「な、なんで、開花している死花(アイビィ)が五匹も……」

「開花?」

 ミルのその呟きを聞いて、私はふとあることを思い出す。
 そういえば実技試験の開始前に、試験官さんが言っていた。
 死花(アイビィ)は開花前の蕾状態の方が圧倒的に弱いと。
 つまりあそこにいる開花状態の死花(アイビィ)たちは、私たちがさっき倒した開花直前の死花(アイビィ)より強いということだ。
 確かに体の大きさも力の強さも、ここからでもわかるくらい上位のように見える。
 そんな危険な魔獣に、しかも五匹同時に襲い掛かられるだなんて、あのおぼっちゃまたちも運が悪いな。
 大木の野太い根が周りを取り囲むようにして這っているので、逃げ道がないのも気の毒である。
 というか、このままだと……

「……死ぬな、あの三人」

 状況を冷静に分析して、私は誰に言うでもなく呟いた。
 今は魔法を使って死花(アイビィ)たちを牽制して、近づけないようにしているけれど。
 次第に魔素切れになって魔法が使えなくなってしまう。
 一つの魔素に命令を与えると、その魔素は元気を消費して魔法を使うので、しばらくその魔素に命令を伝えることはできなくなる。
 だから次の魔素に命令を出して、魔術師たちは次々と魔法を連射するのだが、魔素の量が少ないとああやって……

「ま、魔法が出ない!? くそっ、もう魔素切れかよ!」

 すぐに使い物にならなくなってしまう。
 どうやら金髪以外の二人はもう魔素切れになってしまったらしい。
 ゆえに金髪一人で五匹の死花(アイビィ)を牽制し始めるが、ジリジリと距離が詰まっていき、いよいよ大木の根元が背中についた。
 まさに万事休す。
 その時、金髪が何かに縋るように視線を動かして、やがてその目が私たちのことを捉えた。

「へ、平民ども! 何をボサッと突っ立っている! さっさと手を貸さないか!」

「手を貸せ?」

 魔法で目の前の死花(アイビィ)たちを攻撃しながら声を張り上げる。
 その物言いに少し腹が立ち、思わず顔をしかめていると、さらに気分を損なう発言をされた。

「平民なら貴族の言うことに素直に従え! こいつらを何としても退けるんだ!」

「……またそれか」

 もう聞き飽きた台詞なのよ。
 平民とか貴族とかいちいちうるさいわね。
 ただでさえさっきのミルへの意地悪に苛立っているっていうのに、この状況でもまだそんな馬鹿馬鹿しい意地を張るのか。
 私は堪らず呆れたため息をこぼし、鬱憤を冷たい感情として吐き出すことにした。

「魔法の才能はほとんどの場合、血筋によって決まるものなんでしょ? それなら高貴な生まれのあなたたちが、さっさとそいつらを倒せばいいじゃないですか」

「な、なんだと!?」

 金髪は怒りと驚きを混じえた声を上げた。

「普通に助けを求めてくれたら、普通に助けてあげようって思ってたんだけど、そんな言い方するならもう行っちゃおっかなー」

「こ、こんな時にふざけるんじゃない! 冗談では済まされな……」

 と、金髪が言いかけた瞬間――
 死花(アイビィ)の一匹がその隙を突くように、急激に速度を上げて三人組に接近した。

「フシャァァァ!!!」

「く、くそっ!」

 金髪はすかさず右手を構える。

「【敵はすぐそこにいる――紅蓮の猛火――一球となりて魔を撃ち抜け】――【燃える球体(フレイム・スフィア)】!」

 金髪の右手から真紅の火球が放たれて、近づいて来ていた死花(アイビィ)に直撃した。
 それなりに威力の高い一撃。さすがに威張っているだけあって、魔力値はそこそこ高いみたいだ。
 しかし……

