後ろをついて来てくれる。
 私が先頭になって森を進むと、茂みを掻き分けて行った先に一本の大木を見つけた。
 するとどうだろう。
 その大木の根本付近に、青色のポーチらしきものが落ちていた。

「あっ、私のポーチ!」

「ほらねっ、私の言った通りでしょ」

 さすが幸運娘の私。
 ドヤッと言わんばかりの顔で堂々と胸を張っていると、ポーチを拾ってきた青ずきんちゃんが夢でも見ているような顔をして首を傾げていた。

「ど、どうしてポーチが落ちている場所が、ピタリとわかったんですか?」

「別にわかったってわけじゃないよ。ただこっちの方にある気がしただけ。私、こういう勘ってすごく当たるんだよねぇ」

「は、はぁ……」

 水色髪少女はピンと来ていないように呆けた顔をしている。
 ポーチを見つけ出せた理由を“ただの勘”で片付けられてしまったからだろうか。
 でも、それ以外に表現の仕様がない。
 だって本当に勘なんだもん。その勘で私は、今まで失くし物や探し物をピタリと見つけ出してきた。
 マルベリーさんが失くしちゃった魔道具とか、マルベリーさんが探していた薬草とか香草とか。
 たぶん幸運値999のおかげなのかな? よくわかんないけど。

「じゃ、無事に失くし物も見つかったってことで、私はもう行くね。合格おめでとー」

「あ、あの! ありがとうございました!」

 青ずきんちゃんからのお礼の言葉を背に受けながら、私は早々にその場を立ち去った。
 私も早く死花(アイビィ)の胚珠を手に入れなきゃいけないからね。
 さて、軽く人助けもしたことだし、神様がこれを見ていたらちょっとくらい温情をくれてもいいんじゃないかな?
 具体的には私にも早く死花(アイビィ)の胚珠をくださいな!



 そんなことを思いながら、少女と別れてから二十分ほど捜索をしてみたのだが……
 私の目の前にはまったく、討伐対象の死花(アイビィ)が現れてくれなかった。

「……おかしい。色々とおかしい」

 どうしてこんなにも目当ての魔獣が見つからないのだろうか?
 何かを探すのは大得意のはずなのに。
 幸運値999の幸運娘じゃないの私?

「他人の失くし物は簡単に見つけられるのに、自分が探してるものはまったく見つからないなぁ」

 もしやこれって幸運値とかあんまり関係ない?
 それかもしくはさっきのあの子の不幸オーラに当てられて、私の幸運が僅かに薄れてしまったのだろうか?
 うーむ、充分にあり得る。
 私がここまで探しもので苦戦するなんて初めてだし。
 縁起のいいものに触ったら運気が上昇するのと同じように、縁起の悪い少女に関わってしまったばっかりに私の幸運値が脅かされてしまったのかもしれない。
 まあ、冗談はここまでにしておいて。

「ひょっとしたら、意外と入口の方に固まってるとか?」

 てっきり森の奥の方に死花(アイビィ)が集中していると考えて、ずっと奥を目指して歩いていたけど。
 まさかそれは間違いだったのかな?
 あの青ずきんちゃんも実技試験の開始直後に死花(アイビィ)の胚珠を手に入れていたし、思った以上に入口付近に固まっているのかもしれない。
 そう思ったので、私は一度引き返してみることにした。
 これもまあ、ただの勘だ。根拠なんて何一つない。
 そんな風に開き直って元来た道を引き返していると……

「おい、その胚珠を渡せ」

「んっ?」

 またもどこからか人の声が聞こえて来た。
 今度は少女ではなく男性の声。
 ていうかなんだかまたも穏やかならない台詞だった。
 さっきので懲りているはずなんだけど、進行方向の先ということもあり、つい私は声のした方に歩いて行ってしまった。
 とりあえず様子だけを見て、面倒そうな状況だったらすぐに逃げよう。
 そう考えながら茂みの影から声のした方を窺ってみると、森に線を引くように一本の獣道があって、その場所に四人の人物が立っているのが見えた。
 綺麗な身なりの男子三人組と、そしてもう一人は……

「あれっ? さっきの子じゃん……」

 ポーチ探しを手伝ってあげた、あの不幸な青ずきんちゃんが、ガクガクブルブルと震えていた。
 
 なんでまだ森の中にいるの?
 もうとっくに試験開始地点に戻って合格を決めていると思ったのに。
 そんな彼女の前に立つ三人組は、見るからに肉付きが良くて、健康的な生活を送っているのだとわかる。
 高そうな杖やら装飾品も身に付けていて、いいとこのおぼっちゃま感が漂っている。
 ていうか筆記試験の時に見たので、彼らも試験参加者だろう。
 あんなところで何をしているんだろう?
 ここからじゃ詳しい状況はわからないけれど、たぶん男子三人組が青ずきんちゃんに詰め寄っているのだと思われる。
 その証拠と言わんばかりに、三人組のうちの一人――リーダーらしき金髪の少年が、強気な態度で少女に言った。

「手に入れた胚珠をこちらに渡せ。それは“平民”のお前が持っていても意味のない物だ。魔術学園に入学するべきなのは、私たちのような高貴な一族の者たちなのだからな」

「……」

 その威圧的な態度に、青ずきんちゃんは見るからに萎縮してしまう。
 フードで覆っている顔をさらに隠すように深く俯いてしまった。
 目を凝らすと、少女の小さな手には死花(アイビィ)の胚珠と思われる拳大ほどの白い玉が、大切そうに握られている。
 何このわかりやすい恐喝。
 少し野次馬気分で見に来たのだけれど、かなり胸糞悪い景色だな。

「そもそもお前みたいな平民が、よく俺たち貴族に混じって魔術学園の入試を受けようと思ったな。生まれながら魔法の才能で劣ってるとわかってるのに」

「場違いだとは思わなかったのか?」

 他の二人の男子にも悪態をつかれて、少女はさらに身を縮こまらせてしまう。
 そしていよいよ金髪の少年が、少女の手に握られている胚珠を素早い手つきで奪い取ってしまった。
 それに対して何もすることができない青ずきんちゃんに対して、少年はさらに毒を吐きつける。

「それがたまたま“運良く”一足先に魔獣を見つけて、これまた“運良く”討伐ができたというだけで、私たちの合格枠を一つ潰されては困るんだよ。お前のように運だけで合格して、本当に実力がある者が落第するなんてこと、絶対にあってはならないんだ」

 少年が胚珠を手元で遊ばせながら吐いた台詞に、少女は何も言い返すことができなかった。
 完全に気持ちで負けてしまっている。
『私は幸運値0の不幸少女だから、これは運じゃなくて実力で取ったものなんだよ』くらい言えばいいのに。
 それを傍から見ていた私は、何かに駆られるように茂みの裏から飛び出し、ため息混じりに声を挟んだ。

「運も実力のうちなんじゃないかな?」

「んっ?」

 全員の視線がこちらに殺到する。
 あまり人に見られるのに慣れていないため、なんだか居心地悪いな。
 やっぱり出しゃ張らなきゃよかったかも。

「さ、さっきの……」

「また会ったね青ずきんちゃん」

 意外そうな顔でこちらを見る青ずきんちゃんに、私はひらひらと手を振る。
 そんな呑気そうな私を傍から見て、金髪の少年は不機嫌そうに顔をしかめた。

「誰だお前は?」

「同じ試験に参加してる受験者だよ」

 我ながら面倒なことに首を突っ込んでしまったと今さら後悔する。
 こんな気分の悪い場面なんて、見て見ぬ振りしてどこかに行ってしまえばよかったのに。
 でも、“運”をバカにする連中を放っておけないと思った。
 何よりも、小さな女の子を男三人で取り囲んでいるという光景を、どうしても見過ごすことができなかった。
 そんなに正義感強かったっけ私?

「受験者、か」

 金髪の少年は私のことを同じ入学志望者だとわかった途端、勝気な笑みを浮かべた。
 そして突然、自身の胸元に付いているバッジらしきものを指差し、再び問いかけてくる。

「見たところ、君も家章(かしょう)を持っていないようだが、まさか忘れてしまったのかい? 生まれはどこの名家なのかな?」

「家章?」

 何のことだかさっぱりだった。
 家章って何? その胸に付いているバッジのことを言っているのかな?
 ただ、生まれがどこなのか聞かれているのだけはわかった。
 それが今この状況に関係あるのかな? まあいっか。
 私は少し考えてから返答する。

「普通に山奥の民家生まれだけど」

「んっ? ハハッ、失礼失礼、これは私の聞き間違いかな? 今確かに山奥の民家と……?」

「だからそう言ってるじゃん」

 すると金髪は、一層甲高い笑い声を森の中に響かせた。

「ハハハッ! いやまさか本当にそんな生まれの田舎者が、この王立ハーベスト魔術学園の入学試験を受けているとは思わなくてね。そうか、山奥の民家か……」

 奴はククッと、堪えるような笑い声を漏らし続けている。
 すると今度は別の二人が、強気な態度で毒を吐いてきた。

「んな奴も同じ試験を受けてると思うと寒気がするな。才能無しの平民風情が、俺らと同じ舞台に立てると思ったら大間違いだぞ」

「こういう思い上がった平民たちが多いと本当に困るね。合格できないとわかっていながら受験するなんて、邪魔者以外の何者でもないな」

 二人の言葉を聞いて、ようやく家章というものが何かわかった気がした。
 ようはあのバッジは、家柄を示した徽章みたいなものってわけだ。
 名家生まれの人たちはそれを胸元に付けて、周りに出自を示しているのだろう。
 で、何も付けていない平民の私たちを見下していると。
 ……くだらない。

「やってもみないで不合格になるって決めつけるなんて、バッカみたい」

「な、なんだと!」

「これは魔術学園に入学するための試験で、貴族と平民を分けるための試験じゃないの。実力がすべての試験内容なんだから、誰が合格するかなんてまだわからないでしょ」

 試験官さんは死花(アイビィ)の胚珠を持ち帰って来いと言ったのだ。
 貴族だけを合格させるとは一言も口にしていない。
 それなのに身分の違いだけで試験の合否を決めつけるなんて、心底くだらないと思う。
 すると今度は金髪が、再び不機嫌そうな表情になって反論してきた。

「魔法の才能はほとんどの場合、血筋によって決まるものなんだけど、もしかしてそのことを知らないのかい?」

「だからってあんたたちが私たちより優秀だって証拠にはならないでしょ。現に今、先に魔獣を倒して胚珠を手に入れていたのはその子の方なんだし、傍から見たらその子の方が優秀ってことになるんだけど」

「だからそれが“運が良かった”だけだとさっきも言っただろう。この先そんな運任せで生き残れるほど魔術師の世界は甘くない。ゆえに私たちが代わりに、お前たちに引導を渡してやる」

 金髪は水色髪の少女から奪った胚珠を手元で遊ばせながら、自信満々に言い切った。

「お前たちは魔術師にはなれないよ。無駄死にする前にさっさと山奥の民家にでも帰ることだな」

 その声を合図にするように、他の二人が盛大な笑い声を響かせた。
 そして三人は揃ってどこかへ行ってしまう。
 私はその背中を追い掛けながら、金髪たちを呼び止めようとした。

「ちょ、この子の胚珠返しなさいよ! 他の受験者から奪うのは反則って言われたでしょ!」

「危害を加えて奪うのは、だ。私たちは別にその平民に手を加えてはいないよ」

「そ、そんな屁理屈通用すると思って……!」

 だが、予想外にも背中の裾を誰かに掴まれて、追い掛けることができなかった。
 振り向くとそこには、今にも泣き出しそうな顔をした、あの水色髪の少女が立っていた。

「も、もういいですから。私の胚珠は気にしないでください」

「どうして? あいつらは自分の力じゃなくて、あなたが手に入れた胚珠で合格しようとしてるんだよ?」

 取り返してやろうという気にはならないのだろうか?
 だが、そんなことを言い合っている間に、奴らの姿は見えなくなっていた。
 後に残された私と女の子は、静寂の中で気まずい視線を交換する。
 なんで私のことを止めたのだろうかと不思議に思っていると、青ずきんちゃんは申し訳なさそうに理由を語った。

「これ以上争ってしまったら、あなたまであの人たちにひどいことをされてしまいます。私のせいで誰かが不幸になるのは、もう見たくないんです……」

「……」

 なんだろう、その言い方は。
 まるで以前にも他の誰かを巻き込んで不幸にしてしまったみたいな。
 そんなの私は気にしないし、たぶん私だったらそんなことにはならないと思うんだけど……
 しかし少女は悲しそうな顔をするだけで、連中の後を追いかける素振りをまるで見せなかった。
 もしかして、私だけじゃなくて、あの三人組も不幸に巻き込んでしまわないか心配しているのだろうか?
 そんな気遣いいらなくない? むしろ巻き込んでやろうという気にはならないのかな?

