でも、鶴咲は何てことないというように……、いや、とどめを刺すように、笑顔で言葉を続けた。
「誰かの人生を否定しないと、自分の人生に満足感を得られないんだ?」
「あ? 女だからって調子乗んなよお前……」
「鶴咲! もういいから、行こう」
憤怒した木下がこっちにやってきそうになったので、俺は鶴咲の腕を引っ張って谷中銀座の方向まで駆け戻った。
階段の向こうに、わずかに『谷中ぎんざ』と書かれた看板が顔を出して見えてくる。
〝夕焼けだんだん〟が近づいたところでうしろを振り返り、木下が追いかけてこないことを確認すると、俺は鶴咲の腕を離して声を荒らげた。
「何で急にあんなことっ……、鶴咲に何かあったら危ないだろ」
身の危険を顧みなかったことを怒られたことに驚いたのか、鶴咲は「そっち?」と言って目を丸くしている。
そっち?って、こっち以外に何があるんだよ。
息を切らしながら怒る俺を見ながら、鶴咲はさっきとは打って変わって気弱な声で言い訳をした。
「だって、友達があんな風に言われてたら嫌な気持ちになるじゃん」
「いいんだよ、俺なんかは何を言われたって!」
食い気味で言葉を返すと、鶴咲はカチンと腹を立てた表情をした。
商店街の前の道なのでそこそこ人通りがあり、会社帰りのサラリーマンがチラチラとこっちを見ている。
「俺〝なんか〟って何? 自分のこと卑下して、それ何の予防線?」
「そこそんなに怒る? とにかく、アイツは何してくるか分かんない危険なやつで……!」
「神代君の作るゲームは本当にすごいのに、あの人たちは空っぽだ……!」
子供がわがままを言うときみたいに、鶴咲は斜め下を見ながら思っていることを吐き出す。
その言葉に悔しさが詰まっているのを感じて、俺は激しく戸惑う。
……鶴咲は、本気で、俺のために怒って、俺のために悔しがってくれているのか?
「ごめん、中学の頃の神代君なんて、全然知らないのに首突っ込んで……」
目にうっすら涙をためながら、絞り出すように話し始める鶴咲。
「でも私、ダメなの、自分の大切な人バカにされんの、絶対我慢できない……っ」
大切な人、とサラッと言われたことに、胸がドクンと高鳴る。
どんな意味で大切なのかは分からないけど、そう思ってもらえていたことが、素直に嬉しい。
女子を泣かせたことなんて一度もないので、俺はただただ困惑していた。
商店街の光が星のように階段下で瞬いていて、鶴咲の潤んだ瞳には俺が映っている。真夏の風が、鶴咲の長い黒髪をふわりと夜空に舞い上げて、俺はその毛先の行く末をつい目で追ってしまう。
背景は毎日見ているような景色なのに、世界の何もかもが、鮮明に見える。
感情が動く、ということを、今、初めて体験しているのかもしれない。
悲しいことが起きた訳じゃないのに、胸が切ない。心臓が、ぎゅってなる。
自分のために感情を剥き出しにしてもらったことが、こんなにも胸に刺さるだなんて。
「鶴咲、俺……、言いすぎたごめん」
「ううん、ごめん、ティッシュ持ってる?」
鶴咲は俺からティッシュを受け取ると、泣き止んだ子供みたいに鼻をかんだ。
「なんか私、感情と涙腺が直結してて、泣くほどじゃないことでも涙出ちゃうんだよね……。悔しい……」
「く、悔しいんだ……?」
「大げさで恥ずかしいじゃん」
そう言って、少し照れくさそうに笑う鶴咲。
その姿を見たら、また胸のどこかがぎゅっと苦しくなった。
さっきまで大きな声で言い合っていたのに、空気が一気に和やかになる。鶴咲はそんな風に場の空気を変えることが上手い。
中学時代の自分を彼女に知ってほしいとは思わないけれど、ひとつ自分の弱みを彼女と共有できたことが、恥ずかしくも、嬉しくもある。
