謎の戦士

「ううぅ 」
 気が付くと、源次は布団で寝かされていた。
 秋の日差しが畳を照らし、()草の香りが心地よく鼻をくすぐる。
「おっ。目を覚ましたな。 」
 起き上がろうとしたが、極度の疲労で身体が言うことを聞かない。
「案ずるな。怪我はない。アシュラ。ニッコウ様に伝えて来てくれ。 」
「飛垣源次。俺はジクウ。よろしくな。詳しくはニッコウ様から説明してもらう。 」
 枕元にいた少年は、口角を開き、眩しい歯を見せて笑った。
「ニッコウ様も来るよ。あら。刀を探しているのかな? 」
 源次は咄嗟に右手を伸ばして畳を触っていた。
 しばらくして、ガチャリと陶器の乾いた音を立てて、お膳を運んで来る者がいた。
「ああ。ニッコウ様がそのようなことを…… 」
 アシュラと呼ばれた少女が慌てて立ち上がり、お膳に手を伸ばす。
「良い。このお客人は、大事なお方だ。お持て成しさせてくれ。 」
 縁側にお膳を置くと、40歳前後と思われる、スラリとした色白の男が入って来た。
「ご無事で何よりでした。今は精を着けることが肝要。さ、お召し上がりください。 」
 お膳を引き寄せ、ニッコウは縁側に出て行った。
 お互い目で合図をして、枕元にいる2人も席を立った。
「しばらく召し上がっていない様子なので、さぞかし空腹でいらっしゃるでしょう。お(ひつ)をお持ちしましょう。 」
 アシュラがそう言い残し、三つ指を着いて(うやうや)しく礼をした。
 何が起こったのか、頭の中が整理できていないのだが、どうやら身体が動かない原因の半分は空腹のせいだった。
「どちら様か存じ上げませんが、このような親切。かたじけない。 」
 源次はお膳に向って手を合わせ、深々と礼をした。
 そして、(せき)を切ったように食欲が頭を支配した。
 ガツガツと貪るように平らげ、外の風景を眺めていた。
「おかずになるものが見当たらないので、お茶漬けにして参りました。 」
 (どんぶり)一杯の飯に魚肉を振りかけた茶漬けを乗せて、盆が持ち込まれた。
 空になったお膳の物を、手早く取り替える。
 それも源次は平らげ、しばらく恍惚の表情で、また外を見た。
「立派な庭だ。家人の気品を感じさせる。 」
 腹が一杯になって、気分が落ち着くと部屋の中を見回してみる。
 掃除が行き届いた畳と(ふすま)
 そして、庭に面した障子も縁側も、良く磨かれて木目がきちんと見えた。
 床の間には簡素だが凛とした枝が活けられ、掛け軸には見たことがない異国の文字で何かが書きつけられている。
「これは、異国の言葉かな。もしかして、飛垣家に伝わる呪文と関係があるのだろうか。 」
 死を覚悟してから先の記憶が曖昧になっていたが、例の呪文を唱え、直接頭に響くような声を聞いたことは微かに覚えていた。
「俺は、呪文に応えた何かに救われた。あれが何だったのか知りたいものだ。あの少年と少女、そして立派なご主人が教えてくれるのだろう。 」
 茫洋としていた意識は、次第にはっきりして来た。
 茶漬けが腹の底まで染み入っていくのが分かった。
「お加減は、いかがですか。 」
 先ほどのニッコウが不意に声をかけてきた。
 さっきから、3人とも全く足音を立てないので、不意にいなくなったり現れたりするように感じた。
「かたじけない。空腹のあまり、失礼をしました。拙者は飛垣源次。北条氏の旗本、池田氏に仕えておりまする。このような厚遇に与かり、何とお礼を申して良いやら…… 」
「顔色が明るくなりましたね。そう堅くならずに。我々は源次殿の味方です。 」
 ニッコリと、屈託なく笑い、先ほどのジクウと同じように歯を見せた。
「お口に合いましたでしょうか。本来精進料理を出すべきかも知れませんが、精の着く魚をご用意いたしましたが。」
「いやいや。そのようなお心遣いを。ところで、お聞きしてもよろしいでしょうか。 」
「何なりと。 」
「某の名を、なぜご存じだったのでしょうか。そして、死の淵にいたはずが、どうしてここに。 」
 ニッコウは口を結んで黙ったまま、庭に目を遣った。
「先ほどから、拝見しておりますが、立派な庭。そして室内もよく手入れが行き届いておりますな。 」
 しばらく2人は庭を見つめたまま、むっつりと押し黙った。
 少しずつ陽が傾き、肌寒さを感じ始めた。
「秋の夕暮れは、冷えますね。障子を閉めましょう。 」
 ニッコウは立ち上がり、障子をピシャリと閉めた。
 そして、深刻な顔を見せた。
「すみません。どこからお話するべきか、思案しておりました。 」
 源次は何も言わず、言葉を待った。
「この、現世の有様を、どうお感じになりますか。 」
 室内に差していた陽が退くと、急に寒さを感じた。
 そして、不意にこの国を憂う気持を表情に湛え、眼差しを強くした。
「地獄也。 」
 簡潔に答えた。
「これから、どうなって行くでしょうか。 」
 ニッコウが顔を上げ、正面から射るような眼差しを向けた。
「願わくば、我が手で国を救いたい。だが、拙者にはその力が足らぬ。それが悔しいのだ。 」
 源次が拳を握りしめると、ギリギリと皮膚が擦れる音を立てた。
「覚悟はありますか。 」
「無論。元より捨てた命。失うものなどありますまい。 」
 ニッコウが小さく頷き、音もなく立ち上がって部屋を出て行った。
 その夜はそのまま眠りに落ちた。