先生の家での食事は、まるで調理実習のようなありさまだった。皆で並んで野菜を切ったり、材料を持ってあちこちに走り回ったりとせわしない。
 ひとり暮らしが長いせいか、蓮見さんは裁縫だけでなく料理も上手かった。
 家でだったらまずつくらないような大きな肉を買い込んできて、それに漬け汁、衣を付けてジュワッと揚げる。匂いからして、生姜とニンニクが入っているのは間違いないんだけれど、他にも細々とスパイスを混ぜていた。
 青野先生は「揚げ物なんて自宅でだったらまずやんないもんねえ」と呑気に笑っていた。
 こんなに大きな唐揚げは初めてで、清水は大興奮していた。

「すっげえ! おっさん美味そう!」
「美味いぞー」
「本当、蓮見さんおいしそう。これあとで漬け汁の作り方教えて」
「ああ、いいですよ先生」

 唐揚げに興奮している横で、私たちはベランダで七輪の上にナスを載せて焼いていた。

「私、ナスなんてレンジでチンしかしたことないけど」

 意外と凝り性なんだなと思いながら矢車さんを見ていたら、矢車さんははにかんで笑う。

「ナスは皮が黒焦げになる直前まで焼いて、そこにめんつゆとおかかをまぶすといくらでも食べられるから」
「ふーん」

 どっさりの大きな唐揚げに、焼きナスのおかかまぶし。トマトとキュウリのサラダ。
 青野先生は蓮見さんと飲むらしくって、クリームチーズとアボガドの和え物をつくって缶ビールを用意していた。
 私たちは麦茶を飲みながら、クーラーの効いた部屋ではふはふと唐揚げとナスを食べる。
 思えば。
 私にとって食事というと、冷たいロケ弁当やお母さんのつくったお弁当であり、給食の時間すらひとりだけ浮いてしまっていた。それが当たり前だったから、調理実習のように皆で机を囲んで食べるというのも新鮮なんだ。
 蓮見さんの唐揚げは好評で、机の真ん中にドカンと置いていたにもかかわらず、あっという間になくなってしまった。矢車さんのつくった焼きナスも香ばしくっておいしく、どうしてわざわざ七輪で焼いていたのかがよくわかった。
 サラダもつるんと食べてなくなったところで、パァーンパァーンという音が響くことに気付く。気になった清水が閉めたカーテンを開けると「おっ」と手をかざす。赤々とした花火が、白い煙を振りまきながら打ち上げられていたのだ。
 この辺りの建物が皆低いのもあり、一階のリビングからでもよく見られた。

「あれ、花火大会って明日じゃ」

 蓮見さんがちびちびとビールを飲みながら窓の外を眺めると、青野先生も「そのはずなんだけど」と言う。

「今日、昼間に花火の撮影をしに行ったとき気付いたけど、車がずいぶんと停まってたのよねえ」
「車って……明日の、花火大会の車じゃ、ないんです、か?」

 矢車さんの質問に、青野先生が「うーん」と髪を揺らす。

「いつももっと大型トラックが止まってるから。あそこに並んでたのはワゴンだったのよね。久々に見るから勘だけど、私が叔母さんから聞いてなかっただけで、ロケが来てるのかもしれない」

 それに、私はご飯を摘まんでいたお箸を取りこぼした。
 カランカランと大袈裟な音を立てて、皆の視線が一斉に集まる。

「駒草さん?」

 矢車さんが心配そうな顔をするのに、私は慌ててお箸を拾った。

「なんでもない」
「そう? あ、窓のほう、また、花火出てる」
「……ちょっと、お箸洗ってくる」

 私はそのまま手早く布巾でお箸を落とした机を拭き取ると、そのまま台所まで逃げた。水を大袈裟なほど捻って出せば、それだけ花火の音が遠く聞こえる気がする。
 バチャバチャと音を立ててお箸を洗っている中、私の隣にトンと青田が立っていた。

「……なに? 花火上がっているんだから、見てこればいいのに」
『知り合いがいるかもしれないから、それで怖くなったの?』
「なに言って……」
『麻は割とわかりやすいよね、映画が好きなのも、カメラを撮るのが好きなのも、全部ひとつのものなんだから』
「また訳のわからないこと言うのやめてよ」