「くそっ、どうしてだ!」

 死花(アイビィ)は僅かに怯んだだけで、傷はほとんど付いていない。
 むしろ無駄な怒りを覚えさせてしまったみたいで、さらに気性が荒くなってしまった。
 魔素の力による防護膜――『魔衣(まごろも)』がかなり強固なのだろう。
 下手な魔法ではあの魔衣を打ち破ることは叶いそうにない。
 金髪は堪らずに舌を打ち、今度は別の魔法で対抗しようとする。

「【躊躇うな――灼熱の流星――骨の髄まで焼き尽くせ】――【小さな太陽(リトル・フレア)】!」

 だが……

「……で、出ない!?」

 かざした手からは何も出ず、ただ金髪の叫び声だけが森の中に木霊した。
 魔素切れである。
 これでいよいよ魔法を使える者はいなくなってしまった。
 まるでそのことがわかっているみたいに、死花(アイビィ)たちは花を揺らしながら愉快そうににじり寄っていく。
 溶解性のある毒液を辺りに撒き散らしながら、大木の根元に追い込まれた三人を完璧に包囲した。
 絶体絶命の窮地。
 それを傍らで眺めていた私は、いまだに意地を張る貴族たちに意地悪なことを言った。

「早くしないと木の蔓で絡みつかれて生命力を吸い取られちゃうよぉ。毒もすっごく痛そうだなぁ」

「……っ!」

 と、意地悪はここまでにして、私は今一度あいつらに問いかける。

「ほらっ、どうしてほしいのよ? 平民とか貴族とか関係なく、同じ受験者として言ってみなさいよ」

「……」

 もはや脅迫のようにも聞こえてしまう。
 けど私はそれでもいいから、あいつらに対等な立場だということを認めさせたかった。
 これに意味なんてないかもしれない。でも、どうしてもあいつらの口から言わせたい。
 これは身分を選別するための試験ではなく、魔術学園に入学するための試験ということを。
 すると金髪は、悔しそうに歯を食いしばりながら、目前に迫った巨大魔獣を見据えて、盛大な叫び声を上げた。

「た、助けてくれっ!!!」

 私は思わず頬を緩める。

「よくできました」

 すかさず死花(アイビィ)たちの群れに近づくと、金髪たちに一番近い死花(アイビィ)に手の平を向けた。

「【生か死か――死神の大鎌――ひと思いに敵の首を刈り取れ】」

 奴らが傷一つ付けられなかった魔獣を……

「【悪魔の知らせ(デス・ノーティス)】!」

 私は、一撃で絶命させた。
 黒いモヤに包まれた死花(アイビィ)が、まるで魂でも抜かれてしまったみたいに地面に崩れ落ちた。
 その光景を目の当たりにして、おぼっちゃまたちは目を見開く。

「そんな、たったの一撃で……?」

「嘘……だろ……」

 これは嘘ではなく、紛れもない事実である。
 確かにこの開花状態の死花(アイビィ)たちは、かなり強固な魔衣を持っていて、並の魔法では傷が付けられないようになっている。
 でも私が得意としている即死魔法は、相手の魔衣に関係なく“確率”で即死を強制させるのだ。
 そして幸運値999の私が使えば、絶対に成功する即死魔法へと変貌する。
 ともあれこれで死花(アイビィ)の包囲は崩れた。
 あの三人も隙間から逃げ出して来られるはず。
 と、思いきや……

「……一人怪我してるのか」

 死花(アイビィ)の木の蔓に打たれたのか、はたまた転んだのかは知らないが。
 茶髪の男子だけ脚に怪我をして座り込んでいた。
 これじゃあ一匹だけ倒しても、三人全員を逃がすことはできないか。
 となれば“手早く”すべての死花(アイビィ)を倒すしかない。
 チンタラ一匹ずつ倒していると、他の死花(アイビィ)が三人に襲い掛かる可能性があるから。
 けど私の即死魔法、対象が一人だけなんだよねぇ。
 やろうと思えば“あの魔法”で一掃できないこともないんだけど、死花(アイビィ)たちがうろうろと動き回っていて狙いが定めづらい。
 下手したら奥の三人組も巻き込んじゃうかもしれないし。
 その時、私はハッとなって後ろの相棒の方を振り返った。