「……ま、取られちゃったものはもうしょうがないか」

 連中の姿はもう見えなくなっており、足音もすでにまったく聞こえない。
 私は大きなため息を吐いて、一旦はあの胚珠を諦めることにした。
 手に入れた本人がもういいと言っているんだし、私がこれ以上出しゃばる必要はない。
 となれば残された選択肢は一つ。

「胚珠はまた新しく手に入れれば問題はないし、早いところ死花(アイビィ)を探せば大丈夫でしょ」

 まだ実技試験開始から四十分ほどしか経っていない。
 死花(アイビィ)を探す時間はまだまだ残されている。
 だから諦めるのは全然早いのだ。
 だが少女は気落ちした声で、すでに試験を放棄したような台詞をこぼした。

「どうせ、また誰かに取られちゃいますよ。やっぱり私みたいに不運な人間が、国家魔術師になろうだなんて烏滸がましかったんです。生まれも平民で場違いですし……」

「……」

 次第に涙声になっていくのを聞き、私は思わず胸を痛める。
 少女はその場から動こうとしなかった。
 それどころか、森の奥にではなく出口の方を振り返って、そちらに歩き始めてしまった。
 どうやらもう帰るつもりらしい。
 死花(アイビィ)の胚珠を再び手に入れたとしても、また誰か他の人に取られてしまうと思っている。
 あの三人組からの罵倒が相当効いているみたいだ。
 卑屈になってしまうのも無理はない。
 それにこの子は気が弱い性格みたいなので、余計に心に深い傷を負わされてしまったのだろう。
 それなら……

「……じゃあ、今度は私が守ってあげるよ」

「えっ?」

「もう誰にも胚珠を取られないように、側にいて守ってあげる。意地悪してくる貴族の連中を絶対に追い払ってあげるから、だから一緒に試験頑張ってみようよ」

 遠ざかる少女の背中を見て、私は堪らず呼び止めた。
 そして行かせたくないあまり、早計だったと思える提案をしてしまう。
 さすがに過保護すぎる提案だっただろうか。
 だが、それが功を奏したのか、水色髪の少女は足を止めてくれた。
 そしてこちらを振り返り、涙の伝った顔を不思議そうに傾けた。

「どうして?」

「んっ?」

「どうして、助けてくれるんですか? 今も、さっきも、どうして私のことを……」

 うーん、どうしてだろう?
 改めてそう聞かれると、なんだかはっきりとした答えが浮かんで来ない。
 なんで私はこの子のことを助けようと思ったのだろうか?
 今だけではなく、さっきのこともそうだ。
 ちょっとの間だけではあったものの、一緒にポーチ探しも手伝った。
 可愛い女の子が困っているから? この子が可哀想だと思ったから?
 もちろんそれもある。
 でも、やっぱり一番の理由は……

「私の恩人なら、同じことをしてたと思うから」

「お、恩人?」

「魔術師を目指すきっかけをくれた人で、私の命の恩人なんだ。物凄くかっこいい魔術師で、私もいつかはその人みたいになりたいって思ってるから」

 もしもさっきの場面を、私ではなく、マルベリーさんが見ていたとしたら。
 心優しい彼女なら、迷いなく同じことをしていたと思う。
 だから言っちゃえばこれは、マルベリーさんの真似事なんだよね。
 憧れている人の真似。真似をすれば少しでも近づけると思ったから。
 私なんて別に“優しくない”し、自分が正しいと思ったことを是が非でも通すだけの、自己中心的な性格だしね。

「……助けてくれるのは、とても嬉しいんですけど、やっぱり私とはあんまり関わらない方がいいと思います」

「どうして?」

「……私と一緒にいると、みんな不幸になるからです」

 少女は何か思うところがあるような顔をしている。
 一緒にいると不幸になる、か。確かにこの子に会ってからいいことは起きていない気がするけど。
 でも特別悪いことだって何も起きていない。
 それに……

「あぁ、それなら全然大丈夫。こう見えても私、幸運値だけが取り柄なんだよね。幸せになることに関してなら、他の誰にも負けない自信があるからさ」

「そ、そうは言いましても、取り返しのつかないことになってからじゃ遅いと言いますか……」

 なんかうだうだ言い始めてしまったので、私は焦ったいと思って青ずきんちゃんの手を取った。

「さっ、時間もあんまりないし、早いところ魔獣を探しに行こう。あなたといると不幸になるのかもしれないけど、それは不幸になった時にどうすればいいか考えれば良くない?」

「そ、そんな無茶苦茶な……!」

 何か言いたげに口を開きかけていたけれど、有無を言わす暇を与えずに手を引っ張った。
 すると彼女は抵抗することなく、私の後ろを静かについて来てくれる。
 やがて手を離してもちゃんと後に続いてくれたので、一緒に試験を受けることに了承してくれたのだとわかった。
 いや、諦めがついたと言った方がいいかな。
 私の根気が勝ったというわけだ。見掛け通り押しに弱い子のようだ。
 そして私は今になり、あることに気が付く。

「そういえば、お互いに名前知らなかったね。私の名前はサチだよ。青ずきんちゃんのお名前は?」

「わ、私は、ミルティーユです。ミルティーユ・グラッセ」

「ミルティーユ……ミルちゃんか。うん、よろしくねミル」

「……よろしく、お願いします」

 こうして私とミルは、協力して入学試験に挑むことになった。
 ミルはあんまり乗り気じゃなさそうだけど。
 それにしても、この子……

『お前たちは魔術師にはなれないよ』

 あいつらはこの子に対してきっぱりとそう言い切った。
 平民では魔法の才能がないから魔術師にはなれないと。
 でも、それは違う。
 この子は誰よりも早く死花(アイビィ)を倒して、胚珠を入手した。
 しかも単独でだ。気弱そうに見えるけれど、おそらく入学志望者の中でも飛び抜けた才能を持った人物である。
 単純にその才能を埋もれさせるのは惜しいと思ったんだよね。
 実際に近くでその才能の片鱗でも見られればいいなと思い、私はこの子を助けようと思ったのだ。
 
 青ずきんちゃん、もといミルと行動を共にしてから二十分ほど。
 花の形をした魔獣――死花(アイビィ)はいまだに見つかっていない。
 まだまだ時間はあるからいいんだけど、なるべくは早めに見つかってくれたら嬉しいな。
 おかしいなぁ。私って幸運値999の超幸運少女じゃなかったっけ?
 やっぱり隣に超不幸少女がいるから、私の豪運も影が薄くなっているのかも。
 ともあれただ森を歩いている時間が暇だったので、私は気になっていたことをミルに尋ねた。

「なんでまだ森の中にいたのさ?」

「えっ?」

「三十分くらい前にポーチ見つけてあげたのに、なんでまだ森の中にいたの? とっくに合格してるもんだと思ってたよ」

 ポーチを見つけたあの場所から森を出るまで、おそらく十分も掛からないはず。
 それなのにミルは森の入口どころか、私が探索している奥の方にまでやって来ていた。
 明らかにおかしい。運が悪くて道に迷ったとか?

「あの、えっと……あなたのことを、サチさんのことを探していたので」

「えっ、わたし?」

「ポーチを探すのを手伝ってもらったのに、何もお礼をしないで帰るのは悪いなと思って……」

 あぁ、そゆこと。
 あの時、結構あっさりとミルの前から立ち去ってしまったから、向こうも声を掛けるタイミングがなかったんじゃないかな。
 それで後から私のことを手伝った方がいいと思って、私のことを探していたと。
 それじゃあ変に責められないな、と思っていると、ミルはあの不幸な泣きっ面を浮かべてぐすっと鼻を啜った。

「でも、これ以上サチさんに関わると不幸にしてしまうんじゃないかと思って、始めは探そうかどうかすごく迷いました。それでどうするか考えている内に森の中で迷子になってしまって、当てもなく獣道を歩いていたらさっきの三人に出くわしてしまいました」

「相変わらず運がないね君」

 さすが幸運値0の不幸娘。
 結局運の悪さが災いして不幸な道に導かれてしまったらしい。
 でもどうして道端で会っただけであんな詰め寄られることになったのだろう?
 普通ならただ通り過ぎるだけじゃないの?
 筆記試験の会場で見掛けたのなら、同じ入試参加者だとはわかるけど、ミルがすでに死花(アイビィ)の胚珠を手に入れているとはさすがに知らなかったはずだし。
 という私の内心の疑問を感じ取ってか、ミルが心なしか申し訳なさそうに語った。

「最初は優しい感じで話し掛けてくれたんですよ。それで死花(アイビィ)の胚珠を手に入れたかどうか聞かれて答えたら、どんなものか参考に見せてほしいって言われて、実際に見せたら態度が急変しました」

「なんで馬鹿正直に見せちゃうかな」

 もっと他人を疑って然るべきだよ。
 聞かれたことに素直に答えちゃうのもよくないと思うし。
 するとミルは涙まじりに苦しい言い訳をした。

「だってだって、すごく困ってそうだったんですもん……!」

「そんなの演技に決まってるじゃん。どうせ弱そうな子から胚珠を奪おうって魂胆なんだから。困ってる人に無闇に手を差し伸べるんじゃありません。いいことなんて何一つ起きないし、そういうのはちゃんと無視するのが正解なの」

「じゃあどうしてサチさんは私のことを助けてくれたんですか?」

「むっ……」

 見事な返球をされてしまった。
 思わず私も、『確かにそうだね』と自分で思ってしまったくらいだ。
 私も困っているこの子に無闇に手を差し伸べてしまった。
 それなのに偉そうに助言なんかして、明らかに矛盾している。
 ミルも私がおかしなことを言っていると気付いてか、『矛盾していませんか』と言わんばかりの顔を向けてきているし。
 この青ずきんちゃんめ……

「そんな風に生意気なこと言う子には、こうだ!」

「や、やめてくださいやめてください! フードを取らないでください! フードを裏っ返しにしないでください!」

 程々に悪戯もできたので、それなりに気分はよくなりました。
 そんなやり取りをしながら、私とミルは森の深くへと進んでいく。
 正直当てがないので気の向くままに歩き回っているけれど、果たしてこのままで本当に死花(アイビィ)を見つけることはできるのだろうか?
 ミルの分だけじゃなくて、私の分も見つけなきゃいけないっていうのに。
 なんて思いながら私は、不意な沈黙を嫌がって、えんえん言いながら裏返しになったフードを直しているミルにあることを尋ねた。

「ところで、ミルはどうして魔術学園の入試を受けたの?」

「えっ?」

「あの貴族たちには萎縮しちゃってたけど、本当はすごく魔術学園に入学したそうに見えたからさ。どうしても国家魔術師になりたい理由とかあるのかなって思って」

 少し前から疑問に思っていたことだ。
 ミルが気弱で不運な子だというのはもうわかった。
 だからこそ不思議に思うこともある。
 魔術師はその名の通り、“魔法”を戦うための“術”とする者を指す。
 現代では魔法技術の発展に貢献する者たちも漏れなく魔術師と呼ばれたりしているので、その定義は曖昧になりつつあるが。
 多くは魔獣討伐を生業とする者たちが魔術師と呼ばれている。
 そして魔獣討伐は相当な精神力がなければ務まらない。
 ましてやミルみたいに気が弱い子は、ろくに魔獣の前に立つこともできないはずなのだ。
 しかしミルは、国家魔術師になりたい願望が人一倍あるように見えた。
 そのために魔術学園への入学は必至で、この入試にも強い心持ちで参加しているように見える。

『やっぱり私みたいに不運な人間が、国家魔術師になろうだなんて烏滸がましかったんです』

 おぼっちゃまたちに罵倒されてそんなことを言っていたけど、本当は諦めたくないって思っていたに違いない。
 だってそう言っていた時の表情が、とても悔しそうに見えたから。
 ミルにそこまでの決意をさせている理由とは、いったい何なのだろうか。

「あっ、言いたくなかったら全然答えなくていいからね。ちょっと不躾な質問しちゃったかもだし」

「い、いえ、別に隠すようなことではないので」

 そう言ってくれたミルは、今回の入学試験に参加した理由を話してくれた。

「私、お金が欲しいんです」

「お金?」

「すごくたくさんのお金です。そうしないと母は、あと五年も生きられないって言われているんです」

 大人しそうな顔に似合わず俗物的な考えをお持ちだな。
 と思いきや、お金が欲しいのはどうやらミルのお母さんが関係しているみたいだった。
 五年も生きられないって、病気か何か患ってしまったのだろうか?

「私の故郷はオリヴィエという名前の農村で、母はそこで畑仕事をしています。女手一つで私のことを育ててくれて、数年前まではとても元気に過ごしていたんですけど……」

 ミルの顔に翳りが差す。

「ある日突然、畑仕事中に倒れてしまって、とても重い病気に罹っているとわかりました」

「重い病気?」

「治療するには小さな村や町の治療院ではダメみたいで、王都ブロッサムの大きな治療院に入れて、多額の医療費を払わなければならないそうです」

「……だから、すごくたくさんのお金が欲しいってこと?」

 ミルは重々しい様子で頷く。

「はい。国家魔術師になれば、魔法研究のために莫大な研究費を国から支給されるので、そのお金で母の病気を治してあげようと思いまして。今から最短で魔術学園を卒業できれば、五年という猶予にはなんとか間に合いますから」

 だからミルは、魔術学園の入学して国家魔術師になりたいのか。
 確かに農民の娘一人で、莫大な医療費を五年で稼ぐのは不可能に近いだろう。
 当てがあれば誰かからお金を借りることもできるけど、金額も金額なだけにそれも難しかったんじゃないかな。
 そして残された手は、国家魔術師になること。
 思えばマルベリーさんもかなりお金を貯めていたし、国家魔術師になって程なくして医療費分は貯められるだろう。
 魔法の才能をある程度持っていたら、その発想に至るのは当然のことだ。
 ましてやミルほどの才能の持ち主なら、その考えが真っ先に浮かんでも不思議じゃない。

「もしかしたら母の病気も、私の不幸が招いてしまったことかもしれないので、これはどうしても私がやらなければいけないことなんです」

 改めてミルが国家魔術師を目指している理由がわかり、私は静かに頬を緩める。
 そして勝手に親近感を湧かせて、思わず自分の話をしてしまった。

「私もね、どうしても助けたい人がいるんだ」

「えっ?」

「その人を助けるためには、たぶん国家魔術師になるのが一番だと思ったから、私もこうして魔術学園の入学試験を受けてるの」

 教えてくれたお返し、というわけではない。
 どうしてかこの子には知っておいてほしいと思ったから。
 だから私はほとんど無意識のうちに、国家魔術師を目指している理由を彼女に明かした。
 同じ目標を持っているとわかって、つい嬉しくなっちゃったのかも。

「だからお互い、入学試験に合格して、無事に卒業できるといいね」

「……は、はい。そうですね」

 ミルはゆっくりと頷いて、私の発言に同意を示してくれた。
 そしてフードの下のその童顔に、静かに笑みをたたえてくれる。
 気持ちが同調したことで私も嬉しくなり、一層笑みを深めたのだった。
 と、その時――
 ミルが突然、弾かれるように視線を動かして、森の奥の方をじっと見据え始めた。

「……見つけました」

「えっ? 何を?」

 次の瞬間、ミルは走り出していた。
 私も釣られて彼女の後を追いかける。
 何が何だかわからないままにミルの背中を追いかけていると、やがて木々を縫うようにして走った先で、緑色の巨大生物と出くわした。

「フシャァァァ!!!」

 花の蕾と木の蔓を合体させたような魔獣。
 蕾には横三本の溝ができており、まるで顔のようになっている。
 下部には無数の蔓を生やして、それを地に這わせて足のように動かしていた。
 一言で言ってキモイ。

「もしかして、これが死花(アイビィ)?」

「はい、そうです。私が戦ったのより、ちょっと大きめですけど」

 これが試験官さんの言っていた討伐対象の魔獣らしい。
 すでに死花(アイビィ)を討伐しているミルが言っているのだから間違いないのだろう。
 それにしてもどうしてミルは、この死花(アイビィ)の居場所をいち早く感知できたのだろうか?
 まだかなり魔獣との距離は空いていたと思うんだけど、まるで位置がわかっているみたいにここまで来られたし。

「あっ、もしかして、“索敵魔法”とか使ってた?」

「はい、一応……」

 そういえばマルベリーさんに教えてもらったことがある。
 周囲に自身の魔素の欠片を振り撒いて、他者の魔素を感知する『索敵魔法』があると。
 魔獣の体にも魔素は流れていて、魔獣たちは無意識にその魔素を全身から放出して身を守っている。
 そのため索敵魔法では人間を感知した時よりも、魔獣を感知した時の方が強烈な反応を示すらしい。
 結構な距離が空いていると思ったんだけど、あんな所からでも感知できるものなんだなぁ。
 そういえば、索敵魔法の探知範囲は、使用者の魔力値によって変わるとかマルベリーさんは言っていたような……

「フシャァァァ! フシャァァァ!」

「なんかめちゃくちゃ気性荒いな」

 私たちを目前にして蕾をぷくぷくと膨らませている。
 同時に足みたいな木の蔓をウヨウヨと動かして、地面を鞭のようにバチバチと打っていた。

「うおっと危ない!」

 私とミルは弾け飛ぶ木々や泥を避けながら、適度な距離を保ち続ける。
 あの木の蔓で手足とか絡め取られたらかなり厄介そうだ。
 それに蕾の頭の方から漏れている黄緑色の液体にも、充分に気を付けた方が良さそう。
 地面に滴って“シューシュー”と音が鳴っているし、たぶんあれが試験官さんの言っていた“毒”じゃないかな。
 確か生命力も吸い取るって言ってたよね? あの木の蔓から吸い取るのかな?