 私はそう突っぱねるけれど、青田は決してやめてくれやしない。

『いいじゃない。今の麻は本当にいい映画をつくってる。見せてやればいいじゃない』
「また馬鹿にされるじゃない。私は、もうあの人たちとは違うの」
『言わせておけばいいよ。だって麻のことをわからない人たちが、勝手に麻は駄目だって言ったんでしょう? 今一緒にいる人たちはどうなの? 麻が自分で選んで連れてきた人たちでしょう? そしてその人たちは、麻のことを一度も駄目だなんて言ってないし、思ってもいないよ』
「それは……」

 私はちらっとリビングで食事をしている皆を見た。
 もう既にお皿の上にたくさん盛られていたはずの唐揚げは、唐揚げの衣のかけらを残してすっかりと消え失せてしまった。食事をさっさと終えた清水は「すげえ……」と言いながら麦茶を片手に窓の外を眺めている。
 同じく食事を終えた矢車さんは自分の分のお皿を重ねながらも、ちらちらと窓の外を気にしている。相変わらず一対一で清水と話せないせいか、さっさと窓の近くに行けばいいのに行けないでいるらしい。
 蓮見さんと青野先生はビールを傾けながら、窓を見ている。
 思えば、私みたいにリーダーシップのかけらもない人間と一緒に映画を撮ってくれるなんて、ありがたい以外に言葉が出ない。
 この人たちは、私の過去なんて知らないし、聞きもしない。ただ私が怖がっているだけだ。私は青田を見る。青田は台所を透かしながら、穏やかに笑うばかりだ。

『もうお箸は洗い終えたでしょ。さっさと食べ終えて、そして映画の編集をしよう。いい絵が撮れたんだから、皆にも見てもらわないと』
「……うん。青田」
『なに?』
「……ううん、なんでもない」

 今、喉から「ありがとう」という言葉が出てきかかったけれど、無理矢理飲み込んでしまった。青田がいなかったら、きっと私は不平不満を言うだけで、ただ燻って座り込んでいるだけのろくでもない人間のままだっただろう。
 今だって、お母さんを完全に説得できたわけじゃない。まだまだいろんなものに、臭い物に蓋の要領で見ないふりしているだけで、全部を解決できてはいない。でも。
 青田が私の止まっていた時計を動かしたんだ。
 それは人生の長い時間からしてみれば、たった一秒かもしれない。でも、毎日繰り返せばそれはいつかは時計をひと巡りする。だから、その時間は決して無駄ではないはずなんだ。

****

 今日は夜までロケはなく、私は今まで撮った映像をどれだけ削るかの確認をしていた。本当は全部使いたいけれど、映さないといけない部分だけをくっきりと現せるようにも削らないといけない。
 私がカメラを回しながらメモを取っている間、青野先生は浴衣を取り出してそれを矢車さんに着せていた。

「うん、できた。ごめんね、先生今時の凝った帯の結い方はできないわ」

 シンプルな太鼓結びの赤い帯に、青い浴衣。黒と白の蝶が飛んでいるのが見える。矢車さんはそれに恥ずかしそうに「いえ……」と笑う。
 できれば今日の撮影に撮りたいと浴衣のシーンをリクエストしたら、矢車さんが持ってきた浴衣を青野先生が着付けてくれたのだ。一応自分では着れるけれど、人に着せたことはないから着付けてくれて助かっている。
 髪も軽くうなじが見えるように結ってくれ、トンボ玉が可愛い簪を留めてくれた。元々矢車さんは素材がいいのだから、浴衣と簪が彼女のよさをぐっと引き出してくれていた。

「あー、先生、雑草抜き終わった……あ」

 今日は夜まで暇だからと、青野先生に頼まれて庭の雑草を抜いていた清水が、汗をだばだばかいて入ってきたところで、矢車さんと目が合った。矢車さんの浴衣姿を見た途端、わかりやすく顔を真っ赤にして、くるっと向き直る。

