「清、お昼食べよう。」
昼休み、美憂ちゃんがひょこっと私の机の前に顔を出して笑う。
頷いて席を立って、テラスへと移動した。少し風は肌寒いけれど太陽の日差しが気持ちいい。
私が自然に笑ってしまうくらい、美憂ちゃんは話し上手な女の子だった。今日も思わずケラケラと大笑いしてしまって慌てて口を押える。きっと清ちゃんはこんな笑い方しない。美憂ちゃんは案の定クスリと笑って。
「なんか清、笑い方変わったね。」
「そう?」
「うん。いつもはコソコソ笑ってるじゃない。」
「コソコソ笑うってどんな感じなの。」
思わずつっこんでしまえば、美憂ちゃんは清ちゃんの真似をしているのか、口に手を当てて下を向いて笑った。こんな感じ、と美憂ちゃんは微笑んで。
「なんか清がそうやって笑ってると、小さい時の事思いだす。」
ほら、と美憂ちゃんは小さい頃の思い出を語りだした。2人でピアノのおけいこが嫌で逃げ出した話、ママたちがランチしている間に着せ替え人形で遊んだ話、どうしてもハムスターが飼いたくて2人で泣きながらお願いした話。美憂ちゃんは楽しそうに語る。
「あの時は2人して馬鹿みたいに笑ってたよねえ。」
2人は、本当に幼い頃から仲が良かったのだろう。今の話を聞いていても普段の美憂ちゃんの態度からも何度もそう感じた。友達というより姉妹に近い関係なんじゃないだろうか。
気づけば昼休みが終わろうとしていて、慌ててお弁当をしまう。そういえば、と美憂ちゃんが急に顔を上げる。
「清。」
「うん?」
「話したい事って何だったの?」
「・・・話したい、こと?」
「あ、それもやっぱ覚えてないか。」
首を傾げた私に美憂ちゃんがバツの悪そうな顔をする。どうやら清ちゃんは美憂ちゃんに何か話したい事があると伝えていたらしい。けれど話をする前に事故にあってしまって、彼女はそれが気になっていたらしい。なんか深刻そうな顔してたから、と美憂ちゃんはその時の清ちゃんの顔を思い出したのか少し顔を曇らせた。
「なんか悩み事とかあったのかなって。」
「悩み事・・・。」
「思いだしたらすぐいうんだよ。私は絶対清の味方だからね。」
そう言って美憂ちゃんは手を握ってくれる。その目は痛いくらい真っすぐで、思わず目を逸らしてしまった。
スリッパの音が響く廊下で、私はじっと立っていた。ガラス張りの病室には、酸素吸入器を付けられた少女がベットに横たわっている。その横顔は真っ白で、でも、人形のように綺麗だった。
規則的な機械音がガラス越しに漏れ出す。少し離れたところで看護師さん達がコソコソ話しているのが聞こえてくる。このまま植物状態になっちゃうのかしらねえ、可哀想にねえ、なんて。
気付けば、隣に人が立っていた。見たことのない制服に身を包んだその男の子は、私と目が合うとペコリと頭を下げて。
「お友達ですか?」
「・・・いえ。」
そうなんですね、と彼が呟く。彼も同じようにお友達ではない事も知り合いですらない事も私が一番よく知っている。清矢、と下の名前を名乗った彼は、たまたま通りすがって、と小さく息を吐いた。
しばらく沈黙流れる。
「可哀想ですよね。」
気付けば、そんな言葉が口からこぼれていた。可哀想、一番無難な言葉だと思った。誰が見たってそう思うと思った。けれど、想像していた同意の相槌は返ってこなかった。
「・・・そうかな。」
そう言って彼は首をかしげる。驚いて顔を上げれば、彼は真っすぐ私を見つめて。
「可哀想かどうかなんて、きみに決められることじゃないんじゃないかな。」
一瞬、息が出来なかった。
これから母のお見舞いに行くので。そう言って清矢くんは小さく頭を下げてその場をスタスタと去っていく。私はしばらくその場から動けなくて、おしゃべりな看護師さんに声をかけられるまでそのままだった。気づけば時は動き出していて、喧騒が戻ってきて、でも私の頭には彼の曇りのない瞳と右目の下のなきぼくろが鮮明に残っていた。