形も何もかもまだ不明確な感情が、胸の中にじんわりと広がっていく。
「鶴咲、ひとつお願いがあるんだけど」
「え、何、突然」
「次目覚めるとき、会いにいってもいいかな」
「え……?」
「眠りから覚める鶴咲を、迎えにいきたい」
『話しかけても、よかったの……?』
あのときの、鶴咲の不安そうな脆い声が、頭の中にこびりついている。
じつはあのとき、次に彼女の目が覚めたら、変わらない俺で鶴咲を迎えたいと思ったんだ。
「あ、別に、無理にじゃなくて、嫌なら大丈夫……。じょ、女子は寝起きとか、普通に見せたくないと思うし」
鶴咲がぽかんとした顔のまま固まっているので、俺は慌てて弁明をした。
すると、鶴咲は一瞬壊れそうな表情をして、ゆっくり唇を動かす。
「……それ、本当に?」
「え……」
「私が起きるの、待っててくれるの?」
ガラス玉みたいな瞳をまっすぐ俺に向けて、切実に問いかけてくる鶴咲。
そんな彼女を見て、俺はつい、彼女の腕を掴んでしまった。
……言葉だけでは伝わらない何かを、伝えようとして。
「待ってるよ。昨日のことのように、今日を覚えておくから」
真剣な声で伝えると、鶴咲は「はは」と小さく笑ってから、すっと俺に小指を差し出す。
「十月三日、守倉病院二〇三号室、朝七時集合。約束だよ」
「えっ、ちょっと待ってメモるから」
「いいから、指切りして」
日時や場所を忘れないように脳内再生しながら、俺は彼女の細い小指に自分の指を絡めた。
鶴咲は「指切りげんまん」と言って、小指で力強く俺の小指を握る。
そして、「指切った」というところまで歌い終えてから、勢いよく指を離した。
「じゃあまた、秋にね」
「……うん、また」
夏の風を切るように、鶴咲は小走りで家へと帰っていく。
小指に残る体温を感じながら、今日がもう金曜日であることを、心から切なく思った。
彼女が起きている一週間が、ずっと終わらなければいいのに。
そんなことを、彼女のうしろ姿を見ながら願っていた。
また、来週から君は、当たり前のように教室にいないんだ。
眠りにつく前夜
コールドスリープの処置を受ける前日の土曜日から、守倉病院に入院することになっている。
担当医師はコールドスリープの処置を始めた第一人者かつ院長で、守倉先生という。
五十代で怒ると怖そうな顔の、じつはとっても優しい先生。
十年前から始まったこの処置は世間では賛否両論あるらしいけど、先生はテレビや新聞などの取材を全て引き受けて、この処置のメリットを訴え続けている。
処置の仕方を簡単に言うと、脳にある重要な一部を刺激して、強制的に眠りにつかせているらしい。さらに低温状態にして、悪い細胞が育つのを物理的に止めているのだとか。
〝今の時代〟だったら助かる病気だった……という大きな後悔を抱く人を、これ以上増やしたくないと言っていた。実際に、目を覚ましてから治療を受けて病気を克服した人は何人もいる。
一方で、この処置に反対する人は、基本的に命の流れを不自然に止めてはいけないという考えを持っていて、倫理的なデメリットが大きいことを指摘している。もし最後まで治療法が見つからなかったら残酷でもあると。実際に処置を受けた人が、目覚めた世界に馴染めなくて結局自殺してしまったというニュースも、センセーショナルに取り上げられていた。
自分の大切な人がひとりも生き残っていない世界で目覚める可能性も、大いにある。
それが、私も一番怖い。
けれど、家族は私に少しでも長く生きることを望むから、できるだけそんな孤独な未来を考えないようにして生きるしかないのだ。
「あ、青花ちゃんだ。久しぶりー」