「ねえミル、あいつらの動き止められる?」

「えっ?」

「少しだけでも時間を稼いでくれたらいいんだけど」

 先ほど一度だけ共闘した時、ミルは『自分が死花(アイビィ)の動きを止める』と言った。
 もしかしたらそういった魔法が得意なのではないかと思った。
 私も拘束魔法の【運命の悪戯(フォル・トゥーナ)】を使うことはできるけど、あれも単体対象の魔法なんだよね。
 だからミルなら、一度にあいつらの動きを封じることができるのではないかと期待して問いかけてみたんだけど……

「わ、わかりました。やってみます」

 その期待通り、ミルは大きく頷いてくれた。
 残った四匹の死花(アイビィ)たちの後ろに位置取ると、両手を地面につけてつぶらな瞳を細める。

「【喧騒で満ちているーー青龍の息吹――この地に安息と静寂を】」

 聞き覚えのない詠唱を終えて、魔法を発動させた。

「【凍てつく大地(ニブル・ヘイム)】」

 刹那、季節が一瞬にして変わってしまったみたいに、辺りに冷気が満ちた。
 地面の方から冷えた空気が吹いてきて、背筋がゾッと凍える。
 気が付けば、死花(アイビィ)たちの足元には透き通った氷が張り……

「フ……シャ……!」

 奴らの身動きを完全に封じていた。

「わおっ!」

 これは予想外。
 まさかこんなにもあっさりと死花(アイビィ)たちを捕まえてしまうとは。
 連中はまるで身動きを取ることができずに、ただ『フシャフシャ』と鳴き声を上げている。
 奴らが振り解くことができないほどの堅氷。それを一瞬にして広範囲に展開している。
 魔力値がかなり高い証拠だ。
 しかも奥にいる貴族のおぼっちゃまたちを巻き込まずに、丁寧に魔獣だけを凍りつかせている。
 才能があるとは思っていたけど、まさかこれほどなんてね。
 三人組もミルの力に驚かされたのか、口をあんぐりと開けて愕然としていた。
 魔法の才能は血筋によって決まると奴らは言っていた。
 それは確かにそうだけど、中には例外だって存在する。
 一般的な家庭に生まれた、ごく普通のはずの子供が、なぜか魔法の天才児として誕生してしまうということが。
 って、マルベリーさんに教えてもらったことがある。
 たぶんミルもその一人なのだろう。

「ありがとうミル。あとは私に任せて後ろに下がっててよ。ちょっとだけ危ないからさ」

「は、はい……?」

 二十秒、いや三十秒はこれで時間が稼げるはず。
 それなら充分。
 あまり使い慣れていない魔法だから、ほんの少しだけ余裕が欲しかったんだ。
 私はミルを後ろに下げて、代わりに前に出ると、死花(アイビィ)たちの中心に狙いを定めて右手を構える。
 そして頭の奥から引っ張り出すように辿々しく詠唱をした。

「【我こそは審判者――裁きの鉄槌――大罪人に正しき懲罰を】」

 耳慣れない詠唱に全員が怪訝そうな顔をする。
 無理もないと思いながら、私はその魔法の正体を明かすように声を張り上げた。

「【地獄への大扉(ヘルズ・ゲート)】!」

 瞬間、死花(アイビィ)たちの中心に漆黒の魔法陣が展開された。
 奥の三人組を巻き込まず、上手く四匹の死花(アイビィ)だけを覆い尽くすことができている。
 魔法陣の範囲内に収められた死花(アイビィ)たちには、それぞれ黒いモヤが纏わりつき、あっという間に目前の景色が黒一色に染め上げられた。

「フ……シャ……!」

 奴らが忙しなく動かしていた花部分が、段々と枯れるみたいに萎れていく。
 抵抗するように撒き散らしていた毒液もまったく出なくなってしまう。
 気が付けば、死花(アイビィ)たちは鳴き声を上げることすらもできなくなり、辺りは完全に静まり返っていた。
 花型の巨大魔獣たちは、氷に足を縛られたまま、一匹残らず息絶えていた。

