死地へ

「囲まれた! 」
飛垣源次(ひがきげんじ)は死を覚悟した。
 動くたびにガチャガチャと黒備えの鎧が鳴り、金具は半分近くが落ちて、だらしなく紐が垂れていた。
 林の中、ずっと走り続けてきたせいで、具足は痛み、髪は乱れ、落ち武者という風体である。「()くなる上は。 」
 勇ましく腰の刀に手を掛けたが、脳裏には故郷の風景が浮かんでいた。
 1000石の旗本、池田氏に仕えた源次は、後宿村で生まれ育った。
 幼い頃から畑仕事を良く手伝い、緑の野山を駆け回って遊んだ。 武家に生まれ育った者でも、家は貧しくて百姓と変わらないような暮らしである。
 そんな中でも気品を失わず、少しずつ貯めたお金で武具を揃え、出陣に備えて待った。
 そして野盗狩りに参加した華々しい日に、本陣からはぐれ逃げ延びたという顛末(てんまつ)である。
 源次は喧嘩の腕っぷしには自信があるのだが、剣術は知らない。
 野良仕事で鍛えた足腰、腕力があっても真剣での斬り合いには別の何かが必要だと、実戦の中で嫌というほど思い知らされた。
「武士とは名ばかり。剣術も出来んとは。 」
 鍬の扱いは長年鍛え抜かれていた。
 同じように剣を振るっても一本調子で、敵を斬ることはできなかった。
「クソッ。今からでも剣術を習いたいものだ。 」
 こうしている間に、前後から足音が近づいて来る。
「こっちだ! いたぞ。 」
 ついに前に2人、後ろに3人。 合計5人の野盗に取り囲まれた。
 彼らは戦場で拾ったと思われる、刃こぼれや染みだらけの剣と具足や胸当て等を身に着け、頭は蓬髪(ほうはつ)、垢で薄汚れた顔をしている。
 この辺りは(くぬぎ)などが多く、栃の実がパチパチと音を立て、晩秋の落葉に足を取られた。
 源次は死を覚悟した。
「我が名は飛垣源次なり。北条氏の旗本、池田氏の…… 」
 野党の一人が地に唾を吐いた。
「おいっ! そこの馬鹿。うるせぇんだよ。 」
「そうそう。誰もお前の話なんか聞きたくねぇんだよ。 」
「馬鹿め。こいつ刀をクソ握りに持ってやがるぞ。北条氏が聞いて呆れらぁな。 」
「田舎侍め。 」
「ははっ。てめえも田舎者だろうが。 」
「違げぇねぇや。 」
「ひひっ。刀の使い方を教えてやれや。 」
 口々に悪態をつき、辱める始末だった。
「くっ。こいつら話にもならん。こんな奴等に殺されるくらいなら自刃するか! 」
 考えている暇はない。
 源次は鎧の隙間に刀を当てがった。
「無念。南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)。 」
 ここまで言って、はたと気付いた。
「そうだ。飛垣家に代々伝わる呪文があった! 」
 野党の一人が上段に構えたまま突進して来た。
「何ブツブツ言ってやがる! 寝言は寝てから言えや! 」
 刀を左肩口に斬り下ろして来た!
「オーン ヴァジュラ ダートゥ ヴァーン! オーン ヴァジュラ ダートゥ ヴァーン! オーン ヴァジュラ ダートゥ ヴァーン! オーン ヴァジュラ…… 」
 死の恐怖が呪文を早口に、そして叫びにも似た声で繰り返させた。
「うああぁぁ!! 」
 瞳孔が開き、見開かれた目が辺り一面の光を捉えた!
 常世を垣間見たと思った……
 随分長い時間が流れたように感じる。
「ああ、死んだのか。俺は。 」
 絶叫の後、口は半開きにだらしなく開き、叫びが呻きに変わっていく。
「ううぅ 」
 その時、
「源次…… 身をかがめて前に突き出せ! 」
 半分意識を失っている源次は、操り人形のように倒れ込みながら刀を前に突き出した。
「ぐわっ! 」
 1人が腹を斬られて倒れた。
 命への執着が消え、身体の力が抜けたまま刀を突き出した動きが、神速の剣技を体現させたのだ。
 彼の中にはすでに自我がなく、身体の揺らぎに任せて動いていた。
 自分がすでに現世の者ではなくなったと思い込んでいたのかも知れない。
「うむ。筋が良いぞ。そんな調子だ。次は右下段から斬り上げ、そのまま左の奴の脳天へ斬り下げろ…… 」
 続けざまに二人が血飛沫を上げる。
「ぎゃっ! 」
「ぐっ! 」
 ほとんど刹那の出来事だった。
 何者かが指示をしている。
 その通りに動くしかなかった。
 そして野盗は2人になった。
「ふううぅぅ…… 」
 源次が深く息吹を吐き出す。
 目は爛々と煌めき、刀と甲冑は血で真っ赤に染まり、地獄の鬼が現世に現れた様相だった。
「次は……? 」
 虚ろな目で虚空を見る。
 薄れゆく意識の中で、心に響く声を待った。
「うわああぁぁ! 」
「鬼だ! 鬼神が現れたぁあぁ 」
 あまりの迫力に、残りは這うようにその場から遠ざかって行った。
「はあぁぁぁ…… 」
 肚から力が抜け、崩れ落ちるように落葉の中に眠った。