木下たちは、すっかり今日のことなんか忘れて生きているはず。
 私がいてもいなくても、何もなかったみたいに、世界は回っていく。
 ……微かに、救急車の音が聞こえる。
 あの車に乗せられたら、もしかしたら私は、もうこんな風に学校に通うことはできなくなるかもしれない。悲鳴を上げている心臓が、そんな悪い予感まで知らせてくる。
 禄、私は君に、本当に覚えていてもらえるのかな。禄がどんなに大人になっても。
「青花、ひとつ約束してほしいことがある」
 布団の中で声を押し殺して泣いていると、突然空を切り裂くように、禄が声を発した。
 ずっと、私の啜り泣く声だけが聞こえていた保健室だったのに。
 驚いて少しだけ布団から顔を出すと、禄はもう瞳を揺らしたりせずに、真剣な顔をして私をまっすぐ見つめていた。
「万が一俺が死にそうになったとき、もし青花がまだ寝ていたら、ガラス叩き割ってでも起こす。青花の世界が勝手に変わる前に、青花の目を覚ますって約束するよ。いい?」
「はは、何、それ……」
「本気で言ってるよ」
 なんて無茶な言い分。でも嬉しい。
「そんなことをしたら、禄は捕まっちゃう。コールドスリープ中の患者を起こすことは、法に反することだから……」
「捕まったっていいよ」
 一週間しか目を覚ましていられない私を、禄は連れ出してくれると言ってくれたんだろうか。
 こんな会話、守倉先生に聞かれたらものすごく怒られちゃうよ。
 頭がいいはずなのに、禄はめちゃくちゃだな……。
「本当に、世界が変わる前に、起こしてくれる……?」
 かすれた声が、保健室に響く。
私の問いかけに、禄がこくんと頷く。
「……くだよっ……」
 一回目では声にならなくて、私はもう一度伝える。
「約束だよ、禄っ……」
 涙声で伝えると、禄は再び「うん」と力強く頷いて、それから、私の涙を指で拭ってくれた。
 禄に初めて触れられて、これ以上無理をしたらダメなのに心臓がドキッとした。
 約束だよ、禄。
 私の世界が変わりそうなときは、置き去りにされそうなときは、きっと私を起こしに来て。
「鶴咲青花さん、中に入りますよ」
 半開きだったカーテンが開いて、救急隊員の人が二人入って来た。
 禄はスッとうしろに下がり、運ばれていく私を心配そうに見守っている。
 ほんの少しだけ目を細めて、私は力なく手を振った。