すべての季節に君だけがいた

 土日はさすがにお互い家で過ごすので、実質金曜日が、彼女と次のコールドスリープ前に会える、最後の日となった。

 そしてとうとう、金曜日。いつものように鶴咲の部屋に行くと、彼女は「じゃーん」と効果音を口にしながら、パソコン画面を嬉しそうに見せてきた。
「イマース、本当に全クリしたよ!」
「えっ、はや」
 自慢げにパソコン画面を見せる彼女に、俺は棒読みで言葉を返す。
 中編作品とはいえ、まさか本当に最後までやり抜いてくれるとは……。
「これが初作品なんてすごすぎ! 最後の謎解きで少女に顔がない真相が分かるの、切なかったー」
 鶴咲のパソコンには、少女が前世で容姿を揶揄されるいじめを受け、来世では顔がない自分に生まれたいと願ったことから始まる悪夢だった、ということが明かされる画面が映っていた。
 少女はなくした自分の顔を取り戻すために夢の中を彷徨い、謎を解き続けていたというオチだ。
「最後、顔を取り戻せたのかどうか分からないで終わるところがいいね」
「そ、そうかな……」
 褒められても素直に返せない陰キャ感丸出しの俺など全く気にせず、鶴咲はどこがどうよかったのかを細かく伝えてくれる。
 シナリオの伏線回収とか、キャラクターデザインでこだわった部分とか、自分が力を入れた場所に気づいてもらえることが、こんなにも嬉しいだなんて。
 まだ素人感丸出しの段階だから、ゲームを作っていることを知られるのはすごく恥ずかしかったけれど、打ち明けた相手が鶴咲でよかったと思ってしまう。
「神代君は、いつかゲームプログラマーになるの?」
「まあ……、なれればの話だけど」
「なれるでしょ。高校生でここまでのゲーム作れたら」
 俺の夢が叶うと、けろっと言ってのける鶴咲。
 ゲームプログラマーと言ってもいろんな会社があり、俺が目指したいと思っているのは本当に国内一の大手だ。
 途方もない夢のように思えていたけれど、鶴咲がそんな風に言ってくれると、本当に叶いそうな気がしてくるから不思議だ。
 彼女の言葉にどう返そうか迷っていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「青花、今日はお父さん少し早く帰って来るって」
 ドアを少しだけ開けて話しかけてきたのは鶴咲のおばあさんで、鶴咲はその報告を聞いた瞬間「げっ」という顔をした。
「あの人もう帰ってくんの? もうー、まだゲームやってないのに」
「お友達も一緒に夕ご飯食べてもらったら?」
「やだよ。あの堅物なお父さんとご飯なんて食べたら、神代君気遣って疲れるよ」
 よく分からないけれど、お父さんとの関係はあまり上手くいってないんだろうか。
 何も言わずにいると、おばあさんは「せっかく来てもらったのにごめんね」と言って静かにドアを閉めた。
 鶴咲は申し訳なさそうな様子で、両手を顔の前でパチンと合わせる。
「ごめん! 今日はもうこれ以上ゲームできなそうだ……」
「いいよ。大丈夫。じゃ、帰るわ」
「あ、待って! コンビニで買い物したいから途中まで送る!」
 リュックを持って立ち上がる俺を、鶴咲は勢いよく止める。
 鶴咲は俺より先にドアを開けて「行こう」と言った。

