でも、青花もいないのに突然訪問するのは迷惑かと思って、ずっと謝まることができていなかったのだ。
「神代君、顔上げて。あれはしょうがないことだったのよ」
「でも……」
優しい言葉に、思わず涙腺が緩みそうになる。
ずっと自分が許せないでいたけれど、おばあさんはそんな俺を優しく包み込むようにまっすぐ見つめてくれる。
「青花の無理に付き合ってくれてどうもありがとう。青花のお父さんはね、土曜も仕事で、私もこの年で人ごみは苦手でね……、付き添い役が務まるのは神代君しかいなかったわ」
「そんな……」
「ありがとうね。あんなに何かを必死にお願いする青花は、久々に見たわ」
おばあさんの目尻に優しく皺が寄っていくのを見ていたら、少しずつ気持ちが解れた。
青花がとても大切に思っているおばあさんは、数回しか会っていない俺にもこんなにも優しくしてくれる。
俺はそっと顔を上げて、「こちらこそ、ありがとうございます」と伝えた。
自分の語彙力のなさに情けなくなってくる。
いかにも根暗そうな俺を、何の偏見もなく最初から迎え入れてくれたおばあさんには、感謝の気持ちしかない。
「これからどこかへ行く予定だったんですか」
「ちょっと谷中霊園へね。青花の母親の命日なのよ」
「え……」
「青花が小さいときに病気で亡くなってるのは聞いてるかしら?」
その質問に、俺は静かに頷く。
そうか、今日はそんなに大切な日だったのか。
「青花の母親の玲子さんは、本当に綺麗な人でね。子供が大好きで、青花のことをとっても可愛がっていたわ。いつも谷中商店街に青花と一緒に買い物に行って、何かひとつ食べ歩きしながら帰ってくるのが日課で……」
「そうだったんですか」
幼い頃の青花の微笑ましい思い出話を聞いて、少し胸が温かくなる。
「可愛いお嫁さんが来てくれて、こんな幸せないわと思ってたら……。まさか私より先に天国に行っちゃうなんてねぇ……」
上手い言葉が出てこなくて、俺は何とも言えない表情で押し黙る。
おばあさんは切なげに目を細めて、綺麗な黄色い花束を見つめている。
「可愛い孫にも難病があると分かったときは、神様はなんて不公平なのかしらと思ったわ」
「そう、ですよね……」
「あと何回あの子に生きてる間に会えるかしらって、いつも考えちゃってね。辛気臭くてよくないわね」
困ったように笑うおばあさんにつられて、俺も眉を下げながら微かに笑った。
限られている人生の中で、大切な人と過ごす時間は、なんて尊いものなんだろう。
頭の中に青花の顔がいっぱい浮かんで、再び胸が苦しくなる。
青花と過ごす時間は、いつも一瞬で、キラキラ輝いていて、切ない。
永遠に続けばいいのにと思えば思うほど、時は一瞬で過ぎていくから。
「また青花が目覚めたら、一緒に遊んでね」
「はい、もちろん」
即答すると、おばあさんは少しだけ目を伏せて、何かを考えるようなそぶりを見せる。
そして、ためらいがちに口を開いた。
「あの子、永久コールドスリープになる可能性が高いから……」
「え……」
突然の発言に、俺は一瞬目の前が真っ白になった。
「もし外で倒れるようなことがあったら、永久コールドスリープを検討するって、先生に事前に言われてたのよ」
明らかにショックを受け固まっている俺に、おばあさんは心配したような様子で説明してくれた。
「永久って……、それって、治療法が見つかるまで永遠に起きないってことですか?」
「そうなるわね……、大変な道のりだけど」
そこまで言いかけると、おばあさんはいつの間にか目尻に滲み出てきていた涙をそっと指で拭う。
おばあさんの方が、ずっとずっと悲しいはずなのに、俺は酷なことを聞いてしまった。
すぐに反省したけれど、でも、聞かずにはいられなかった。
だって、信じたくなくて。
青花がもう二度と目を覚まさないかもしれないだなんて、考えたくもなかったから。
「元々ね、四季コールドスリープはそんなに長く続けられる処置じゃないのよ。何度も起きることを繰り返してたら、その分もちろん病状は悪化する。今回はそれがただ早まるかもしれないという話でね……」
「そう、だったんですか……、すみません、俺何も知らずに……」
前髪をくしゃっと押さえながら、動揺を全く隠せずに、情けない言葉を返す。
青花は、それを全部知っていた?
