「いえいえ、僕のような人間は見たことないでしょ?今日が初めましてです。」

けれどその可能性もあっさり否定されてしまった。

「……そう、よね…。」

これ以上言及しても納得の答えは出てこないだろう。私は半ば諦めて、自分の目的に集中することにした。


渡瀬神社の境内に入ると、一層静謐な雰囲気に包まれる。
他の参拝客の姿は無く、正午の陽の光が境内全体を明るく照らしている。木漏れ日の落ちる拝殿は、異世界の場所のような神秘さを纏っている。

私達は手水舎でお清めをしてから、拝殿の入り口へと進んだ。真鍮製の本坪鈴(ほんつぼすず)から垂れる、紅白の鈴緒(すずお)を揺らすと、からんからんと鈴の音が鳴る。
長持ほどの大きさの賽銭箱に、銭を一枚投げ入れる。お辞儀をしてから拍手を打ち、私は目を瞑って拝んだ。

ご挨拶と、また半年無事に暮らせたことの報告と…そして、いつもお願いしていること。

「……どこか、遠くへ行けますように…。」

どうか願いを聞き届けてください。“願い事が叶う”なんて眉唾かもしれないけれど、それでもいい。これが私の心の拠り所なのだ。

願いを伝えた私は、再びお辞儀をしてその場を離れた。
ふと、私の隣で同じ行動をとっていた九郎に目がいく。彼はまだ目を瞑って、願い事をしているようだった。
背筋をピンと伸ばして、横顔からはなんだか嬉しそうな、幸せそうな雰囲気を感じる。
どんなお願いをしているんだろう。きっと育ちの良さそうな彼は、幸せな毎日を送っていることだろうと思うけど…。

少しの間九郎を見ていると、お参りを終えた彼と目が合った。
九郎はまた嬉しそうに目を細める。

「フヨさんのお願い事、聞こえちゃいましたよ。」

「えっ、口に出てた…!?」

恥ずかしい。いつもは自分一人だから…。
お地蔵さんの時と言い、もしかして私ってすごく不用心なのかもしれない。
注意しなければ、と今度は心の中で自分に言い聞かせた。