すぐ右隣から聞こえた声に驚いて、私は勢いよく、声のした方に顔を向けた。

そして、戸惑った。そこには見知らぬ若い男がいて、同じようにしゃがんで手を合わせていたからだ。

柔らかそうな黒髪に、にこにこと嬉しそうな優しい笑顔。粋な白黒の縦縞の着物に、足元は簡単な突掛草履(つっかけぞうり)だ。
男はにこやかに目を細めて、私の方を見つめていた。

驚くべきは、声をかけられるまで人の気配が全くしなかったこと。
道中ここまで、他人の姿もなかった。ましてこんな旅向きじゃない装いで、汚れや乱れひとつなく、どうやってこんな山の中まで…?

「……あ、いえ、私なら一人で平気です。
おかまいなく…。」

「まあまあそう言わず。
女の子の一人歩きは危険ですよ?
こんな鬱蒼とした山の中ならなおさら。」

いくら見た目が良いからって、見ず知らずの男に関わるほうがよっぽど危険だ。

「…よく知る道なので、本当に大丈夫なんです。では、私はこれで…。」

しゃがみこんだままの男を置いて、私は立ち上がる。
油を売ってはいられない。先を急がないと。

そう思って、男に背中を向けたのだけど、

「つれない人だ。
まあそう固いことをおっしゃらず。」

「!?」

瞬きを一度しただけ。その一瞬の間に、男は私の正面に当たり前のように立ちはだかっていた。