覚悟した上で、文化祭に来ていた?
俺はいったい、青花の何を知った気でいたんだろう。
何も知らない癖に、青花を守ろうとしていただなんて……。自分に失望して、言葉が出てこない。
「ショックだとは思うけど……ゴホッゴホッ」
「大丈夫ですか!」
突然咳込みだしたおばあさんの背中を、俺は慌てて摩る。
おばあさんは何度か咳を繰り返してから、喉を少しヒューッと鳴らして、呼吸を整えた。
「ごめんなさいね、季節の変わり目に少し風邪を引いちゃったみたいで」
「そうだったんですか。すみません、こんな寒い中引き止めてしまって……。お墓参り、足元お気を付けて」
「ありがとうね、またね神代君」
心配しながらも、俺はおばあさんが角を曲がるまで見送った。
心臓はドクンドクンと嫌な音を立てていて、不安でいっぱいになっている。
もし、本当に青花が永久コールドスリープに入ってしまったら――、俺たちの間には、あとどれくらいの時間が残っているんだろう。
考えただけでも、目の前が真っ暗になっていく。
永遠に続けばいいのにと思えば思うほど、時間は一瞬で過ぎていく。
人生は限られていて、大切な人と一緒に過ごせる時間は、思っている以上に長くない。
焦っても不安になってもどうしようもないのに、俺は何か自分にできることはないのか、必死で頭をフル回転させていた。
冬が来る前に
『もし発作を起こしたりしたら、永久コールドスリープを考えておいてください』
病院に運ばれている際に、守倉先生に言われた言葉だけが頭の中を巡っていた。
発作を起こしてしまったら、四季ごとに目を覚ますことはもう続けられないかもしれない。
私はそれを承諾して、文化祭に臨んだのだ。
別に、大丈夫と甘く考えていた訳ではないし、発作が起きたら起きたでそれでいいと思っていたわけでもない。
ただ、禄と一緒に文化祭を過ごしたい。その思いだけだった。
だって私がもうあと何回か寝ている間に、禄は卒業してしまうから。
ああ、ダメだ。あんまりネガティブなことを考えていたら、病気の進行も早まる気がする。
そうだ、楽しいことを考えよう。冬が来たら、禄と何をしようか。
禄のために作ってるゲーム、完成できるかな。
ガンクロさんとの配信、観れたら嬉しいな。
それで、師走のチャンネル登録者数がたくさん増えていたら最高だ。
ああ、そうだ、弟さんと向き合うって言ってたけど、少しは距離を縮められていたりするかな。
聞きたいこと、話したいことが、山ほどあるよ。
このまま眠り続けるなんて嫌だ。絶対に目を覚ましたい。
高校生の禄に、まだ会いたいよ――。
◯
「鶴咲青花さん、おはようございます」
看護師さんの声が聞こえて、私はハッとした。
慌てて窓の外の景色を見ると、秋には色づき始めていた木々が見事に裸になっている。
ゆっくりと視線を横にずらすと、そこには守倉先生とおばあちゃんとお父さんがいた。
禄はいないんだ、とすぐに思ったけれど、何か話し合いがありそうな空気を察して、禄が今いない理由も同時に理解した。
家族だけで話さなきゃいけないことが、きっとあるんだろう。
常に覚悟はしていたことだけど、いざとなると逃げ出したくなる。
「起きてすぐに申し訳ない。鶴咲さん、胸部のX線検査をしましょう」
「……はい」
守倉先生の言葉に頷いて、私はまだぎこちない体を何とか起き上がらせる。
おばあちゃんは不安げな瞳をしていて、お父さんは何か覚悟を決めたような顔をしていた。
ずっと眠っていたから分からないけれど、きっと私が寝ている間に先生からある程度の説明は受けて、覚悟は決まっているんだろう。
検査室を出た私は診察室でお父さんたちと合流し、X線CT画像を見て細かな説明を受けた。
「単刀直入に申しますと、近々四季コールドスリープは中断した方がいいです」