今日はベッドに倒れ込む前に制服を脱いだ。スウェットに着替えて、机に腰かける。呪文のような記号が書かれた参考書を広げて眺めてみる。清ちゃんの机はとても綺麗だ。なんとなく気が引けて開けなかった引き出しを今日は開けてみてしまった。ルーズリーフや細かな文房具がまとまっていて、空っぽの引き出しもあった。
一つだけ、鍵がついている小さな引き出しがある。その鍵は、いつも制服の胸ポケットに入っていた。初日に気づいて何の鍵だろうと疑問に思っていたのだ。
罪悪感と共に鍵穴に鍵を差し込んだ。カチャ、と小さな音と共に引き出しが開く。そこには大きな秘密なんて何もなくて、一通の手紙が入っているだけだった。クラフトの便箋の裏には、小さな文字でミユへ、と書いてある。友人だろうか。好奇心に勝てず、シールのついていない手紙を開いてしまった。
思わず、息をのんだ。
そこには、たった数行の文字しかなかった。たった数行だけど、どうにもできない感情がこみあげてくる、そんな文章だった。懺悔、感謝、愛情、後悔、相反するようなものがそこにはあった。
ミユ、が男の子の可能性もないとは言えない。でもきっと違うだろう、彼女は、ミユちゃんだ。女の子だ。清ちゃんも、女の子だ。でも清ちゃんは、ミユちゃんの事が好きなんだ。それは、友達としてではなくて。
顔を上げて部屋の中を眺めてみる。当たり前のように、清ちゃんの部屋は今日も掃除されていた。ゴミ箱は空っぽだし、ベッドは綺麗に治っているし、本棚だって整理されてる。この前美憂ちゃんからもらったクッキーを食べた時、次の日の夕飯の時間におばさんは少し困ったように笑って言った。「あんなに成分の悪いお菓子食べるのはやめようね。お菓子ならママが作ってあげるから。」それから無添加の良さについて怖いくらいに話された。清ちゃんは、普段から食べるものまで制限されているのだろうか。ゴミ箱の中まで監視されているのだろうか。
おばさんが誰かと電話しているのを確認して、もう一度クローゼットの奥の箱を開いた。積み重なる本の奥にある、男物の服と、もう一つ見つけた。何重にも袋に入れられた、新品の散髪バサミ。
ねえ、清ちゃん。
あなたは、幸せだった?
昼休み、美憂ちゃんがひょこっと私の机の前に顔を出して笑う。
頷いて席を立って、テラスへと移動した。少し風は肌寒いけれど太陽の日差しが気持ちいい。
私が自然に笑ってしまうくらい、美憂ちゃんは話し上手な女の子だった。今日も思わずケラケラと大笑いしてしまって慌てて口を押える。きっと清ちゃんはこんな笑い方しない。美憂ちゃんは案の定クスリと笑って。
「なんか清、笑い方変わったね。」
「そう?」
「うん。いつもはコソコソ笑ってるじゃない。」
「コソコソ笑うってどんな感じなの。」
思わずつっこんでしまえば、美憂ちゃんは清ちゃんの真似をしているのか、口に手を当てて下を向いて笑った。こんな感じ、と美憂ちゃんは微笑んで。
「なんか清がそうやって笑ってると、小さい時の事思いだす。」
ほら、と美憂ちゃんは小さい頃の思い出を語りだした。2人でピアノのおけいこが嫌で逃げ出した話、ママたちがランチしている間に着せ替え人形で遊んだ話、どうしてもハムスターが飼いたくて2人で泣きながらお願いした話。美憂ちゃんは楽しそうに語る。
「あの時は2人して馬鹿みたいに笑ってたよねえ。」
2人は、本当に幼い頃から仲が良かったのだろう。今の話を聞いていても普段の美憂ちゃんの態度からも何度もそう感じた。友達というより姉妹に近い関係なんじゃないだろうか。
気づけば昼休みが終わろうとしていて、慌ててお弁当をしまう。そういえば、と美憂ちゃんが急に顔を上げる。
「清。」
「うん?」
「話したい事って何だったの?」
「・・・話したい、こと?」
「あ、それもやっぱ覚えてないか。」
首を傾げた私に美憂ちゃんがバツの悪そうな顔をする。どうやら清ちゃんは美憂ちゃんに何か話したい事があると伝えていたらしい。けれど話をする前に事故にあってしまって、彼女はそれが気になっていたらしい。なんか深刻そうな顔してたから、と美憂ちゃんはその時の清ちゃんの顔を思い出したのか少し顔を曇らせた。
「なんか悩み事とかあったのかなって。」
