一章「死神のアルバイト始めました」

次に目を覚ましたのは病室だった。傾いてきた日が病室を明るく、暖かく照らしている。そして両方の手にそれぞれ違う温もりを感じる。
妻と娘、私の手を握ったまま寝てしまっている。
娘が握っていた手を解いて妻の頭をポンポンと撫でる。
すると妻は目を覚まして顔を上げた。そして涙をこぼしながら手を強く握られた。
ああ温かい。

やがて日が落ち妻と子供は帰っていった。そしてそれと入れ替わるように『死神』はやってきた。
「こんばんは。大介様。昨晩はよくお眠りになられましたか?」
『昨晩?』
とわざわざ必要のないような日付を示されて契約の内容を完全に思い出す。

「あなたは一日に一回私たち死神の仕事を手伝っていただきます。それであなたは明日を生きることができます。明日また仕事を手伝うのならもう一日、そうやってあなたは何日でも生きていくことができます。あなたにデメリットはありません。生きたいだけ生きればいいのです。死神のお手伝いというのも難しい仕事ではありません。どこにいても問題ありませんし、一日のうちいつしていただいでも構いません。ただ私の手伝いをちょっとしてもらうだけです。人目のないところで死神と呼んでくださればそれで私は現れますから、そう呼ばなくなった日があなたの人生の終わりです。あ、でも前のお手伝いから丸一日経ってしまったあとにお手伝いをしてもなんの意味もありませんからね。まぁその場合でも善意として仕事はしていただきますけどね。」

「今日はまだ呼んでいないはずだが?」
「流石に忘れていてそれで終わりなんて、『私』の労力に見合いませんからね。サービスではありませんよ。」
「仕事とはなんだ?」
「焦らなくてもまだ初めてですから、ゆっくりでいいんですよ。」
そう聞くと一気に眠さが増していく。
抗おうと気を張るがそんなこととは何も関係がないようにまぶたは閉じてしまった。
目を開けると手術室の時のようにまた意識としての私が立っている。
「それを見ると行きましょうか。」
と死神に手招きされ夜の病室を抜け出した。

病院の前に寄せてある車に乗って移動していく。そして『死神』はハンドルを握りながら仕事について詳しいことを話しはじめた。
「私はこれからあなたの時と同じように死にゆく人の魂を回収しに行きます。と言っても大介様のように見える方ではありませんから仕事は簡単です。ただ立ち尽くしているだけの死者をこの車に積み込むだけです。死者に質量はありませんから運ぶこと自体に苦労はありませんし、一日分の寿命に比べたら簡単なお仕事ですよ。」
と笑みを浮かべる。
「そろそろですよ。」
と言うと車を一軒家の前に止める。
「ついてきてください。」
と言うので言われるがままに家に入った。
寝室に一人のおじいさんが横たわっていて、その周りを家族や親戚が囲んでいる。まさに大往生といった雰囲気だ。
そしてそこから少し離れた部屋の隅にベットに倒れている人と同じ顔をしたおじいさんが立っている。うんともすんとも言わない表情で立ち尽くしている。死神は私を手招きするとそのまま持ち上げるように言った。
人一人持ち上げるのだから相当に気合を入れて抱えるがさっき死神が言っていたように全く重くはなかった。
まるで風船でも持っているような感覚しかない。
そしてそのままおじいさんを車のトランクに詰めてその足で病室まで戻ってきた。
「それではまだ次の日を望むのであればお呼びください。」
その死神を声を聞くとまた意識が遠のいて行った。

そうして術後経過やら検査やらで七日が経ち、晴れて退院できることが決まった。
その間、毎晩死神を呼び続けた。運ぶ人は初日と同じようなおじいさんであったり、普通の会社員であったり、学生であったり、ホームレスであったり、同じ病院の患者であったり、金魚であったり、ハムスターであったりしたがどの仕事も死神がいうように簡単なお仕事だった。
タクシーで妻と娘と一緒に家まで帰ったのだが、ここ数日続いている眠気のせいで妻や娘とまともに話すこともできず家に帰ってすぐに寝てしまった。
はっと目を覚ますと目の前には死神が立っていた。懐中時計を持って。
そしてまた笑みを浮かべて
「危なかったですね。」
と時計を胸元にしまった。