あ……、本当に、そうなんだ。
現実をなんとか受け入れようとするけれど、言葉が頭に入ってこない。他人事のように感じる。
「この前の発作はあくまできっかけで、じつは不安因子は今までもありました。鶴咲さんはまだ若いので、こちらも苦渋の決断ですが……」
「いえ、いいんです。元々私共は永久コールドスリープを考えていましたから……」
申し訳なさそうにする守倉先生に、お父さんが冷静に言葉を返した。
おばあちゃんは耐えきれなかったのか、啜り泣いている。
看護師さん二人も、先生の背後でただ静かに見守っている。
「寝たり起きたりを繰り返すことを、鶴咲さんの心臓があと何度耐えられるのか、我々も未知数なのですが……」
「あと何回起きられますか」
ようやく口を開いた私の質問に、守倉先生は難しそうな顔をする。
ドクンドクンと緊張で心臓が脈打っているのが、鮮明に伝わってくる。
「次の春の目覚めで、最後にしましょう」
「春……」
――嘘だ。あまりに早い。
頭の中が一気に空っぽになって、何も言葉が出てこない。
想像以上に早い決断に、さすがのお父さんも言葉を失っている。
ということは、私はあと十四日間しか、目を覚ましていられないんだ。
治療法が見つかる、誰も知ることのない〝いつか〟まで、ずっと眠り続ける。
現実味のない現実に、私は完全に打ちのめされてしまっていた。
しかし、絶望している私に、守倉先生は力強く言葉を続けた。
「鶴咲さん。この話を突然したのにも訳があります。じつは、鶴咲さんの病の治療法のめどが立ちました。二十年後の治療実用化の見込みはかなり可能性が高いです。二十年待てばきっと治る……奇跡的に治験が進めば五年後の治療もあり得る」
「え……?」
「何度か目を覚まして命を削るより、一度永久コールドスリープに切り替えて、治療に賭けてみませんか」
〝今〟を捨てて、治療に賭ける……? 最長で、二十年も私は眠り続けるの……?
想像もしていなかった提案に、私は言葉を失う。
ちらっとお父さんとおばあちゃんを見ると、私と同じように驚き言葉を失っていた。
「いきなりこんなことを提案されても、心の準備が必要なのは当然です。……でも、もうそんなに時間はかけていられないのも事実です」
「先生、私まだ全然……」
「コールドスリープ自体に反対の声も多いけれど、この治療は鶴咲さんを未来に近づけられると信じています」
苦しそうに目を伏せ、沈痛な表情を浮かべる先生。
私は言いかけた言葉を、一旦のみ込む。
「青花が助かる未来が、あるんですね……?」
隣でずっと泣いていたおばあちゃんが、突然震えた声で先生に問いかけた。
「青花が少しでも元気になる未来が、可能性としてあるんですね……?」
「……ええ、今、学会で鋭意研究を進めています。具体的にいつになるかは正直まだ分かりませんが、進んでいることはたしかです」
「よかった、青花は助かるんですね……っ」
先生の言葉に、おばあちゃんは泣き崩れる。その姿を見ていたら、胸がぎゅっと苦しくなった。
私に、心から生きてほしいと、願う人がいる。
その事実が、今目の前にある。
言葉が出ない。胸が痛い。どうしたらいいのか分からない。
「おばあちゃん、泣かないで……っ」
禄の顔が、突然ふと頭の中に浮かんだ。
だけど、私は選ばなくてはならない。何を選択して、生きていくのかを。
「守倉先生、ご提案ありがとうございます。三人で考えてみます」
お父さんが静かに頭を下げて、「青花、行こう」と私の肩を抱いた。
私は心ここにあらずのまま、まるで幽体離脱してしまったみたいに、ただ言われるがままに体を動かす。
病室を出ると、目を真っ赤にしたおばあちゃんが、私を強く抱き締めてくれた。
「こんなこと選ばせてごめんねぇ、青花……っ」
そう言われて、余計に涙があふれ出た。