 今日も来たときと同じように賑やかな商店街を抜けて帰る。
 歩きながらゲームの話をしていると、あっという間に夕焼けだんだんの手前まで辿り着いてしまった。
 俺は階段の前で「じゃあここで」と言ったけれど、「ここまで来たし、上まで送るよ」と言って鶴咲は一緒に階段を上ってくれた。
「じゃあ、今度こそ……また今度」
 上りきったところで、俺は腰より少し上あたりで、小さく手を上げる。
「うん、またね!」
「月曜、鶴咲がやりたいって言ってたゲーム持ってくわ」
「あ、月曜私、いないよ!」
 俺がサラッと言ったことに、鶴咲は即座に反応する。
 そんな彼女の言葉に、驚き思わず顔を上げた。
「ほら私、眠り姫?になっちゃうからさ。なーんて」
「え……」
 そうか。彼女が目を覚ましていられるのは、季節ごとにたった一週間なのだ。
 あまりにも鶴咲が〝普通〟なので、忘れていた。
 冗談めかして学校でのあだ名を自ら言った鶴咲は、ひらひらと俺に手を振っている。
「また、夏に会おうね」
 鶴咲の綺麗な髪が夕日に透けて、光っている。どこからか桜の花びらが舞ってきて、彼女の前を通り過ぎた。
 柔らかなオレンジ色に包まれた彼女は、どことなく儚くて、触れたら消えてしまいそうに見えて……。
 笑っているのに、悲しそうに見えるのは、夕焼けのせいだろう。
 茫然としている俺に、鶴咲が悪い冗談を言い足した。
「神代君が、三ヶ月後も私のことを覚えておいてくれると嬉しいな」
「そんなすぐ忘れないだろ」
「はは、そっか。じゃあまた」
 すぐに否定した俺を笑って、彼女は髪の毛を翻して下りていった。
 商店街に向かう親子が何組も俺の横を通り過ぎていく。
 俺はしばらくその場から動けないまま、彼女の世界ではどんな風に時間が流れているのかを考えていた。

 週明けいつものように登校すると、当たり前のように鶴咲は教室にいなかった。
 眠り姫なんて言って囃し立てていた癖に、彼女がいなくてもクラスメイトは一切何も変わらず、日常が、ただそこに広がっているだけだった。

夏の君がやってくる


 夏が嫌いだ。
 制服のシャツが汗で肌に張りつくのが不快だし、陽キャがさらに騒がしくなる季節だから。
 毎年夏の始まりは気持ちが暗くなるのに、俺はこの日を待ち望んでいた。
 鶴咲が今日、再び登校してくる。
 彼女がいない三ヶ月間、俺は魔法が解けたかのように元通りになってしまい、家族以外誰とも話さない日々を送っていた。
 クラスメイトからも空気のように扱われ、この前は担任にも名前を忘れられたり……。
 配信にのめり込んで、ただただひとりゲームと向き合う日々。それはそれで幸せだったけれど、何かが物足りない、と心のどこかで感じていたのだ。
 やっぱり、大好きなゲームの話をできる相手がリアルにいることは楽しかった。
 子供っぽく単純な性格の自分に、心底呆れる。
 でも、あんな風に一気に誰かと距離を縮めるなんてこと、今までの俺なら変なことを勘ぐって、絶対に避けていた。
「あれ、眠り姫じゃん」
 こそこそと話す声が聞こえて、俺はバッと顔を上げる。
 扉に視線を向けると、そこにはまだ眠たそうな表情の鶴咲がいた。
 三ヶ月間、ぽっかりと空いていた俺の隣の席に、一歩一歩近づいてくる彼女。
 クラスメイトも徐々にざわつきだし、「本当に凍ってたのかなー」なんてデリカシーのない言葉が聞こえてくる。
 そんなことなんか全く気にせずに、彼女はイヤホンをつけたままストンと席に座った。
 そろっと隣に視線を向けてみるけれど、鶴咲がこっちを気にしている気配は全くない。
 会った瞬間何を言おうかずっと考えていたけれど、話しかける隙がない。
 もしかして、あの一週間は、鶴咲にとって、気まぐれだったんだろうか。
 幻だったのかとさえ思うほど、鶴咲の視界に俺は映っていなかった。
 ショックだった。今日を心待ちにしていた自分が、恥ずかしくなるほど。
 けれど、ある言葉が頭の中に浮かんでくる。
『三ヶ月後も私のことを覚えておいてくれると嬉しいな』
 ああ言ったときの鶴咲は、たしかに少しだけ寂しそうな顔をしていたんだ。