今まで死神といる間は眠くならなかったのだが、今は昼間の何倍も眠たくて仕方がない。ふと力を抜くと寝てしまいそうだ。
すると
「お辛そうですね。」
と死神が話しかけてきた。
「眠くて敵わないんだ。今までは昼間だけだったんだが今日は夜も眠くて仕方がない。」
しかし死神は自分から聞いてきたのに淡々と
「そうですか」
とだけ返事をした。いつもの笑みも見せずに。
「何か知っているのか…?」
しかし死神は眉の一つすら動かさない。
「眠い原因を知っているんだろう?」
すると今度はうっすらと笑みを浮かべながら
「さぁ」
と答えた。
「なぜこんなにも眠いんだ?」
と眠気を払うようにさっきまでより大きな声で聞く。
「怒なられるのは嫌いですが…、」
と言うと吐き捨てるように答えた。
「あなたの寿命が尽きているからですよ。もう生きていないはずなのに生きている。このことに普通の人間の魂が耐えられるわけがないんですよ。あなたはもう死んでいるから。体が眠いのはあの体もまた本来は死んでいるはずだからですよ。あなたは生き続けることはできてももうその器の心も体も限界なんですよ。」
しかしまた今度はあのニンマリとして笑顔に変わって話し続ける。
「ですけど、そんな状態で生きてて本当に人間として生きてるって言うんですかね?寿命はまだあるのに体は死んでいる、心は死んでいるというのは死神の定める生とは異なるんですよ。それにもしそうやって生きながらえてあなたが生を実感しないとなると契約に綻びが出るかもしれませんし…。」
「つまりどういうことだ。」
と本当の答えを催促する。もう眠さでどうにかなってしまいそうだ。
「仕事を変えませんか?正確に言うと帰るという表現は似つきませんが、もう一週間やってきたわけですから仕事のグレードを上げるというのはどうでしょう?今まで通りの仕事のままがいいと言うのならそれでも構いませんが…、今にも寝てしまいそうなのでしょう?」
と弱みを抉るように選択肢とは言えないような究極の一択を迫ってくる。
「わかった。仕事を変える。」
と勢いで答えるとその途端に今までの眠気がまやかしであったかのように一気に眠気から解き放たれる。
何日も徹夜した後に寝る時のような気持ちよさが何倍にも体に押し寄せてくる。
すると死神は笑みを浮かべたまま言った。
「それは前払いです。流石にさっきまでの状態だと今日の仕事はこなせませんから。」
そう言われたら不意にカーナビに目がいった。いつの間にか行き先が変わっている。
今日は廃墟の前で車が止まった。古びた瓦葺が印象的な古びた日本屋敷。今までの仕事と同じように死神の後について家へと入っていく。
そして一番奥の座敷へと辿り着いた。そこには誰にも知られないようにおばあさんが横たわっていた。とてもいい笑みで眠りについている。しかし周りにおばあさんの『意識』は立っていない。
そしておばあさんの隣で丸くなって寝ている猫を見つけた。随分と痩せ細ってそれでもおばあさんからは離れないようにと力を込めていたのかピッタリと密着している。
そして部屋の隅に丸くなっている猫を見つけた。死神に目をやると静かに頷いた。
今までと同じように軽く持ち上げられるだろうと思って手をかけたのだがびくともしない。今度はもっと腰から力を入れて持ち上げようとするが動く気配がない。
なんでこんなに重いんだろうか。
そう考えて猫に触れると猫の記憶が流れ込んできた。
捨て猫にされた記憶、そこを拾ってくれたおばあさんとの日々、おばあさんが死んでどうしたらいいのかわからなくてただ寄り添っていただけの数日間…。
この猫が重いのはこの生き様だからなのだろう。誰かに寄り添い続けられた強さが死んだ後も意識からは失われず残っている。それが他の人が持ち上げるなんて思えないほどに強すぎる。
今度はさっきみたいにただ持ち上げるのではなく撫でるように抱き抱えるようにそっと優しく抱き上げる。それでも今すぐにでも落としてしまいたいほどに重たいが絶対にそんなことをしてはいけないと、そんなことをしてはもう生き物の心は失くしてしまうとそう思った。
トランクに積み込む時もそっと優しく寝かせた。
そしてものすごい疲労感の中で車に乗った。
そして放心状態だった私に死神は静かに語りかけてきた。
「生きることというのは幸せなのですか。あの猫は私にとっては何も重くありません。」
そう聞いて手が出てしまいそうになったが、ここ数日を思い出すとそんなことができるわけがなかった。
 死者を運ぶというのにまるで運送業者のような心の持ち様で、そして伸びた一日に何の感謝もなくのうのうと暮らしてしまった自分に。死んでいるのだからこの一日はあの猫がおばあさんと暮らした一日よりも重いはず、重くてはならないはずなのに。そう考え始めると死んでからの出来事全てを悔やんでしまった。情けなくて仕方なかった。