「よし、一件落着!」

「……」

 すべての死花(アイビィ)が一瞬にして倒されたのを見て、三人組は言葉を失くして唖然としていた。
 一方で後ろにいるミルは、先ほど似たような光景を見たのでさほど驚いてはいない。
 というよりも疑問に思っているという顔をしていた。

「サ、サチさん、今のももしかしてさっきのと同じ系統の魔法ですか? 少しだけ詠唱が違ったような……」

「そっ。今のも即死魔法の一つで、【地獄への大扉(ヘルズ・ゲート)】って言うんだ。【悪魔の知らせ(デス・ノーティス)】と違って一度にたくさんの魔獣に即死魔法を掛けることができるの」

 狙い定めた場所に魔法陣を展開し、範囲内の対象者を超低確率で即死させる即死魔法。
 これも【悪魔の知らせ(デス・ノーティス)】と同じで、使用者の幸運値によって成功確率が変わるようになっている。
 つまり幸運値999の私が使えば、魔法陣に入った者たちを必ず殺す即死魔法へと変貌するのだ。

「まあ周りを巻き込んじゃう可能性があるから、あんまり使い勝手はよくないんだよね。狙った場所に魔法陣を展開させるのも難しいし、何気に魔素消費も激しいから」

「はぁ、なるほど……」

 そんな会話をさも当たり前のようにする私たちを見て、金髪たちは開いた口が塞がらずにいる。
 やがて驚きよりも悔しさが上回ってきたのか、金髪が歯を食いしばりながらこちらを睨んできた。

「な、なんなんだよ、お前たち……」

 圧倒的な実力差を前に、現実を受け入れられずにいる様子。
 頑固になってしまうのもわかる気がする。
 見下していた平民の私たちに、いとも容易く助けられてしまうなんて思ってもみなかったのだろう。
 しかし私は今一度事実を突きつけるように言った。

「これでわかったでしょ? 魔獣との戦いに、身分なんてただの飾りなの。『僕は貴族なんだぞ』って言って魔獣が勝手に死ぬわけじゃないし、他国との戦争に勝てるわけでもない。今発揮できる実力がすべてなんだから、身分だけで相手を値踏みするのはもうやめた方がいいと思うよ」

「……」

 いったい何を思っているのだろうか、三人組は歯噛みしながら黙り込んでいる。
 これ以上説教をしても無意味だと思った私は、やることだけやって早々にこの場を立ち去ろうとした。

「それと助けてあげたんだから、この子から奪った死花(アイビィ)の胚珠、ちゃんと返しなさいよね。まさかこの期に及んで貴族だとか平民だとか言って渋ったりしないわよね」

「……チッ」

 金髪は舌打ちしながらも、懐に手を入れて死花(アイビィ)の胚珠を取り出した。
 それを投げてこちらに寄越してくる。
 その胚珠を危なげなく掴み取ると、私は元の持ち主であるミルにそれを渡した。

「あ、ありがとうございます」

 これで胚珠は二つ揃った。
 あとはこれを持ち帰れば無事に試験合格か。
 貴族連中に仕返しもして、胚珠も取り返したことだし、さっさと帰ることにしよう。
 その前に私は、息絶えている死花(アイビィ)の一匹に近づき、懐からナイフを取り出す。
 そして軽く死花(アイビィ)の花部分を削いで中を覗き、『ご愁傷様』とおぼっちゃまたちに向けて呟いた。
 開花状態の死花(アイビィ)の中には白い球状の胚珠はなく、代わりに黒ずんだ種子のようなものがあった。

「それじゃあ私たちはもう行くから、せいぜい残り時間頑張って。まだ半分以上も時間あるし、今から死花(アイビィ)を探せば充分間に合うでしょ。ま、あんたたちが本当に魔法の才能があるんだとしたらね」

「……」

 最後にそんな皮肉を言い残して、私はミルとその場を立ち去った。