 放課後になり、鶴咲と会話をしないまま今日が終わろうとしていた。
 何も話せないまま、貴重な一週間のうちの一日が終わってしまう。
 鶴咲が荷物をまとめて席を立ったその瞬間、俺は思わずつぶやいていた。
「鶴咲が、俺のこと忘れてんじゃん……」
 クラスメイトの声に紛れ、聞こえるか聞こえないか微妙な音量。
 俺はハッとして、思わず口を手で押さえた。
 そんな俺を見て、鶴咲は目をぱちくりとしばたたかせている。
「話しかけても、よかったの……?」
「え……?」
 返ってきたのは、予想外の言葉。
しかし、鶴咲も俺と同じように驚いた表情をしている。
 初めは目を見開いていた彼女だけど、だんだんと安堵した表情になっていく。
「私にとって三ヶ月前のことは昨日のことだけど、神代君にとってはそうじゃないからさ。話しかけていいのか分からなかった。……ほ、ほら、高校生って多感?な時期だし、毎日目まぐるしいでしょ!」
 焦ったような口調で、話しかけなかった理由を口にする鶴咲。
 まさか、そんなことを思っていただなんて。
 いつもそんなことを気遣いながら、世界と距離を取っているんだろうか。
 胸の一部がぎゅっと苦しくなり、俺は唇を噛み締めた。
「俺にとっても昨日のことのようだよ。友達少ないから、毎日が薄いし」
 自虐も交えてぼそっとそう返すと、鶴咲はようやく笑顔を見せてくれた。
「あはは、神がぼっちでよかった」
「だから神って言い方、やめてって」
 鶴咲の笑顔を見て、ほっと胸を撫で下ろす。
 よかった。あの日々を忘れられていた訳ではなかった。
 忘れられることが怖いのは、きっと俺の方だ。
「今日もゲーム、する?」
 ぼそっと問いかけると、鶴咲はパッと表情を明るくして大きく頷く。
「する! そういえば、新作ゲームはできた?」
「いや、あともう少しかな……」
 ゲーム制作のことを気にかけてくれていることが嬉しくて、俺はバレないようにニヤつく。
 本当はもうできているんだけど、鶴咲に教えるまでにあと少しだけ改良したい。
「そっか、できたら絶対教えてね! 今日はたまってる新作ゲームやろうか!」
 この三ヶ月の間に、たしかに鶴咲が好きそうなゲームの新作が何本か出ている。
 俺はその全部を彼女に教えてあげたくて、胸が昂った。
 彼女が止まっていた時間の中で起きたことを、できれば、俺が全部聞かせてあげたいと思ったんだ。