中学三年生のみつあみが似合う女の子・板野結衣が、私を見つけてひらひらと手を振った。彼女は私と同じようにコールドスリープの処置を受けている子で、必然的に仲良くなった。
慣れた手つきで荷物を整え、入院用の部屋着に着替えて、楽な格好になる。
ここは四人部屋で、コールドスリープ専用の病室だ。
人がひとり入るのにぴったりなサイズのカプセル型のガラスが、四機置かれている。
青いライトで照らされたガラスの装置には、管が何本も通されおり、今は二名の患者が人形みたいに生気を感じない状態で眠っている。ひとりはまだ五歳の小さな女の子で、もうひとりは四十代の男性だ。
さながらSFの世界のような景色に、今はもうだいぶ慣れた。
最初はこの装置に入ることが少し怖かったけれど、今はもうただ眠るように目を閉じるだけ。結衣みたいに、同じ処置を受ける人とは顔見知りにもなったし、他愛のない会話をして互いにリラックスできるように過ごすこともあった。
ちなみに、おばあちゃんとは病院の食堂でお昼ご飯を一緒に食べて、さっき別れたところ。お父さんはいつも仕事が忙しく、見送りにもお迎えにも来ない。
「青花ちゃん、一緒にゲームやろうよー」
「やったー、ねぇねぇ、もう〝猫と魔女の森〟のアップデート版やった?」
結衣も私と同じゲーム好きで、いつも眠るまでの間ゲームをしまくっている。
彼女のベッドに座って、猫背になりながら一緒にゲームに没頭していると、結衣が私をにこにこしながら見ていることに気づいた。
「青花ちゃん、いいことあった? 何か嬉しそう」
「えっ、嘘、変な顔してた?」
「ふふ。ううん、可愛い顔してる」
彼女は私と正反対な、おっとりとした性格で、いつも口に手を当てて静かに笑う。
自分がどんな顔をしていたのか気になり恥ずかしくなったけど、彼女には嘘をつかずに全部話そうと思えた。
「ゲーム配信者の師走っているじゃない?」
「うん、最近人気だよね」
「じつは彼と同じ高校で、友達になったんだよね」
「え! 私さっき配信動画観てたよ! どんな人だった? イケメン?」
珍しく興奮した様子で食い気味に質問してくる結衣。
私は脳内で神代君をイメージしながら、「うーん、イケメンかどうかは分からないけど、背は高い」とだけ返す。
すると彼女は「青花ちゃん理想高いからなー」と笑う。
本当に、彼と出会えたことは、今まで生きてきた中で一番の奇跡だ。
「性格はどんな感じなの? 優しい? クール系?」
「動画のイメージ通り、ちょっと人見知りだけど、でも優しい人。ゲームで困ってると絶対助けてくれる」
「一緒にプレイしたの……? なんかそれ、すごいね」
目を丸くしている結衣を見ていたら、たしかにすごい体験をしていると実感した。
彼と出会ってから、本当に次目覚める日が待ち遠しくなってしまった。
今までただ義務的に起こされていた感覚なのに、不思議だ。
『誰かの人生を否定しないと、自分の人生に満足感を得られないんだ?』
意地悪な神代君の同級生にあんなことを言ってしまったのは、やりすぎたかもと思ったけれど、彼は私のことだけを心配してくれていた。
なんて心がまっすぐな人なんだろうと、思った。
それから『眠りから覚める鶴咲を、迎えにいきたい』とまで言ってくれた。
あんなの、嬉しくならない訳ないじゃん……。
あのとき、私きっと、ニヤけていた。もしそれがバレてたら、恥ずかしいな。
「あのね、結衣に相談があるんだけど」
「なに、なに、何か恋する乙女の顔してるね」
「いやいや、そんなんじゃないよっ」
焦ったように否定する私を見て、「誰とも恋バナをしたことがないからはしゃいじゃった」と、彼女は楽し気に笑った。
私はそんな結衣に、少し小さめな声で相談をした。