「悩み事・・・。」
「思いだしたらすぐいうんだよ。私は絶対清の味方だからね。」
そう言って美憂ちゃんは手を握ってくれる。その目は痛いくらい真っすぐで、思わず目を逸らしてしまった。
スリッパの音が響く廊下で、私はじっと立っていた。ガラス張りの病室には、酸素吸入器を付けられた少女がベットに横たわっている。その横顔は真っ白で、でも、人形のように綺麗だった。
規則的な機械音がガラス越しに漏れ出す。少し離れたところで看護師さん達がコソコソ話しているのが聞こえてくる。このまま植物状態になっちゃうのかしらねえ、可哀想にねえ、なんて。
気付けば、隣に人が立っていた。見たことのない制服に身を包んだその男の子は、私と目が合うとペコリと頭を下げて。
「お友達ですか?」
「・・・いえ。」
そうなんですね、と彼が呟く。彼も同じようにお友達ではない事も知り合いですらない事も私が一番よく知っている。清矢、と下の名前を名乗った彼は、たまたま通りすがって、と小さく息を吐いた。
しばらく沈黙流れる。
「可哀想ですよね。」
気付けば、そんな言葉が口からこぼれていた。可哀想、一番無難な言葉だと思った。誰が見たってそう思うと思った。けれど、想像していた同意の相槌は返ってこなかった。
「・・・そうかな。」
そう言って彼は首をかしげる。驚いて顔を上げれば、彼は真っすぐ私を見つめて。
「可哀想かどうかなんて、きみに決められることじゃないんじゃないかな。」
一瞬、息が出来なかった。
これから母のお見舞いに行くので。そう言って清矢くんは小さく頭を下げてその場をスタスタと去っていく。私はしばらくその場から動けなくて、おしゃべりな看護師さんに声をかけられるまでそのままだった。気づけば時は動き出していて、喧騒が戻ってきて、でも私の頭には彼の曇りのない瞳と右目の下のなきぼくろが鮮明に残っていた。
今日はベッドに倒れ込む前に制服を脱いだ。スウェットに着替えて、机に腰かける。呪文のような記号が書かれた参考書を広げて眺めてみる。清ちゃんの机はとても綺麗だ。なんとなく気が引けて開けなかった引き出しを今日は開けてみてしまった。ルーズリーフや細かな文房具がまとまっていて、空っぽの引き出しもあった。
一つだけ、鍵がついている小さな引き出しがある。その鍵は、いつも制服の胸ポケットに入っていた。初日に気づいて何の鍵だろうと疑問に思っていたのだ。
罪悪感と共に鍵穴に鍵を差し込んだ。カチャ、と小さな音と共に引き出しが開く。そこには大きな秘密なんて何もなくて、一通の手紙が入っているだけだった。クラフトの便箋の裏には、小さな文字でミユへ、と書いてある。友人だろうか。好奇心に勝てず、シールのついていない手紙を開いてしまった。
思わず、息をのんだ。
そこには、たった数行の文字しかなかった。たった数行だけど、どうにもできない感情がこみあげてくる、そんな文章だった。懺悔、感謝、愛情、後悔、相反するようなものがそこにはあった。
ミユ、が男の子の可能性もないとは言えない。でもきっと違うだろう、彼女は、ミユちゃんだ。女の子だ。清ちゃんも、女の子だ。でも清ちゃんは、ミユちゃんの事が好きなんだ。それは、友達としてではなくて。
顔を上げて部屋の中を眺めてみる。当たり前のように、清ちゃんの部屋は今日も掃除されていた。ゴミ箱は空っぽだし、ベッドは綺麗に治っているし、本棚だって整理されてる。この前美憂ちゃんからもらったクッキーを食べた時、次の日の夕飯の時間におばさんは少し困ったように笑って言った。「あんなに成分の悪いお菓子食べるのはやめようね。お菓子ならママが作ってあげるから。」それから無添加の良さについて怖いくらいに話された。清ちゃんは、普段から食べるものまで制限されているのだろうか。ゴミ箱の中まで監視されているのだろうか。
おばさんが誰かと電話しているのを確認して、もう一度クローゼットの奥の箱を開いた。積み重なる本の奥にある、男物の服と、もう一つ見つけた。何重にも袋に入れられた、新品の散髪バサミ。
ねえ、清ちゃん。
あなたは、幸せだった?