「まずは私が魔獣の動きを止めますので、サチさんはその隙に……」

 まあ、何でもいいか。
 私は荒ぶる魔獣を前にして、ミルを後ろに下げるように彼女の前に立った。
 何かを提案してくれていたみたいだけど、その必要はない。

「別にいいよ、ミルは何もしなくても。魔獣を見つけてくれたお礼に、ここは私一人でやるから」

「えっ?」

 言うや否や、私は右手を前にかざす。
 そしてしっかりと死花(アイビィ)に狙いを定めて、私は目を細めた。

「ひ、一人では無茶ですよ! 私が一人で倒したのは生まれたての小さな死花(アイビィ)で、これはもう開花直前の……」

 口に馴染んだ言葉を、滑らかに詠唱する。

「【生か死か――死神の大鎌――ひと思いに敵の首を刈り取れ】」

 一撃で終わらせるために、私はこの魔法を叫んだ。

「【悪魔の知らせ(デス・ノーティス)】!」

 刹那、かざしていた右手に漆黒の光が灯り、死花(アイビィ)の全身が黒々としたモヤに包まれた。
 すると暴れ回っていた巨大植物が、唐突にその巨躯をピタリと静止させる。

「フ……シャ……!」

 声すらも上げなくなり、次に死花(アイビィ)が鳴らしたのは、地面に倒れ伏す轟音だった。
 もう奴は、木の蔓の端っこを動かすこともない。
 完全に、永遠の眠りについていた。

「はい、一撃ひっさーつ!」

「……」

 死花(アイビィ)が絶命したことを確認した私は、さっそく胚珠を回収することにした。
 巨大植物の死骸に近付いて、蕾の部分を窺ってみる。
 おそらくこの巨大な蕾の中心に胚珠があるんだと思うんだけど、毒液に塗れていて下手に手出しできそうにない。
 仕方ないと思った私は、何かに使えると思って持って来ていたナイフを使って、慎重に胚珠を取り出そうとした。
 その間、ずっと黙り込んで固まっていたミルが、驚いたような様子で声を掛けてくる。

「今のは、えっと…………な、何の魔法ですか?」

「えっ、今の? 即死魔法の【悪魔の知らせ(デス・ノーティス)】だけど……」

 と言った後で、ハタと気が付く。
 即死魔法の【悪魔の知らせ(デス・ノーティス)】は、一般的な魔法として世間に浸透していないのだった。
 通常の魔術師が使った場合は、百万回に一回しか成功しないというただの欠陥魔法だもんね。

「あははぁ、やっぱり知らないよね、こんなマイナーな魔法。普通の魔術師からしたら何の役にも立たない欠陥魔法だし」

 軽くそう説明している間に、蕾の外側をナイフで削り切ることができた。
 すると奥の方に拳大ほどの白い玉を見つけて、最後にそれを切り取る。
 これが胚珠、でいいんだよね?
 ナイフに付着した毒液を手巾で丁寧に拭き取って、再び懐に仕舞う。
 ようやくしてミルの方を振り返ると、彼女はいまだに納得できていないと言うように固まっていたので、私はさらに即死魔法の説明を重ねることにした。

「【悪魔の知らせ(デス・ノーティス)】は簡単に言うと、相手を極稀に即死させることができるっていう魔法なんだけど、ほとんど成功しないから誰も使ってないんだって。まあ私の場合は幸運値が高いから、絶対に成功するんだけどさ」

「……」

 そこまで伝えても理解が追いついていないように口をあんぐりと開けている。
 幸運値頼みで即死魔法を使う魔術師は、やっぱりかなり珍しいみたいだ。
 ていうか全国を探しても、そんな奇術使いは私しかいないか。

「って、私の魔法のことなんか話しててもつまんないよね。もう一匹死花(アイビィ)を見つけなきゃいけないし、早いところ探しに……」

 これ以上の沈黙を嫌がった私は、早々に話を終わらせて探索を再開しようとする。
 だが……

「フシャァァァ!!!」

「「――っ!?」」

 突如としてどこからか、再び死花(アイビィ)の特徴的な声が聞こえてきた。
 ミルの索敵魔法はすでに解かれていたのか、彼女も驚いたように声のした方を振り向いている。
 私たちは顔を見合わせると、さっそく二つ目の胚珠が手に入ると思い、すぐさま声のした方に走り出した。
 すると、木々を僅かに抜けた先には……

「えっ?」

 予想通り、花の形をした魔獣――死花(アイビィ)がいた。
 だが、予想外のものもいくつか視界の内に飛び込んできた。
 まず驚かされたのが、死花(アイビィ)が一匹だけではなかったということ。
 その数、計五匹。巨大な植物型魔獣が五匹も揃っている光景は、壮観の一言に尽きる。
 そしてもう一つ肝を抜かれた点は……

「な、なんでこいつら俺らの魔法が効かねえんだよ!」

「くく、来るな! こっちに来るんじゃない!」

「二人とも狼狽えるな!」

 先ほど、ミルから胚珠を奪った、あの貴族のおぼっちゃま三人組がそこにはいた。
 五匹の死花(アイビィ)と交戦中のようだが、明らかに防戦一方になっている様子である。
 果てには壁にも見える大木の根元まで追い詰められて、いよいよ逃げ道までなくなってしまっていた。
 これらの情報を一度に視界に入れられて、私とミルは思わず放心してしまう。
 しかし、それ以上に驚きだったのは……

「どういうこと、あれ?」

 五匹の死花(アイビィ)の頭には、開花前の植物の蕾ではなく、いったいどういうわけか……鮮やかな真紅の花が咲いていた。
 
「な、なんで、開花している死花(アイビィ)が五匹も……」

「開花?」

 ミルのその呟きを聞いて、私はふとあることを思い出す。
 そういえば実技試験の開始前に、試験官さんが言っていた。
 死花(アイビィ)は開花前の蕾状態の方が圧倒的に弱いと。
 つまりあそこにいる開花状態の死花(アイビィ)たちは、私たちがさっき倒した開花直前の死花(アイビィ)より強いということだ。
 確かに体の大きさも力の強さも、ここからでもわかるくらい上位のように見える。
 そんな危険な魔獣に、しかも五匹同時に襲い掛かられるだなんて、あのおぼっちゃまたちも運が悪いな。
 大木の野太い根が周りを取り囲むようにして這っているので、逃げ道がないのも気の毒である。
 というか、このままだと……

「……死ぬな、あの三人」

 状況を冷静に分析して、私は誰に言うでもなく呟いた。
 今は魔法を使って死花(アイビィ)たちを牽制して、近づけないようにしているけれど。
 次第に魔素切れになって魔法が使えなくなってしまう。
 一つの魔素に命令を与えると、その魔素は元気を消費して魔法を使うので、しばらくその魔素に命令を伝えることはできなくなる。
 だから次の魔素に命令を出して、魔術師たちは次々と魔法を連射するのだが、魔素の量が少ないとああやって……

「ま、魔法が出ない!? くそっ、もう魔素切れかよ!」

 すぐに使い物にならなくなってしまう。
 どうやら金髪以外の二人はもう魔素切れになってしまったらしい。
 ゆえに金髪一人で五匹の死花(アイビィ)を牽制し始めるが、ジリジリと距離が詰まっていき、いよいよ大木の根元が背中についた。
 まさに万事休す。
 その時、金髪が何かに縋るように視線を動かして、やがてその目が私たちのことを捉えた。

「へ、平民ども! 何をボサッと突っ立っている! さっさと手を貸さないか!」

「手を貸せ?」

 魔法で目の前の死花(アイビィ)たちを攻撃しながら声を張り上げる。
 その物言いに少し腹が立ち、思わず顔をしかめていると、さらに気分を損なう発言をされた。

「平民なら貴族の言うことに素直に従え! こいつらを何としても退けるんだ!」

「……またそれか」

 もう聞き飽きた台詞なのよ。
 平民とか貴族とかいちいちうるさいわね。
 ただでさえさっきのミルへの意地悪に苛立っているっていうのに、この状況でもまだそんな馬鹿馬鹿しい意地を張るのか。
 私は堪らず呆れたため息をこぼし、鬱憤を冷たい感情として吐き出すことにした。

「魔法の才能はほとんどの場合、血筋によって決まるものなんでしょ? それなら高貴な生まれのあなたたちが、さっさとそいつらを倒せばいいじゃないですか」

「な、なんだと!?」

 金髪は怒りと驚きを混じえた声を上げた。

「普通に助けを求めてくれたら、普通に助けてあげようって思ってたんだけど、そんな言い方するならもう行っちゃおっかなー」

「こ、こんな時にふざけるんじゃない! 冗談では済まされな……」

 と、金髪が言いかけた瞬間――
 死花(アイビィ)の一匹がその隙を突くように、急激に速度を上げて三人組に接近した。

「フシャァァァ!!!」

「く、くそっ!」

 金髪はすかさず右手を構える。

「【敵はすぐそこにいる――紅蓮の猛火――一球となりて魔を撃ち抜け】――【燃える球体(フレイム・スフィア)】!」

 金髪の右手から真紅の火球が放たれて、近づいて来ていた死花(アイビィ)に直撃した。
 それなりに威力の高い一撃。さすがに威張っているだけあって、魔力値はそこそこ高いみたいだ。
 しかし……

「くそっ、どうしてだ!」

 死花(アイビィ)は僅かに怯んだだけで、傷はほとんど付いていない。
 むしろ無駄な怒りを覚えさせてしまったみたいで、さらに気性が荒くなってしまった。
 魔素の力による防護膜――『魔衣(まごろも)』がかなり強固なのだろう。
 下手な魔法ではあの魔衣を打ち破ることは叶いそうにない。
 金髪は堪らずに舌を打ち、今度は別の魔法で対抗しようとする。

「【躊躇うな――灼熱の流星――骨の髄まで焼き尽くせ】――【小さな太陽(リトル・フレア)】!」

 だが……

「……で、出ない!?」

 かざした手からは何も出ず、ただ金髪の叫び声だけが森の中に木霊した。
 魔素切れである。
 これでいよいよ魔法を使える者はいなくなってしまった。
 まるでそのことがわかっているみたいに、死花(アイビィ)たちは花を揺らしながら愉快そうににじり寄っていく。
 溶解性のある毒液を辺りに撒き散らしながら、大木の根元に追い込まれた三人を完璧に包囲した。
 絶体絶命の窮地。
 それを傍らで眺めていた私は、いまだに意地を張る貴族たちに意地悪なことを言った。

「早くしないと木の蔓で絡みつかれて生命力を吸い取られちゃうよぉ。毒もすっごく痛そうだなぁ」

「……っ!」

 と、意地悪はここまでにして、私は今一度あいつらに問いかける。

「ほらっ、どうしてほしいのよ? 平民とか貴族とか関係なく、同じ受験者として言ってみなさいよ」

「……」

 もはや脅迫のようにも聞こえてしまう。
 けど私はそれでもいいから、あいつらに対等な立場だということを認めさせたかった。
 これに意味なんてないかもしれない。でも、どうしてもあいつらの口から言わせたい。
 これは身分を選別するための試験ではなく、魔術学園に入学するための試験ということを。
 すると金髪は、悔しそうに歯を食いしばりながら、目前に迫った巨大魔獣を見据えて、盛大な叫び声を上げた。

「た、助けてくれっ!!!」

 私は思わず頬を緩める。

「よくできました」

 すかさず死花(アイビィ)たちの群れに近づくと、金髪たちに一番近い死花(アイビィ)に手の平を向けた。

「【生か死か――死神の大鎌――ひと思いに敵の首を刈り取れ】」

 奴らが傷一つ付けられなかった魔獣を……

「【悪魔の知らせ(デス・ノーティス)】!」

 私は、一撃で絶命させた。
 黒いモヤに包まれた死花(アイビィ)が、まるで魂でも抜かれてしまったみたいに地面に崩れ落ちた。
 その光景を目の当たりにして、おぼっちゃまたちは目を見開く。

「そんな、たったの一撃で……?」

「嘘……だろ……」

 これは嘘ではなく、紛れもない事実である。
 確かにこの開花状態の死花(アイビィ)たちは、かなり強固な魔衣を持っていて、並の魔法では傷が付けられないようになっている。
 でも私が得意としている即死魔法は、相手の魔衣に関係なく“確率”で即死を強制させるのだ。
 そして幸運値999の私が使えば、絶対に成功する即死魔法へと変貌する。
 ともあれこれで死花(アイビィ)の包囲は崩れた。
 あの三人も隙間から逃げ出して来られるはず。
 と、思いきや……

