大学を決めたのは高校三年生の夏を過ぎた頃だった。
それまでは漠然と県内の大学への進学を目指していた。なんとなく教師になりたいかな、程度の理由だった。
「二、三年後のことを常に考えて行動しろ」
小学生の時から父はことあるごとにそう言った。将来なにになりたいか。そのためには今なにをするべきか。
父は怒ると怖かった。それになにをすれば怒るのかがわからなかったのも怖かった。
ぼくは父に怒られたくない一心でその都度夢を語った。教師の夢もその一環で生まれたものだ。
高校二年生の冬。
学年主任の先生が今の時期を三年生0学期と称し、来年の大学受験に向けて準備を始めるようにと檄を飛ばす中、担任の先生はぼくに言った。
「あんた、ドラマの脚本書いてみたら?」
担任の先生は前任校で放送部の顧問をしていたが、うちの学校には放送部がなかった。
先生はぼくが中学の頃にクラスの劇の台本を書いていたことなどを知っており、同好会として全国の放送部が参加するNHK全国放送コンテストに出場しないかと誘ってきた。
それから一週間程度かけて脚本を執筆し、昼休みが始まると同時に職員室へ向かい、担任の先生に渡した。
「あんた天才じゃない?」
昼休みが終わる頃、担任の先生は教室にいたぼくに向かってそう言った。普段あまり褒めない先生が、わざわざ教室までやってきて、細い目を見開いて言ってくれた言葉が、その言葉の意味以上にたまらなく嬉しくて。
それから始まったドラマ作りも大変で、楽しくて。
ぼくは遠方の芸術大学へ進学することを決めた。
ぼくは友達の作り方がわからない。
それは保育園から中学までの間のクラスメイトがほとんど変わらなかったことが原因だ。田舎の弊害だ。物心ついた頃からみんな友達だった。
友達の作り方がわからないくせに、友達がいない生活は考えられなかった。
知り合いが一人もいない関西で、ぼくは友達を作るのに必死だった。
大学で迎える三度目の春。
ぼくはそれなりにうまくやっていたと思う。
映像制作をする友達。一緒に出かける友達。校内で時間を潰す友達。
友達はたくさんできた。そのぶん、みんなの前で見せる自分と本当の自分が乖離する場面が増えていった。
女性にモテたいと偽って、性行為の経験がないことをいじられて、それらを笑いに変えることばかりが上手くなっていった。
みんなが笑って、ぼくも笑う。
たまに心が限界に達して、一日中家から出ずにぼーっとすることしかできないこともあるけど気にしなかった。一人よりはずっとマシだと思った。
そんな中、ぼくは先輩と出会った。
一緒にご飯を食べた後輩ともその後も共に過ごすようになり、先輩の友だちとも友だちになった。同じ学部なのにそれまで全然関わったことがなくて、でもぼくはこの三人ならなんでも話せるようになった。
みんなで共に過ごす喜びを、ぼくはみんなといない時に深く身にしみた。
みんなと遊んだ翌日、ぼくは決まってぼーっとするようになった。通学バスに乗る。学校に着く。学生食堂で次の授業が始まるまで暇をつぶす。
その間、ぼくは女性が好きなモテないぼくであり続ける。そうしなければ、不意に同級生に会った時にボロが出てしまうかもしれないから。
ぼくは男性が好きなぼくを隠すのに必死だった。
ふと疑問が浮かぶ。
「どうして隠さなければならないのか」
すぐに答えが導かれる。
「気持ちが悪いから」
「みんなとは違うから」
「普通じゃないから」
ぼくは反論する。
「でも、先輩たちはぼくとも仲良くしてくれるじゃないか」
「先輩たちは特別に理解があるのだけ。本来ならば避けられる存在のくせに調子にのるな」
ぼくは、ぼくを攻撃するのが上手だった。
気分がみるみる沈むのと同時に、同級生がやってくる。次の授業が同じだった。学生食堂を出て、階段を上がり、他の校舎へと続く大通りに出ると、ちょうど昼ごろで新入生も多く、人の波が寄せては返していた。
あ、無理だ。
なにが、とか、どうして、とか今でもあの時の自分の気持ちを明確に説明することは難しいが、ぼくはその場から歩けなくなった。
たくさんの人間の群れが、恐かった。疎外感だったり、孤独感だったり、思い返せばそれなりに理由は考えられるがそのどれもが正しくて、本当の意味では正しくない気がする。
ただ、無理だった。
それ以来、ぼくはこの二年間でできた同級生の友達から距離を取るようになった。飲み会も断った。一緒に授業に行くのもやめた。
でも、明らかに避けたり、敵意を見せるのは今後の学校生活に支障をきたすので「ごめんね」と付け加えて申し訳なさそうにあらゆる誘いを断った。
そういう時、ぼくは誰にも聞こえないように「友達じゃない」とつぶやいた。
お前たちとは友達じゃない。ぼくの友達は先輩たちだけだ。お前たちは違う。
同級生との楽しい思い出もある。一緒に文化祭で出店をやったこと。ミュージックビデオの撮影をしたこと。特撮映画のミニチュアセットを夜が明けるまで製作したこと。
しかしそれらの記憶に蓋をして、ぼくの秘密についてなにかを言われたこともないのに、ぼくは同級生たちを理解のない人間たちだと決めつけて、勝手に離れた。