 鶴咲が眠るまであと五日。
 月曜と火曜は更新されたゲームの話をしてしまったから、明日はどんな話をしよう。
 豪邸から庶民的な中古の一軒家に帰宅した俺は、自分の部屋で寝っ転がりながらアプリゲームを操作していた。
 六畳の部屋はベッドとパソコンとテレビが置いてあるだけで、ゲームキャラのグッズなどは全てクローゼットの中に隠してある。母がいじってきて何かとうるさいからだ。
 動画配信は、鶴咲が起きている間はお休みをしている。
 割と不定期更新のチャンネルだけど、一週間休むことなんて、今まではほとんどなかった。
 でも、この一週間だけは、鶴咲のために時間を使ってあげたい。そんな風に思っている自分に戸惑う。
 これはただの同情なのか、初めてできたリアルでのゲーム友達に舞い上がっているだけなのか。自分でも分からない。
 ゲームの通知メールを整理していると、ドタンバタンという激しい音とともに、隣の部屋に誰かが入ってきたのを感じた。中三の弟の俊也だ。
 思春期真っただ中の俊也は母親と喧嘩ばかりしていて、俺のことはゴミを見るような目つきで見てくる。
 今日も荒れてるな……と遠巻きに感じていたら、突然自室のドアが勢いよく開いた。
「うわ、何だよいきなり」
 思わず情けない声を出すと、黒髪でマッシュヘアの俊也が、ずかずかと俺の部屋に入って何かの本を投げてきた。
 分厚さのあるその本には、見慣れた私立高校『M学園』の名前が書いてあり、自分がかつて使っていた過去問題集のお古だと分かった。
「兄貴の中学のときの模試の結果、それに挟まってたんだけど」
 すこぶる機嫌の悪そうな声で言い放つ俊也。彼は今M学園を目指して受験勉強をしていると母親から聞いていたが、まさか俺が捨てたはずの問題集を俊也に渡していたとは。
 俊也が言いたいことが何なのか、だいたいの予想がつく。思わずため息が出る。
「偏差値足りねぇから、M学園受けないっつったのに、お前A判定だったんじゃん。ふざけんなよ」
 投げつけられた問題集から、Aと書かれた当時の成績表がちらっと見える。
 俺はだるそうに起き上がると、模試の結果をくしゃっと丸めて捨てた。
 俊也はそんな俺の行動に、力の限り言葉をぶつけてきた。
「俺と競うのがそんなに嫌かよ。本気でうぜぇ」
 まさかこんなものが時間を経て見つかってしまうとは。
 俊也の言う通り、俺は行けるはずだった区内トップクラスのM学園の受験をやめた。
 母親に『行けそうにない』とだけ伝えて、一ランク下の今の私立高校にシフトチェンジしたのだ。本当はテキトーな公立でもよかったけれど、偏差値をやたらと気にする母親に強引に指定され、受験した。
 俊也は中学生になった瞬間から高校受験を意識しており、必ずM学園に行くと豪語していた。
 友達も多く、運動能力もコミュニケーション能力も長けていて、俺が持っていないものを全て持っているというのに、こいつは勉強だけ上手くいかないことが不満らしい。
「ちげぇよ、勝手に妄想してんな」
 何もかも俺に勝たないと気が済まないのだろう。そう思いながら、呆れた調子で返した。
 すると、俊也は俺を睨みつけ言い放つ。
「お前が塾代無駄に使ったせいで、こっちはM学園に受かっても行かせられるか危ういって昨日言われたよ……。もしそうなったら、死ぬまで恨んでやるからな」
 たしかにうちは中流家庭で、都内に住みながら兄弟二人を楽に私立高校に行かせるお金はないだろう。親も、俺の中学時の成績に舞い上がり、あと先考えずに教育費をつぎ込んでしまったのかもしれない。
 俺がM学園に行かないと言ってから、明らかに家庭の空気は悪くなった。それに関しては、全く返す言葉もなく、ただ沈黙するしかなかった。
「お前のそういう、恵まれた環境でもできることやらねぇ性格、心底嫌いだよ」
 俊也は黙っている俺に言い捨てて、バタン!という音とともに部屋を去り、俺は言い放たれた言葉に真っ向からダメージを食らっていた。
 できることをやらない性格、というのは、当たっているようで当たっていない。
 俺はもう、〝自分が何をできるかどうか〟なんて希望的な目線で人生を歩んでいないから。
 趣味のゲーム以外、何をやったって無駄。本当は、ゲームプログラマーにもなれやしないとどこかで感じている。
 俺が俺である限り、何も上手くいきっこない。
 でもそれが苦しいなんて、思ったことはない。
 俺は少し折れ曲がった参考書を拾って、近くにあった空っぽのゴミ箱にそのまま投げ捨てる。
「思い出したくもないことばっかだな……」
 ぼそっと一言つぶやいてから、俺は再びゲームに集中しようと努める。
 枕元に置いていたスマホがブブッと震えたので手に取ると、鶴咲からメッセージが届いていた。
【そういえば、新作ゲームはいつ頃できそうなの? 教えなさい】
 なぜか命令口調の鶴咲に、わずかに苦笑が漏れる。
 新作のゲームは、あれから少し改良を重ね、じつはもうリリースした。
 猫が主役の、ありきたりで単純なランゲームだけど、猫のイラストが可愛かったお陰かアプリでの初日ダウンロード数はそこそこいった。
 とはいっても、完成度がそこまで高くないので一瞬教えることをためらったが、彼女が意地でも聞き出してくることを考えて、諦めてゲーム名を教える。
 すると、すぐに返信がきた。
【もうできてたの⁉ すごい猫可愛い! 明日やりまーす。じゃ、おやすみ】
 聞きたいことだけ聞き出しておいてすぐ寝る鶴咲。
 その勝手な性格に若干呆れたけれど、嫌な気はしない。
 思ってること、感じてることが顔にも文にも素直に表れる鶴咲といることは、思いのほか楽だった。
 俊也の発言で乱れた心が、鶴咲の簡素なメッセージひとつで、簡単に落ち着いていく。
 自分は意外と単純な人間なんだと、彼女と会ってから何度も思い知らされている。
 向き合いたくない過去に蓋をするように、俺は布団を顔までかぶって、暗闇の中でゲームをしていた。