「……一人怪我してるのか」

 死花(アイビィ)の木の蔓に打たれたのか、はたまた転んだのかは知らないが。
 茶髪の男子だけ脚に怪我をして座り込んでいた。
 これじゃあ一匹だけ倒しても、三人全員を逃がすことはできないか。
 となれば“手早く”すべての死花(アイビィ)を倒すしかない。
 チンタラ一匹ずつ倒していると、他の死花(アイビィ)が三人に襲い掛かる可能性があるから。
 けど私の即死魔法、対象が一人だけなんだよねぇ。
 やろうと思えば“あの魔法”で一掃できないこともないんだけど、死花(アイビィ)たちがうろうろと動き回っていて狙いが定めづらい。
 下手したら奥の三人組も巻き込んじゃうかもしれないし。
 その時、私はハッとなって後ろの相棒の方を振り返った。

「ねえミル、あいつらの動き止められる?」

「えっ?」

「少しだけでも時間を稼いでくれたらいいんだけど」

 先ほど一度だけ共闘した時、ミルは『自分が死花(アイビィ)の動きを止める』と言った。
 もしかしたらそういった魔法が得意なのではないかと思った。
 私も拘束魔法の【運命の悪戯(フォル・トゥーナ)】を使うことはできるけど、あれも単体対象の魔法なんだよね。
 だからミルなら、一度にあいつらの動きを封じることができるのではないかと期待して問いかけてみたんだけど……

「わ、わかりました。やってみます」

 その期待通り、ミルは大きく頷いてくれた。
 残った四匹の死花(アイビィ)たちの後ろに位置取ると、両手を地面につけてつぶらな瞳を細める。

「【喧騒で満ちているーー青龍の息吹――この地に安息と静寂を】」

 聞き覚えのない詠唱を終えて、魔法を発動させた。

「【凍てつく大地(ニブル・ヘイム)】」

 刹那、季節が一瞬にして変わってしまったみたいに、辺りに冷気が満ちた。
 地面の方から冷えた空気が吹いてきて、背筋がゾッと凍える。
 気が付けば、死花(アイビィ)たちの足元には透き通った氷が張り……

「フ……シャ……!」

 奴らの身動きを完全に封じていた。

「わおっ!」

 これは予想外。
 まさかこんなにもあっさりと死花(アイビィ)たちを捕まえてしまうとは。
 連中はまるで身動きを取ることができずに、ただ『フシャフシャ』と鳴き声を上げている。
 奴らが振り解くことができないほどの堅氷。それを一瞬にして広範囲に展開している。
 魔力値がかなり高い証拠だ。
 しかも奥にいる貴族のおぼっちゃまたちを巻き込まずに、丁寧に魔獣だけを凍りつかせている。
 才能があるとは思っていたけど、まさかこれほどなんてね。
 三人組もミルの力に驚かされたのか、口をあんぐりと開けて愕然としていた。
 魔法の才能は血筋によって決まると奴らは言っていた。
 それは確かにそうだけど、中には例外だって存在する。
 一般的な家庭に生まれた、ごく普通のはずの子供が、なぜか魔法の天才児として誕生してしまうということが。
 って、マルベリーさんに教えてもらったことがある。
 たぶんミルもその一人なのだろう。

「ありがとうミル。あとは私に任せて後ろに下がっててよ。ちょっとだけ危ないからさ」

「は、はい……?」

 二十秒、いや三十秒はこれで時間が稼げるはず。
 それなら充分。
 あまり使い慣れていない魔法だから、ほんの少しだけ余裕が欲しかったんだ。
 私はミルを後ろに下げて、代わりに前に出ると、死花(アイビィ)たちの中心に狙いを定めて右手を構える。
 そして頭の奥から引っ張り出すように辿々しく詠唱をした。

「【我こそは審判者――裁きの鉄槌――大罪人に正しき懲罰を】」

 耳慣れない詠唱に全員が怪訝そうな顔をする。
 無理もないと思いながら、私はその魔法の正体を明かすように声を張り上げた。

「【地獄への大扉(ヘルズ・ゲート)】!」

 瞬間、死花(アイビィ)たちの中心に漆黒の魔法陣が展開された。
 奥の三人組を巻き込まず、上手く四匹の死花(アイビィ)だけを覆い尽くすことができている。
 魔法陣の範囲内に収められた死花(アイビィ)たちには、それぞれ黒いモヤが纏わりつき、あっという間に目前の景色が黒一色に染め上げられた。

「フ……シャ……!」

 奴らが忙しなく動かしていた花部分が、段々と枯れるみたいに萎れていく。
 抵抗するように撒き散らしていた毒液もまったく出なくなってしまう。
 気が付けば、死花(アイビィ)たちは鳴き声を上げることすらもできなくなり、辺りは完全に静まり返っていた。
 花型の巨大魔獣たちは、氷に足を縛られたまま、一匹残らず息絶えていた。

「よし、一件落着!」

「……」

 すべての死花(アイビィ)が一瞬にして倒されたのを見て、三人組は言葉を失くして唖然としていた。
 一方で後ろにいるミルは、先ほど似たような光景を見たのでさほど驚いてはいない。
 というよりも疑問に思っているという顔をしていた。

「サ、サチさん、今のももしかしてさっきのと同じ系統の魔法ですか? 少しだけ詠唱が違ったような……」

「そっ。今のも即死魔法の一つで、【地獄への大扉(ヘルズ・ゲート)】って言うんだ。【悪魔の知らせ(デス・ノーティス)】と違って一度にたくさんの魔獣に即死魔法を掛けることができるの」

 狙い定めた場所に魔法陣を展開し、範囲内の対象者を超低確率で即死させる即死魔法。
 これも【悪魔の知らせ(デス・ノーティス)】と同じで、使用者の幸運値によって成功確率が変わるようになっている。
 つまり幸運値999の私が使えば、魔法陣に入った者たちを必ず殺す即死魔法へと変貌するのだ。

「まあ周りを巻き込んじゃう可能性があるから、あんまり使い勝手はよくないんだよね。狙った場所に魔法陣を展開させるのも難しいし、何気に魔素消費も激しいから」

「はぁ、なるほど……」

 そんな会話をさも当たり前のようにする私たちを見て、金髪たちは開いた口が塞がらずにいる。
 やがて驚きよりも悔しさが上回ってきたのか、金髪が歯を食いしばりながらこちらを睨んできた。

「な、なんなんだよ、お前たち……」

 圧倒的な実力差を前に、現実を受け入れられずにいる様子。
 頑固になってしまうのもわかる気がする。
 見下していた平民の私たちに、いとも容易く助けられてしまうなんて思ってもみなかったのだろう。
 しかし私は今一度事実を突きつけるように言った。

「これでわかったでしょ? 魔獣との戦いに、身分なんてただの飾りなの。『僕は貴族なんだぞ』って言って魔獣が勝手に死ぬわけじゃないし、他国との戦争に勝てるわけでもない。今発揮できる実力がすべてなんだから、身分だけで相手を値踏みするのはもうやめた方がいいと思うよ」

「……」

 いったい何を思っているのだろうか、三人組は歯噛みしながら黙り込んでいる。
 これ以上説教をしても無意味だと思った私は、やることだけやって早々にこの場を立ち去ろうとした。

「それと助けてあげたんだから、この子から奪った死花(アイビィ)の胚珠、ちゃんと返しなさいよね。まさかこの期に及んで貴族だとか平民だとか言って渋ったりしないわよね」

「……チッ」

 金髪は舌打ちしながらも、懐に手を入れて死花(アイビィ)の胚珠を取り出した。
 それを投げてこちらに寄越してくる。
 その胚珠を危なげなく掴み取ると、私は元の持ち主であるミルにそれを渡した。

「あ、ありがとうございます」

 これで胚珠は二つ揃った。
 あとはこれを持ち帰れば無事に試験合格か。
 貴族連中に仕返しもして、胚珠も取り返したことだし、さっさと帰ることにしよう。
 その前に私は、息絶えている死花(アイビィ)の一匹に近づき、懐からナイフを取り出す。
 そして軽く死花(アイビィ)の花部分を削いで中を覗き、『ご愁傷様』とおぼっちゃまたちに向けて呟いた。
 開花状態の死花(アイビィ)の中には白い球状の胚珠はなく、代わりに黒ずんだ種子のようなものがあった。

「それじゃあ私たちはもう行くから、せいぜい残り時間頑張って。まだ半分以上も時間あるし、今から死花(アイビィ)を探せば充分間に合うでしょ。ま、あんたたちが本当に魔法の才能があるんだとしたらね」

「……」

 最後にそんな皮肉を言い残して、私はミルとその場を立ち去った。
 
 死花(アイビィ)の蕾の核を入手した私たちは、試験を終わらせるために怪花の森を出た。
 無事に街道まで出ることができたので、もう魔獣に襲われる心配はほとんどない。
 あとは町までの道のりを歩くだけである。

「思ったよりもあっさりと試験終わったね。湿っぽい森から早めに出られてよかったよ」

「あっさり終わったのは、サチさんの魔法のおかげだと思うんですけど」

 そんなことを言いながら、私たちは町へと歩いていく。
 時間にも余裕があるので、広大な草原を眺めながらのんびりと歩いていると、不意にミルが微風に乗せてある言葉を送ってくれた。

「あの、ありがとうございます」

「えっ? 何が?」

「私の胚珠、取り返してくれて」

「あぁ、別に気にしなくていいよそれくらい。もう一つ探す手間が省けるからやったことだし」

 それに元々あれはミルが手に入れたものだからね。
 私はただそれを元の持ち主に返すように促しただけだ。
 特別なことなんてしていない。

「取り返してくれたことも嬉しかったんですけど、それ以上に身分の差に怯えずにあんなに強く言い返せるサチさんを見て、なんだか勇気付けられました。実際にあの貴族の方たちを完璧に言い負かしていましたし。だからその、つまりですね、何が言いたいのかと言いますと……」

 ミルは言葉を選ぶようにつっかえつっかえになりながら、感情を吐露した。

「見ていてすごく、スカッとしました!」

「おぉ、割といい性格してる……」

 まさか気弱で臆病なミルの口から、そんな言葉が飛び出してくるとは思いもよらなかった。
 そっか、スカッとしたか。
 まあ散々あいつらにいいように言われていたし、その気持ちはわからなくもない。
 私も少しムカついていたからやったことだし。
 ただ……

「まあ、あいつらが素直に私の言うことに従ったのは、たぶんミルのおかげでもあると思うよ」

「……?」

 “どういうことですか”と言わんばかりに首を傾げたので、私は右手の拳を握りしめて力説する。

「ミルが本当はすごい奴なんだぞってことを見せつけることができたから、あいつらも観念して胚珠を返してくれたんだと思うよ。あれだけの魔法を目の前で見せつけられたら、もう“運が良い”だけなんて言えないからね」

「そう、なんでしょうか……?」

 ミルはあまりピンと来ていない様子だった。
 自分がどれだけの才能を有しているのか、よく理解できていないみたいだ。
 あんなにすごい氷結魔法が使えるのに。

「ミルはもっと自信を持った方がいいよ。それだけすごい才能があるんだから、誰に何を言われても自信を持って言い返してもいいと思う。『私はあんたたちより強いんだぞ!』って。そうしたら意地悪してくる奴らなんていなくなるはずだから」

「それは……ちょっと難しそうですね」

 まあ、ミルの気弱な性格からして、自分の才能に胸を張るのはかなり難しいだろう。
 才能を誇示する傲慢さがあれば、そもそもあの貴族のおぼっちゃまたちなんて、自分で跳ね除けていたに違いないし。
 自分のポーチを失くしてえんえん泣きじゃくるような女の子には、まだ酷な話かな。
 と、思っていたら、ミルは意外にもやる気をたぎらせていた。

「でも、そうですね。今度からは少しだけ、頑張ってみようと思います。自分の才能にはまだ自信が持てませんけど、サチさんの言葉なら信じることができますから」

「うん、それがいいそれがいい」

 そうすれば今度からは自分の力だけでスカッとできると思うよ。
 たぶんこの学園に入学できたら、同じようなことがきっと起きるはずだから。
 今のうちから自信を付けて、生意気なご子息やご令嬢たちを見返せるようにしておこう。
 そんなことを言い合っていると、やがて私たちは王都ブロッサムの東門前に辿り着いた。
 実技試験開始前に集められた場所。
 そこには紫髪の女性試験官さんが待っていて、私たちを見つけるや大人っぽい笑みを浮かべた。

「おかえり、よく無事に帰って来てくれた」

 私は試験官さんの周りに、他に誰もいないことに気が付いて、もしやと思う。

「あっ、もしかして、私たちが一番乗り? ひょっとして超優秀なんじゃ……」

「いいや、四番目と五番目だよ。先に実技試験を終えた受験者たちにはもう帰ってもらったんだ」

「ちぇ……」

 なんだ、一等賞じゃなかったのか。
 試験開始地点に誰もいなかったから、てっきり私たちが最速だと思ったのに。
 まあ試験開始からすでに一時間以上、つまりは制限時間の半分も経過しているので、さすがに誰も帰って来ていないのはおかしいか。
 ともあれ四番目と五番目でもすごい結果だと気持ちを改めて、私たちは試験の報告をする。
 受験票と名前の確認をして、その後に入手してきた胚珠を試験官さんに渡した。

死花(アイビィ)の胚珠二つ。確かに受け取った。君たち二人には実技点が加点される。あとは一週間後の合格発表まで気長に待っていてほしい」

「はぁーい」

 合格発表は一週間後か。
 もう少しだけ時間が掛かるなら、マルベリーさんとこ戻ろうかと思ってたんだけど。
 これなら王都にいたままの方が良さそうかな。
 それにあまり早く再会しちゃったら、寂しがり屋だと思われるかもしれないからね。
 また子供扱いされて、頭を撫でられてしまうという良くない未来が見えてしまった。