「彼にいつもゲームの攻略教えてもらったり、ゲーム貸してもらったり、お世話になってるからお返しがしたいと思ってて……」
「プレゼントってことね、素敵ー」
「うん、でも、彼が欲しいもの、全然思い浮かばなくて……」
神代君が興味あるものはゲームくらいしか知らない。というか、ゲーム以外の話をしたことがほとんどない。でも、彼が欲しいゲームはもうすでに全部持っているだろうし、配信で得たお金も相当あるだろう。
自分で欲しいものはすでに買っていそうな彼に何を渡したらいいのか、考えあぐねていた。
結衣も私と同じように「うーん」と頭を悩ませた。入院してから会話した男性はお互いに守倉先生くらいしかいない。
男の人がもらって嬉しいものなんて、全然想像つかないな。
しばしの沈黙のあと、結衣が突然声を上げた。
「分かった! 手作りゲームとかどう?」
「え、手作りゲーム……?」
「うん、今、無料でゲーム制作できるフリーソフトとかあるんだよ。この前暇すぎて調べたら出てきたの! それでゲーム制作して、師走さんに遊んでもらうの!」
「えー、大したもの作れないと思うけど……」
自信なさげな声を出すと、結衣は「だって高価なものあげても喜ぶような人じゃないんでしょ?」とにこっと微笑む。
たしかにそうだけど、いろんなゲームをやり尽くした彼に、果たして喜んでもらえるだろうか……。
「考えとく」と苦笑すると、結衣は「名案だと思ったのにー!」と頬を膨らませる。
そんなことをしている間に、診察の番がやってきてしまった。
「鶴咲さん、お時間ですよー。板野さんはその次ね」
看護師さんにドア付近から呼ばれ、二人そろって「はーい」と返事をする。
病室を出てからも、頭の中は、〝手作りゲーム〟のことでいっぱいだった。
クオリティーが高いものが作れるかどうかは全く自信はないけれど、でもたしかに、神代君が喜んでくれそうなのは〝今までやったことのないゲーム〟くらいしか思いつかないな。
大したものは絶対に作れないけど、自分が作ったゲームをプレゼントするのは、ありなのかもしれない。
だって、大好きなゲーム実況者に自作のゲームをプレイしてもらえたら、自分へのプレゼントにもなるし……なんて。
彼が楽し気にプレイしてくれる姿を想像したら、自然とニヤけていた。
「どこか体調が悪いところはないですか」
綺麗な灰色の髪をした、四角い眼鏡の似合う守倉先生は、私のカルテを見ながらいくつか質問をしてきた。
私は「元気です」と返し、とくに気になることはないと伝える。
守倉先生は眼鏡をくいっと上げてから、椅子ごと回転して私の方を向いた。
「次に起きるのは十月三日になるけど、とくに日程の変更の希望もない?」
「はい、大丈夫です」
「……学校に通ってると聞いたけど、学校生活はどう?」
現実世界との時間経過のギャップに苦しんでいる患者は多い。
だから先生も、その辺をとても気にして、こうしてひとりひとりに面談時間を設けてくれているのだろう。
「学校、友達ができたので楽しいです」
そう言うと、守倉先生は「そうか」と言って静かに目を細める。
そうして私の目の前にA3サイズの紙を置いて、ボールペンを渡した。
これは、コールドスリープをする前に毎回書いている同意書。
そこには、この処置ならではのルールがいろいろと書かれている。
ずらっと並ぶ小さい字をほとんど読み飛ばして、父親が既にサインしている横に、同じようにフルネームでサインをする。
「先生、いつも思うんですけど、眠っている間に他人が勝手に起こしたら罰せられるって、すごいですよね」
先生に同意書を渡しながらそんな感想を伝えると、先生は難しそうな顔をする。
あれ、もしかして面倒なこと聞いちゃったかな……?