 あっという間に時間が過ぎて、もう金曜日になってしまった。
 鶴咲と学校で待ち合わせをするのは恥ずかしいと思っていた俺も、だんだんと周りの視線がどうでもよくなり、今では一緒に帰ることも自然になっている。
「早く行こう、神代君!」
「走ったら心臓に悪いよ」
「このくらい大丈夫!」
 今日もホームルームが終わったあと、二人でダッシュで教室を出て駅まで向かい、鶴咲の家で新作ゲームに明け暮れた。
 小学生の頃に好きだった格闘ゲームの復刻版が出たので、今日はそのゲームをやることに。
「うわー、懐かしいー!」
「小二の頃に流行ったよね。結構覚えてるわ」
「技のコマンド思い出さなきゃ!」
 鶴咲にはお気に入りのプロレスラー設定のキャラがいて、ずっとそのキャラを使い続けて、二勝十敗。悔しそうにコントローラーを握り締めていたけれど、終始ずっと楽しそうだった。
 そんな風に一緒にゲームをしていると、時刻は十九時過ぎに。
 もうそろそろ帰らないと……と思ったところで、ドアのノック音が響いた。
「神代君、よかったら夕飯食べていったらどう? ちょうど今できたのよ」
「えっ、いやそんな申し訳ないんで……」
「やったー! おばあちゃんの料理は最高に美味しいから食べてってよ!」
 鶴咲に押し通され、何と夕飯も一緒に食べることになった。
 一階に下りてリビングへ向かうと、そこには美味しそうなビーフシチューが並んでいた。
こんなレストラン級の食事が家庭で出てくるなんて……と衝撃を受ける。
ダイニングチェアに座ると、鶴咲が早々に両手を合わせて「いただきます」と声を上げる。俺も同じように手を合わせ、料理を口に運ぶ。
「お口に合うかしら」
 おばあさんの言葉に、俺はこくこくと頷く。本当に美味しい。
「こんな料理、家で食べたことありません……。だいたいお惣菜なんで」
「谷中商店街があるものねぇ。いっぱい美味しいおかずがあるから、私もしょっちゅう利用してるわよ」
 多分俺の家に出ているのは、スーパーの冷えきった残り物だけど……とは言わずに、苦笑いを返す。
 鶴咲もなぜかすごく嬉しそうで、「どんどん食べて!」と張りきっていた。

そうしてお腹も満たされ、やっと帰る流れになると、鶴咲は「私もアイス食べたいからついでに送ろうかな」と言いだしたので、今俺たちは駅近くのコンビニへと向かっている。
 夜になっても暑さはおさまらなくて、生ぬるい風を運んでくる。
 クーラーの効いたコンビニに小走りで入ると、鶴咲は幸せそうな笑顔を浮かべた。
「うわー、ありすぎて選べない!」
 クーラーボックスに並ぶアイスを前に、鶴咲は眉間に皺を寄せながら真剣にアイス選びを開始。
「そんなに悩むことか……?」
 俺はいつも変わらずコーヒー味のアイスを買うことに決めているので、すんなりとレジに向かおうとしたが、鶴咲は俺に二つのアイスを指さしてどちらがよさそうか助言を求めてくる。
 ひとつは柚シャーベットで、もうひとつはさっぱり系のミルクアイス。
 全く相反する二つで迷っているようだ。
「よくアイスごときでそんなに迷えるね」
「だって! どっちも期間限定なんだもん、今食べないと一生食べられない!」
「……なるほど。それは深刻だ」
 そうか、鶴咲にとってはこのアイスひとつですら一期一会で、大切に選ばないといけないことなんだ。
 そう思うと、俺は勝手にその二つのアイスに手が伸びて、気づいたら自分がいつも買っているコーヒーアイスを元の場所に戻していた。
「……飽きたら交換してくれればいいから」
「えっ、え?」