「それと、君たちにはお礼を言っておかないといけないな」

「えっ? お礼?」

「開花した死花(アイビィ)を倒してくれて感謝する。まさかこのタイミングで花が開くとは思わなかった」

 試験官さんが頭を下げる傍らで、私は思わず首を傾げてしまった。
 なんで森の中での出来事を知っているのだろうか?
 開花した死花(アイビィ)を倒した時、あの場所には私とミル、貴族のおぼっちゃまたち以外誰もいなかったはずなのに。

「もしかしてどこかで見てたんですか?」

「見てたというか、試験中に何か不祥事があるといけないからな、怪花の森の至る場所に監視の目を放っているんだよ。ここからでも常に森内部の状況を把握できて、何かあれば付近の試験補助員が駆け付けるという手筈になっている」

「あぁ、そういう魔法か」

 遠隔で特定の場所を監視できる魔法。
 確か『千里魔法』っていうんだっけ?
 魔力値によって監視できる範囲が決まり、達人なら一山越えた先の状況まで見通すことができるそうだ。
 その魔法で試験中の怪花の森を監視して、何かあればすぐさま近くの試験官に伝える。
 原始的だけど確実な方法だ。
 それで私たちのことを見ていたらしいけど、試験補助員さんとやらは来てくれなかったような……

「受験者の男子三名が開花した死花(アイビィ)に襲われているところを見つけて、すぐさま補助員を向かわせようと思ったんだが、それよりも早く君たちが駆け付けてくれてね。しかも見る間に全滅させてしまうものだから、こちらも手の出しようがなかったんだよ。二人とも凄まじい力を持っているじゃないか」

「まあ正直、あの三人を無事に助けられたのは、運が良かったからだと思いますけど」

 手早く全滅させることはできた。
 でも襲われていたあの三人を無事に救出できたのは運が良かったからだと思う。
 試験に公平性を出すために、なるべく補助員さんを介入させないようにしているんだろうけど、あの場では補助員さんが来てくれた方が安全に三人組を助け出すことができたと思う。
 だから私は自惚れずに苦笑を滲ませた。

「本当だったら、そこの青髪の子が三人組に恫喝されているところも助けてやりたかったんだが、規定に違反していないのも事実だったからな。厳重注意くらいでとどめておこうと思った矢先、それも君に先を越されてしまってね。だから本当に、色々とありがとう」

「いえいえ、別にそんな……」

「特別に二人には別途実技点を加点させてあげたいところではあるんだが、私にはその権限がなくてね。大変申し訳ない」

「まあ、それやっちゃうと不公平になっちゃいますからね。全然大丈夫ですよ」

 本音を言えば欲しいところではあったけどね。
 できるだけ合格には近づきたいし。

「不公平になるのもそうなんだが、こんなにも早く実技試験を終わらせた君たちには、その必要もないと思っていてね。合格はほぼ間違いないだろうからな」

「それは……」

 うーん、どうだろう?
 王立ハーベスト魔術学園の入試は、実技試験に重きを置いているらしいけど、筆記試験の結果が完全に無視されるわけでもない。
 それなりにできた自信はあるけど、合格を確実に手にしたって感触は残念ながらないんだよね。
 だからちょっとだけ不安だなぁ。やっぱりなんとか言って実技点加点させてもらえばよかったかなぁ。
 そんな邪な思いを抱いていると、心の中のマルベリーさんに『ダメですよ』と静かに諭される想像をしてしまった。

「とにかく入学試験お疲れ様。今日はゆっくりと休んで体の疲れを癒すといい」

「はぁーい」

 手を高々と上げて返事をすると、試験官さんはふっと静かに笑ってくれた。
 これにて試験終了。
 というわけで宿に帰るとしよう、と思って歩き出そうとした時……

「あ、あの……」

「んっ?」

「どうして、開花した死花(アイビィ)たちはあの場所にいたんですか?」

 唐突にミルが試験官さんにそう尋ねて、私は今さらながら思い出した。
 そういえばそうだった。
 あの花が開いた死花(アイビィ)たちは、どうして試験会場である怪花の森にいたのだろうか?
 いまだにそれは謎のままである。

「詳しいことはまだ何もわかっていない。試験が始まる前に国家魔術師たちに“花付き”は掃除してもらったはずなんだがな。討ち漏らしたという可能性も低く、何より五匹も固まった状態で見つかるなんてこちらも想定外だ」

「……ですよね」

 実技試験が始まる前に試験官さんが言っていた。
 花が開いている死花(アイビィ)は危険なので、事前に国家魔術師に頼んで退治してもらったと。
 それなのにどうして五匹も生き残りがいたのだろうか?
 一匹とかならまだ見逃していた可能性はあるかもしれないけど。
 その謎はどうやらまだ解明されていないらしく、試験官さんは難しい顔をしていた。

「ただ……」

「ただ?」

「試験補助員の一人が、実技試験中に森の中で“不可思議な光”を見たと言っている。何かの魔法らしい光だったそうで、受験者が放ったとも思えないものだったそうだ。もしかしたらそれが、花付きを呼び寄せた原因かもしれないと私たちは疑っている」

「不可思議な光の魔法……」

 それで花付きの死花(アイビィ)を五匹も集めることができるのだろうか?
 そもそも花付きはあらかた討伐されちゃって、この森には残っていないはずじゃないの?
 というか、もし試験官さんの仮説が正しいとすれば……

「試験を妨害しようとした魔術師がいたってことですか?」

「その可能性は充分にある。君たちは、反魔術結社『ミストラル』という集団を聞いたことがあるか?」

 ミストラル?
 チラリとミルを一瞥すると、彼女も知らないと言うように小首を傾げていた。

「長らく魔術国家オルチャードに敵対している独立集団のことだ。魔法の才能が重要視され、魔術師が時代を牛耳っている現状に不満を抱えているらしい。特に国家魔術師に対して並々ならない私恨を抱えている連中が多く、世界最大の魔術師養成機関である魔術学園にも度々ちょっかいを掛けて来ている」

「……なんつー迷惑な」

 魔法至上主義の魔術国家に不満を抱えている人は少なくない。
 また、国家魔術師に与えられている莫大な研究費が、魔術国家に納められている税金から賄われているということに、憤りを覚えている市民も少なからずいるそうだ。
 大した実績も残さずに、悪戯に研究費を使い込んでいる国家魔術師がいるのは確からしいけど。
 だから国家魔術師に私恨を持っている人がいても不思議じゃないけどさ……
 それで魔術学園の入学試験を荒らすのは明らかに間違っていると思う。
 ましてやまだ受験者というだけの私たちを危険な目に遭わせて、いったい何が目的なのだろうか?

「現状考えられる犯人はそいつらしかいないが、もしかしたらまったく別の者の仕業かもしれない。とにかく、もし何かわかったら君たちには必ず伝えさせてもらうよ。このまま何もわからずじまいはすっきりしないだろうからね」

「はい、よろしくお願いします」

 まあ、まだ魔術学園に合格できると決まったわけじゃないけどね。
 もしかしたらこの試験官さんと話すのはこれが最後になるかもしれないし。
 とにかく釈然とはしないけれど、ここは大人たちに任せて今は無事に試験が終わったことを喜ぼうじゃないか。

「繰り返しになるが、今回は大きなトラブルを未然に防いでくれて感謝する。二人とも、入学試験お疲れ様。また会える日を楽しみにしているよ」

「「ありがとうございました」」

 私とミルは声を揃えて、試験官さんに試験終了の挨拶をしたのだった。
 こうして私の魔術学園への入学試験は、幕を閉じたのである。
 どうか合格できますように……!
 
 入学試験が終わった後。
 私はミルと一緒に町の通りを歩いていた。
 空からは僅かに夕日が顔を覗かせて、橙色に染まり始めている。
 私はその夕焼けを見上げながら、ぐっと大きく背中を伸ばした。

「やあー……終わったね、入学試験」

「はい、そうですね」

 なんだかしみじみとしてしまう。
 試験の緊張感から解放されたおかげだろうか。
 ミルも同じ気持ちなのか、崩れてしまいそうなくらい柔らかい笑顔をしていた。

「まさか始まる前は、誰かと協力して試験を頑張るなんて思わなかったなぁ」

「私も同じです。ただでさえ私は周りを不幸にする不幸体質なので、この試験でも腫れ物扱いをされて、きっと誰とも協力できないと思っていました」

 そうと語るミルの顔に、僅かに翳りが落ちる。
 何やら思うところがあるような表情。しかしすぐに元の笑顔に戻る。
 まあミルの不幸体質だと色々と不安なことがあるよね。それで腫れ物扱いされてもおかしくないし。
 何より入学試験は一度きり。
 確か二次募集もあるという話だけど、一次試験を受けて落ちた人は基本的に受験不可となっている。
 来年になればまた受験することはできるけれど、一年の差というのは意外にも大きなものだ。
 こと魔術師においては。
 そんな大事な試験ともなれば、受験者たちはみんな殺気立つに決まっている。
 それで試験中に他の受験者と協力することになるなんて、想像もできなかっただろう。
 嫌な連中に会いもしたけどね。

「サチさんって本当に運に恵まれている方なんですね。こんなに私と一緒にいて不幸になっていないのは、とてもすごいことですよ」

「何その褒め方」

 今までそんな風に褒められたことないんだけど。
 という話をしていたら、早くも王都の中央区へと辿り着いてしまった。
 私が部屋を取っている宿屋は、今歩いている通りを左に折れてすぐにある。
 その曲がり道に差し掛かり、私は少し名残惜しい気持ちで右手を上げた。

「それじゃあ私はこっちだから。また合格発表の日に会おうね、ミル」

「あ、その……」

「……?」

 別れの挨拶をしようとしたのだが、ミルが何か言いたげに口を開いた。
 そしてなぜか被ったフードの端を指先で摘みながら、視線をきょろきょろと泳がせている。
 何かを恥ずかしがっている? みたいな様子だ。
 どうしたんだろうこの青ずきんちゃんは?

「なにっ? どしたの?」

「い、いえ……やっぱり、なんでもありません」

 なんでもなさそうではないんだけど。
 不思議に思った私は、訝しい目をしてミルの顔をじっと見つめていると、やがて彼女は観念したように明かした。

「そ、その、ご飯とかどうかな、と思いまして……」

「……」

 ……おぉ。
 まさかミルの方からそんな誘いを受けるとは思ってもみなかった。
 私も同じことを考えなかったわけではない。
 せっかく試験を協力して乗り切った仲なのだし、軽くご飯でも行けたらいいなって。
 でもミルは若干、人見知りな性格みたいだし、一緒に試験を受けたとはいえ、まださすがに二人きりで食事に行くのは壁が高いのではと思っていた。
 しかし案外、そんなこともなかったみたいだ。
 誘ってくれたミルは、すごく勇気を振り絞ってくれたのだろうか、色素の薄い頬を赤らめながらもじもじしている。
 その姿を目の当たりにして、私は思わずごくりと息を飲んでしまった。
 なんだろう、すごくいじらしい。
 臆病で人見知りな少女が、恥ずかしがりながらも勇気を出している姿は、こんなにも唆られるものなのか。
 私の中にある悪戯な気持ちがぞくぞくとしてきてしまう。
 私は知らず知らずのうちに、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

「ふぅーん、どうして?」

「えっ!?」

「どうして私と一緒にご飯行きたいのかなぁ、って思ってさ」

 自然とニヤニヤしてしまう。
 何か特別な反応とか求めているわけじゃないんだけどね。
 ただ、ほんの少しだけ困らせてみたいなって、意地悪な気持ちが湧いてきてしまったのだ。
 マルベリーさんといた時もよくあったなぁ。だってマルベリーさん、毎回すごく面白い反応してくれるんだもん。

「ど、どうしてと、聞かれましても……えっと、あの……!」

 悪戯な質問をされたミルは、見るからに困ったようにあたふたしていた。
 面白かわいい反応だ。
 でも、少し意地悪しすぎただろうか。

「あははっ、ごめんごめん。ちょっと意地悪なこと言っちゃったね。実は私もそうしたいって思ってたからさ、一緒にお疲れ様会しよっか。いいお店とか知ってる?」

「は、はい! 昨日見つけた美味しいお店があるので、そこでどうでしょうか?」

 ミルは安心したように胸を撫で下ろしていた。
 せっかく仲良くなったばかりなので、あまり困らせるようなことをするのは控えておいた方がいいよね。
 程々にしておくことにしよう。
 ともあれミルに提案された私は、左の道に曲がることはなく、再び彼女と一緒に通りを歩き始めたのだった。



 ミルが教えてくれたお店は、王都ブロッサムの中央区にあった。
 お洒落な雰囲気のレストランで、静かで居心地がいい。
 中央区は娯楽施設が多く立ち並んでいるらしいけど、このレストランの周囲は比較的穏やかだ。
 おまけに安い。いいお店である。
 そして肝心の料理の味は、値段が安いながらもとても美味だった。

「ふぅ、ご馳走様ー。すっごく美味しかったよ」

「お口に合ったみたいでよかったです」

 私とミルはテーブルに並んだ料理をすべて平らげて、食後のお茶をちびちびと啜る。
 ゆったりとした時間を過ごしながら、少しの雑談に花を咲かせた。

「試験の結果はまだわからないけど、もうしばらくはこの町にいることになるし、私もこういう穴場みたいなお店見つけておいた方がいいかな」

「私もそこまで詳しいわけじゃないですけど、できる限り知っているところはお教えしますね」

 どこどこのお店が美味しかったとか、ここのお店は安くてお昼の時間帯が空いていたとか。
 王都に来たばかりの者同士で、情報の共有をする。
 そんな話をしながら、私はふと気になっていたことを尋ねた。

「そういえばミルってさ、誰かに魔法とか教えてもらったりしたの?」

「誰かに、ですか?」

「私の場合は師匠みたいな人がいたからさ。ミルの故郷は農村だって言ってたし、魔法を学べる機会はなかったんじゃないかなって思って」

 ミルの生まれを聞いた時から疑問に思っていた。
 いったいいつどこで魔法を学んだのだろうかと。
 農民が魔法を学べる機会はないんじゃないのかな?

「確かに魔法を学ばせてもらう機会はありませんでしたね。貴族の方々なら幼い頃から家庭教師として国家魔術師を呼ぶこともできるみたいですけど、農家の我が家にそんな余裕はありませんでした」

「じゃあどうやって魔法を学んだの?」

 ミルはきっぱりと言い切った。

「独学です」

「独学? 最初から全部?」

「はい。家に教材はありましたから」

 教材?
 それってどんなものなんだろう?