でももう、本当は、答えはほとんど決まっていた。
こんなに私の未来を願ってくれる人がいるのに、それを無下になんてできない。
「いいの、私、決めたから……」
どうなるか全然分からないし、不安だらけだけど。
少しでも、未来に近づける可能性があるのなら。
「おばあちゃん、お父さん、私、賭けてみるよ……っ」
私は、あとたった十四日間しか二人と過ごせないんだ……。
そう思うと、急に現実味を帯びてきて、目尻にじわっと涙がたまってきた。
「お、おばあちゃんが生きてる間に、治る可能性も全然ある、し……うっ……」
嘘だ。そんな奇跡、本当は全然信じきれていない。
だって私の現実は、いつもいつも短かった。残酷だった。
強がっていたはずなのに、簡単に本心があふれ出てしまう。
「おばあちゃんっ、私、本当は嫌だよ……嫌だ……」
「青花っ……」
泣き声を押し殺すように、そうつぶやいた。
小さな子供みたいにおばあちゃんにしがみついて、枯れるほど泣いた。
〇
翌日、涙で目を腫らしすぎた私は、学校をそのまま休んだ。
先生にもお父さんにも、行かなくてもいいと言われ、全部私の体調に任せるとのことだった。
貴重な一週間なのに、私は火曜日も水曜日も木曜日も学校を休んだ。
できるだけおばあちゃんと一緒に過ごして、禄に贈るゲームの制作に没頭していた。
正直、永久コールドスリープのことは、まだ受け止めきれていない。
こんな不安定な状態で、禄に合わせる顔がなかった。というよりも、もう二度と会えないかもしれない禄と会うことが怖かった。
彼に会ったら、決意が揺らいでしまいそうで。
禄からは【体調どう?】と毎日メッセージが届いていたけれど、私は【まだ悪くて】と返し続けている。
寂しくなったら、師走の動画を観て禄の声を聞いていた。
そんな様子をおばあちゃんはとても心配していたようだけど、私は今禄に会って、何て言ったらいいのかひとつも思い浮かばない。
春を過ぎたら、もう二度と目を覚ませないかもしれないなんて。
「青花、今日も学校は休む?」
金曜日の朝、ベッドからちょうど起きた頃に、おばあちゃんがドアの隙間からひっそり訊ねてきた。
私は重たい布団を足元に丸めて、ベッドから出る。
「うん、今日もお休みしようかな。なるべく家で過ごしたいし」
「そう……、朝食できてるわよ」
おばあちゃんは何か言いたげな表情をしていたけれど、目尻に皺を寄せてにこっと微笑んだ。
ドアの隙間から漂う美味しい匂いにつられて、私はパジャマ姿で一階へと向かった。
ダイニングテーブルには、焼きたてのクロワッサンとサラダ、スクランブルエッグが並んでいる。
そして、難しい顔をしたお父さんが新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。
「……おはよ」
私は素っ気なく挨拶をして、席に着く。お父さんはちらっとこっちを見てから、「ああ」と低い声を出した。
私が永久コールドスリープに入ると決まった日から、お父さんは朝食を必ず一緒に取るようになった。
こんなこと今までなかったので、何だか少し気恥ずかしい。
おばあちゃんも席に着いたところで、私はお父さんに率直な質問をした。
「ねぇ、こんなゆっくりで診察大丈夫なの?」
「朝の事務作業はスタッフに任せてある」
「ふぅん、そうなんだ」
会話、終了。お父さんとの会話がポンポン続いたことなんて、一度もない。
私はサクサクのクロワッサンを一口サイズにちぎって、口に入れた。
とても有名なパン屋のクロワッサンで、幼い頃からの私の大好物。いつも朝食は食パンなのに、おばあちゃんがわざわざ朝から買いに行ってくれたんだろうか。
このパンをこうして食べられるのも、あと数回。
私が目覚める頃にはきっと、あのパン屋もさすがに潰れてるだろうし。なんて。
