その時だ。
覆いかぶさっていた忠光様が突然「グウゥ!」と呻き声を上げ、体を大きくのけぞらせた。

「!?」

一体何が起こったのだろう。私は忠光様を見上げる。
忠光様の肩に、蠢く黒い大きなものが見えた。蝋燭の灯りでぼんやり照らされたそれは、私がよく知っている大きな体の野良犬。“クロ”だった。

どこから入り込んだのだろう。普段とても懐っこいクロが、今は歯を剥いて忠光様に襲い掛かり、左の肩に食らいついていたのだ。

「……クロ…!!」

忠光様はクロを引き剥がそうと、がむしゃらに手を振り回す。私は拘束が解かれた隙に、這うようにして部屋の隅へと逃げた。

なおも強く噛みつくクロ。
忠光様は先程手放した刀を握ると、背後のクロ目掛けて、刀を思い切り突き立てた。

「ギャウ!!」

クロが悲鳴を上げる。牙が肩から離れた隙に、忠光様は距離を取って振り返った。

「……この、薄汚い犬がよくも…。」

両者は夥しい血に塗れている。
クロは体に刀を突き立てた状態のまま、忠光様から距離を取る。けれど怪我は相当深いようで、自重(じじゅう)を支えるクロの四つ足が小さく震えている。
あまりの痛々しさ。私はこれ以上見ていられなくなり、忠光様の足元へ這い寄る。

「…お、お願い、おやめください!
クロは私を、助けようとしてくれただけなんです…!」

しかし返ってきたのは、怒りで歪んだ形相だった。

「お前…おれのこの傷が見えないのか?
あの犬は襲う相手を間違えた。絞め殺してでも、生かして返すものか。」

忠光様は右手を強く握りしめ、弱りきったクロに殴りかかろうとする。クロはその場に立ち尽くしたまま動かない。

「クロッ…!」

逃げて、と叫びたかった。
クロが殺されてしまう。