「私が物心つく前に、病気で死んでしまったお父さんがいるんですけど、生前は魔術師として活動していたみたいです」

「へぇ、そうなんだ。すごい魔術師だったの?」

「国家資格はなかったみたいなんですけど、魔術師として独自に魔道具制作をしていたってお母さんが言っていました。子供の頃から『魔道具師』になるのが夢だったみたいで、その勉強の名残りで魔法書とかが家にあって……」

 なるほど。それが魔法勉強の教材になったってことか。
 それなら色々と納得もいく。
 農家のミルの家に魔法の教材があったということも、そしてミルにただならぬ魔法の才があるということも。
 どうやらお父さんは国家魔術師ではなかったみたいだけど、独自に魔道具製作をできるだけの腕はあったらしい。
 そんな魔法と向き合った情熱が、血筋としてミルに色濃く継がれたのではないだろうか。

「でも、独学でよく国家魔術師を目指そうって気になったね。私なんて勉強が苦手だから、よく師匠的な人に居眠りを注意されてたよ。一人じゃ絶対に勉強なんてできなかったなぁ」

「あははっ、なんか簡単に想像できますねそれ」

 なんだとこの……
 と思って卓上の小さな紙手巾を丸めて、指で弾いてミルの額にビシッと直撃させる。
 すると『あうっ』と微かな声を漏らしたミルは、額を摩りながら話を続けた。

「私も座学はそこまで好きではないですよ。ただ、小さい頃は魔法が使えることが嬉しくて、ひたすらに魔法書に書いてあった魔法を片っ端から試していました。辺境にある田舎村だったので、他にやることもなくて……」

 と、謙遜しているけれど、実際に魔術学園の入試に挑戦できるほど学を進めるのは、一人では相当厳しいはず。
 魔道具製作に熱中していたお父さんと同じで、ミルも魔法が大好きなのだろう。
 私も魔法に対する好奇心は人一倍だと思っているけれど、さすがに勉強は一人じゃ無理だったなぁ。

「お父さんと同じように、一人で何かに熱中してしまう性格なのかもしれません。もしかしたら魔道具製作を始めたら、お父さんみたいにハマってしまうかもです」

「魔道具かぁ。私って魔道具とかあんまり使ったことないんだけど、お父さんはどんな魔道具を作ってたの? 服が透けて見える眼鏡とか、異性を虜にする魔法の惚れ薬とか?」

「なんで発想が思春期の男の子なんですか?」

 呆れるように目を細めたミルは、ごほんと咳払いを挟んでから答えてくれた。

「個人での魔道具製作はちょっとした小道具を作るのが精一杯だったみたいです。国家魔術師になってたくさんの研究費を使えれば、もっと大きなものも作れたらしいんですけど。あとはそうですね……」

 ミルは不意に襟元に手を入れて、そこからチェーンらしきものを取り出した。

「こういうペンダントとか、色々な装飾品をよく作っていたってお母さんから聞きました」

「わぁ! 綺麗! なんか先っぽの青い石がキラキラ光ってるけど、これも魔道具なんだ?」

「はい。持ち主の魔素の色に応じて色を変えるペンダントってお母さんが言っていました。お父さんが生前に製作した最後の魔道具みたいで、お守り代わりにお母さんが持たせてくれたんです」

 ミルが掛けていたペンダントは、仄かに“青い光”を灯していた。
 こういう魔道具とかもあるんだ。魔道具は基本的に生活の助けになっているものが多いって聞くけど、こういうのも遊び心があってなんだか素敵だ。
 魔素の色に応じて色を変えるって言ったっけ?

「それじゃあ、ミルの魔素ってもしかして“青魔素”? 実技試験中に見せてくれた氷結魔法も物凄い威力だったし……」

「はい、その通りです。私はいわゆる“青魔術師”なので、水系統の魔法が得意なんですよ」

 試験中に感じた疑問を、また一つ払拭することができた。
 そっか。ミルは青魔素持ちの『青魔術師』なのか。
 魔素は人それぞれ大きさや量、色や性格が異なっている。
 そのうちの“色”は、得意な魔法系統を示すものになっていて、色に適した魔法を使えばより強い威力を発揮することができるのだ。
 青魔素は水系統、赤魔素は炎系統、緑魔素は風系統といった具合に。
 そして持っている魔素の色によって魔術師の呼び方も変わり、青魔素持ちのミルは青魔術師ということになるのだ。
 あれほど強力な氷結魔法を使うことができたのも納得である。
 元々の魔力値が高いというのもあるんだろうけど。
 羨ましいなぁと思っていると、不意にミルが私の方を見ながら首を傾げた。

「それよりも私は、サチさんの魔法の方が不思議で仕方がないんですけど」

「えっ、私の魔法?」

 はて、何か特別な魔法を使っただろうかと疑問に思い、すぐにハッと思い当たる。
 あぁ、即死魔法のことか。
 
「即死魔法、でしたっけ? あれはどんな魔獣に対しても効果があるものなんですか?」

 という問いかけを受けて、そういえばと今さら思い出す。
 即死魔法を初めて見せた時は、入学試験の真っ最中だったので、あまり詳しくは話していなかったんだった。
 説明してもらわなきゃ理解不能だよね、あんな魔法。
 ただでさえ誰も使っていない、奇術みたいな魔法だし。

「どんな魔獣にも効く、っていうか、たぶん生きてるものなら一撃で殺すことができると思うよ。野生動物とか人間とか。もちろん試したことはないけどね」

「一撃で……」

 ミルは明らかに驚愕して呆然としてしまう。
 私も自分で言った後に気が付いたけど、結構すごい魔法だよね。
 生きているものなら一撃で殺すって、魔獣討伐を生業としている魔術師にとっては理想の魔法じゃん。
 という考えはミルも同じだったようだ。

「それって、とんでもない魔法じゃないんですか? どうして誰もその魔法を使っていないんでしょうか?」

「成功確率が魔力値じゃなくて幸運値に依存してるからね。しかもちょっと高いだけの幸運値じゃ何の意味もない魔法にしかならないし。百万回に一回しか成功しないんじゃ、誰も実戦で使おうなんて思わないよね」

 実際、あのマルベリーさんがいくら使っても、即死魔法は一度も成功しなかった。
 同じように他の確率魔法も成功した試しがなく、まさに無意味な魔法にしか見えなかった。

「サチさんが使えば、百発百中の即死魔法になるんですか?」

「うん、百発百中。他にも幸運値に依存してる魔法はあるけど、どれも失敗したことはないかな。まあ、“幸運値999”だからだと思うけど」

「こ、ここ、幸運値999!?」

 改めて幸運値のことを明かすと、ミルは度肝を抜かれたように大声を上げた。
 そのせいで周りのお客さんたちの視線が僅かにこちらに寄る。
 しかしミルはそんなのを気にする余裕もないようで、口をあんぐりと開けたまま固まっていた。
 そんなに驚くことかな?
 魔力値ならいざ知らず、私が宿している力は幸運値999なんだよ。
 魔術師にとってはまるで意味のない数値だって言われているのに。
 と思ったら、ミルは魔術師として驚いていたわけではなく、不幸少女という視点で衝撃を受けていたようだ。

「あ……あ……握手してください!」

「はっ?」

「私、幸運値0のせいで今まで色々と不幸な目に遭ってきて、お祓いとか開運グッズとかたくさん試してきたんです。でもどれもダメで、運気はまったく良くならなかったんですけど、サチさんに触ったらなんだか幸運になれるような気がします!」

 幸運の女神像かな?
 勝手に私のことを開運グッズの仲間に含めないでほしい。
 ていうかよくよく見てみたら、ミルの手首には数珠やらミサンガやらがジャラジャラと付いていた。
 おそらく他にも運気上昇アイテムを懐に抱えているのだろう。
 彼女ほどの不幸になると、もはや神頼みでしか問題を解決できないのかもしれないが。
 まさか開運グッズマニアだったとは……
 必死に握手をせがんでくるミルを見て、私は思わず苦笑を浮かべた。

「えぇ……。なんかミルの不幸がうつりそうだからヤダ」

「バイ菌みたいに言わないでくださいよ! そう言わずにお願いしますサチさん! どうか私を幸せにしてください!」

「ちょ、それだと違う意味に聞こえちゃうからやめて。両手を出しながら叫ばないで」

 他のお客さんもチラチラこっち見てるから!
 やがて程なくしてミルは落ち着き、『失礼しました』と一言呟いて姿勢を正した。
 まったく人騒がせな青ずきんちゃんだよ。
 するとミルは大きく肩を落として、微かなため息を漏らした。

「でも、幸運値999だと聞いて納得しました。そのおかげでサチさんは即死魔法を確実に成功させることができるんですね。……なんだか少しだけ、自分に自信をなくしそうです」

「えっ、なんで?」

「なんでって、どんな魔獣も一撃で倒せる魔術師が目の前にいるなんて、誰だって自信をなくしちゃいませんか?」

 うーん、そういうものなのかな?
 相手の立場になったことがないからよくわからない。
 でもミルだってあれだけすごい魔法が使えるんだから、即死魔法のことを聞いたからってそこまで落ち込まなくても。

「魔力値1の私からしたら、色んな魔法が自由自在に使える普通の魔術師の方が羨ましく見えるけどね。確率魔法を確実に成功させられるのは確かに強力だけど、それでも何かと不便だし、それにこの力だけで国家魔術師になれるかどうかは相当怪しいし」

「充分すぎる才能だと思いますけど……」

 ミルはそう言ってくれるけれど、実際にこの力で国家魔術師になれるかは際どいと思う。
 魔獣との戦闘面では圧倒的な力かもしれないけれど、国家魔術師はそれ以外の能力も求められるから。
 多種多様な魔法を平均以上の力で扱えるミルの方が、その素質はあると思う。
 まあ、幸運値0の不幸娘だけどね。

「ともあれ、今は入試の結果を祈りながら待つしかないよね。二人とも入学試験に合格できてるといいんだけど。私の幸運値がちゃんと仕事してくれればもしかしたら……」

「えっ、こういうのにも幸運値って効果があったりするんですか?」

「うんにゃ、テキトーに言ってみただけ」

 ていうかもし合否に幸運値が関係しているのだとしたら、私だけ受かってミルは落ちることになるよね。
 あくまで試験は点数がすべてなので、幸運値による差は出ないと思われる。……たぶん。
 そんな風に雑談をいくつか繰り返して、私たちはお疲れ様会を終わらせたのだった。



 試験当日から、早くも一週間が経過した。
 今日は王立ハーベスト魔術学園の入試の合格発表日である。
 私は緊張しながら朝を迎えて、意を決する思いで宿部屋を飛び出した。
 合格発表はミルと一緒に見に行く約束をしている。
 だからまずは待ち合わせのために中央区の方に行くことにした。
 こういう時は知人と一緒に行くのはやめて、個人で見た方がいいと聞いたことがあるけどね。
 片方が合格して片方が不合格だったら気まずいし。
 でも私たちはそんなこと気にせずに、中央区の噴水広場で待ち合わせをすることにした。

「お待たせミルー!」

「おはようございますサチさん」

 噴水広場に着くと、先にミルの方が待っていた。
 私と同じで多少の緊張があるのだろうか、少し体が固まっているように見える。
 そんな弱気な思いを二人して吹き飛ばすために、私は元気一杯に声を張り上げた。

「さあ、待ちに待った合格発表の日だよ。二人で一緒に合格しようね!」

「は、はい!」

 ミルもそれに乗ってくれて、大きな声を朝方の噴水広場に響かせた。
 そして私たちは中央区の噴水広場から公共区の魔術学園へと向かう。
 通りを歩いているとちらほらと受験者らしき人たちが見えて、みんな同じように顔を強張らせていた。
 見に行けば合否がわかる。数週間後に自分が魔術学園の新入生として校門を潜ることができるかどうかが。
 そう思うと自然と足取りは重くなってしまう。
 けれど見に行かなければ何も始まらない。そう覚悟を決めて私は魔術学園へと足を踏み入れた。

「……あの掲示板か」

 学園に辿り着くと、昇降口前の広場に朝早くもたくさんの受験者たちが集まっていた。
 そして広場の中央には巨大な掲示板が立てられている。
 まだ発表はされていないみたいで、掲示板には何も貼り出されていなかった。
 と思いきや、四人の男性教員が校舎から出てきて、掲示板の方に歩いて行った。
 見ると彼らは筒状にした巨大用紙を四人がかりで抱えている。
 あそこにおそらく合格者の受験番号が書かれているのだ。
 すると先生たちは受験者たちの人垣を割って掲示板の前に立ち、紙を盛大に広げて手早く貼り出した。
 受験者たちは一斉に紙面に目を走らせる。

「315……315……」

 私もみんなと同じように視線を泳がせて、自分の受験番号である『315』を必死に探した。
 さあ、幸運値999よ。
 どうか私に明るい未来をもたらしてください!

 306
 308
 311
 312
 315

「……あった」

 心臓がドクッと弾む。周りの喧騒が一瞬だけ聞こえなくなる。
 目的の番号が目に留まった瞬間、体の中で小さな爆発が起きたかのように胸が高鳴った。

「よしっ……よしっ……よしっ!」

 合格した。
 私、魔術学園の入学試験に合格したんだ。
 自信がなかったわけじゃないけど、やっぱりいざその時になると不安になってしまう。
 でも、ちゃんと合格できたんだ。さすが幸運娘の私!
 と、自分の合格がわかってすぐに、私は真っ先に隣に視線を振った。
 ミルはどうだったんだ?