そうやってぼくは、ぼくを守った。
それまでは漠然と県内の大学への進学を目指していた。なんとなく教師になりたいかな、程度の理由だった。
「二、三年後のことを常に考えて行動しろ」
小学生の時から父はことあるごとにそう言った。将来なにになりたいか。そのためには今なにをするべきか。
父は怒ると怖かった。それになにをすれば怒るのかがわからなかったのも怖かった。
ぼくは父に怒られたくない一心でその都度夢を語った。教師の夢もその一環で生まれたものだ。
高校二年生の冬。
学年主任の先生が今の時期を三年生0学期と称し、来年の大学受験に向けて準備を始めるようにと檄を飛ばす中、担任の先生はぼくに言った。
「あんた、ドラマの脚本書いてみたら?」
担任の先生は前任校で放送部の顧問をしていたが、うちの学校には放送部がなかった。
先生はぼくが中学の頃にクラスの劇の台本を書いていたことなどを知っており、同好会として全国の放送部が参加するNHK全国放送コンテストに出場しないかと誘ってきた。
それから一週間程度かけて脚本を執筆し、昼休みが始まると同時に職員室へ向かい、担任の先生に渡した。
「あんた天才じゃない?」
昼休みが終わる頃、担任の先生は教室にいたぼくに向かってそう言った。普段あまり褒めない先生が、わざわざ教室までやってきて、細い目を見開いて言ってくれた言葉が、その言葉の意味以上にたまらなく嬉しくて。
それから始まったドラマ作りも大変で、楽しくて。
ぼくは遠方の芸術大学へ進学することを決めた。
ぼくは友達の作り方がわからない。
それは保育園から中学までの間のクラスメイトがほとんど変わらなかったことが原因だ。田舎の弊害だ。物心ついた頃からみんな友達だった。
友達の作り方がわからないくせに、友達がいない生活は考えられなかった。
知り合いが一人もいない関西で、ぼくは友達を作るのに必死だった。
大学で迎える三度目の春。
ぼくはそれなりにうまくやっていたと思う。
映像制作をする友達。一緒に出かける友達。校内で時間を潰す友達。
友達はたくさんできた。そのぶん、みんなの前で見せる自分と本当の自分が乖離する場面が増えていった。
女性にモテたいと偽って、性行為の経験がないことをいじられて、それらを笑いに変えることばかりが上手くなっていった。
みんなが笑って、ぼくも笑う。
たまに心が限界に達して、一日中家から出ずにぼーっとすることしかできないこともあるけど気にしなかった。一人よりはずっとマシだと思った。
そんな中、ぼくは先輩と出会った。
一緒にご飯を食べた後輩ともその後も共に過ごすようになり、先輩の友だちとも友だちになった。同じ学部なのにそれまで全然関わったことがなくて、でもぼくはこの三人ならなんでも話せるようになった。
みんなで共に過ごす喜びを、ぼくはみんなといない時に深く身にしみた。
みんなと遊んだ翌日、ぼくは決まってぼーっとするようになった。通学バスに乗る。学校に着く。学生食堂で次の授業が始まるまで暇をつぶす。
その間、ぼくは女性が好きなモテないぼくであり続ける。そうしなければ、不意に同級生に会った時にボロが出てしまうかもしれないから。
ぼくは男性が好きなぼくを隠すのに必死だった。
ふと疑問が浮かぶ。
「どうして隠さなければならないのか」
すぐに答えが導かれる。
「気持ちが悪いから」
「みんなとは違うから」
「普通じゃないから」
ぼくは反論する。
「でも、先輩たちはぼくとも仲良くしてくれるじゃないか」
「先輩たちは特別に理解があるのだけ。本来ならば避けられる存在のくせに調子にのるな」
ぼくは、ぼくを攻撃するのが上手だった。
気分がみるみる沈むのと同時に、同級生がやってくる。次の授業が同じだった。学生食堂を出て、階段を上がり、他の校舎へと続く大通りに出ると、ちょうど昼ごろで新入生も多く、人の波が寄せては返していた。
あ、無理だ。
なにが、とか、どうして、とか今でもあの時の自分の気持ちを明確に説明することは難しいが、ぼくはその場から歩けなくなった。
たくさんの人間の群れが、恐かった。疎外感だったり、孤独感だったり、思い返せばそれなりに理由は考えられるがそのどれもが正しくて、本当の意味では正しくない気がする。
ただ、無理だった。
それ以来、ぼくはこの二年間でできた同級生の友達から距離を取るようになった。飲み会も断った。一緒に授業に行くのもやめた。
でも、明らかに避けたり、敵意を見せるのは今後の学校生活に支障をきたすので「ごめんね」と付け加えて申し訳なさそうにあらゆる誘いを断った。
そういう時、ぼくは誰にも聞こえないように「友達じゃない」とつぶやいた。
お前たちとは友達じゃない。ぼくの友達は先輩たちだけだ。お前たちは違う。
同級生との楽しい思い出もある。一緒に文化祭で出店をやったこと。ミュージックビデオの撮影をしたこと。特撮映画のミニチュアセットを夜が明けるまで製作したこと。
しかしそれらの記憶に蓋をして、ぼくの秘密についてなにかを言われたこともないのに、ぼくは同級生たちを理解のない人間たちだと決めつけて、勝手に離れた。
そうやってぼくは、ぼくを守った。