遅く来たせいで、いつもの友人たち近くの席は埋まっていた。だから空いている後ろの方の席について、前髪を指先で整える。その時、誰かが近くに立つ気配がした。
「夏菜、足どうしたの」
 哉斗が、そこに立っていた。
 急に話しかけられたせいで、返事をしそびれる。
 普通に答えようと思ったのに、前髪が乱れていないかとか、暑い中走って来たせいで汗の匂いがしないかとか、そんな事ばかりが気にかかった。 
「なんか入って来た時に変だった気がするんだけど。大丈夫?」
「少し、来る時に捻っちゃって……。大丈夫。大したことないから」
「でも――」
 哉斗が何かを言いかけたその時、ドアが開いて先生がは言って来てしまった。彼が、心配そうにしながらも自分の席に戻っていく。
 テキストを開きながらも、夏菜は走っていたせいでまだ乱れている呼吸を、懸命に整えていた。
 離れた席に座る友人たちは気づかなかったのに、哉斗だけが気づいていた。
 自分が教室に来た事に――足を捻った事に。
 ふと視線を上げると、自分の方を見ている哉斗と目が合った。心配そうな眼差しに、夏菜は大丈夫だと伝えるように微笑んでみせる。
 それでも時折、授業の合間に顔を上げると哉斗が見ていた。本当に平気かと、問うように。
 不思議な感情が、自分を支配していた。けれど嬉しいとも、悲しいとも、寂しいとも違う。
 それは、例えるなら夏の終わりの海に足を浸しているような感覚だった。
 
「夏菜、今日遅かったねー。休みかと思っちゃった」
 授業が終わると、後ろの席に座っていた夏菜に気がついて友人たちがやってきた。
「ごめん。ちょっと寝坊しちゃって。ヘアジェル持ってない?」
「あるある」
 友人に借りて、すぐに夏菜は鏡を覗き込みながら前髪を整えた。これで、もう大丈夫だ。
 ほっとした拍子に、夏菜は空腹を覚えた。思えば起きてから、何も食べていない。あるのは、エレベーターを待つ間に自販機で買ったレモンティーぐらいだ。
 空腹を紛らわす為に夏菜がレモンティーを飲んでいると、ふとまた哉斗と視線があった。
 心配をしてくれる眼差しが、こちらを見ている。でも夏菜が友人たちといるから、遠慮しているようだった。
 足の痛みは、座っているおかげでだいぶ良くはなっている。大丈夫だとハンドサインを送っていると、友人のうちの一人がスマホを見て「えー」と声を上げた。