「あ、あ……」

「……ミル?」

 ミルは体と声を震わせていた。
 視線は真っ直ぐに掲示板に貼り出された試験結果に向いており、驚愕したように口を呆然と開けている。
 やがてミルは私の視線に気が付くと、ゆっくりとこちらを振り向いて頷いた。

「ありました、サチさん」

「えっ、ほんと!?」

「『117』、ちゃんと書いてあります。私、合格できました……!」

 確認のために私も『117』の番号を探してみると、確かに合格者の番号として紙に記されていた。
 私はつい叫び声を上げながら、ミルに思い切り抱きついてしまう。
 そして二人して涙を滲ませながら、歓喜のあまりクルクルと、しばらくその場で回り続けた。
 私たち、二人とも合格できた。
 これで一緒に魔術学園に通うことができる。
 国家魔術師としての一歩を、一緒に踏み出すことができたんだ。

「やった! やったんだよ私たち!」

「はいっ! はいっ!」

 マルベリーさん、私やったよ。
 魔術学園に入学できたよ。
 絶対に国家魔術師になって、私が咎人の森から解放してあげるからね。
 これから私の魔術学園での生活が始まる。
 
 合格発表からさらに日が経ち、入学式の日となった。
 学園から支給された新品の制服に身を包み、いざ入学式に出陣。
 今日から私は王立ハーベスト魔術学園の生徒として、正式に国家魔術師を目指すことになる。
 その門出と言わんばかりに、学園の訓練場には盛大な飾り付けの入学式会場が出来上がっていた。
 随分と気合が入っている様子。
 そこに入学試験を突破した新入生たちがぞろぞろと流れ込んでいき、私もその後に続くことにした。
 どうやら二年生と三年生はいないみたいだけど、入学式には出席しないのだろうか?
 ていうか先生の数も結構多いなぁ。授業を受ける時は専門分野ごとに先生が変わるのだろうか?
 なんてそわそわとしながら色々なことを考えていると、気が付けば入学式は終わっていた。 
 式の内容は、正直あんまり覚えていない。

「ふわぁ、やっと終わったぁ……」

 とりあえずなんか、すごく退屈だったなという印象である。
 まあ学園長さんみたいな人が前に出て、学園行事とかについて色々と話してくれていたと思う。
 あとは生徒会長みたいな女子生徒も出てたっけ? あれは三年生だったのかな?
 それはさておき、ここからは一転して気合を入れなければならないだろう。
 さあ、クラス分けの時間だ。
 できればミルと一緒がいいなぁ。
 まあ、全部で六クラスもあるみたいだし、そんなに上手くは行かないと思うけど。



「おっ、私A組だ」

「あっ、私もです」

 結果は、なんともあっさりとしたものだった。
 私はA組。ミルもA組。願っていた通りの展開である。
 入学式が終わって訓練場から校舎に戻ると、生徒はまず学園の昇降口を横切ることになる。
 そこにある巨大掲示板にクラス分けの紙が貼り出されており、自分の名前はすぐに見つかった。

「知ってる人がクラスにいてよかったよ。これからよろしくね」

「はい、こちらこそお願いします」

 楽しい学園生活になりそうだと思った。
 しかも教室に行ってみると、なんと私は窓際の一番後ろの席だった。
 それに隣の席はミル。
 これ以上ない完璧な布陣である。
 いくらなんでも神様に愛されすぎているなぁ、なんて思っていると、その幸運の連続にさらに光を灯すかのように……

「私がこの一年A組を担当するレザン・エルヴェーだ。一次入学試験で顔を合わせた生徒は久しぶりだな」

「……あの時の試験官さんか」

 クラス担任になってくれたのは、試験の時にお世話になった試験官さんだった。
 またも見知った人がいるとわかって、私はさらに安心する。
 軽く話した程度だけど、すごく人の良さそうな試験官さんだったもんなぁ。
 きっといい先生になってくれるはず。
 そんなレザン先生の話を、窓際の一番後ろの席でのんびりと聞いていると、ふと周りから……

「おい、見ろよ窓際のあいつら」

「家章がないってことは、もしかして平民か?」

「なんで魔術学園に……」

 そんな言葉がちらほらと聞こえてきた。
 クラスメイトたちがやたらと私とミルのことを気にしている。
 やっぱり平民って珍しいのかな?
 まあそりゃそうだよね。魔法の才能がないって言われているただの平民が、世界最高の魔術師養成機関にいるのは場違い感がすごいだろう。
 それに入学式の時に周りを確かめてみたけど、私とミル以外は全員“家章”とやらを制服の胸元に付けていたし。
 この魔術学園は貴族で溢れているのだ。
 そんな中で家章も何も付けていない平民の私たちは、相当目立っていることだろう。
 でも、出自ってそんなに大事なものかな? 学園生活を送る上でそこまで重要なもの?
 私も元は魔術師の名家生まれなんだけど、今さらあの名前を取り戻したいとは一切思わない。
 そういえば、試験の時に絡んできたあの貴族のおぼっちゃまたちは、入学式にはいなかったな。たぶん落ちちゃったのかもしれない。

「では次に学生寮に関しての説明を行う。すでに知っているとは思うが、学園のすぐ隣にある三階建ての施設が本校の学生寮となっている。そこでは二人一組で部屋分けをして、共に生活を送ってもらうことになるので、是非仲を育んでほしい」

 その説明を聞いてそういえばと思い出す。
 この学園のすぐ隣には、白を基調としたとても綺麗な建物が二つ並んでいる。
 かなり大きな施設のようだったけど、この学園が管理している学生寮だったのか。
 説明会とかでも言っていたような気もするけど、あんまり覚えてないなぁ。

「部屋分けは事前にこちらで決めさせてもらった。基本的には同じクラスの者と同室にしてある。前の黒板に部屋割の内容を貼っておくので後で確認しておくように」

 その後、クラスメイト同志の自己紹介が行われて、その日は早めに終わった。



 そして夕刻。
 王立ハーベスト魔術学園の学生寮は、男子寮と女子寮が隣り合うように並んでいる。
 学園側にある方が男子寮で、奥側が女子寮だ。
 当然特別な理由がない限りは異性寮への出入りは禁止となっている。
 だから私が男子寮の内部を窺うことは生涯ないだろう。
 そんなことを考えながら私は男子寮の前を横切り、女子寮の方へと向かっていく。
 そして寮に入ると、割り当てられた部屋に行くために一階の廊下を歩き始めた。
 学生寮は三階建てで、一階が一年生、二階が二年生、三階が三年生の階層となっている。
 それぞれの階に学年ごとの食堂や大浴場が設けられているので、学生寮内で他学年の生徒と接する機会はほとんどない。
 やはり一番多く交流することになるのは、同室で生活を共にするルームメイトだ。
 というわけで私は、割り当てられた寮部屋に辿り着くと、続いて入って来たルームメイトに礼儀正しく挨拶をした。

「私、サチって言います。今日からよろしくお願いします。あの、お名前を伺ってもよろしいですか?」

「……いや、今さら何言ってるんですか?」

 ルームメイトはわかりやすく呆れた顔をした。
 何かおかしなところがあっただろうか? 至って普通の挨拶をしたつもりなんだけど。
 ……と、小芝居はここまでにしておいて。

「もう名前も顔も充分知っているのに、どうして今さら自己紹介する必要があるんですか?」

「いやぁ、普通に初対面の人と同室になったら、こんな風に挨拶してたんじゃないかなって思ってさ。肝心なのは第一印象だからね。とりあえず、またよろしくね、ミル」

「はい、よろしくお願いします」

 ルームメイトのミルティーユ・グラッセちゃんが、こくりと頷きを返してくれた。
 クラスが同じで席まで近く、そして寮部屋までミルと同じになったのだ。
 誰かが意図的に仕組んだとしか考えられない。
 そうなってくれたら嬉しいなぁとは思っていたけど、まさか本当に願いが叶うとは。
 いや、これは意図的というよりかは、むしろ……

「幸運値さまさまだよねぇ。まさか学生寮の部屋まで同じになるとは思わなかったなぁ」

「こういうのにも幸運値って関係があるんですか?」

「うーん、たぶん?」

 幸運値が高い人ほど、日常的に良いことが起きやすいとされている。
 道端でお金を拾う回数が多かったり、怪我や事故が極端に少なかったり、博打にめっぽう強かったり。
 だから今回のクラス分けや部屋分けでもその効果は発揮されていると思う。
 何より私の幸運値は数値上で最大の999なのだ。
 これで無関係だとしたらそちらの方が不自然だと言える。
 やっぱり幸運値ってバカにできないよね。運を味方につけた人がこの世で最も強いのだ!

「サチさんの幸運値のおかげでこうなったのでしたら、私の幸運値0を上塗りしてくれたってことになりますかね?」

「えっ、どうして?」

「私も今、とても幸せだからです」

「……な、なるほど」

 不意な笑顔を向けられて、思わず私は頬を熱くしてしまう。
 ちくしょう、嬉しいことを言ってくれるじゃねえか。
 このクラス分けや部屋分けに幸運値が関係しているのだとしたら、ミルは明らかに不運な末路を辿っていたはず。
 それが今とても幸せな結果になっているということは、ミルの不幸を私の幸運値が食ったことになるのか。
 何の根拠もないので断言はできないけど。

「まあ何はともあれ、私にとって都合のいい展開ってことに間違いはないかな。ルームメイトはミルだし、部屋も綺麗だし、担任の先生もあの試験官さんだったし、何もかも幸先がいいね。まあ、周りからは少し物珍しげな視線を感じるけどさ」

「あぁ、平民って珍しいみたいですからね。それに貴族でもない一般人が魔術学園に入学するのは、五年ぶりくらいだって聞きましたよ」

 へぇ、そうなんだ。
 それなら私たちが変に注目を集めているのも納得できる。
 じゃあ今この魔術学園には、二年生と三年生を含めても平民は私たちしかいないってことか。
 それ以外の生徒たちがみんな名の知れた家柄の生まれって、なんか結構すごいな。
 やっぱり魔法の才能は、血筋が一番大きく関係しているらしい。
 じゃあなんで私の魔力値はこんなに貧弱なのだろう?
 これでも一応は魔術師の名家と謳われているグラシエール家のお嬢様なんだけど。
 人知れず己の才能に落胆しながらも、私は目にした寮部屋にテンションを上げ、手荷物を放り投げてだだだっと部屋の中を駆け回る。
 そして部屋の左右に巨大ベッドが置かれているのを目にして、『うひょー』と叫びながらその一つに飛び込んだ。
 超ふかふかしてる! 寝心地最高! 上着と靴下なんて邪魔だ邪魔!

「ぽいぽいっと」

「ちょ、サチさん! 変に脱ぎ散らかさないでくださいよ!」

 投げ捨てるように上着と靴下を脱ぐと、それを見たミルが呆れるように叱ってきた。
 そしてそれを拾い上げて、上着をハンガーに掛けて靴下は丁寧に畳んでくれる。
 その姿をベッドに寝そべりながら眺めて、私はふとあることを思った。

「ミルってもしかして、靴下が左右で違ったり、ドアが開きっぱなしだったり、服が裏返しになって洗濯籠に入ってたら気になる人?」

「えっ、誰でも気になりませんかそれ?」

 ふむ……
 どうやら私とミルでは少し価値観が違うみたいだ。
 しかも同棲、というか同部屋で生活するにあたって、亀裂が生じそうな問題である。
 ということをミルも悟ったのか、訝しむような視線をこちらにくれた。

「逆にこちらからも聞かせていただくんですけど、サチさんってもしかしていい加減な人ですか?」

「むっ、失敬な。これでも私は几帳面な方だよ。家の玄関から靴下を投げて、完璧に洗濯籠に入れられる天才だったから、一緒に住んでた師匠に『器用な子ですね』って褒められたことがあるんだから」

「……今のでだいたいわかりました」

 ミルはさらに呆れたように瞳を細めながら、私が放り投げた手荷物を回収してまとめ始めてくれた。
 次いで部屋の収納を確認して、丁寧に荷物を仕舞ってくれる。

「衣服と装飾品はこちらの棚に入れておきます。細かい消耗品はその隣の収納に仕舞っておきますので、ちゃんと覚えておいてくださいね」

「はーい」

 なんかこの感覚懐かしいな。
 森の家で暮らしていた時、マルベリーさんによく叱られていたのを思い出す。
 ふむふむ、つまり咎人の森の家において、マルベリーさんが私のお母さんだったみたいに……

「この寮部屋ではミルが私のお母さんってことになるのか」

「誰がお母さんですか!」

 ミルがムッとした表情を見せたその時――
 不意に寮の廊下から鐘の音が聞こえて来た。
 カンカンカンと三回。それを聞いた私はハッとなってベッドから起き上がる。
 これは確か、夕食を知らせる合図だったはずだ。

「あっ、夕食の時間じゃない? そういえばお腹ぺこぺこだった。早く行こ行こっ!」

「ま、待ってくださいよサチさん! ちゃんと部屋を片付けてから……」

「あとでやりまーす」

 寮部屋から勢いよく飛び出していくと、ミルも慌ててその後を追いかけて来た。
 腹の虫に素直に従って食堂へ急ぐと、とても芳しい香りが廊下を伝って流れてくる。
 早くも寮生たちが集まって、夕食を手に席についているのを見て、私たちも早々に食べる準備を進めた。
 その日の夕食は柔らかくて香ばしいパンと、具沢山のシチューだった。
 夕食が終わると、次は入浴時間となる。
 クラスごとに時間を区切って大浴場を使えるようで、初日はA組が最初となった。
 そしてお風呂を終わらせた後は、少しの自由時間を挟んで就寝時間となる。
 その自由時間の間に、私は再び部屋の中を散らかしてしまい、ミルがそれを泣く泣く片付けてくれた。
 今後もよろしくお願いしますと言うと、ミルはわかりやすく顔をしかめたのだった。

「やっぱり同じ部屋になったのは不幸だったかもしれません……」

「まあまあそんなこと言わずにさ。これからよろしくね、ミルお母さん」

「だから誰がお母さんですか!」

 楽しい楽しい寮部屋での共同生活が、その日から始まったのだった。



 翌日。
 今日から本格的に魔術学園の授業が開始されることになる。
 まずは魔法の基本的なことから復習していくらしい。
 しかし二学期から早くも実技的な授業に移り変わるということなので、油断禁物とのことだ。
 すでに入学者たちは難関と言われている入学試験を乗り越えているので、基礎的な知識は初めから持っているという判断なのだろう。
 実際、授業初日でやったことは、すべてマルベリーさんに最初の方に教えてもらったことばかりだった。
 まあ初日ならこんなものだろう。
 聞くところによると、魔術学園はやはり実技的な成績を重要視しているみたいなので、骨が折れるようになるのはそういった課題が出始めてからではないだろうか。
 今はとりあえず学園生活に慣れることに集中した方がいいかもしれない。
 というわけでなんとかクラスに馴染もうと、周りの人たちに話し掛けようとしたのだが、なかなか勇気が出ずに気が付けば本日最後の授業が終わっていた。
 私の意気地なし……