「青花、今日はお花の植え替えを手伝ってくれる? 寒いからしっかり防寒して」
おばあちゃんのお願いに、私は「うん、分かった」と即答する。
学校も行ってなくて、どうせ暇だし。
「青花は、家にいる間何をやってるんだ」
突然そんなことを、お父さんから質問された。
「え?」
「ずいぶん集中して何かをやってると聞いたが……」
おばあちゃんから聞いたのか。
突然話題を振られて驚きつつも、私は素直に答えた。
「ゲーム作ってるの。友達への日頃のお礼的なプレゼントとして」
「ゲーム? 青花、プログラミングなんてできるのか」
「あ、違う違う。私が作ってるのは子供でも作れる、フォーマットありの選択ゲームで、コードなんて書けないよ」
「そんなものが今はあるのか」
お父さんは少し目を丸くして、意外な表情をしている。
ただのゲーマー娘だと思っていただろうから、驚いたのかもしれない。
いつも難しい顔をしているお父さんの顔が崩れているのが、少し面白い。
お父さんに対しては苦手意識が強かったけれど、いざ当分会えないかもしれないと思うと、気持が丸くなってくる。不思議だ。
病気が分かる前は、勉強のことで相当プレッシャーをかけられたり、かと思いきやそのほかのことは超放任主義で、大切にされてるかどうか分からなかったりで、グレかけたこともあったけど。
でももう今は、全部いい意味でどうでもいいと思えているのかもしれない。
だって、私が眠りについて、もし何十年も起きなかったら、お父さんはこの家にひとりで住むんだ。
おばあちゃんももう今年で七十八歳。最近体調も崩しやすいみたいだし、お父さんもある程度のことは覚悟しているだろう。
「私、お父さんが生きてる間に、目ぇ覚ませるかな」
ぽつりとそんなことを言うと、お父さんは「当たり前だ」と意外にも即答した。それも、少し怒ったような口調で。
お父さんは、もしもの話を絶対にしないような人なのに。
今度は私が驚いた顔で見つめていると、お父さんは落ち着いた声で本音を漏らす。
「こういう時間なんて、本当はいくらでも作れたのにな……」
「え……」
「この家は絶対に壊さず、残しておく。ひとつでも変わらないものがある方が、いいだろう」
そう言われて、思わず涙腺が緩みかけた。
変だな、最近の私は感情が揺さぶられやすい。
おばあちゃんは「じゃあ、私が死んだあとは、この家が傷まないように家政婦さん雇わなきゃね」なんて本気で言っている。
私が死んだらなんて、全然笑えないジョークに苦笑を浮かべる。
けれど、お父さんの気持ちは、シンプルに嬉しかった。
変わらないものがひとつでもあれば、安心できるのはたしかだ。
私たちは穏やかな朝食の時間を過ごして、お父さんの出勤を見送ったのだった。
「寒いのにごめんね青花、おばあちゃん最近腰が痛くって長時間かがめないのよ」
お昼ご飯を食べ終えた夕方。申し訳なさそうにおばあちゃんが眉を下げて、苗を運んできた。
庭に出た私はしっかり分厚いコートを着込んで、おばあちゃんが大事に育てていた綺麗な花に目を向ける。
「おばあちゃん、このピンクの花、何て言うの?」
「オキザリスよ。綺麗でしょう」
「へー、冬でもこんな鮮やかな花、咲くんだね」
ものすごくシンプルな形のオキザリスは、五枚の花びらを立派に咲かせている。
あんまり聞いたことのない花の名前だったけれど、すごく綺麗だと思った。
「どんな季節も、青花に少しでも綺麗なものを見せてあげたいと思ってね」
「え……、そんな理由で植えてくれたの?」
「大きな理由だわ」
私の言葉に、おばあちゃんは優しく笑って返す。
照れくさくて、何て言ったらいいのか分からず、ただただ花の植え替え作業をこなす。
冬の凍てついた空気にも耐えて花を咲かせている植物が、とても逞しく感じる。