「先生! 草に水やっていい!?」
「水ー? 今あげても昼になったらお湯になるから困るんだけど」
「じゃあ、自分で水被ってきます!」

 そう言って奪取で庭に戻ってしまった。その一部始終を見て、矢車さんは困った顔をして蓮見さんを見た。

「あの、私、清水くんを怒らせたんでしょうか?」
「いやあ……うん。清水も悪気はなかったから逃げたんだと思うぞ? だから百合ちゃんは気にすんな」
「そうなんでしょうか……」

 私は頬杖を突いて、あまりにもわかりやすい清水に呆れ返っていた。当の本人の矢車さんだけがわかっていない。
 いったいいつからとかどうしてとかはわからないけど、清水は矢車さんに気があるらしい。まああいつなりに、矢車さんが男子を怖がっているのをどうにか怖くない怖くないと距離を縮めようとした結果なんだろうけど。
 私が一旦カメラの電源を落としていたら、青野先生がこちらに話を振ってきた。

「そういえば、駒草さんは浴衣、持ってきてないの?」
「私ですか? 私は撮るつもりだったんで、別に持ってきてないですけど」
「先生、浴衣持ってきてるんだけど、着る?」
「はあ……?」

 私はカメラの電源を落として、素っ頓狂な声を上げた。そりゃ私は撮影中、あっちこっち歩き回るだろうと思っていたからスポーツサンダルを履いてきたから、浴衣だって着れるだろうけど。どうして? という顔をしている中、青野先生がにこにこ笑う。

「だって友達同士で浴衣着て花火を見に行くなんて、人生でそうそうあるもんじゃないでしょ」
「でも……花火って、夏になったらいつでも見れるんじゃ……」
「あら、今年の花火大会は、今年にしかないでしょ。それに駒草さんは折角の合宿なのに、ずっと動きやすい普通の服でカメラばっかり回してるからね。たまにはこういうのもいいんじゃないかと思ったんだけど」
「そういうもんですか……」

 断ろうと思えば断れると思うけど。矢車さんが友達という言葉に反応したのか、そわそわしている。私はそれにそっと息を吐いた。

「……自分で着れますから、自分で着させてください」
「す、ごい。浴衣、自分で着れるの?」

 矢車さんにそう聞かれて、私は頷いた。昔取った杵柄は、今でもどうでもいいところで私を助けてくれている。
 青野先生が貸してくれた浴衣は、青い地に白く抜かれた草木に蛍の絵柄のものだった。帯は黄色く、私はそれをがさがさと着替えた。帯はリボンみたいに結んで留めた。着替えるまで待っていた青田は、私の浴衣姿に何故かにこにこと笑っているのに、私は憮然とする。

「なに、その顔。似合わないっていうの?」
『違うよ! ものすっごく似合うよ!』
「別にお世辞はいいんだけど」
『お世辞じゃないってば! ただ、麻もこういう格好似合うよねって話で』
「なに、その含みのある言い方」
『違うよ! ただ麻はわざとみたいにしゃれっ気から遠ざかってるから』

 芸能界のどす黒いおしゃれに対する気合いを知っていたら、力が抜けてしまって入らないことはあると思う。ずっと気を張っているのが芸能界であり、女優なのだから。
 私は「ふん」と鼻息を立ててから、髪を整える。いつもの伸ばしっぱなしの髪も、お団子にして頭の上でまとめればそれらしく見える。部屋から出て、青野先生に見せてみたら、それはもうにこにことされてしまった。

「やっぱり! 駒草さんは素材がいいから、絶対に浴衣が似合うと思ったのよねえ」
「はあ……ありがとうございます」
「あ、あの! 本当に、駒草さん、似合ってて……女優さんみたい」

 矢車さんまで、そう口をもごもごとさせながら褒めてくれる。……女優、みたいかあ。青田はこちらをひょいと見てくるのをスルーしながら、私は背筋を伸ばした。
 小柄でいつでも笑顔を浮かべられるトレーニングを積んでいた頃と比べれば、表情筋はお世辞にも豊かではない。

「ありがとう」

 そう言ってお礼を言うのが精一杯だった。