「これで初日の授業は終わりとなる。最後に一つだけ、君たちにとても重要なことを教えておく」

 レザン先生が少し改まった様子でそう言うと、教室の中がスッと静寂に包まれた。
 みんなはなんだろうという面持ちで聞き耳を立てる。

「王立ハーベスト魔術学園には、多数の魔獣討伐の依頼が持ち込まれている。それを『学園依頼』と呼び、本校の学生が受けて達成することで、“討伐点”として成績に加点されるようになっているのだ」

「学園依頼?」

 私は聞き覚えがなかったのだけれど、周りのみんなは覚えがあるように納得した様子を見せている。
 魔術学園をよく知る人たちにとっては有名なものなのだろうか?
 学園依頼って言ったよね。国家魔術師たちが請け負っている魔獣討伐を、学生たちにやらせているってことかな?
 将来、国家魔術師として魔獣討伐をすることを見越しての訓練だとしたら、確かに理にかなっていると思う。

「君たちの目指している国家魔術師たちも、依頼を受けて魔獣討伐を行なっている。それと同じように市民の平和のために、凶悪な魔獣たちを倒して来てもらいたい。ちなみにこれには討伐点の他に報酬も出るようになっているから、是非とも頑張ってくれ」

 というレザン先生の説明に、クラスの中が僅かに賑わった。
 報酬。確かにこれは気分が高まる。
 周りのみんなは名家の生まれだから、お金には困っていないだろうけど、自分の手でお金を稼ぐという経験はほとんどないだろうから気持ちが湧き立っているのだろう。
 仮とはいえ、国家魔術師のような仕事ができるということだから。

「報酬も確かに大事ではあるが、それ以上に成績に大きく響くことを忘れないでもらいたい。筆記試験や研究結果の発表による“学術点”も、成績においてもちろん大切だが、この魔術学園では依頼達成による“討伐点”が特に重要視されている」

 討伐点。先ほどからちょこちょこと話題に上がっている。
 学園依頼とやらを達成すればもらえるみたいだけど、それってそんなに大切なものなのかな?
 という疑問に頷きを返すように、レザン先生が衝撃の事実を突きつけて来た。

「魔術学園では一定の成績に達していない者は、課題試験や進級試験を受けることができずに“退学処分”となってしまう。討伐点、学術点共に目標点があるので注意してもらいたい。だから皆には放課後や休日を利用して、たくさんの学園依頼を達成してもらい、無事に二年生になってほしいと思う」

「……」

 賑わっていたクラスが一瞬にして静まり返ってしまった。
 無理もない。授業初日早々に“退学処分”などという物騒な言葉を耳にしたのだから。
 一定の成績に満たず、課題試験や進級試験を受けられなかったら即退学。
 試験に落ちてしまってももちろんダメだろう。
 それがこの世界最高の魔術師養成機関である魔術学園の実力主義教育だ。
 なんだか一気に緊張感が湧いてきた。

「今日からさっそく一年生用の依頼受付所が開いているはずなので、放課後に見に行ってみるといい。一階の中央廊下にあるからな」

 そこでレザン先生の説明は終わり、帰り前の清掃時間となった。
 みんながその準備を進める中、私は隣の席のミルにこっそりと囁く。

「放課後になったら一緒に見に行こう」

「はい、わかりました」

 ミルと放課後に依頼受付所なる場所を確かめに行くことにした。
 
「うわっ、すごい人……」

 依頼受付所にはたくさんの生徒たちが集まっていた。
 おそらく同じ新入生たちだと思われる。
 みんなはそわそわとした様子で、自分の順番を待っていた。
 まあ成績不達成の人は即退学と聞かされたら、誰だってこう焦っちゃうよね。
 ていうかこのままぼぉーっとしていたら、依頼を根こそぎ持って行かれちゃうよ。

「私たちも行くよ、ミル!」

「は、はい!」

 私たちも即退学という残酷な結末を避けるために、依頼受付所の行列の一つに並んだ。
 どうやら受付所では、受付さんが依頼を紹介してくれるらしい。
 いくつか候補を挙げてもらい、その中から選ぶ方式になっているそうだ。
 というのを、列の前の方を見ているとわかる。
 生徒たちは紹介してもらった中から気に入った依頼を選び、続々と討伐に向けて校舎を飛び出して行った。

「どんな依頼を紹介してもらえるんだろうね? 討伐依頼って言っても、私たちなんてまだ学生だし、そこまで難しいものはないのかな?」

「ですが、国家魔術師さんたちが受けている討伐依頼と、同じ内容だと言っていましたよ」

「うーん、実際に見てみないと何にもわかんないか」

 なんて風にミルと雑談をしていると、やがて私たちの番がやってくる。
 依頼受付所のカウンターは五つあり、私たちのところにはなんと、十歳くらいの少女が立っていた。
 切り揃えられた短い黒髪とくりっとしたつぶらな瞳が幼さに拍車を掛けている。
 たぶん彼女が受付さんなのだろう。
 私たちよりも明らかに歳下のように見える。
 ここの生徒? ではなさそうだし、先生という可能性はもっとないよね。
 なんでこんな少女が受付さんなんてやっているんだろうか?
 他所から雇っているのかな? まあそれはいいとして……

「あの、すみません。討伐依頼を受けたいんですけど」

「はい、かしこまりました」

 受付少女は幼なげな笑顔をこちらに見せて、かしこまった返事をした。
 そして歳不相応に、淀みない所作で綽々と執務をこなしてくれる。
 名前、クラス、学籍番号、学生証の確認と、依頼受注に必要だと思われる書類の準備。
 見る間にすべてを終わらせてしまうと、次に少女は丸々とした瞳で私とミルを同時に見てきた。

「今回はお二人で依頼を受けるのでしょうか?」

「はい、そうですけど……」

「……でしたら」

 受付さんはじっと私たちのことを見てから、カウンターの奥にある掲示板に近づいていく。
 そこには何枚も用紙が貼られていて、少女はその内の二枚の紙を剥がしてこちらに持って来てくれた。
 見るとそれは、依頼内容が書かれた用紙だった。

「こちらが討伐依頼書となっております。現在サチ様とミル様にご紹介できる依頼はこちらとなっております」

「あっ、そうなんだ……」

 これが依頼書ね。
 確かに他の受付さんたちも、あの掲示板に集まって紙を引っぺがしている。
 そして依頼受付所に来ている学生たちにそれを見せて、討伐依頼の説明をしていた。
 けれど……

「あれっ? ちょっと待って? これが依頼書ってことは、私たちに紹介できる討伐依頼はこの二つだけってこと?」

「はい、こちらが現在ご紹介できる依頼となっております」

 少女はほんの少しだけ申し訳なさそうな様子でこくりと頷いた。
 私はチラリと隣のカウンターの方を見て、深く眉を寄せてしまう。

「他の生徒たちは、十枚とか十五枚とか、もっと色々な依頼を紹介してもらってるみたいなんだけど……。なんで私たちだけこの二枚だけなんですか?」

「……依頼受付所は、その生徒に見合った依頼を紹介する場所となっております。数多くの依頼を紹介していただきたいのでしたら、相応の実績を残していただかなければなりません」

「実績って……」

 入学したばかりで実績も何もないでしょ。
 何を言っているんだこのぱっつん受付嬢ちゃんは。
 大きな成績を残せる課題授業も試験も何もやっていないんだからさ。
 ていうかそれよりも……

「実績がないのは周りの人たちも一緒でしょ? それなのにどうして私たちだけ、紹介してもらえる依頼がこんなに少ないの? 私たち、同じ一年生なのに……」

 と、言いかけた私は、思わずハッとなって口を閉ざしてしまった。
 “同じ”一年生? いや、違う。
 周りの一年生たちと私たちでは、明らかに違う点が一つだけある。

「もしかして、“家章”……」

「まあ、はい……その通りでございます」

 悪い予感が当たってしまった。
 うわっマジか。と人知れず歯を食いしばっていると、今のやり取りを見ていたミルが、不思議そうな顔で尋ねてきた。

「ど、どういうことですか?」

「入学試験の時と似たようなものだよ。他の新入生たちは私たちと違って、制服の胸元に“バッジ”を付けてるでしょ。あの貴族のおぼっちゃまたちが言ってた“家章”ってやつ」

「あっ……」

 そこでミルも気が付いたようだった。
 私たちと他の生徒たちの違いを。
 どうして私たちだけ、紹介してもらえる依頼が極端に少ないのかを。

「実績も何もない新入生の実力を、早い段階で見極めるのはすごく難しい。だからとりあえずは胸に付けてる家章を見て、出自に応じて討伐依頼を紹介してるんでしょ?」

「……一応、生徒の依頼失敗は、受付の私たちの責任にもなりますので」

 ぱっつん受付少女は、とても申し訳なさそうな顔で頷いた。
 依頼受付所は、その生徒に見合った依頼を紹介する場所。
 もし不釣り合いな依頼を紹介してしまい、それで依頼不達成となってしまったら、迷惑が掛かるのは依頼を持ち込んで来てくれた一般市民の人たちだ。
 学園依頼と言っても、依頼はちゃんとした依頼。
 報酬も用意されていて、正式な仕事として成り立っている。
 魔術学園の信頼にも繋がるそんな大切な依頼を、不適切な人材に託して失敗されるわけにはいかない。
 だから胸に付けている家章を見て、どこの名家の生まれなのか判断してから依頼を紹介しているのだ。
 詳しくは知らないけど、家章はそれぞれ色も形も違うみたいだし、それを見れば爵位とかもわかるんじゃないかな。
 私も一応は名家の生まれのはずなんだけど、そういうのは一切教えられなかったな。
 ともあれ、これではっきりした。

「……私やサチさんのような平民では、信用がないということですか」

「まあ、どこの生まれかも知らないただの平民より、確かな実績を残してる名家の生まれの新入生の方が、断然信用はできるからね。血筋は魔法の才能に直結してるわけだし。受付さんとしても下手に依頼を託して失敗されたくはないだろうから」

 具体的にどんな罰則があるのかはわからないけど、受付さんにも何かしら不利益なことが起こるのだろう。
 受付さんは申し訳なさそうにしゅんとしながら、付け加えるように説明をしてくれた。

「他の貴族の方と一緒に依頼を受けるのでしたら、より多くの依頼を紹介することはできるのですが、二人とも家章がないとなると判断材料が乏しくて……」

「いや、別に気にしないでください。ちゃんと仕事してるってことですから」

 無理に受付さんを責めることもできないよなぁ。
 だって紹介した依頼を失敗されたら受付さんが怒られるんだもん。
 そりゃ慎重になって紹介できる幅も狭くなるってものだ。
 むしろ魔法の才能がないと言われている平民の私たちを見て、二枚も依頼書を持って来てくれただけでも感謝すべきである。
 ていうか、後ろの列もだいぶ長くなり始めてきたな。
 これ以上話し込むとさらに受付さんに迷惑を掛けることになりそうなので、駄々をこねるのはこの辺りでやめておく。

「じゃあ、とりあえずこの依頼を受けさせてください」

「はい、かしこまりました」

 二枚の内の一つを選択すると、受付少女は手早く手続きを進めてくれた。



「まさか入学しても身分問題に悩まされるとはねぇ」

「……ですね」

 受付依頼所を後にした私たちは、中庭のベンチに腰掛けながら一緒に落胆した声を漏らした。
 今はここで依頼書の確認も兼ねて小休止を取っている。
 けれど、好条件の依頼を受けることができたらしい新入生たちが、次々と上機嫌に目の前を横切って行くので、私たちの心は休まることがなかった。
 これじゃあ貴族のおぼっちゃまたちにどんどん差を開かれてしまう。
 平民に落ちてしまった弊害が、まさかこんなところで出てくるとは。
 と言ってもやっぱり今さらあの家名を名乗りたくはないなぁ。

「依頼もお情けみたいな形で紹介してもらったけど、さすがにこんなのばっかり受けてもね」

「討伐点が目標値まで行かないと、即退学ですからね」

 ぱっつん受付ちゃんに紹介してもらった依頼は、『煙岩山(えんがんざん)での小鴉(シュカ)の討伐』だ。
 目標討伐数は『二十体』。報酬金額は『500ルーツ』。討伐点は『1』。
 あと難易度は『F』と書かれている。
 どういう基準で判定された難易度なのかはわからないけど、とりあえずこれが最低難易度の依頼だというのはわかる。
 でも最低難易度でも500ルーツももらえるのか。かなりおいしいな。

「討伐点が1って書いてあるけど、二人で受けた場合はどうなるんだろう?」

「えっと、ちょっと待ってください」

 素朴な疑問をこぼすと、ミルはすぐさま懐から学生証を取り出してくれた。
 魔術学園の学生証には校則や学園情報の他に、学園依頼に関する事柄も記載されている。
 学園について何かわからないことがある時は、基本的にこれを開けばある程度は解決することができるのだ。

「複数人で依頼を受けた場合、討伐点は山分けになるみたいです。ただ、小数点以下で加点されることはないそうなので、今回の依頼の場合ですとどちらか一方に1点が加点されるみたいですよ。話し合って決めるのが一般的だとか」

「にゃるほどねぇ」

 複数人で依頼を受ければ成功確率は高まる。
 けどその代わり討伐点は割り振られちゃうわけか。
 報酬はその限りじゃないみたいだけど、たぶんそれは各自で分配しろってことなのだろう。
 それにしても、討伐点たった1点か……

「一学期の期末試験までに、討伐点って何点稼いでおかなきゃいけないんだっけ?」

「確か……『100』点だったような」

「だはぁ!」

 つい変なため息が漏れてしまった。
 100点。途方もない数字である。
 期末試験まで今日からおよそ九十日。
 一日一回、今日もらったような『1点』の依頼をこなし続けてもその目標値には届かない。
 そもそも放課後一回だけで、討伐依頼を達成できるかどうかも怪しいところだ。
 毎度都合よく平民の私たちに依頼が回ってくるとも限らないし、何の依頼も受けることができない日もきっとあるはず。
 それでどうやって100点なんて稼げばいいのだろう?

「……まずいよなぁ、これ」

 どうしたもんでしょうか?