「…え、なん、なんで?え?」
目を白黒させる私と、にこやかに見つめてくる謎の男。
こうなればいよいよ気味が悪い。
巷の噂によれば、山の中には人を誑かす妖怪が棲んでいるとかいないとか。
人間そっくりな姿形で油断させたところを、背後から大口を開けて一飲みにしてしまうとか…しないとか…。
見た目は人の姿をしているけれど、もしかするとこの男も、狐とか…狸とか…とにかく良からぬ類の存在かもしれない。
「……ち、近寄らないで!」
私は身の危険を感じ、とっさに帯に携えていた脇差を握って見せる。護身刀を持っていることを示せば、手を出して来ないはず。そう思って。
…もっとも、本当はこの中に刀なんて入ってない。追い剥ぎに盗まれないように、刀の代わりに金品を入れているだけ。つまり脇差の形をした銭入れなのだ。
男はチラッと脇差に目を移したけれど、特別警戒する様子は見せない。
「ああ、脅しなんですね。その中には本当は刀なんて入ってないんでしょ?匂いがしませんもんね。」
「…えっ!?」
あろうことか、一瞬でバレた。
刀特有の匂いなんて私には分からないけど、言い当てられたのは痛かった。
どうしよう、もうハッタリの手段がない。
悩んだ結果、私は男の目を見ないよう固く瞼を閉じ、全力で脇をすり抜け駆け出した。
「…えいっ!」
女中仕事で培った脚力を存分に発揮して走る。これならそう簡単には追いつけないはず。
そう自負し、私はうっすらと目を開ける。
「きゃっ!」
幸い、前方に男の姿はなかった。
ただ代わりに、足元に大人の拳大の石が落ちていたのは予想外だった。
私は石に躓き、その場に顔から倒れ込む。
ーーーこ、転ぶ…っ!
反射的に目を瞑る。
…けれど、不思議と痛みはやってこなかった。
「ほら、危険だったでしょう?
用心しませんとね。」
代わりに、私の体を片手で抱き止める、さっきの男の姿があった。
自慢の全力疾走にどうやって追いついたんだろう…。いよいよこの男が人であるか怪しくなってきた。