「皆崎さん、今日はちゃんと食べれてるんだね。私は吐いちゃったけど、皆崎さんはついてきてくれただけだし」

 昼休み、軽くおにぎりを食べただけなのに気持ち悪くてトイレに駆け込んだ。そんな私を皆崎さんは追いかけてきてくれたらしく、個室から出たら新品の水を持った彼女が待ち構えていたのだ。
 ちょっとびっくりしてしまったが、善意が心に沁みた。空っぽの胃に水を流し込んで、ふたり4階の階段に向かう。

「うん。もともとお母さんから『ちょっと太ったんじゃない?』って言われたから、必要以上に思い詰めちゃっただけで。嫌なことには反抗するって決めたから、怖くないの。朝ごはんを食べても気持ち悪くならなかったし。痛いのは怖いけど、どうせあと2年ちょっとの辛抱だから」

 ここから皆崎さんの母親が勧めていたお茶の水女子大学は、通学圏内だ。ということは、お母さんの勧める大学とは別のところに進学するのだろうか。
 柔らかい表情を見せる皆崎さんに、私は問う。

「東京の大学には進学しないの?」
「うん。というか、進学しなくてもいいかなって思ってる。とにかくお母さんから離れたいから」
「そうなんだ。皆崎さん、頭いいのに」

 皆崎さんは文系科目で頻繁に学年1位に輝いているため、よく教師から褒められている。それなのに進学しないのは、彼女の覚悟の固さだろうか。

「勉強してたのは、お母さんが不機嫌にならないため。放課後遊ぶのも禁止されて、塾や予備校はお金がないから禁止で完全に独学。もう限界が近いんだよ。第一、わたしあんまり勉強好きじゃないし。できることなら一生スマホゲームしていたいよ」

 私の中の皆崎さん像が崩れてゆく。勉強も運動も性格も完璧な美少女が覆り、その奥から普通の女の子が飛び出してきた。勝手に抱いていた畏怖が親近感に変わった瞬間だった。

「皆崎さんも、そんなふうに思うんだ。てっきり完璧な人間なのかと思ってたよ」
「そんなことないよ。たぶん、どこにも完璧な人間なんていないし。欠点を塗り隠して、完璧に見せてるだけ。高宮さんだってそうなんじゃないかな?」

 窓の隙間から夏の風が入り込み、私たちの髪を揺らす。見た目の欠点が多い私なのに、どうして皆崎さんは『私も欠点を隠してる』と言えるのだろうか。むしろ私は『もっと隠せ』と言われるべき立場なのに。

「不思議そうな顔してる」
「そりゃそうだよ。今までそんなこと言われたことないから」

 私の額を、皆崎さんはちょいとつつく。「まあ、改まって言うことはないかもしれないね」と前置きしたうえで、彼女は語った。

「高宮さんは尋常じゃないくらい痩せてるけど、そういう体質なのかなって思ってたの。わたしだけじゃなくて、他の子たちも同じように考えてたはずだよ」

 神妙な面持ちで話す皆崎さんに、私は首を傾げた。
 それがどうしたのだろう。誰だってカリカリに痩せている人がいても、まず病気ではなく体質だと考える。摂食障害は自分には関係がない、だから自分たちの近くにもいない。無意識のうちに思い込むのだ。そもそも摂食障害を知らない人だって多い。

「摂食障害を知らなくても、高宮さんが声高々に『普通に食べれなくて辛い!』『死にたい!』って訴えてたら、みんなも『ああ、心の病気なのかな』って考えるでしょ? それか、教室で吐いてみるとか」
「そうすると、別の病気が疑われるんじゃ……」
「別の病気というか、高宮さんだって本当は食べてすぐ、不快に感じてすぐ吐きたくないの?」
「そうだけど、もっと教室での肩身が狭くなるし、迷惑をかけることになるから」

 皆崎さんのまっすぐな言葉に、私は顔を背ける。皆崎さんはそうやっても心配してくれる人がいるけれど、私はもともとうっすら嫌われている状態だ。その状況でランチタイムに吐瀉物を撒き散らしたら、おそらく私は次の日から学校へ行けなくなる。

「それを取り繕って、見えないところで苦しんでるんだよね。偉いと思うよ、わたしは」
「そうかな……。こんなことで偉いって言われるの、なんか不思議」
「わたしが偉いと感じたんだから、それでいいの。特に高宮さんは今まで辛い思いをしてきたんだからなおさら」

 皆崎さんはニッと太陽のような笑顔を浮かべる。その顔を見ると、なら『偉い』でいいのかな、なんて思えてきた。

 ポカポカと、心が暖かくなったような気がした。