「もちろん自然災害があったときは緊急解除する。だけど、私情でむやみに起こされたりしたら、体への負担も大きいし、迷いも出るだろう」
「迷い……?」
「大切な人と同じ時間を過ごさずに、本当にこれでいいのかと。眠れば眠るほど、周りの人との肉体的年齢差は開いていくからね」
その言葉に、私は思わず口をつぐんだ。
一応、誕生日が来たら一歳年を取ることにはなっているけれど、細胞まで凍結して成長を止めているので、見た目はこのまま。
たしかに、もし恋人ができたりしたら、迷いが生じたりするのかな……。
「これが本当の、永遠の十七歳ってやつ?」
「昭和アイドルみたいな言い回しをよく知ってるな」
おどけて答える私を見て苦笑する守倉先生。
私は、明るく振る舞うことを最後まで努めて、診察室をあとにした。
バタンと扉を閉めてすぐ、なぜか頭の中に神代君の顔が浮かぶ。
長い前髪に、一重の目、少しも日焼けしていない白い肌。
目を合わせようとすると、すぐにおどおどして目をそらす。声も小さいから近寄らないと聞こえない。
でも、私がゲームで焦ったり慌てたりすると、すごくゆっくり優しく話してくれる。逆に、私を本気で心配するときは、早口で大声になる。
それから、華奢に見えるけど、コントローラーを握る手は、私よりずっと大きくて、そのことに気づいたときなぜかドキッとしたんだ。
――どうしてそんなことを、今思い出してしまったんだろう。
私が寝ている間に、神代君に好きな人ができたらどうしよう。
つらくならないように、何も期待せずに、生きてきたのに。
「ダメじゃん、私……」
つぶやいた声は、真っ白な病室に寂しく響いていった。
大切なものをこれ以上増やさないようにしたいのに、次に目が覚めたときには、彼がそばにいてくれる。
そのことが、どうしようもなく嬉しいだなんて。
秋の風が僕らを包む
鶴咲が眠りについて約三ヶ月が過ぎた。
今日という日を、どれだけ待ち望んできただろう。
彼女が寝ている間、楽しんでもらえる動画をひとつでも多く増やそうと毎日ゲーム実況をした。登録者数も順調に増えて、十分なほどの広告収入を得た。
勉強は親に文句を言われない程度にそこそこにして、弟からの冷ややかな視線を感じながら、鶴咲のためにできることを自分なりに考えていた。
コールドスリープのことも調べていくうちに、様々な考えがあることを知った。
この処置に強く反対をしている団体が存在し、たびたび病院の前で抗議活動を行っていることも。『不自然に命の流れを止めるべきではない』という主張で、この処置を受けて不幸になった人を中心に集まっているようだ。
俺は、その団体の書き込みや活動動画を観て、ただただ悲しくなった。鶴咲の生き方そのものを、否定されている気がして。
鶴咲のことを知ろうと思い行動したけれど、ふと思う。俺はいったい、鶴咲の何になりたいんだろう。
そんな自問をしつつ、俺は何年かぶりに早起きをして、鶴咲が指定した病院へと向かっている。
今は月曜日の朝七時。学校が始まるまで、ここからの距離を考えるとそんなに余裕はない。
だけど今日、鶴咲の目覚めを一緒に迎えて、一緒に登校すると決めたんだ。
目覚めてすぐに体を動かせるものなのか心配したけれど、車で運んでもらえれば何とかなると言っていた。強がりかもしれないけれど。
正直、彼女がどんな状態でコールドスリープをしているのか、この目で見るのは少し怖い。
病院で面会の受付を済ませて、どぎまぎしながらコールドスリープの処置が行われている病棟に歩いて向かう。
「あら、神代君じゃない? 青花を迎えに来てくれたの?」
振り返るとそこには、霞色のセーターを着た鶴咲のおばあさんが立っていた。
「あの、すみません、今日は勝手に」
慌てて挨拶をすると、おばあさんは「来てくれて嬉しいわ」とにっこり微笑む。手には鶴咲の制服が入ったバッグを抱えている。
ひとりで病室に入る勇気がなかったので、正直タイミングがよかった。俺はおばあさんのあとに続いて、顔認証を済ませてセキュリティーを解除すると、しんと静まり返った病室にようやく足を踏み入れる。